愛とか恋とかウザいので
◇◇◇
夕方、企業の懇親会に参加してそのまま直帰する予定だった蒼弥は、それを変更して、都内にある料亭を訪れていた。
中居の案内を受けて離れの座敷に行くと、先に到着し、晩酌を始めていた重之が上目遣いにこちらを見やった。
「遅かったな」
「これでも急いできたつもりです」
蒼弥は、中居にこちらから声をかけるまで誰も近付けないよう指示を出し、襖が閉まるのを待って重之の向かいに腰を下ろした。
「なにがあったのかは、理解しているのか?」
重之の言葉に、蒼弥は苦々しく頷く。
渥美からの第一報を受ける前に、すでに蒼弥のもとにもいくらかの情報は入ってきていた。
おかげで、おおよその状況は理解できている。
「萌依が情報漏洩をしているって、どういうことですか?」
真顔で詰め寄る蒼弥に、重之は「そのままだ」と冷たく返す。
「あの女が、ハルモニア百周年の目玉企画として進めていたミツセデザインの腕時計の存在を、メディアなどに風潮してまわりおったっ」
その件については、蒼弥もすでにおおよその情報を把握している。
ハルモニアの社長秘書であることを明記した上で、萌依の名前で、ハルモニア百周年に向けてミツセデザインの腕時計を数量限定で発売するという情報を、時計のデザインラフと共に、メディアや時計愛好家のサイトなどにメールで届いたのだという。
本来の予定では、ミツセとの共同企画はハルモニア百周年の式典で発表し、デザインはその後で順を追って発表する予定だった。
ミツセのブランド力も手伝い、その情報はすぐさま拡散され、誰もが知ることとなった。
そのため重之は激怒しているのだが、蒼弥としては納得がいかない。
「彼女はそんなことしません」
発信元を確認したところ、使用されているアドレスは、普段萌依が使用しているものではなかった。それどころか、適当なアルファベットと数字の羅列で、おそらく使い捨てのものと考えられる。
誰かが明確な悪意を持って、萌依の名前を使ったとしか思えない。
「あの女がやっとらん証拠もなかろう。少なくとも、名前を使われるだけの隙を作った責任はある」
重之が言う。
「極秘で進めていても、多少の情報はどこからか漏れるものです」
それは萌依の存在に関係なく起きることだ。
こちらから情報を漏らさなくとも、一度は倒産秒読みと噂されていたハルモニアが百周年の節目を迎えることが出来たのだから、なにか特別なことをするのではないかと察する者は多くいただろう。
以前、萌依のドレスを購入したセレクトショップのオーナーが、百周年にどんな企画を打ち出すのかと探ってきたのが、いい例えだ。
それに十和企興も、ミツセとの仕事を介して、ハルモニアと組むことを推測していた。
蒼弥がそれを説明しても、重之は納得しない。
「噂を嗅ぎつけたところで、関係者でなければ、時計のデザイン図面をどこで手に入れられると言うんだ?」
重之の言葉に、蒼弥が痛い所を突かれたと反論の言葉を呑み込む。
今回の情報漏洩の件で、一番の問題点はそこなのだ。
萌依の名前を使っているとはいえ、企画の件がリークされただけなら、推測から当てずっぽうの情報を発信しているイタズラとして片付けることができた。
だけど今回発信されたメールには、極秘扱いされているはずの、ミツセが描いた時計のデザイン画が添付されていた。
ミツセが手掛ける時計の多くはスケルトンタイプで、百三十を超える部品のひとつひとつを極限まで削り、それらの繊細で緻密な動きを楽しめるように設計されている。
時計愛好家の間では、彼の作品は『持ち歩ける宇宙』と呼ばれているほどだ。
その彼がハルモニアのために描いたデザイン画が流出したのだから、犯人が萌依でないにしろ、情報の出所は関係者の中にいる。
