愛とか恋とかウザいので
お手洗いに行くことを口実に蒼弥たちのもとを離れた萌依は、そのまま宴会場を出て、フロアの共有スペースに設置されているソファーに腰を下ろした。
背もたれに上半身の体重を預けて目を閉じると、映画の予告映像のように、印象的なシーンをつぎはぎした記憶が蘇ってくる。
その中には眞希子と亨介の関係を知って会社を辞めるに至った経緯も含まれていて、さっき蒼弥に甘えた声で話しかける眞希子の姿はその時のことを強く思い出せるものがあった。
彼と共に過ごす日々が楽しいからこそ、蒼弥が萌依の知らない場所で眞希子と会っていたという事実が辛い。
さっき蒼弥が誰かに恋をしたのではないかと思った直後なだけに、ふたりがこっそり会っていたという事実が萌依の心に重くのしかかる。
「もしかして、蒼弥さんは、館野さんのことを……」
そんなことあり得ないと思いたいのだけど、亨介の心代わりを間近で体験しているだけに、あれこれ考えてしまう。
眞希子の人間性を好きになれないのは萌依の価値であって、蒼弥のものではないのだ。
蒼弥が誰を好きになるかは、蒼弥の自由だ。
それに、恋をするつもりなんてなかったのに、それでも人を好きになってしまうことがあることを、萌依は身をもって体験したばかりだ。
眞希子は美人だし、大手広告代理店常務の娘だ。そういう立場を考えれば、彼女の方が、萌依より蒼弥に相応しいといえる。
さっきは、萌依の気持ちに気付いた蒼弥が、萌依から離婚を切り出すよう仕向けるために十和企興への発注を独断で決めたのかと思ったが、ただ単純に眞希子と関わりを持つために仕事を依頼することにしたのかもしれない。
もしくは好意を寄せている眞希子にお願いされ断れなかったという可能性もある。
「もしそうなら、蒼弥さんとお別れしなくちゃ」
自分自身に言い聞かせるために萌依が呟くと、頭上から降ってくる声があった。
「え、そうなの?」
心底驚いた様子の男性の声に反応して目を開くと、背後からこちらを覗き込むようにしている男性と目が合った。
「ミツセさんっ!」
ギョッとして萌依が姿勢を直す隙に、声の主であるミツセは前に回りこんで萌依の対角線上に配置されているソファーに座る。
「ぐったりているのが見えたから、気分でも悪いのかと思って声をかけようとしたんだけど……」
ミツセは、視線をお手洗いのある方から、会場の入り口へと移動させる。
お手洗いに行き、戻る途中で萌依に気付いたということらしい。
「すみません。なんでもないので、忘れてください」
萌依は、姿勢を直して謝る。
「いや。そんな不穏な発言、そう簡単に忘れられるわけないでしょ。君、早瀬君の奥さんだし」
どうやら蒼弥は、そこまでミツセに話したらしい。
(ということは、ミツセさんとの仕事が一区切りするまでは、私と離婚する気はないのかな?)
なんだか、わけがわからなくなってきた。
萌依があれこれ考えこんで黙り込んでいると、ミツセが言う。
「結婚していること、他の人には言わないから安心して。早瀬君が変な頼みごとしてきたのが面白くて、僕がついあれこれ深掘りしちゃったんだ。それで早瀬君も、仕方なく話したんだ」
「社長……早瀬とは、以前から親しくされていたんでしょうか?」
蒼弥の頼みごとというのも気になるけど、蒼弥に対するミツセの口調には、仕事の領域を乗り越えた親しさを感じさせるのでそれが気になった。
萌依の質問に、ミツセが小さく驚く。
「あれ、聞いてなかった? 早瀬君とは前職時代、彼がニューヨーク赴任中に仲良くなってね」
「そう……なんですね」
部下として蒼弥の前職が外資系であることは知っているが、海外赴任していたというのは初耳だ。
そんなことも知らずに、彼の妻を名乗る自分が恥ずかしくなる。
「当時の彼はモテるのに恋愛に興味がなくて、そのクールさが、女性にはよけい魅力的だったんだろうね」
「なんとなく、想像がつきます」
先輩秘書の渥美も、若い頃の蒼弥が女性にモテていたと、よく話題にしている。
だからこそ、蒼弥に好きな人ができたのなら、萌依としては諦めるしかないのだ。
「だけど今日、久しぶりに会ったら雰囲気が変わって驚いたよ。恋をすると、男はこうも変わるものなんだね」
萌依の胸の内を知らないミツセは、フフッと楽しげに笑う。
「蒼弥さん、恋をしているのですね」
萌依の呟きに、ミツセが大きく頷く。
