愛とか恋とかウザいので
◇◇◇
「口説くって……」
突拍子もない提案に、萌依はせわしなく瞬きをする。
(そういえば、蒼弥さんに契約結婚を提案されたときも、あまりに突拍子のない話で驚いたんだっけ)
こんな瞬間にも蒼弥のことばかり思い出してしまう自分は、どうしようもなく彼を愛してしまっているのだと改めて思い知らされる。
ミツセの方はといえば、自分が非常識な発言をしている感覚もないようで、ヘラリと笑って萌依の手を取る。
「そういうわけで、早瀬君に不満があるなら、彼と別れて僕に乗り換えない?」
萌依の手を自分の方に引き寄せて甘く囁く。
「そいう冗談は……」
やめてください。――萌依がそう言うより早く、横から伸びてきた手がミツセの手首を掴んで捻る。
「痛ッ痛ッ」
よほど強く握られたのか、ミツセは上半身を、手首を捻じられている方に傾けて呻く。痛みで力が抜けたのか、萌依の手を握っていた手が自然と離れた。
慌てて手を引っ込めた萌依は、なにが起きたのか分からないまま視線を上げ、ミツセの手首を掴む人の顔を見て目を丸くする。
「蒼弥さん」
萌依とミツセは対角線上に配置された一人がけソファーにそれぞれ座って話しているのだけど、その間に蒼弥が立ち、怖い顔でミツセの腕を見下ろしている。
「俺の妻に気軽に触れるな」
怒りを含んだ声で宣言し、蒼弥は掴んでいた手を離す。
手首を解放されたミツセは、もう一方の手で自分の手首をさすりながら蒼弥を気上げる。
「蒼弥さん」
彼の気迫の驚き、萌依は腰を浮かせた。
確かにミツセは少々悪ふざけが過ぎたかもしれないけど、萌依としては、怒りを露わにする蒼弥の態度に驚く。
それに、こんなところ誰かに見られたら大変だ。
立ち上がった萌依は、周囲を見渡したが、幸いロビーには自分たち以外誰もいない。
「よかった。……キャッ」
誰にも見られていなかったことに萌依が安堵していると、突然、蒼弥に肩を抱き寄せられて驚く。
「俺の妻に気安く触るな」
「あのさぁ、僕、一応は、ハルモニアから仕事の依頼を受けている身なんだから、もう少し丁寧に扱ってもよくない? 手首痛めて仕事できなくなったらどうするの」
ミツセは手首をさすりながら恨み言を口にするが、軽い声の調子からして、その心配はないのだろう。
「腕の一本も折られる覚悟がないなら、萌依に触れるな」
なかなかに物騒な発言に、萌依は驚く。でもミツセは少しも動じていない。
「そうは言っても、早瀬君の奥さん、君と別れたいみたいだよ。フリーになるなら、僕が口説いても問題ないでしょ」
そんなことを言って蒼弥を挑発する。
「え?」
ミツセの言葉に、蒼弥は驚愕の表情で萌依を見た。そしてそのまま、恐る恐るといった様子で言葉を続ける。
「俺と、別れたいのか?」
微かに声を震わせる蒼弥は、親とはぐれた子供のように頼りない。
いつも自信に満ちていて、まさに〝完璧御曹司〟といった彼が見せる弱気な表情に、萌依は驚く。
まるで萌依に別れ話を切り出されることを恐れているみたいに見えるけど、そんなことあるわけがない。
蒼弥がそんな顔をするのは、籍を入れたばかりで離婚するのは体裁が悪いと考えているのだろう。なにせまだ公にはしていないとはいえ、ふたりの結婚を、会長や先輩秘書たちは知っているのだ。
ただそれだけのことなのに、彼を慕う恋心が、萌依に都合のいい幻想を見せてくるので困る。
(変な期待をしちゃいけない)
萌依は自分にそう言い聞かせて、蒼弥と向き合う。
「急いで別れるつもりはないです。ただ蒼弥さんに好きな人ができたなら、その人のためにも、私とは別れた方がいいと想っただけです」
「悪かった。萌依にとって、俺の気持ちは迷惑なのは、わかっていたんだ」
意を決した萌依の言葉に、蒼弥が後悔を滲ませる。
でもそれは、萌依が想定していた言葉とは違う。
「私の迷惑? 蒼弥さんにとって、私が、迷惑な存在なんじゃないんですか?」
