愛とか恋とかウザいので
「仕事は順調なんだろうな?」
執務室のソファーに腰を下ろすなり、重之が言う。
その横柄な口調に鈍い苛立ちを覚えた蒼弥は、ローテーブルを挟んだ向かいの席に座ると、質問に質問で答える。
「誰に聞いていますか?」
年長者への敬いを感じさせない蒼弥のもの言いに、重之の眉がピクリと跳ねるがかまうものか。
蒼弥は、長い足を持て余すように組み替え、顎を軽く上げて強気の姿勢を見せる。
「相変わらず、可愛げのない」
重之が吐き捨てるように言う。
戸籍上、ふたりは父方の祖父と孫という関係にあるが、そういった関係性にありがちな親しみを蒼弥は重之に抱いていない。
重之の息子で蒼弥の父親にあたる早瀬邦夫は、金にも女性にもだらしなく、それが原因で両親は早くに離婚し、蒼弥は母に育てられた。
といっても中学から全寮制の進学校に通っていたので、母親との思い出もそれほどないのだけど。
離婚の際、息子より孫の方が優秀と見抜いていた重之が、蒼弥の親権を早瀬家に残すよう強く主張したため、蒼弥は今も早瀬の名字を名乗ってはいるが、ただそれだけのことだ。
早瀬の家を継ぐつもりはなかったし、ハルモニアに就職して、父のように創業家という血筋に頼って権威を振りかざすつもりもなかった。
だから大学院を卒業した後は、外資系金融企業に就職し、実力でそれなりの地位を築いていた。
それなのに、自力で築いた地位を捨ててハルモニアへの転職を決めたのは、金にも女にもだらしない父が社長に就任した途端、会社を倒産させかけていたからだ。
正直に言えば、重之に内情を告げられ、立て直しに協力してほしいと泣きつかれたときは、『知ったことか』という思いの方が強かった。
離婚前も離婚後も、親というだけで権威を誇示したがる父親は、蒼弥にとって敬うべき存在ではなかった。そんな父親の尻拭いをする義理はないと思うのは、当然といえる。
それでも最終的に祖父のその頼みを聞き入れたのは、会社が倒産すれば、一番困るのはそこで働く社員だと思ったからだ。
外資系金融機関で働いていた蒼弥には、勤め先の倒産でライフプランが崩れた人が、そこから軌道修正するのがどれほど大変なのか知っている。
自分に会社を立て直せるだけの才覚があると自負しているだけに、見捨てるのはしのびない。
蒼弥は自分のことを悪人だとは思わないが、だからといって善人というわけでもない。
積極的に権力を振りかざすつもりはないが、自分が敵と認定した相手には、容赦なく攻撃をしかけることにしている。その際は、遠慮なく相手が一番嫌がる角度から仕掛ける主義だ。
それで人助けのついでに、空威張りばかりしていた父親に、経営者としての格の違いを見せ付けるのも悪くない、ハルモニアへの転職を決めた。
だからその際の条件として、父を会社から追い出すよう提案したところ、重之はあっさり息子を見限った。そのため蒼弥の父親は、現在、海外の子会社に出向という名の島流しに遭っている。
そして蒼弥は、社長就任後、期待どおりにハルモニアの経営を立て直した。
だからこの態度で問題ないと、鷹揚に構える。
「まあ確かに、お前の経営手腕は認めるしかないな。さすが、私の血筋といったところだ」
社長就任後の蒼弥の実績を思い出したのか、重之がもっともらしい顔で頷く。
(それを言うなら、あの金にも女にもだらしない父も、あなたの血筋なのでは?)