「君が早瀬君を変えたんだ。だから、できれば仲良くしてあげて」
その言葉に、萌依は目を丸くする。
「私と蒼弥さんは、そんなんじゃないです。蒼弥さんが好きなのは、きっと……」
もちろん頭の冷静な部分では、ミツセにそんなこと話すべきではないとわかっている。それでも蒼弥が眞希子を好きなのかもしれないと思うと、うまく感情を抑制することができない。
無意識に零れた萌依の言葉に、ミツセが目を丸くする。
「早瀬君は、愛する奥さんを守るために必死なんだから、そんな寂しいこと言わないであげてよ」
そんなこと、あるはずがない。
そう思うのだけど、形だけでも彼の妻である以上、この先の言葉は口にするわけににはいかない。
「えっと……、ご期待に応えられなくて、なんだかすみません」
萌依が曖昧に笑うと、ミツセはますます困り顔を見せた。
萌依としても、なんだかいたたまれない。
こんな場所で、ふたりで困り顔をしていても、なんの解決にもならないのだけど。
「早瀬君のこと、愛してないの?」
ミツセの問いに、萌依は素早く首を横に振る。
「ただ、私じゃ蒼弥さんに相応しくないのでダメなんだと思います」
「なんで、そんなふうに思うかな……」
納得がいかない様子で唸るミツセは、ぼんやりと視線を彷徨わせて考え込む。
でも急にハッとした様子で背筋を伸ばした。
「そうだっ!」
不意にミツセが声を弾ませる。
「どうかしました?」
不思議そうな顔をする萌依の見つめる先で、ミツセは、さも名案を思いついたといった様子で手を打ち合わせた。
そしてとんでもない提案をする。
「今から君を口説いてもいい? そうしたら、早瀬君が、君をどう思っているかわかるよ」
「はい?」
突拍子のない提案に、萌依は悲鳴に近い声を上げて目を丸くした。
背もたれに上半身の体重を預けて目を閉じると、映画の予告映像のように、印象的なシーンをつぎはぎした記憶が蘇ってくる。
その中には眞希子と亨介の関係を知って会社を辞めるに至った経緯も含まれていて、さっき蒼弥に甘えた声で話しかける眞希子の姿はその時のことを強く思い出せるものがあった。
彼と共に過ごす日々が楽しいからこそ、蒼弥が萌依の知らない場所で眞希子と会っていたという事実が辛い。
さっき蒼弥が誰かに恋をしたのではないかと思った直後なだけに、ふたりがこっそり会っていたという事実が萌依の心に重くのしかかる。
「もしかして、蒼弥さんは、館野さんのことを……」
そんなことあり得ないと思いたいのだけど、亨介の心代わりを間近で体験しているだけに、あれこれ考えてしまう。
眞希子の人間性を好きになれないのは萌依の価値であって、蒼弥のものではないのだ。
蒼弥が誰を好きになるかは、蒼弥の自由だ。
それに、恋をするつもりなんてなかったのに、それでも人を好きになってしまうことがあることを、萌依は身をもって体験したばかりだ。
眞希子は美人だし、大手広告代理店常務の娘だ。そういう立場を考えれば、彼女の方が、萌依より蒼弥に相応しいといえる。
さっきは、萌依の気持ちに気付いた蒼弥が、萌依から離婚を切り出すよう仕向けるために十和企興への発注を独断で決めたのかと思ったが、ただ単純に眞希子と関わりを持つために仕事を依頼することにしたのかもしれない。
もしくは好意を寄せている眞希子にお願いされ断れなかったという可能性もある。
「もしそうなら、蒼弥さんとお別れしなくちゃ」
自分自身に言い聞かせるために萌依が呟くと、頭上から降ってくる声があった。
「え、そうなの?」
心底驚いた様子の男性の声に反応して目を開くと、背後からこちらを覗き込むようにしている男性と目が合った。
「ミツセさんっ!」
ギョッとして萌依が姿勢を直す隙に、声の主であるミツセは前に回りこんで萌依の対角線上に配置されているソファーに座る。
「ぐったりているのが見えたから、気分でも悪いのかと思って声をかけようとしたんだけど……」
ミツセは、視線をお手洗いのある方から、会場の入り口へと移動させる。
お手洗いに行き、戻る途中で萌依に気付いたということらしい。
「すみません。なんでもないので、忘れてください」
萌依は、姿勢を直して謝る。
「いや。そんな不穏な発言、そう簡単に忘れられるわけないでしょ。君、早瀬君の奥さんだし」
どうやら蒼弥は、そこまでミツセに話したらしい。
(ということは、ミツセさんとの仕事が一区切りするまでは、私と離婚する気はないのかな?)