とはいえ情報解禁が近付けば、その広報活動に向けて関わる人も増えてくるので、情報をもらしたのが萌依と断定するのはおかしい。
蒼弥がそう主張すると、重之は、面白そうに顎を摩る。
「そうか。ではお前は、誰に詰め腹を切らせる?」
「誰にと言われても、詰め腹を切るべきは、メールを送信した本人でしょう。少し時間はかかりますが、弁護士を通じて、メール送信者の情報開示請求をおこないます」
そうすれば、自ずと犯人が知れるし、萌依の無実が証明できる。
蒼弥の意見に、重之が眉根を寄せる。
「百周年の式典まで、後二週間もないというタイミングでこんな騒動を起こしたのだ。関係各所に手ぶらで謝罪に赴くわけにはいかんだろう」
重之は手酌で自分の前に置かれている猪口に酒を注ぐ。
「だから萌依に責任を取らせろと?」
苛立ちを滲ませる蒼弥の言葉に、重之は酒を煽るついでに「そうだ」と頷く。
「彼女は無実です」
蒼弥が断言すると、重之は手にしていた猪口を机に叩き付けるようにして置く。硬質な音を響かせることで蒼弥を牽制し、吐き捨てるように言う。
「なら、今すぐそれを証明しろ。それが出来ないなら、あの女を退職させるし、お前と離婚させる」
どうしてそこまで話が飛躍するのかわからない。
戸惑いの表情を浮かべる蒼弥に、重之は勝ち誇ったように言う。
「あの女とは、すでにそれで話しがついている」
「バカなっ!」
「お前よりよほど冷静に、この状況を理解しておるわ。会社やお前のキャリアに傷を付けるくらいなら、責任を取って全てから身を引くと話していたぞ」
蒼弥が不在にしている間に、ハルモニアで萌依と重之の話し合いがおこなわれたようだ。
「離婚なんか絶対にしません。彼女が退職するのであれば、俺も共にハルモニアを去るまでです」
自惚れるつもりはないが、ハルモニアにおける自分の価値は正しく評価している。
その証拠に、重之だって苦い顔をするだけで、今まで萌依との離婚を強要することなく黙認してきたのだ。
萌依を犠牲になどさせないとすごむ蒼弥を、重之が鼻で笑う。
「相変わらず身勝手な男だな。自己満足のために、相手に罪悪感を押しつけるつもりか」
投げつけられた言葉に、頬を打たれたような気がした。
蒼弥のその表情を見て、重之がニヤリと笑う。
重之は、相手の嫌な角度から切り込む術を、蒼弥以上に熟知している。
悔しいが重之の言うとおり、ここで蒼弥が退任すれば、萌依に不要な罪悪感を抱かせることになってしまう。
だからといって、黙ってこの状況を受け入れるわけにはいかない。
もちろん、無関係な他の社員をスケープゴートにするつもりもない。
だとすれば、蒼弥のするべきことはおのずと決まる。
「わかりました。この件に関しては、式典までに俺の方で対処します」
蒼弥は立ち上がると、続けて宣言する。
「ただしこの件を解決した際には、二度と、俺と萌依の関係に口出ししないでください」
「いいだろう。その代わり、式典までに解決出来なければ、あの女に責任を取らせるからな」
重之の口調は、自分の勝ちを確信しているのだとわかる。
余裕のあるその態度に、この騒動は彼自身が仕組んだものではないのかと疑いたくなるが、そうではないとうことは蒼弥にもわかっている。
重之は歴史あるハルモニアの創業家に生まれたことを誇りに思っている。だから、萌依を貶めるために、その歴史に傷を付けるようなことはしない。
色々と相容れないところはあるが、重之の経営者としての手腕と人間性は信じている。
だから相手が強気なのは、単にそれだけ、蒼弥が不利な状況に置かれているというだけだ。
(だが、それがどうしたという?)
