愛とか恋とかウザいので

「失礼しました。どうやら娘と、話が弾まれていたようで」

 父親の言葉に、眞希子が不機嫌に返す。

「ええ、早瀬社長が面白い勘違いをされていたので、それを正してさしあげていました」

 眞希子が誇らしげに言うと、館野常務が満足げに頷く。
 この親子の頭の間では、蒼弥が眞希子を気に入っているという妄想が出来上がっているのだろう。そしてそうなれば、思い通りに十和企興に仕事を回してもらえると考えているのだ。

(バカバカしい)

 現実を客観視できない人間に、大事な仕事を任せるわけがない。――そう伝えて、今度こそ帰らせてもらおう。
 そう考えを纏めた後で、口を開きかけた蒼弥の頭に萌依の顔がよぎる。
 常識のない眞希子のことだ、このまま蒼弥が席を立てば、その怒りの矛先が萌依に向かうだろう。
 蒼弥としては、萌依に不快な思いをさせたくない。
 ささやかな日常を丁寧に生きる彼女を、こういった自己中心的な悪意から守りたいという感情は、どこからくるのだろうか……。

「ところで、先ほどの話ですが……」

 萌依のことを想う蒼弥の意識を、館野常務の声が現実に引き戻す。
 こちらを値踏みするような館野親子の眼差しに、つくづく萌依を関わらせたくないと思う。

「わかりました。ではこうしましょう。……近くミツセ氏と会う予定がありますので、そこで先方の意向を確認し、彼と関わる業務の範囲で十和企興さんにお任せしてもいい案件があればそこはお願いします」

 本来、既に発注先が決まっている仕事に、十和企興を割り込ませる必要はない。
 だけどここで蒼弥が断ることで萌依に嫌な思いをさせるくらいなら、制約を付けて相手の動きをコントロールしておきたい。

(まいったな……。最初に萌依の恋人のフリをした時は、こんな感情を抱く予定はなかったのに)

 いつの間にか自分の中に芽生えた感情を持て余しつつ、蒼弥は言葉を続ける。

「この件に関しては私が窓口になりますので、弊社の他の社員への接触は硬くお断りします。もしそのような行為が見受けられた際には、今後、十和企興さんとの取引はないと思ってください」

「早瀬社長が、自らこの件を担当されると?」

「つまりなにかあれば、直接、早瀬社長にご連絡さしあげていいんですね?」

 蒼弥の言葉に、館野親子が喜色を浮かべる。
 蒼弥以外のハルモニア社員に接触をするなという言葉を、自分たちの都合のいいように解釈したようだが、ひとまずは無視しておく。
 大事なのは、萌依を守ることなのだから。

「ではそういうことで、失礼します」

 これ以上、この親子と同じ空間にいたくない。
 蒼弥は立ち上がり、ランジを後にした。
 そしてホテルを出ると、大きくため息をつきて前髪を掻き上げる。

「俺は、萌依に惚れていたのか」

 一度言葉にしてみると、収まり悪く胸の中で燻っていた感情が、ストンと蒼弥の心に馴染む。
 蒼弥はずっと、愛も恋も不要な感情だと思っていた。
 両親の姿から、それがどれほどはた迷惑なものか学んできたので、自分が誰かを愛する日がくるなんて思ってもいなかった。
 もちろん蒼弥にだって、〝好き〟や〝嫌い〟といった人間らしい感情はある。
 だけどその場合の〝好き〟は、あくまでも〝like〟であって〝love〟ではなかった。萌依に向ける感情だって、そのはずだったのに……。
 そこまで考えた蒼弥は、自分の戸惑いを呑み込み、会社に戻るためにタクシーを拾う。
 行き先を告げて、後部座席のシートに深く身を預けて考えを纏める。
 惚れてしまったものは仕方がない――と。
 愛も恋もウザいだけと思っていたが、誰かを好きになった自分の気持ちを恥じるつもりも、否定するつもりもない。
 これまでだって蒼弥は、自分の気持ちに正直に生きてきた。
 以前、ドレスを選んでいる萌依に『自分を通すのは、怖くないか』といったようなことを聞かれたことがある。その時蒼弥は、『自分の気持ちに嘘をつく方が怖い』と答えた。
 それが全てだ。
 自分の気持ちとは一生付き合っていくしかないのだから、本音から目を逸らすことになんの意味もない。

(ただこの場合、問題になるのは萌依の気持ちだな)

 なにせ彼女もこれまでの蒼弥同様、愛も恋もお断りと思って生きている。
 とはいえ蒼弥としては、それを彼女を諦める理由にするつもりはない。
 少々順番がおかしなことにはなっているが、せっかく惚れた相手と結婚できたのだ。これから愛情を育んでいけばいい。
 そのためにはどうしたものかと、蒼弥は考えを巡らせる。
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