そんな疑問が胸に湧くが、ツッコむのも面倒なので聞き流しておく。
「それで会長は、そんな話しをしたくて、俺に会いにきたんですか?」
彼が携えている紙袋の中身に察しがつくだけに、こちらから話をふるのは腹立たしいが、いつまでもここに居座られても困る。
蒼弥の言葉に、重之は自分の脇に置いていた紙袋から中身を取り出し、ふたりの間のテーブルに薄いアルバムのようなものを置く。
「社長就任後のお前の功績は素直に認めてやるが、前社長の邦夫が残した傷痕は深い。ハルモニア創業百周年に向けて、今以上にお前の地位を盤石なものにする必要がある」
そんな言葉と共に、それをこちらに押し出し中を開く。中には、着物姿で微笑む女性の写真と、その隣に、彼女の略歴が添えられている。
いわゆる見合い写真だ。
「政略結婚などに、興味ありませんので」
蒼弥は内容を確認することなく、それを閉じて突き返す。
「なんだ、結婚に愛情でも求めているのか?」
どこか嘲りを感じさせる重之の言葉に、女性問題にだらしない父を重ねられているような気がして腹立たしい。
蒼弥は、バカバカしいとため息をつく。
「愛だの恋だの、あの両親を見ていて、そんなことに価値を求めるわけがないでしょう」
父の邦夫は、家庭を壊してまで愛人と一緒になったが、数年でその関係は破綻している。その後も、何人かの女性と浮名を流していたようだが、どれも長続きしたためしはない。
裕福な家庭に生まれ、大人になりきれずに年齢を重ねた邦夫は、常に恋に恋しているといった感じだ。
母の方はといえば、離婚後も元夫に未練があったらしく、いつまでもその想いを引きずっていた。
どちらも健全な恋愛感情とはいえず、そんな両親を見て育った蒼弥としては、愛も恋もウザいという感想しかない。
「結婚に愛を求めていないなら、それこそ、会社の利益に繋がる家柄の娘と一緒になればいだろ」
訳知り顔で重之が言うが、それも冗談じゃない。
「どうして、好きでもない女と一緒に暮す必要があるんです? ハルモニアの経営は、政略結婚などに頼らずとも、俺の実力で盤石なものにしてみせるので問題ありません」
強気で嘯く蒼弥に、重之が苦々しい表情を見せる。
それなりの実績を残しているだけに、すぐには返す言葉が思いつかないのだろう。
重之が苦々しい顔でこちらを睨んでいると、控えめなノックの音が響いた。
「入れ」
蒼弥が声をかけると、いつの間にか戻っていた萌依が顔を覗かせた。
「失礼します。……会長っ」
重之がいることを知らなかったのだろう。萌依は慌てて頭を下げて、そのままの姿勢で言葉を続ける。
「お話中、申し訳ありません。社長が、私をお呼びと聞いたものですから。お話しの途中でしたら、後ほど声をかけていただければと
思います」
萌依は、それだけ言うと執務室を出て行こうとする。
蒼弥としては、重之との会話を終わらせるのにちょうどいいタイミングだ。
「待て。朝比奈君には、内密に頼みたい案件がある」
萌依を引き止め重之に視線を向けると、相手も潮時と思ったのだろう。渋々といった様子で立ち上がった。
「私の意見を忘れるなよ」
「俺の功績も忘れないでください」
横柄な重之のもの言いに、蒼弥も負けじと強気な態度で返す。
その態度に、重之は小さな舌打ちを残し、萌依の隣をすり抜けて執務室を出て行く。
乱暴にドアを閉める音に肩を跳ねさせた萌依だが、すぐに気を取り直して蒼弥をみた。
「会長とのお話の邪魔をしてしまい、申し訳ありません」
「いや。助かったくらいだ」
律儀に詫びてくる萌依に、蒼弥は軽く手を振る。
「それで、私への要件とは?」
「ああ……」
最初は、いつもと違う彼女の様子が気になって、戻ったら声をかけるように言っておいたのだが、そういった雰囲気でもなくなってしまった。
「元気か?」
とりあえず投げかけた蒼弥の質問に、萌依は「元気です」と即答する。
確かに黒縁眼鏡がトレードマークの彼女は、いつも身だしなみもキッチリしていて、疲れた様子を感じさせない。
それはなによりなのだが……。この先の会話をどうしようかと、悩んだ蒼弥は、テーブルの見合い写真に目を留めた。
「そうだ。これを処分しておいてくれ」
そう言って重之が置いていった見合い写真を萌依に差し出す。