萌依を守るために、彼女と共に生きるために、蒼弥の取るべき行動は変わりない。
「言質は取りましたので、お忘れなく。それと、この件を解決したあかつきには、二度と萌依のことを『あの女』とは呼ばせませんから」
それだけ言うと、蒼弥はその場を後にした。
夕方、企業の懇親会に参加してそのまま直帰する予定だった蒼弥は、それを変更して、都内にある料亭を訪れていた。
中居の案内を受けて離れの座敷に行くと、先に到着し、晩酌を始めていた重之が上目遣いにこちらを見やった。
「遅かったな」
「これでも急いできたつもりです」
蒼弥は、中居にこちらから声をかけるまで誰も近付けないよう指示を出し、襖が閉まるのを待って重之の向かいに腰を下ろした。
「なにがあったのかは、理解しているのか?」
重之の言葉に、蒼弥は苦々しく頷く。
渥美からの第一報を受ける前に、すでに蒼弥のもとにもいくらかの情報は入ってきていた。
おかげで、おおよその状況は理解できている。
「萌依が情報漏洩をしているって、どういうことですか?」
真顔で詰め寄る蒼弥に、重之は「そのままだ」と冷たく返す。
「あの女が、ハルモニア百周年の目玉企画として進めていたミツセデザインの腕時計の存在を、メディアなどに風潮してまわりおったっ」
その件については、蒼弥もすでにおおよその情報を把握している。
ハルモニアの社長秘書であることを明記した上で、萌依の名前で、ハルモニア百周年に向けてミツセデザインの腕時計を数量限定で発売するという情報を、時計のデザインラフと共に、メディアや時計愛好家のサイトなどにメールで届いたのだという。
本来の予定では、ミツセとの共同企画はハルモニア百周年の式典で発表し、デザインはその後で順を追って発表する予定だった。
ミツセのブランド力も手伝い、その情報はすぐさま拡散され、誰もが知ることとなった。
そのため重之は激怒しているのだが、蒼弥としては納得がいかない。
「彼女はそんなことしません」
発信元を確認したところ、使用されているアドレスは、普段萌依が使用しているものではなかった。それどころか、適当なアルファベットと数字の羅列で、おそらく使い捨てのものと考えられる。
誰かが明確な悪意を持って、萌依の名前を使ったとしか思えない。
「あの女がやっとらん証拠もなかろう。少なくとも、名前を使われるだけの隙を作った責任はある」
重之が言う。
「極秘で進めていても、多少の情報はどこからか漏れるものです」
それは萌依の存在に関係なく起きることだ。
こちらから情報を漏らさなくとも、一度は倒産秒読みと噂されていたハルモニアが百周年の節目を迎えることが出来たのだから、なにか特別なことをするのではないかと察する者は多くいただろう。
以前、萌依のドレスを購入したセレクトショップのオーナーが、百周年にどんな企画を打ち出すのかと探ってきたのが、いい例えだ。
それに十和企興も、ミツセとの仕事を介して、ハルモニアと組むことを推測していた。
蒼弥がそれを説明しても、重之は納得しない。
「噂を嗅ぎつけたところで、関係者でなければ、時計のデザイン図面をどこで手に入れられると言うんだ?」
重之の言葉に、蒼弥が痛い所を突かれたと反論の言葉を呑み込む。
今回の情報漏洩の件で、一番の問題点はそこなのだ。
萌依の名前を使っているとはいえ、企画の件がリークされただけなら、推測から当てずっぽうの情報を発信しているイタズラとして片付けることができた。
だけど今回発信されたメールには、極秘扱いされているはずの、ミツセが描いた時計のデザイン画が添付されていた。
ミツセが手掛ける時計の多くはスケルトンタイプで、百三十を超える部品のひとつひとつを極限まで削り、それらの繊細で緻密な動きを楽しめるように設計されている。
時計愛好家の間では、彼の作品は『持ち歩ける宇宙』と呼ばれているほどだ。
その彼がハルモニアのために描いたデザイン画が流出したのだから、犯人が萌依でないにしろ、情報の出所は関係者の中にいる。
