わたしのこと、まだ好きですか?
わたしは泣きながら謝って
「そんな! そんなぁ~~!! ケイくんっ うぇっ うぇぇぇ」
何度、この台詞を吐いただろう。えづいたことだろうか。
十五冊もの圭一の日記を夢中になって読んだ。
お昼には病院から帰宅したおばさんが昼食を持って来てくれた。わたしは食べながら日記を読んだ。時間が過ぎ、夕方になっても未だ読み続けている。夕飯が出てきた。それでもリビングに場所を移さず日記を読み続けた。ものすごいエネルギーだったと思う。それほど日記の内容が重要だった。
今まで知らなかったことが多々あったことの証明でもある。
最初の読み始めから衝撃過ぎて足に力が入らず腰抜け状態になり、圭一への申し訳なさと自分の不明により好きだった彼を傷つけたのが自分自身だとハッキリ分かって、後悔すべきことが何年も積み上がっていくのを感じていた。
吉田太一の悪質さを分かっているつもりが、全くの知識不足、自分の身体も安売りしてしまっていたという現実。吉田を良く知る人物なら恋人の私はとても滑稽に見えたのだと思う。
(無知が恥ずかしい)
夜遅くになって、ようやく読み終えた。斜め読みも日常生活の部分だけで、一字一句、見逃さないように読み込んだ。日常生活の事を含めてこれから何回も読み直そうと思う。
日記という物は不思議だ。自分が登場していたり、関わっていたものだと、自分の記憶まで鮮明に思い出される。そして、記述された出来事が事実だと確認、認識できる。
自分が関わっていないものでも、事実だと思わせられる分量と、自分との記憶の齟齬のない内容から、全てが事実に基づいて圭一が記述していたことが分かる。
『加代の身代わりになって、彼女の命を救いたい』
この日記のスタートは、あの聖なる山に無断で立ち入り、冒険という名のもとに幼馴染同士で遊んだ日から始まっていた。私が崖から落下し、気絶している間に圭一が祠から出てきた謎の人物(圭一が言うには神)とのやり取りが衝撃的だった。私は何も知らなかった。
(中三で急性心不全で死ぬのは本来は私だったんだ。ケイくんが代わりに死んじゃったんだ……)
「ケイくんっ わたしなんかのために うぇっ うぇぇぇ」
今まで気丈に堪えていた涙が止め処なく溢れてきて止まらない。
顔にキズが出来た圭一が、全身打撲で気絶している私の怪我と交換すると、男子である彼は大怪我に耐えられるから私の命は救われる。しかし圭一の負っていた顔の傷は私の顔に移ってしまうと懸念している事まで伝わってきた。
(あの私の顔の怪我、本当にケイくんの言う通りだとしたら……だいたい今から思えば、ケイくんが私に手をあげるわけがない、理由だって何も聞かされてなかった。私を殴るわけないと何故か思えないようにされていたよね)
吉田太一の主張していた保健室にも事実確認に行ったらしい圭一。部外者だからと追い返されたそうだけど、諦めきれなかった口惜しさ、私が圭一の話を聞いて怪訝な眼差しをしたこと、吉田の『俺が保健室まで加代を運んで救った』という話を覆す証拠が見つからず断念したこと。
(私との怪我の交換で、ケイくんは入院した。何よコレ、そんな酷い事……。
敢えて私なんかのために大けがを負う事ないじゃない!)