「いいんでしょうか? 会長からのお話なのでは?」
状況を察した萌依が、気遣わしげな表情を浮かべる。
「問題ない。愛だの恋だの面倒な感情に興味はないし、結婚もお断りだ」
先ほどの重之との会話を思い出した蒼弥が言うと、なぜだか萌依が小さく笑う。
普段は生真面目な表情ばかり見せている彼女の柔らかな表情に、蒼弥が気を取られていると、萌依が慌てて受け取った見合い写真で口元を隠した。
「すみません」
「いや。構わないが、俺はそんなに面白いことを言ったのか?」
蒼弥が思ったままのことを口にすると、見合い写真を持ち直した萌依が言う。
「社長のような方でも、私と同じようなことを考えていることが、なんだか不思議で」
つまり萌依も、恋愛に興味がないらしい。
「愛だの濃いだのウザいだけだ。同志がいて心強いよ」
蒼弥が軽い口調で言うと、萌依は小さく肩を上下させると、一礼して執務室を出ていった。
執務室のソファーに腰を下ろすなり、重之が言う。
その横柄な口調に鈍い苛立ちを覚えた蒼弥は、ローテーブルを挟んだ向かいの席に座ると、質問に質問で答える。
「誰に聞いていますか?」
年長者への敬いを感じさせない蒼弥のもの言いに、重之の眉がピクリと跳ねるがかまうものか。
蒼弥は、長い足を持て余すように組み替え、顎を軽く上げて強気の姿勢を見せる。
「相変わらず、可愛げのない」
重之が吐き捨てるように言う。
戸籍上、ふたりは父方の祖父と孫という関係にあるが、そういった関係性にありがちな親しみを蒼弥は重之に抱いていない。
重之の息子で蒼弥の父親にあたる早瀬邦夫は、金にも女性にもだらしなく、それが原因で両親は早くに離婚し、蒼弥は母に育てられた。
といっても中学から全寮制の進学校に通っていたので、母親との思い出もそれほどないのだけど。
離婚の際、息子より孫の方が優秀と見抜いていた重之が、蒼弥の親権を早瀬家に残すよう強く主張したため、蒼弥は今も早瀬の名字を名乗ってはいるが、ただそれだけのことだ。
早瀬の家を継ぐつもりはなかったし、ハルモニアに就職して、父のように創業家という血筋に頼って権威を振りかざすつもりもなかった。
だから大学院を卒業した後は、外資系金融企業に就職し、実力でそれなりの地位を築いていた。
それなのに、自力で築いた地位を捨ててハルモニアへの転職を決めたのは、金にも女にもだらしない父が社長に就任した途端、会社を倒産させかけていたからだ。
正直に言えば、重之に内情を告げられ、立て直しに協力してほしいと泣きつかれたときは、『知ったことか』という思いの方が強かった。
離婚前も離婚後も、親というだけで権威を誇示したがる父親は、蒼弥にとって敬うべき存在ではなかった。そんな父親の尻拭いをする義理はないと思うのは、当然といえる。
それでも最終的に祖父のその頼みを聞き入れたのは、会社が倒産すれば、一番困るのはそこで働く社員だと思ったからだ。
外資系金融機関で働いていた蒼弥には、勤め先の倒産でライフプランが崩れた人が、そこから軌道修正するのがどれほど大変なのか知っている。
自分に会社を立て直せるだけの才覚があると自負しているだけに、見捨てるのはしのびない。
蒼弥は自分のことを悪人だとは思わないが、だからといって善人というわけでもない。
積極的に権力を振りかざすつもりはないが、自分が敵と認定した相手には、容赦なく攻撃をしかけることにしている。その際は、遠慮なく相手が一番嫌がる角度から仕掛ける主義だ。
それで人助けのついでに、空威張りばかりしていた父親に、経営者としての格の違いを見せ付けるのも悪くない、ハルモニアへの転職を決めた。
だからその際の条件として、父を会社から追い出すよう提案したところ、重之はあっさり息子を見限った。そのため蒼弥の父親は、現在、海外の子会社に出向という名の島流しに遭っている。
そして蒼弥は、社長就任後、期待どおりにハルモニアの経営を立て直した。
だからこの態度で問題ないと、鷹揚に構える。
「まあ確かに、お前の経営手腕は認めるしかないな。さすが、私の血筋といったところだ」
社長就任後の蒼弥の実績を思い出したのか、重之がもっともらしい顔で頷く。
(それを言うなら、あの金にも女にもだらしない父も、あなたの血筋なのでは?)
