愛とか恋とかウザいので
  ◇◇◇

 萌依を試着室へと見送った蒼弥が、着替えを待つ間に、ドレスに合わせるアクセサリーでも見ておこうかと思っていると、スタッフが連絡したのか、来店時は不在だった店の女性オーナーが挨拶に来た。
 銀座の画廊のオーナーでもある彼女は、蒼弥より祖父の重之と年齢が近いが、エネルギッシュで実年齢よりずっと若い印象を与える。
 とても美への拘りが強く、彼女の店に自社の商品を置いてもらえるというのは、ハルモニア製品のデザイン性を評価されているという明かしだ。

「早瀬君がお客さんとしてうちを訪れる日が来るなんて、思ってもみなかったわ」

 その昔、この店にハルモニアの置かないかと売り込みに来た蒼弥のことを、彼女は営業だと思い込みそう呼んでいた。
 そのため、蒼弥が社長であると知った今でも蒼弥を『早瀬君』と呼ぶ。

「この店は、女性向けの商品しか扱ってないので、なかなか恩返しできなくてすみません」

 蒼弥が詫びると、女性オーナーはとんでもないと笑う。

「そんなこと期待していないわよ。ハルモニアの商品は、私が気に入ったから置いているだけですもの。ただ早瀬君は、てっきり仕事と結婚しているのかと思っていたから」

「そんなにワーカホリックな人間に見えますか?」

 あっけらかんとした調子で話す女性オーナーに、蒼弥は苦笑する。その言葉に、女性オーナーは少し考えてから答えた。

「あなたの場合、ワーカホリックというのとは少し違うわよね。ビジネスというゲームを、全力で楽しんでいるプレーヤーって感じかしら。だから遊ぶのに夢中で、恋愛なんて興味ないかと思っていたわ」

「なるほど。それは一理ありますね」

 彼女の言うとおり、蒼弥は今の仕事を楽しんでいる。
 もともとは父親より自分の方が経営者としての才覚があると示したくて社長に就任したのだが、蒼弥自身が思っていた以上に適性があったらしい。
 最初はハルモニアの倒産を回避できれば上出来と思っていたのに、今ではハルモニアの名を一流ブランドとして世界に知らしめたいと考え、それを現実のことにすることに情熱を傾けている。

「とくに今は、ハルモニア百周年に向けて、あれこれ暗躍しているそうだし」

「暗躍って……」

 それはもちろん、女性オーナーの冗談だ。
 だが蒼弥が社長に就任し、新体制を整えたハルモニアのブランドイメージを強く印象づけるために、あれこれ企画を練っているのは事実だ。
 その中には極秘進行中のものもあるので、暗躍と言えなくもない。

「百周年の記念に、特別な時計を作るそうね。販売方法は受注生産? 数量限定で直営店のみ取り扱い?」

「さあ?」

 女性オーナーの探りを、蒼弥は薄く微笑んでやり過ごす。
 なにかしらの情報を知っているのか、かまをかけているのかは不明だが、いくら昔世話になったからといって、このタイミングでその辺の情報をこちらから明かすわけにはいかない。
 蒼弥が黙っていると、女性オーナーはすぐに興味をなくして話題を戻す。

「とにかくそんな忙しい早瀬君の心を射止めたのは、どういう女性なのよ」

 彼女としてはハルモニアの極秘企画より、そちらの方が気にかかるらしい。

「心を射止めたというのは、少し大袈裟ですよ。それにオーナーが瞳を輝かせるような、洒落た関係ではありませんよ」

 なにせ蒼弥が萌依に求めているのは、会長への牽制を兼ねた契約結婚なのだ。しかも了承を得られず、現在こちらから交渉している最中である。
 とはいえ、事実をそのまま伝えるわけにもいかないので、意味深に微笑むことで答えをはぐらかす。

「またまた。恥ずかしがらずに、どんな女性なのか教えてよ」

 蒼弥の反応を、女性オーナーは照れていると勘違いしたようだ。

「どんな女性か……」

 そう問われて、萌依がどんな女性なのか改めて考える。
 部下として知る彼女は、頑張り屋の努力家で、与えられた仕事には強い責任感を持って向き合う。
 そのため蒼弥は、彼女をかなりの信頼している。
 だけど今求められているのは、そういった上司としての評価ではないだろう。
 ではオフィスを離れた萌依を、どう説明すればいいのだろうかと考えていると、試着室へと続く薄いドアが開いた。
 見ると、最初に蒼弥が勧めた方のドレスを着た萌依の姿があった。
 試着の際に外したのか、眼鏡を掛けていない萌依は、どこか不安げな表情であたりを見渡している。
 蒼弥が軽く手を上げて合図を送ると、試着室にそなえ付けられているサンダルをつっかけてこちらへと歩み寄ってきた。

「ど、どうでしょうか?」

 緊張を隠し切れない顔で萌依が聞く。
 そんな彼女を前に、蒼弥は若干の戸惑いを覚えた。

(彼女は、こんなだっただろうか……)

 オフィスでの萌依は、まるでそれが制服かのように、飾り気のない白のブラウスに黒のレディーススーツというスタイルで通している。
 そのため肩周りがレース素材のドレスに着替えると、今更ながらに彼女の肩の薄さや、華奢な体つきをしていることに驚いてしまう。
 眼鏡をしていないため、普段はあまり意識していなかったくっきりした二重の目や、小ぶりな鼻の愛らしさにも目がいく。

「や、やっぱり、私には似合わないですよね」

 すぐには言葉を返さない蒼弥に、萌依が慌てる。

「いや、そんなことはない。よく似合っている。いつもと印象が違いすぎて驚いただけだ。なんていうか……」

 慌てた分早口になる蒼弥は、その先に続ける言葉を見失って黙り込む。
 なんていうか――その先をどう続ければいいかわからず黙り込むと、女性オーナーが朗らかに笑って、会話に割り込んできた。

「あらやだ早瀬君、こういうときは『君があまりに可愛いから、惚れ直した』て、言えばいいのよ」

「「それはないです」」

 素早く否定する蒼弥と萌依の声が重なった。
 照れ隠しではなく本気で言っているとわかるふたりの声のトーンに、女性オーナーは驚いて瞬きするが、蒼弥としては、相変わらず萌依とは変なところで気が合うと思うばかりだ。
 それは萌依も同じだったようで、目が合うとお互い吹き出した。お互いクスクス笑い合っていると、自然と空気が和んでいく。
 ふたりのクスクス笑いが収まると、女性オーナーが萌依に声をかけた。

「それなら、これから言わせてやればいいのよ」

 そう言ってドレスに似合うアクセサリーなどを、選び萌依に試させていくので、小物選びは彼女に任せることにした。
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