「どうしてそうなる?」
どこか会話が噛み合っていない。萌依が首をかしげると、蒼弥もなにか違和感を覚えたのか、眉間に皺をつくる。
なにかがおかしいと思い、萌依は、蒼弥に確認する。
「蒼弥さんは、館野さんを好きになったんですよね?」
「は? なんでそうなる」
萌依の質問に、蒼弥はこれ以上ないほど目を丸くしてフリーズした。想定外の反応に、萌依も身じろぎを忘れて彼を見上げた。
無言のまま見つめ合うこと数秒、陽気な笑い声が、その場の沈黙を破った。
「アハハハッ。君たち、夫婦なんじゃないの? どんなボタンの掛け違いをしたら、そんな勘違いが生まれるのさ」
ひとりソファーに座ったままのミツセが、腹を抱えてケラケラと笑う。
そしてひとしきり笑うと、笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭って立ち上がる。
「事情はよくわからないけど、ふたりでちゃんと感情の答え合わせをしてみなよ。蒼弥君の奥さんは、早瀬君のことが好きなんだよね?」
ミツセの言葉に、観念して萌依が頷くと、蒼弥が驚きの表情を見せた。直後、緊張の糸が切れたように、ふわりと表情を和らげた。
慈しみに満ちた彼の表情に、期待せずにはいられない。
(まさか……。そんな……)
そんな都合のいい展開、あるはずがない。そう思い、自分の感情をどうにか押しとどめようとする萌依に、ミツセが言う。
「僕が知る限り、天性の俺様気質である早瀬君が誰かのために僕に頭を下げるなんて、これが初めてだよ。プライドを捨てて僕に頼み込んでまで、十和企興の仕事をねじ込んだのは、奥さんのことを守りたいからなんだって」
「私を守る?」
蒼弥がこのタイミングで十和企興との仕事をねじ込んできたのは、てっきり、萌依から別れ話を切り出すよう仕向けるためか、眞希子に好意を抱き、彼女にお願いされたからだとばかり思い込んでいた。
これはどういうことかと蒼弥に視線を向けると、彼はそっぽを向いて前髪を掻き上げている。
一見、不機嫌そうに見えるけど、よく見ると彼の首筋や耳は真っ赤だ。
そんな姿に、いよいよはやる気持ちが抑えられなくなっていく。
「僕は会場に戻るけど、君たちは帰って、恋の答え合わせをしなよ。それと他に好きな人がいる女性を口説くほど、僕、暇じゃないから」
ミツセはそれだけ言うと、軽く手を振って会場の方へと消えていく。
「……やられたっ」
ミツセの背中を見送った蒼弥は、前髪を掻き上げていた手で顔を覆う。
「えっと……あの……」
なにがなんだかわからず萌依がオロオロしていると、蒼弥が指の隙間からこちらを見た。
「ミツセさんが萌依を口説いていると思って、本気で焦ったんだよ。いくら萌依が恋愛に興味がないと宣言していても、それが永遠に続く感情とは限らないから」
そこまで話した蒼弥は、顔を覆っていた手を下ろすと観念したような様子で打ち明ける。
「俺がそうだから」
「え?」
「ずっと愛も恋も面倒なだけの感情だと思っていた。だけどいつの間にか、君に恋をしていたんだ」
思いがけない告白に、萌依は世界の色が一瞬にして塗り替えられるような衝撃を受けた。
「蒼弥さんは、私以外の誰かに恋をしているのだと思っていました」
恋する者の勘として、なんとなく彼が誰に想いを寄せているのは感じていた。でもそれは、他の誰かであって、萌依なんかであるはずがないと思っていたのだ。
萌依がそういったことを言葉にすると、蒼弥が苦笑する。
「こんなに素敵な女性が目の前にいるのに、他の誰かを好きになるはずないだろ」
そう言って、萌依の手を取り、その手の甲に口付けを落とした。
「あっ」
思いがけない彼の行動に、萌依が思わず声を漏らす。蒼弥は、そんな萌依の反応を楽しむように上目遣いでこちらを見上げた。
「ウチに帰って、この恋の答え合わせしないか?」
蒼弥の提案に、萌依は赤面しつつ頷いた。