圭一が加代を殴ったという作り話がどんどん広がって中学では圭一に対してイジメが始まり、三年生になるまで親しい友達が出来ず、放課後になると吉田たちが中心になった男子たちに虐められる日々……。
読むに堪えられない内容が続いていた。でも、私は直視した。
ただ、いつも根底に流れて記述されているのは、圭一の加代に対する想いだった。
『加代が幸せでいてくれればいい』
『加代のことが好きだから俺は耐えることが出来るんだ』
必ず文中や最後の締めに書かれていた、これらの想い。たぶん、私がいつか読むことを想定していたと思う。その上で、私が辛く当たっていることを悲しんでいる描写が沢山あった。
心が痛んだ。
その中でも一番、胸に刺さったのは、私と吉田との交際関係だった。ケイは苦しんでいた。片想いの私が、初恋だった私が……あいつと交際、苦しいんだと私へメッセージを送り続けていた。吉田に私が取られてしまい正直なところ死にたくなる程悔しかったという。
私と吉田との性行為の声が聞こえた時に、耐えられないほどの精神的衝撃を受けたこと。
(ごめんなさい、ケイくん)
淡々と事実を羅列するだけでもキツいのに、ケイくんは私に伝えるために赤裸々な感情を(表現は悪いけど)ぶちまけていた。私はあの男との行為をケイくんに知られていたことで愕然とした。
『初めて加代が吉田に押し倒された時、ダメっ! そんなことしちゃイヤ! という声が窓を通じて聞こえた後でも吉田は加代の家から出てこなかった。この叫びは吉田の行為を拒絶したことなのに、吉田を受け入れたのだろうか? まさかレイプされたのだろうか』
こんな恥ずかしい事まで書かれていた。
「わたし、サイテーだわ」
口に出してしまった。もう生きていけない。
その上で、おばさんたちもこの日記を読んでいると思うと体が震える。やり直しは聞かない類のものだという事は充分わかってしまった。おばさんたちは、この日記を、吉田の虚偽事実の流布、ケイくんへの侮辱、誹謗中傷を明らかにする状況証拠にするんだ。きっと。確か裁判でも長く綴られ続けられた日記は証拠能力があると聞くし。
「吉田太一……許せない」
正直、私は怒り狂っていた。自覚に乏しいもののハッキリと吉田の破滅を願う程だった。日記のおかげで細かな記憶がはっきりした以上、速やかに軌道修正をするのは必須。
「太一君、今話せるかな?」
スマートフォンをタップしてラインでメッセージを送ってみた。
『おう、いいぞ。朝まで一緒に過ごしたばかりだろ。まったく俺にメロメロだな。風間の死についてなら話すのも嫌だがな』
(ふざけないで! この男、いますぐ別離よ)
「全ての記憶がはっきりしたわ。私達、別れましょ」
◇
加代は通話で激しく吉田を嘘つき呼ばわりをした。
キッカケは、加代に別れを切り出された太一が負けず嫌いを起こし『ざまぁ! そんなウソに騙されて俺に股を開くなんざ馬鹿としか言いようがねーわ』と発言したからだ。もちろん録音していた。
「よくもまぁ、屑男のムーブばかりなのね。好きな男の子のいる女子を騙してバージンを平気で奪うだなんて、他人の幸せを壊すことに喜びを感じるなんて地獄に落ちちゃえ! 浮気癖は治らないんだからね! いつかきっと旦那さん持ちの女性に刺されるわ。本当に私はバカだった、こんな嘘つき男に引っかかるだなんて! 私は人を見る目がなかった。もう二度と顔を見たくもないわ」
『お、俺だっ……プツン』
言いたいことを吐き捨て、吉田が話しかける最中に通話を一方的に切った。
すぐさまケイくんのおじさん、あばさん、私の両親あてに手紙を書き残す。
(急がなきゃ)
”今日、わたしの記憶が蘇りました。小学六年生の顔の傷の件で、私を助けたのはケイくんでした。決して吉田太一ではありません。吉田は私の記憶喪失を利用して自分が助けたなどと嘘の作り話を吹聴し、流布し、私を救ってくれたケイくんを逆に私を殴ったクズな男などと加害者に陥れて、ケイくんの幼馴染で彼に恋心を持っていた私に嘯き近寄り、あまつさえ私の操を奪って平然としていた卑劣な男です。許したくありません。決して亡くなってしまったケイくんを誤解し続けないで下さい”
「でも、覆水盆に返らず。ケイくんに何もしなければ、吉田を追い詰めてもケイくんが帰ってくることはない……」
もうすぐケイくんが亡くなってから二十四時間が過ぎる。
ちょっと待って。もっと急がないと。
まだ私の命がある。私の命があればケイくんを生き返らせることが出来る!
