愛とか恋とかウザいので
 蒼弥がそう告げようとした時、頼んだコーヒーが運ばれてきた。それで、配膳が終わるのを待っていると、館野常務がチラリと娘に視線をやって胸を押さえた。そしてそのまま、スーツの内ポケットからスマホを取り出す。

「すみません。どうしても出なくてはいけない電話が入ったみたいで……」

 芝居くさい口調でそう告げて立ち上がり、ラウンジを出て行く。
 おそらく娘から、どこかのタイミングで自分と蒼弥をふたりきりにするよう頼まれていたのだろう。

「大事なお話中に、落ち着きのない父ですみません」

 眞希子が白々しく詫びる。

「あなたにとっては、忠実でいい父親なんじゃないですか」

(娘に甘い父親が自分の言いなりだからといって、他の人も思い通りに動くことを期待されては迷惑だ)

 蒼弥は、アイスコーヒーを頼まなかったことを後悔しつつカップを口に運ぶ。

「ええ、自慢の父です」

 蒼弥の皮肉に気付くことなく、眞希子は艶やかな唇の端を綺麗に持ちあげて微笑む。
 苛立ちを持て余して蒼弥が視線を逸らしていると、眞希子が「朝比奈さんの家とは、大違いでしょ」と誇らしげに続ける。

「どういう意味だ?」

 萌依の名前に蒼弥が思わず反応を示すと、眞希子は自分の手元にあったティーカップを優雅な動きで持ち上げて言う。

「先日、朝比奈さんに気があるような話をされていましたけど、あれは冗談ですよね? だって彼女、借金がある上に、まともな家族もいないんですよ。そんな子を、早瀬社長が本気で相手されるはずありませんもの」

 借金というのは、大学進学の際に利用した奨学金のことだろう。それに〝まともな家族いない〟というのは、彼女が祖父母に育てられたことを言っているのだろうか。
 奨学金返済中であることも、家族の縁が薄いことも、以前、萌依から聞かされている。
 どちらも、恥じるようなことではない。
 それなのに、眞希子は言葉を選ぶことで、さも萌依が大きな問題を抱えているような印象をこちらに与えようとする。

(そのあざとさが、自分の程度の低さを示しているとわからないのか?)

 蒼弥としては呆れるばかりだ。

「あなたには素晴らしい恋人がいらっしゃるのでは? それなのに、俺にそんな色目を使っていいんですか?」

 呆れるついでに話を振ると、蒼弥が自分に気があると勘違いした眞希子が媚びた笑みを浮かべる。

「先日一緒いた男性とは、なんでもありませんわ。彼の方が一方的に気があるみたいで、私としては迷惑しているんです。そうだ。早瀬社長、私のこと守っていただけませんか?」

 どうやら萌依の元カレが、彼女の恋人を気取っているだけで、眞希子の方はなんの愛情もないらしい。

(萌依への対抗心かなにかで、恋人を横取りしただけなんだろうな)

 以前、恋人と別れた経緯を萌依から聞かされた時から、そんな気はしていたが、その予想は大当たりだったらしい。
 自分に向けられる冷めた眼差しに気付くことなく、紅茶を一口飲んだ眞希子は、カップをソーサーに戻して続ける。

「それに私の父は、社会的地位を築いていますし、その地位に見あった人脈と財産も持っています。そういう人間の方が、早瀬さんには相応しいと思いますよ」

「なるほど。君は自分の存在価値を正しく評価しているようだ」

「ご理解いただけてうれしいですわ」

 眞希子は満足げに頷く。
 眞希子の言葉に、蒼弥は鷹揚に頷いて皮肉屋な笑みを浮かべる。

「しかし、こんなに胸を張って、自分自身には、なんの価値がないと話す女性は珍しい」

「え?」

 眞希子が目を丸くして蒼弥を見る。想定外の言葉を投げかけられ、自分はなにか聞き間違いをしたのでは……といった顔をしているが、蒼弥はありのままを言葉にしたつもりだ。
 そのものわかりの悪さに苛立ちつつ、蒼弥は言葉を足す。

「あなたには、親の地位や財産くらいしか誇れるものがない。そういうことですよね? しかも、そんな自分を恥じ入るだけの知性もない。そんな女性が、どうしてウチの朝比奈より優れていると思えるんですか」

 そもそも蒼弥は、パートナーの家柄に頼らなければいけないような、弱腰な生き方をしていない。

「彼女の方が、私より価値があると言いたいんですか?」

 蒼弥の言葉に、眞希子の顔が赤して声を震わせる。

「少なくとも、私にとってはそうですね」

 萌依との結婚は成り行きだが、一緒に暮らすようになってたくさんのことに気付かされた。
 極力自炊をする萌依は、掃除やアイロンがけなども業者任せにはしない。できることは、なるべく自分で手をかける。
 本人は、節約癖がついているせいだと話すが、側で見ていればそれだけではないとすぐにわかる。
 十五夜の夜にススキを買い求め、敬老の日に離れて暮らす祖父母に花を贈る彼女は、自分で稼いだお金を正しく使って丁寧に生きているだけだ。
 それは裕福な家に生まれて、その立場にあぐらを掻く眞希子には真似できない生き方だろう。

「あんな女と、私を一緒にしないでください。少しお時間をいただければ、私の方が、早瀬社長に相応しいとご理解いただけるはずです」

 彼女の頭の中でどういった解釈がなされたのか、頬が痙攣するほど強く奥歯を噛みしめていた眞希子が、呆れ口調で言う。

(あんな女と一緒に……)

 それこそ、こちらの台詞だ。蒼弥としては、眞希子のような人に、萌依をそう言われたことが腹立たしい。
 蒼弥が苛立ちを噛み殺していると、席を外していた館野常務が戻って来た。
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