愛とか恋とかウザいので
  ◇◇◇

 蒼弥と暮らすマンションの自室で荷物をまとめていた萌依は、玄関ドアの施錠を外す音に時刻を確認した。

(蒼弥さん、帰ってきたんだ)

 後数分で時刻は二十時になろうとしている。
 萌依の想定よりかなり早い帰宅時刻に、彼が既に今回騒動を知っていのだろうと推測していると、ただならぬ勢いの足音が近付いてきた。
 その音に萌依が腰を浮かせると、ノックの音もなくドアが開いた。

「萌依っ!」

「蒼弥さん」

 大声で名前を呼びながら部屋に飛びこんできた蒼弥は、目を丸くする萌依の姿を捉えると、そのままの勢いで抱きしめてきた。

「あっ。キャっ」

 蒼弥の行動が予測できてなかった萌依は、彼に抱きしめられた勢いでベッドに倒れ込む。
 蒼弥の腕の中にいたし、マットレスの上に倒れたので身体への衝撃はないのだけれど、突然のことに驚きを隠せない。

「蒼弥さん、どうしたんですか?」

 驚いて萌依が身じろぎすると、蒼弥はその動きを咎めるように、抱きしめる腕に力を込める。

「俺が帰る前に、萌依がどこかに行ってしまうんじゃないかと気が気じゃなかった」

 蒼弥は、萌依の首筋に顔を埋める。
 肌に触れる荒い息遣いで、彼が、どれほど萌依がいなくなることを恐れていたのかが伝わる。

「ごめんなさい」

 萌依は自分からも蒼弥の背中に腕を回した。

「どこにも行かないと、誓ってくれ」

 顔を上げた蒼弥が、真摯な眼差しを萌依に向ける。その表情には、普段の強気な雰囲気は見られない。
 自分なんかのために、彼がこんな表情を見せることに驚かされる。

「メールの件は、もう知っているんですよね?」

 萌依の質問に力強く頷いた蒼弥は、「犯人が萌依じゃないこともわかっている」と強い口調で言う。
 自分に全幅の信頼を寄せてくれる蒼弥に、彼に迷惑をかけないためにも会社を辞めるべきだと考えていた萌依の心が揺らぐ。
 昼間、重之が社長室に押しかけてきた時は、彼がなにに激怒しているかわかっていなかったが、残された書面を見てその理由を理解した。
 誰かからの転送であることを示すメールをそのままプリントアウトしたA4の紙には、萌依の名前で、ミツセの件を大々的に宣伝してほしいと依頼する内容が書かれていた。
 もちろん、萌依はそんなことしていない。
 それに目を通した萌依は、自分から会長室を訪れ、身の潔白を訴えた。
 だけど本来社外秘であるはずの時計のデザイン画まで添えられていたこともあり、重之は納得してくれなかった。
 重之は、共に重之の元を訪れ、萌依を擁護する渥美まで共犯者といわんばかりの勢いで怒りを爆発させた。
 重之がそこまで感情的になるのは、相手が萌依だからだというのがわかるだけに、そうなるとよけいにいたたまれない。
 最終的には、萌依が無実を主張するのであれば、代わりに、今回の企画に関わっている社員全員に責任を取らせると脅してきた。
 そして萌依が、情報漏洩の責任が自分にあると認めるのであれば、そんな失態を犯した者に、蒼弥のパートナーを名乗る資格はないと、彼との離婚を求めてきた。
 意地悪く笑う彼の顔を見れば、重之にも、自分が無茶な要求をしている自覚があるというのがわかる。
 それでも、ハルモニア百周年の式典を前に、早期事態収拾を図りたい萌依がどちらを選ぶかはわかっていたのだろう。
 ただの脅しではなく、重之は、本気で周囲に責任を取らせるつもりだとわかるので、なおさらだ。

「私のせいで、無関係な人が責任を取らされるなんて耐えられません。だからといって、情報漏洩の責任ということになれば、周囲が蒼弥さんの妻には相応しくないと周囲は判断します」

 まだふたりの結婚は公にはしていない。
 だからひとまず萌依が形だけでも責任を取り、多少時間をかけてでも、無実を証明した後で、結婚を公表するとこともできる。
 最初、萌依はそう思ったのだけれど、その考えを読んだように、重之に『世間はそんな甘いものではない』と、釘を刺された。
 そんなことをすれば、蒼弥が、萌依と結婚するために犯人をねつ造したと噂し、彼の評価を下げることになるという。
 少なくとも重之は、ふたりが別れないのであれば、全力で蒼弥を潰しにかかると宣言した。
 そこまで言われてしまえば、萌依も覚悟を決めるしかない。
 そう思い、重之には、会社を辞職して蒼弥と別れることを約束した。
 だから蒼弥が帰ってくる前に、必要最低限の荷物を纏めてここを去ろうと思っていたのに、いざとなると身動きが取れなくなっていたのだ。

「ありがとう」

 彼に抱きしめられたまま、萌依がこれまでの経緯を話すと、蒼弥がしみじみとした声で萌依にお礼を言い、こう続ける。

「俺と別れたくない。萌依が、自分のその気持ちに正直でいてくれたおかげで、俺は君を失わないで済んだ」

「蒼弥さん」

 その言葉に、萌依は蒼弥の胸に顔を埋める。
 蒼弥は時々、自分自身とは一生付き合っていかなくてはならないのだから、自分の気持ちに嘘をつくのが怖というようなことを言う。
 今なら、その言葉の意味が痛いほどよくわかる。

(こんなに愛おしい人と、離れることなんてできない)

 もし別れれば、萌依は、残りの人生を後悔して生きることになるだろう。
 それは嫌だと、萌依の心が訴える。

「別れたくないです」

「俺が、萌依を手離すわけがないだろ」

 その言葉に、萌依の甘く胸が疼く。
 身も心も、彼に囚われていたい。

「ん……っ」

 蒼弥が萌依の唇を求める。愛情を凝縮したような濃厚な口付けに、萌依はくぐもった息を吐く。
 蒼弥の愛情をもっと味わいたいし、自分の想いを彼に伝えたい。
 情熱的な口付けは、とどまるところを知らずに加速していく。

「萌依っ」

 激しいキスの合間に名前を呼んだ蒼弥は、スーツのジャケットを脱ぎネクタイを緩めると、纏めて適当に投げる。

「今?」

 彼がなにを求めて、萌依は戸惑いの声を上げた。
 互いの愛情を確かめ合ってから、これまで幾度の彼と肌を重ねている。最近では、ふたりで一緒の眠るのが習慣となり、萌依の部屋のベッドは使っていないほどだ。
 でもこんなふうに、シャワーも浴びず、明るい部屋で性急に求められたのは初めてだ。

「嫌か?」

 戸惑い浮かべる萌依に、蒼弥が困り顔で聞く。
 自分だけが知る、惚れた相手にどこまでも弱い彼の表情を見せられて、拒めるわけがない。
 なによりも、急な展開が恥ずかしいだけで、萌依にも彼と愛し合いたいという欲求はあるのだ。
 それを伝えるために、萌依は自分から彼の唇を求めた。
 言葉がなくても、それだけで十分だ。

「私を手放さないで」

 キスの合間に、真摯な願いを口にする。

「当たり前だ」

 キッパリとした口調で答える蒼弥は、もどかしげにシャツのボタンを外し、萌依の服も脱がせていく。
 そのままふたり、互いの深い愛情を確かめ合うべく、濃厚な愛を交わした。
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