とはいえ情報解禁が近付けば、その広報活動に向けて関わる人も増えてくるので、情報をもらしたのが萌依と断定するのはおかしい。
蒼弥がそう主張すると、重之は、面白そうに顎を摩る。
「そうか。ではお前は、誰に詰め腹を切らせる?」
「誰にと言われても、詰め腹を切るべきは、メールを送信した本人でしょう。少し時間はかかりますが、弁護士を通じて、メール送信者の情報開示請求をおこないます」
そうすれば、自ずと犯人が知れるし、萌依の無実が証明できる。
蒼弥の意見に、重之が眉根を寄せる。
「百周年の式典まで、後二週間もないというタイミングでこんな騒動を起こしたのだ。関係各所に手ぶらで謝罪に赴くわけにはいかんだろう」
重之は手酌で自分の前に置かれている猪口に酒を注ぐ。
「だから萌依に責任を取らせろと?」
苛立ちを滲ませる蒼弥の言葉に、重之は酒を煽るついでに「そうだ」と頷く。
「彼女は無実です」
蒼弥が断言すると、重之は手にしていた猪口を机に叩き付けるようにして置く。硬質な音を響かせることで蒼弥を牽制し、吐き捨てるように言う。
「なら、今すぐそれを証明しろ。それが出来ないなら、あの女を退職させるし、お前と離婚させる」
どうしてそこまで話が飛躍するのかわからない。
戸惑いの表情を浮かべる蒼弥に、重之は勝ち誇ったように言う。
「あの女とは、すでにそれで話しがついている」
「バカなっ!」
「お前よりよほど冷静に、この状況を理解しておるわ。会社やお前のキャリアに傷を付けるくらいなら、責任を取って全てから身を引くと話していたぞ」
蒼弥が不在にしている間に、ハルモニアで萌依と重之の話し合いがおこなわれたようだ。
「離婚なんか絶対にしません。彼女が退職するのであれば、俺も共にハルモニアを去るまでです」
自惚れるつもりはないが、ハルモニアにおける自分の価値は正しく評価している。
その証拠に、重之だって苦い顔をするだけで、今まで萌依との離婚を強要することなく黙認してきたのだ。
萌依を犠牲になどさせないとすごむ蒼弥を、重之が鼻で笑う。
「相変わらず身勝手な男だな。自己満足のために、相手に罪悪感を押しつけるつもりか」
投げつけられた言葉に、頬を打たれたような気がした。
蒼弥のその表情を見て、重之がニヤリと笑う。
重之は、相手の嫌な角度から切り込む術を、蒼弥以上に熟知している。
悔しいが重之の言うとおり、ここで蒼弥が退任すれば、萌依に不要な罪悪感を抱かせることになってしまう。
だからといって、黙ってこの状況を受け入れるわけにはいかない。
もちろん、無関係な他の社員をスケープゴートにするつもりもない。
だとすれば、蒼弥のするべきことはおのずと決まる。
「わかりました。この件に関しては、式典までに俺の方で対処します」
蒼弥は立ち上がると、続けて宣言する。
「ただしこの件を解決した際には、二度と、俺と萌依の関係に口出ししないでください」
「いいだろう。その代わり、式典までに解決出来なければ、あの女に責任を取らせるからな」
重之の口調は、自分の勝ちを確信しているのだとわかる。
余裕のあるその態度に、この騒動は彼自身が仕組んだものではないのかと疑いたくなるが、そうではないとうことは蒼弥にもわかっている。
重之は歴史あるハルモニアの創業家に生まれたことを誇りに思っている。だから、萌依を貶めるために、その歴史に傷を付けるようなことはしない。
色々と相容れないところはあるが、重之の経営者としての手腕と人間性は信じている。
だから相手が強気なのは、単にそれだけ、蒼弥が不利な状況に置かれているというだけだ。
(だが、それがどうしたという?)
萌依を守るために、彼女と共に生きるために、蒼弥の取るべき行動は変わりない。
「言質は取りましたので、お忘れなく。それと、この件を解決したあかつきには、二度と萌依のことを『あの女』とは呼ばせませんから」
それだけ言うと、蒼弥はその場を後にした。