私はもう、高校への推薦が決まっているが、そんな先のことはもう何も重要ではないと感じている。私がやるべきこと、私がケイくんの恩にお返しが出来ること、ご禁制の祠しか手段は残されていないことが頭をよぎった。
(ご禁制の祠か……。ケイくんのために使うなら私の命なんか安いものだわ)
わたしはすぐに以下の文を先ほどのメッセージに加筆した。
”亡くなってしまっているケイくんに名誉挽回があるかどうかは分かりませんが、私は村の掟を破って聖なる山の祠に行き、私の命を賭してケイくんを蘇らせたいと思います。スマホを置いておくので吉田との会話録音も聞いてくださいね”
「ケイくん、もう私は言い訳はしません。迷わず一途を貫きます。すぐに行きます!」
おばさんたちは既に寝ていらっしゃるので、足音を立てずに部屋を出て、玄関を通り、自分の家の前の自転車に乗り、素早く神聖な山と言われているところの山頂、昔遊んだ黄金の祠へ向かって走り出しました。
命を捨ててでも圭一を救う覚悟が整った。
◇
道は登りなので自転車が漕げられなくなって道端に置いて徒歩で山頂を目指します。
「ふぅ~、疲れた。でも、頑張ろう。まだ間に合うわ。きっと」
私はご禁制の山と知りながら立ち入っていく。目に一杯の涙、大粒の涙を流しながら。
頭の中ではケイくんの笑顔を抱く。
山頂に向かう道は長く、まだまだ先。ずっと登りなので疲労感が蓄積してつらい。
こんなのケイくんの辛さに比べれば、なんていう事ないわ。
道は村人の手によって歩きやすくはなっているものの滑りやすさの防止にところどころ砂利が撒かれているだけで、階段のような気の利いたものではない。
「ふぅ~」
見渡す限り草と林。そして頭上を仰ぐと狭い空。夜空に輝く星すら見えない。一本道を歩き辿り着いたのは神木に囲まれた黄金屋根の祠だった。周囲には白と黒の玉石が敷き詰められ、どこか神が住まう佇まいに、私は感動し期待が膨らんだ。
(着いたわ)
加代は息を整えるために暫く体育座りをしながら祠の少し手前で待機する。
(まず神様に挨拶する際に、規定の動作から少しずつ変化させるのよね……)
二回のお辞儀、合いの手みたいに二拍、最後にお辞儀一回。
(これを基本にして、三回のお辞儀、三回の拍手、最後のお辞儀は二回にしてみよう)
村に伝わる神と優先的に願いを聞いてもらいアレコレ出来るようにと考え出されたのがコレであった。本当に効力があるのか分からないが、圭一の日記には方法が記されていた。
◇
『わしじゃ』
「あ、か、神様……。け、顕現いただき誠にありがとうございます」
『よいよい。先に用件を済まそうの』
「は、はい」
村の秘匿する聖なる山の神様が人の姿で現れた。神が顕現される際は人の姿であるというけれども、さすがに神威を感じて圧倒されてしまう。外見は普通の品のあるお髭を生やしたお爺さんで、神様らしい白い服に威厳のある風体をされていた。
『岸田加代は風間圭一を蘇らせる代わりに命を差し出すかの。畏まらず自分の使いやすい言葉で理由を述べよ。上手く説明を喋られないようなら頭に思い浮かべるだけでもよい』
神を目の前にして緊張して喋られないようになる人も多いらしい。しっかり配慮ある神様のようで、加代は早くも安心できた。この安心感も神のご加護かも知れない。
「はい。私は馬鹿で、私を救ってくれた大切な幼馴染であるケイくんを疑い、傷つけてしまいました。その上、私の身は加害している側に汚され、ケイくんに恋心を持っていたにも拘らず、肉体的な快楽みたいなものに好きでもない相手に落ちてしまいました。私が生きる価値はありません。是非とも私の命とケイくんの命を交換してください。神様、お願いいたします」
私は言い終えると深々とお辞儀をする。
『腹の中に命が宿っておるのじゃが、いいのかの?』