「口説くって……」
突拍子もない提案に、萌依はせわしなく瞬きをする。
(そういえば、蒼弥さんに契約結婚を提案されたときも、あまりに突拍子のない話で驚いたんだっけ)
こんな瞬間にも蒼弥のことばかり思い出してしまう自分は、どうしようもなく彼を愛してしまっているのだと改めて思い知らされる。
ミツセの方はといえば、自分が非常識な発言をしている感覚もないようで、ヘラリと笑って萌依の手を取る。
「そういうわけで、早瀬君に不満があるなら、彼と別れて僕に乗り換えない?」
萌依の手を自分の方に引き寄せて甘く囁く。
「そいう冗談は……」
やめてください。――萌依がそう言うより早く、横から伸びてきた手がミツセの手首を掴んで捻る。
「痛ッ痛ッ」
よほど強く握られたのか、ミツセは上半身を、手首を捻じられている方に傾けて呻く。痛みで力が抜けたのか、萌依の手を握っていた手が自然と離れた。
慌てて手を引っ込めた萌依は、なにが起きたのか分からないまま視線を上げ、ミツセの手首を掴む人の顔を見て目を丸くする。
「蒼弥さん」
萌依とミツセは対角線上に配置された一人がけソファーにそれぞれ座って話しているのだけど、その間に蒼弥が立ち、怖い顔でミツセの腕を見下ろしている。
「俺の妻に気軽に触れるな」
怒りを含んだ声で宣言し、蒼弥は掴んでいた手を離す。
手首を解放されたミツセは、もう一方の手で自分の手首をさすりながら蒼弥を気上げる。
「蒼弥さん」
彼の気迫の驚き、萌依は腰を浮かせた。
確かにミツセは少々悪ふざけが過ぎたかもしれないけど、萌依としては、怒りを露わにする蒼弥の態度に驚く。
それに、こんなところ誰かに見られたら大変だ。
立ち上がった萌依は、周囲を見渡したが、幸いロビーには自分たち以外誰もいない。
「よかった。……キャッ」
誰にも見られていなかったことに萌依が安堵していると、突然、蒼弥に肩を抱き寄せられて驚く。
「俺の妻に気安く触るな」
「あのさぁ、僕、一応は、ハルモニアから仕事の依頼を受けている身なんだから、もう少し丁寧に扱ってもよくない? 手首痛めて仕事できなくなったらどうするの」
ミツセは手首をさすりながら恨み言を口にするが、軽い声の調子からして、その心配はないのだろう。
「腕の一本も折られる覚悟がないなら、萌依に触れるな」
なかなかに物騒な発言に、萌依は驚く。でもミツセは少しも動じていない。
「そうは言っても、早瀬君の奥さん、君と別れたいみたいだよ。フリーになるなら、僕が口説いても問題ないでしょ」
そんなことを言って蒼弥を挑発する。
「え?」
ミツセの言葉に、蒼弥は驚愕の表情で萌依を見た。そしてそのまま、恐る恐るといった様子で言葉を続ける。
「俺と、別れたいのか?」
微かに声を震わせる蒼弥は、親とはぐれた子供のように頼りない。
いつも自信に満ちていて、まさに〝完璧御曹司〟といった彼が見せる弱気な表情に、萌依は驚く。
まるで萌依に別れ話を切り出されることを恐れているみたいに見えるけど、そんなことあるわけがない。
蒼弥がそんな顔をするのは、籍を入れたばかりで離婚するのは体裁が悪いと考えているのだろう。なにせまだ公にはしていないとはいえ、ふたりの結婚を、会長や先輩秘書たちは知っているのだ。
ただそれだけのことなのに、彼を慕う恋心が、萌依に都合のいい幻想を見せてくるので困る。
(変な期待をしちゃいけない)
萌依は自分にそう言い聞かせて、蒼弥と向き合う。
「急いで別れるつもりはないです。ただ蒼弥さんに好きな人ができたなら、その人のためにも、私とは別れた方がいいと想っただけです」
「悪かった。萌依にとって、俺の気持ちは迷惑なのは、わかっていたんだ」
意を決した萌依の言葉に、蒼弥が後悔を滲ませる。
でもそれは、萌依が想定していた言葉とは違う。
「私の迷惑? 蒼弥さんにとって、私が、迷惑な存在なんじゃないんですか?」