そんな疑問が胸に湧くが、ツッコむのも面倒なので聞き流しておく。
「それで会長は、そんな話しをしたくて、俺に会いにきたんですか?」
彼が携えている紙袋の中身に察しがつくだけに、こちらから話をふるのは腹立たしいが、いつまでもここに居座られても困る。
蒼弥の言葉に、重之は自分の脇に置いていた紙袋から中身を取り出し、ふたりの間のテーブルに薄いアルバムのようなものを置く。
「社長就任後のお前の功績は素直に認めてやるが、前社長の邦夫が残した傷痕は深い。ハルモニア創業百周年に向けて、今以上にお前の地位を盤石なものにする必要がある」
そんな言葉と共に、それをこちらに押し出し中を開く。中には、着物姿で微笑む女性の写真と、その隣に、彼女の略歴が添えられている。
いわゆる見合い写真だ。
「政略結婚などに、興味ありませんので」
蒼弥は内容を確認することなく、それを閉じて突き返す。
「なんだ、結婚に愛情でも求めているのか?」
どこか嘲りを感じさせる重之の言葉に、女性問題にだらしない父を重ねられているような気がして腹立たしい。
蒼弥は、バカバカしいとため息をつく。
「愛だの恋だの、あの両親を見ていて、そんなことに価値を求めるわけがないでしょう」
父の邦夫は、家庭を壊してまで愛人と一緒になったが、数年でその関係は破綻している。その後も、何人かの女性と浮名を流していたようだが、どれも長続きしたためしはない。
裕福な家庭に生まれ、大人になりきれずに年齢を重ねた邦夫は、常に恋に恋しているといった感じだ。
母の方はといえば、離婚後も元夫に未練があったらしく、いつまでもその想いを引きずっていた。
どちらも健全な恋愛感情とはいえず、そんな両親を見て育った蒼弥としては、愛も恋もウザいという感想しかない。
「結婚に愛を求めていないなら、それこそ、会社の利益に繋がる家柄の娘と一緒になればいだろ」
訳知り顔で重之が言うが、それも冗談じゃない。
「どうして、好きでもない女と一緒に暮す必要があるんです? ハルモニアの経営は、政略結婚などに頼らずとも、俺の実力で盤石なものにしてみせるので問題ありません」
強気で嘯く蒼弥に、重之が苦々しい表情を見せる。
それなりの実績を残しているだけに、すぐには返す言葉が思いつかないのだろう。
重之が苦々しい顔でこちらを睨んでいると、控えめなノックの音が響いた。
「入れ」
蒼弥が声をかけると、いつの間にか戻っていた萌依が顔を覗かせた。
「失礼します。……会長っ」
重之がいることを知らなかったのだろう。萌依は慌てて頭を下げて、そのままの姿勢で言葉を続ける。
「お話中、申し訳ありません。社長が、私をお呼びと聞いたものですから。お話しの途中でしたら、後ほど声をかけていただければと
思います」
萌依は、それだけ言うと執務室を出て行こうとする。
蒼弥としては、重之との会話を終わらせるのにちょうどいいタイミングだ。
「待て。朝比奈君には、内密に頼みたい案件がある」
萌依を引き止め重之に視線を向けると、相手も潮時と思ったのだろう。渋々といった様子で立ち上がった。
「私の意見を忘れるなよ」
「俺の功績も忘れないでください」
横柄な重之のもの言いに、蒼弥も負けじと強気な態度で返す。
その態度に、重之は小さな舌打ちを残し、萌依の隣をすり抜けて執務室を出て行く。
乱暴にドアを閉める音に肩を跳ねさせた萌依だが、すぐに気を取り直して蒼弥をみた。
「会長とのお話の邪魔をしてしまい、申し訳ありません」
「いや。助かったくらいだ」
律儀に詫びてくる萌依に、蒼弥は軽く手を振る。
「それで、私への要件とは?」
「ああ……」
最初は、いつもと違う彼女の様子が気になって、戻ったら声をかけるように言っておいたのだが、そういった雰囲気でもなくなってしまった。
「元気か?」
とりあえず投げかけた蒼弥の質問に、萌依は「元気です」と即答する。
確かに黒縁眼鏡がトレードマークの彼女は、いつも身だしなみもキッチリしていて、疲れた様子を感じさせない。
それはなによりなのだが……。この先の会話をどうしようかと、悩んだ蒼弥は、テーブルの見合い写真に目を留めた。
「そうだ。これを処分しておいてくれ」
そう言って重之が置いていった見合い写真を萌依に差し出す。
「いいんでしょうか? 会長からのお話なのでは?」
状況を察した萌依が、気遣わしげな表情を浮かべる。
「問題ない。愛だの恋だの面倒な感情に興味はないし、結婚もお断りだ」
先ほどの重之との会話を思い出した蒼弥が言うと、なぜだか萌依が小さく笑う。
普段は生真面目な表情ばかり見せている彼女の柔らかな表情に、蒼弥が気を取られていると、萌依が慌てて受け取った見合い写真で口元を隠した。
「すみません」
「いや。構わないが、俺はそんなに面白いことを言ったのか?」
蒼弥が思ったままのことを口にすると、見合い写真を持ち直した萌依が言う。
「社長のような方でも、私と同じようなことを考えていることが、なんだか不思議で」
つまり萌依も、恋愛に興味がないらしい。
「愛だの濃いだのウザいだけだ。同志がいて心強いよ」
蒼弥が軽い口調で言うと、萌依は小さく肩を上下させると、一礼して執務室を出ていった。