「えっ?」
『お主の腹の中には命が宿っておる』
「そ、それが本当なら、もっと切実にお願いいたします。あの男の子供なんて……」
『ふむ……』
神様は色々と考えているようだった。
『ここまでは、いいじゃろう。最後に問題がある』
「はい」
『主が死ぬと、風見圭一が再度わしに命の交換をしようとお願いに来るはずじゃ。そうならないために風間圭一に手紙を書きなさい。決して岸田加代を蘇らせてはならないと。紙と筆は祠の中に備え付けられておる』
「はい、私を甦らさないで、と書きます」
『書き終えたら命の交換をするじゃ。この場で主は亡くなり、風間圭一はこの場に蘇る』
「はい、本来なら吉田の命を出したいところなのですが、やっぱり私は汚れたままケイくんとは一緒になれません。そういう自覚はあります」
『うむ、承知した。一瞬だけ命の交差をする際に白い空間で風間圭一と会うがよい』
「ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げ、筆を走らせていく。
「恐れ入ります、遺書を書き上げました」
圭一の日記を読み、あまりにも衝撃を受けてしまったがために、罪悪感と焦燥感、後悔、反省、吉田に対する恨み、口惜しさ、さまざまな感情を覚えて、加代は命の交換に抵抗なく行動した。自分の命でケイくんが蘇るなら私の命の使いどころとしては充分に価値があるというもの。
一方、神はこのような願いをされることが近年に多くなり、辟易し、相当な重い事情でなければ引き受けることをしなくなったという。従って現代では、神がどのような奇跡を起こせるのか詳細には伝わらないようにしてあるそうだ。
『岸田加代、白い空間で風間圭一に会ったら宜しく伝えておいてくれ』
「ありがとうございます」
『うむ。よき死後の旅を』
「さようなら、お父さん、お母さん、おばさん、おじさん、妃美、友達たち」
何度、この台詞を吐いただろう。えづいたことだろうか。
十五冊もの圭一の日記を夢中になって読んだ。
お昼には病院から帰宅したおばさんが昼食を持って来てくれた。わたしは食べながら日記を読んだ。時間が過ぎ、夕方になっても未だ読み続けている。夕飯が出てきた。それでもリビングに場所を移さず日記を読み続けた。ものすごいエネルギーだったと思う。それほど日記の内容が重要だった。
今まで知らなかったことが多々あったことの証明でもある。
最初の読み始めから衝撃過ぎて足に力が入らず腰抜け状態になり、圭一への申し訳なさと自分の不明により好きだった彼を傷つけたのが自分自身だとハッキリ分かって、後悔すべきことが何年も積み上がっていくのを感じていた。
吉田太一の悪質さを分かっているつもりが、全くの知識不足、自分の身体も安売りしてしまっていたという現実。吉田を良く知る人物なら恋人の私はとても滑稽に見えたのだと思う。
(無知が恥ずかしい)
夜遅くになって、ようやく読み終えた。斜め読みも日常生活の部分だけで、一字一句、見逃さないように読み込んだ。日常生活の事を含めてこれから何回も読み直そうと思う。
日記という物は不思議だ。自分が登場していたり、関わっていたものだと、自分の記憶まで鮮明に思い出される。そして、記述された出来事が事実だと確認、認識できる。
自分が関わっていないものでも、事実だと思わせられる分量と、自分との記憶の齟齬のない内容から、全てが事実に基づいて圭一が記述していたことが分かる。
『加代の身代わりになって、彼女の命を救いたい』
この日記のスタートは、あの聖なる山に無断で立ち入り、冒険という名のもとに幼馴染同士で遊んだ日から始まっていた。私が崖から落下し、気絶している間に圭一が祠から出てきた謎の人物(圭一が言うには神)とのやり取りが衝撃的だった。私は何も知らなかった。