「どうしてそうなる?」
どこか会話が噛み合っていない。萌依が首をかしげると、蒼弥もなにか違和感を覚えたのか、眉間に皺をつくる。
なにかがおかしいと思い、萌依は、蒼弥に確認する。
「蒼弥さんは、館野さんを好きになったんですよね?」
「は? なんでそうなる」
萌依の質問に、蒼弥はこれ以上ないほど目を丸くしてフリーズした。想定外の反応に、萌依も身じろぎを忘れて彼を見上げた。
無言のまま見つめ合うこと数秒、陽気な笑い声が、その場の沈黙を破った。
「アハハハッ。君たち、夫婦なんじゃないの? どんなボタンの掛け違いをしたら、そんな勘違いが生まれるのさ」
ひとりソファーに座ったままのミツセが、腹を抱えてケラケラと笑う。
そしてひとしきり笑うと、笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭って立ち上がる。
「事情はよくわからないけど、ふたりでちゃんと感情の答え合わせをしてみなよ。蒼弥君の奥さんは、早瀬君のことが好きなんだよね?」
ミツセの言葉に、観念して萌依が頷くと、蒼弥が驚きの表情を見せた。直後、緊張の糸が切れたように、ふわりと表情を和らげた。
慈しみに満ちた彼の表情に、期待せずにはいられない。
(まさか……。そんな……)
そんな都合のいい展開、あるはずがない。そう思い、自分の感情をどうにか押しとどめようとする萌依に、ミツセが言う。
「僕が知る限り、天性の俺様気質である早瀬君が誰かのために僕に頭を下げるなんて、これが初めてだよ。プライドを捨てて僕に頼み込んでまで、十和企興の仕事をねじ込んだのは、奥さんのことを守りたいからなんだって」
「私を守る?」
蒼弥がこのタイミングで十和企興との仕事をねじ込んできたのは、てっきり、萌依から別れ話を切り出すよう仕向けるためか、眞希子に好意を抱き、彼女にお願いされたからだとばかり思い込んでいた。
これはどういうことかと蒼弥に視線を向けると、彼はそっぽを向いて前髪を掻き上げている。
一見、不機嫌そうに見えるけど、よく見ると彼の首筋や耳は真っ赤だ。
そんな姿に、いよいよはやる気持ちが抑えられなくなっていく。
「僕は会場に戻るけど、君たちは帰って、恋の答え合わせをしなよ。それと他に好きな人がいる女性を口説くほど、僕、暇じゃないから」
ミツセはそれだけ言うと、軽く手を振って会場の方へと消えていく。
「……やられたっ」
ミツセの背中を見送った蒼弥は、前髪を掻き上げていた手で顔を覆う。
「えっと……あの……」
なにがなんだかわからず萌依がオロオロしていると、蒼弥が指の隙間からこちらを見た。
「ミツセさんが萌依を口説いていると思って、本気で焦ったんだよ。いくら萌依が恋愛に興味がないと宣言していても、それが永遠に続く感情とは限らないから」
そこまで話した蒼弥は、顔を覆っていた手を下ろすと観念したような様子で打ち明ける。
「俺がそうだから」
「え?」
「ずっと愛も恋も面倒なだけの感情だと思っていた。だけどいつの間にか、君に恋をしていたんだ」
思いがけない告白に、萌依は世界の色が一瞬にして塗り替えられるような衝撃を受けた。
「蒼弥さんは、私以外の誰かに恋をしているのだと思っていました」
恋する者の勘として、なんとなく彼が誰に想いを寄せているのは感じていた。でもそれは、他の誰かであって、萌依なんかであるはずがないと思っていたのだ。
萌依がそういったことを言葉にすると、蒼弥が苦笑する。
「こんなに素敵な女性が目の前にいるのに、他の誰かを好きになるはずないだろ」
そう言って、萌依の手を取り、その手の甲に口付けを落とした。
「あっ」
思いがけない彼の行動に、萌依が思わず声を漏らす。蒼弥は、そんな萌依の反応を楽しむように上目遣いでこちらを見上げた。
「ウチに帰って、この恋の答え合わせしないか?」
蒼弥の提案に、萌依は赤面しつつ頷いた。