なんだか、わけがわからなくなってきた。
萌依があれこれ考えこんで黙り込んでいると、ミツセが言う。
「結婚していること、他の人には言わないから安心して。早瀬君が変な頼みごとしてきたのが面白くて、僕がついあれこれ深掘りしちゃったんだ。それで早瀬君も、仕方なく話したんだ」
「社長……早瀬とは、以前から親しくされていたんでしょうか?」
蒼弥の頼みごとというのも気になるけど、蒼弥に対するミツセの口調には、仕事の領域を乗り越えた親しさを感じさせるのでそれが気になった。
萌依の質問に、ミツセが小さく驚く。
「あれ、聞いてなかった? 早瀬君とは前職時代、彼がニューヨーク赴任中に仲良くなってね」
「そう……なんですね」
部下として蒼弥の前職が外資系であることは知っているが、海外赴任していたというのは初耳だ。
そんなことも知らずに、彼の妻を名乗る自分が恥ずかしくなる。
「当時の彼はモテるのに恋愛に興味がなくて、そのクールさが、女性にはよけい魅力的だったんだろうね」
「なんとなく、想像がつきます」
先輩秘書の渥美も、若い頃の蒼弥が女性にモテていたと、よく話題にしている。
だからこそ、蒼弥に好きな人ができたのなら、萌依としては諦めるしかないのだ。
「だけど今日、久しぶりに会ったら雰囲気が変わって驚いたよ。恋をすると、男はこうも変わるものなんだね」
萌依の胸の内を知らないミツセは、フフッと楽しげに笑う。
「蒼弥さん、恋をしているのですね」
萌依の呟きに、ミツセが大きく頷く。
「君が早瀬君を変えたんだ。だから、できれば仲良くしてあげて」
その言葉に、萌依は目を丸くする。
「私と蒼弥さんは、そんなんじゃないです。蒼弥さんが好きなのは、きっと……」
もちろん頭の冷静な部分では、ミツセにそんなこと話すべきではないとわかっている。それでも蒼弥が眞希子を好きなのかもしれないと思うと、うまく感情を抑制することができない。
無意識に零れた萌依の言葉に、ミツセが目を丸くする。
「早瀬君は、愛する奥さんを守るために必死なんだから、そんな寂しいこと言わないであげてよ」
そんなこと、あるはずがない。
そう思うのだけど、形だけでも彼の妻である以上、この先の言葉は口にするわけににはいかない。
「えっと……、ご期待に応えられなくて、なんだかすみません」
萌依が曖昧に笑うと、ミツセはますます困り顔を見せた。
萌依としても、なんだかいたたまれない。
こんな場所で、ふたりで困り顔をしていても、なんの解決にもならないのだけど。
「早瀬君のこと、愛してないの?」
ミツセの問いに、萌依は素早く首を横に振る。
「ただ、私じゃ蒼弥さんに相応しくないのでダメなんだと思います」
「なんで、そんなふうに思うかな……」
納得がいかない様子で唸るミツセは、ぼんやりと視線を彷徨わせて考え込む。
でも急にハッとした様子で背筋を伸ばした。
「そうだっ!」
不意にミツセが声を弾ませる。
「どうかしました?」
不思議そうな顔をする萌依の見つめる先で、ミツセは、さも名案を思いついたといった様子で手を打ち合わせた。
そしてとんでもない提案をする。
「今から君を口説いてもいい? そうしたら、早瀬君が、君をどう思っているかわかるよ」
「はい?」
突拍子のない提案に、萌依は悲鳴に近い声を上げて目を丸くした。