(中三で急性心不全で死ぬのは本来は私だったんだ。ケイくんが代わりに死んじゃったんだ……)
「ケイくんっ わたしなんかのために うぇっ うぇぇぇ」
今まで気丈に堪えていた涙が止め処なく溢れてきて止まらない。
顔にキズが出来た圭一が、全身打撲で気絶している私の怪我と交換すると、男子である彼は大怪我に耐えられるから私の命は救われる。しかし圭一の負っていた顔の傷は私の顔に移ってしまうと懸念している事まで伝わってきた。
(あの私の顔の怪我、本当にケイくんの言う通りだとしたら……だいたい今から思えば、ケイくんが私に手をあげるわけがない、理由だって何も聞かされてなかった。私を殴るわけないと何故か思えないようにされていたよね)
吉田太一の主張していた保健室にも事実確認に行ったらしい圭一。部外者だからと追い返されたそうだけど、諦めきれなかった口惜しさ、私が圭一の話を聞いて怪訝な眼差しをしたこと、吉田の『俺が保健室まで加代を運んで救った』という話を覆す証拠が見つからず断念したこと。
(私との怪我の交換で、ケイくんは入院した。何よコレ、そんな酷い事……。
敢えて私なんかのために大けがを負う事ないじゃない!)
圭一が加代を殴ったという作り話がどんどん広がって中学では圭一に対してイジメが始まり、三年生になるまで親しい友達が出来ず、放課後になると吉田たちが中心になった男子たちに虐められる日々……。
読むに堪えられない内容が続いていた。でも、私は直視した。
ただ、いつも根底に流れて記述されているのは、圭一の加代に対する想いだった。
『加代が幸せでいてくれればいい』
『加代のことが好きだから俺は耐えることが出来るんだ』
必ず文中や最後の締めに書かれていた、これらの想い。たぶん、私がいつか読むことを想定していたと思う。その上で、私が辛く当たっていることを悲しんでいる描写が沢山あった。
心が痛んだ。
その中でも一番、胸に刺さったのは、私と吉田との交際関係だった。ケイは苦しんでいた。片想いの私が、初恋だった私が……あいつと交際、苦しいんだと私へメッセージを送り続けていた。吉田に私が取られてしまい正直なところ死にたくなる程悔しかったという。
私と吉田との性行為の声が聞こえた時に、耐えられないほどの精神的衝撃を受けたこと。
(ごめんなさい、ケイくん)
淡々と事実を羅列するだけでもキツいのに、ケイくんは私に伝えるために赤裸々な感情を(表現は悪いけど)ぶちまけていた。私はあの男との行為をケイくんに知られていたことで愕然とした。
『初めて加代が吉田に押し倒された時、ダメっ! そんなことしちゃイヤ! という声が窓を通じて聞こえた後でも吉田は加代の家から出てこなかった。この叫びは吉田の行為を拒絶したことなのに、吉田を受け入れたのだろうか? まさかレイプされたのだろうか』
こんな恥ずかしい事まで書かれていた。
「わたし、サイテーだわ」
口に出してしまった。もう生きていけない。
その上で、おばさんたちもこの日記を読んでいると思うと体が震える。やり直しは聞かない類のものだという事は充分わかってしまった。おばさんたちは、この日記を、吉田の虚偽事実の流布、ケイくんへの侮辱、誹謗中傷を明らかにする状況証拠にするんだ。きっと。確か裁判でも長く綴られ続けられた日記は証拠能力があると聞くし。
「吉田太一……許せない」
正直、私は怒り狂っていた。自覚に乏しいもののハッキリと吉田の破滅を願う程だった。日記のおかげで細かな記憶がはっきりした以上、速やかに軌道修正をするのは必須。
「太一君、今話せるかな?」
スマートフォンをタップしてラインでメッセージを送ってみた。
『おう、いいぞ。朝まで一緒に過ごしたばかりだろ。まったく俺にメロメロだな。風間の死についてなら話すのも嫌だがな』
(ふざけないで! この男、いますぐ別離よ)
「全ての記憶がはっきりしたわ。私達、別れましょ」
◇
加代は通話で激しく吉田を嘘つき呼ばわりをした。
キッカケは、加代に別れを切り出された太一が負けず嫌いを起こし『ざまぁ! そんなウソに騙されて俺に股を開くなんざ馬鹿としか言いようがねーわ』と発言したからだ。もちろん録音していた。
「よくもまぁ、屑男のムーブばかりなのね。好きな男の子のいる女子を騙してバージンを平気で奪うだなんて、他人の幸せを壊すことに喜びを感じるなんて地獄に落ちちゃえ! 浮気癖は治らないんだからね! いつかきっと旦那さん持ちの女性に刺されるわ。本当に私はバカだった、こんな嘘つき男に引っかかるだなんて! 私は人を見る目がなかった。もう二度と顔を見たくもないわ」
『お、俺だっ……プツン』
言いたいことを吐き捨て、吉田が話しかける最中に通話を一方的に切った。
すぐさまケイくんのおじさん、あばさん、私の両親あてに手紙を書き残す。
(急がなきゃ)
”今日、わたしの記憶が蘇りました。小学六年生の顔の傷の件で、私を助けたのはケイくんでした。決して吉田太一ではありません。吉田は私の記憶喪失を利用して自分が助けたなどと嘘の作り話を吹聴し、流布し、私を救ってくれたケイくんを逆に私を殴ったクズな男などと加害者に陥れて、ケイくんの幼馴染で彼に恋心を持っていた私に嘯き近寄り、あまつさえ私の操を奪って平然としていた卑劣な男です。許したくありません。決して亡くなってしまったケイくんを誤解し続けないで下さい”
「でも、覆水盆に返らず。ケイくんに何もしなければ、吉田を追い詰めてもケイくんが帰ってくることはない……」
もうすぐケイくんが亡くなってから二十四時間が過ぎる。
ちょっと待って。もっと急がないと。
まだ私の命がある。私の命があればケイくんを生き返らせることが出来る!
私はもう、高校への推薦が決まっているが、そんな先のことはもう何も重要ではないと感じている。私がやるべきこと、私がケイくんの恩にお返しが出来ること、ご禁制の祠しか手段は残されていないことが頭をよぎった。
(ご禁制の祠か……。ケイくんのために使うなら私の命なんか安いものだわ)
わたしはすぐに以下の文を先ほどのメッセージに加筆した。
”亡くなってしまっているケイくんに名誉挽回があるかどうかは分かりませんが、私は村の掟を破って聖なる山の祠に行き、私の命を賭してケイくんを蘇らせたいと思います。スマホを置いておくので吉田との会話録音も聞いてくださいね”
「ケイくん、もう私は言い訳はしません。迷わず一途を貫きます。すぐに行きます!」
おばさんたちは既に寝ていらっしゃるので、足音を立てずに部屋を出て、玄関を通り、自分の家の前の自転車に乗り、素早く神聖な山と言われているところの山頂、昔遊んだ黄金の祠へ向かって走り出しました。
命を捨ててでも圭一を救う覚悟が整った。
◇
道は登りなので自転車が漕げられなくなって道端に置いて徒歩で山頂を目指します。
「ふぅ~、疲れた。でも、頑張ろう。まだ間に合うわ。きっと」
私はご禁制の山と知りながら立ち入っていく。目に一杯の涙、大粒の涙を流しながら。
頭の中ではケイくんの笑顔を抱く。
山頂に向かう道は長く、まだまだ先。ずっと登りなので疲労感が蓄積してつらい。
こんなのケイくんの辛さに比べれば、なんていう事ないわ。
道は村人の手によって歩きやすくはなっているものの滑りやすさの防止にところどころ砂利が撒かれているだけで、階段のような気の利いたものではない。
「ふぅ~」
見渡す限り草と林。そして頭上を仰ぐと狭い空。夜空に輝く星すら見えない。一本道を歩き辿り着いたのは神木に囲まれた黄金屋根の祠だった。周囲には白と黒の玉石が敷き詰められ、どこか神が住まう佇まいに、私は感動し期待が膨らんだ。
(着いたわ)
加代は息を整えるために暫く体育座りをしながら祠の少し手前で待機する。
(まず神様に挨拶する際に、規定の動作から少しずつ変化させるのよね……)
二回のお辞儀、合いの手みたいに二拍、最後にお辞儀一回。
(これを基本にして、三回のお辞儀、三回の拍手、最後のお辞儀は二回にしてみよう)
村に伝わる神と優先的に願いを聞いてもらいアレコレ出来るようにと考え出されたのがコレであった。本当に効力があるのか分からないが、圭一の日記には方法が記されていた。
◇
『わしじゃ』
「あ、か、神様……。け、顕現いただき誠にありがとうございます」
『よいよい。先に用件を済まそうの』
「は、はい」
村の秘匿する聖なる山の神様が人の姿で現れた。神が顕現される際は人の姿であるというけれども、さすがに神威を感じて圧倒されてしまう。外見は普通の品のあるお髭を生やしたお爺さんで、神様らしい白い服に威厳のある風体をされていた。
『岸田加代は風間圭一を蘇らせる代わりに命を差し出すかの。畏まらず自分の使いやすい言葉で理由を述べよ。上手く説明を喋られないようなら頭に思い浮かべるだけでもよい』
神を目の前にして緊張して喋られないようになる人も多いらしい。しっかり配慮ある神様のようで、加代は早くも安心できた。この安心感も神のご加護かも知れない。
「はい。私は馬鹿で、私を救ってくれた大切な幼馴染であるケイくんを疑い、傷つけてしまいました。その上、私の身は加害している側に汚され、ケイくんに恋心を持っていたにも拘らず、肉体的な快楽みたいなものに好きでもない相手に落ちてしまいました。私が生きる価値はありません。是非とも私の命とケイくんの命を交換してください。神様、お願いいたします」
私は言い終えると深々とお辞儀をする。
『腹の中に命が宿っておるのじゃが、いいのかの?』
「えっ?」
『お主の腹の中には命が宿っておる』
「そ、それが本当なら、もっと切実にお願いいたします。あの男の子供なんて……」
『ふむ……』
神様は色々と考えているようだった。
『ここまでは、いいじゃろう。最後に問題がある』
「はい」
『主が死ぬと、風見圭一が再度わしに命の交換をしようとお願いに来るはずじゃ。そうならないために風間圭一に手紙を書きなさい。決して岸田加代を蘇らせてはならないと。紙と筆は祠の中に備え付けられておる』
「はい、私を甦らさないで、と書きます」
『書き終えたら命の交換をするじゃ。この場で主は亡くなり、風間圭一はこの場に蘇る』
「はい、本来なら吉田の命を出したいところなのですが、やっぱり私は汚れたままケイくんとは一緒になれません。そういう自覚はあります」
『うむ、承知した。一瞬だけ命の交差をする際に白い空間で風間圭一と会うがよい』
「ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げ、筆を走らせていく。
「恐れ入ります、遺書を書き上げました」
圭一の日記を読み、あまりにも衝撃を受けてしまったがために、罪悪感と焦燥感、後悔、反省、吉田に対する恨み、口惜しさ、さまざまな感情を覚えて、加代は命の交換に抵抗なく行動した。自分の命でケイくんが蘇るなら私の命の使いどころとしては充分に価値があるというもの。
一方、神はこのような願いをされることが近年に多くなり、辟易し、相当な重い事情でなければ引き受けることをしなくなったという。従って現代では、神がどのような奇跡を起こせるのか詳細には伝わらないようにしてあるそうだ。
『岸田加代、白い空間で風間圭一に会ったら宜しく伝えておいてくれ』
「ありがとうございます」
『うむ。よき死後の旅を』
「さようなら、お父さん、お母さん、おばさん、おじさん、妃美、友達たち」