婚約破棄された悪役令嬢は男装騎士になって推しを護ります!ー女嫌いの王太子が溺愛してくるのは気のせいでしょうかー
12.伸ばされた手
蝋燭の揺らめきに合わせて、スカーレットの影もまた揺れた。
4人部屋には、今は眠っているリオンと、その傍らに座るスカーレットだけがいた。
スカーレットとレインフォードが酒場から戻ってきてから、すでに3時間以上が経過していた。
だいぶ夜が更けてしまっているのだが、アルベルトたちはまだ帰ってこない。
アルベルトがランとルイに早く帰ろうと急かすが酔っぱらった2人が動かず途方に暮れているところまで想像できる。
ランはスカーレットがいた時からすでに相当飲んでいたので今頃はアルベルトに絡んでいるかもしれない。
彼は酔っ払うと何故かアルベルトとスカーレットにだけ絡むのだ。
(社交界だとびしっと決めちゃって全然そんなことないのに……本当に外面がいいんだから!)
そしてルイはきっと、ランに絡まれているアルベルトを他人事のように見て楽しんでいるに違いない。
この時間まで帰ってこないと言うことは、下手をすれば明け方まで帰ってこないかもしれない。
スカーレットはそんなことを考えながら、目の前で眠るリオンを見つめた。
リオンの傷は擦過傷だけではあるが傷は全身の至る所にあり、見るからに痛そうである。
(こういう小さな傷も結構痛いのよね……)
綺麗な顔に痛々しい傷ができているのを見て、スカーレットはそう思った。
リオンの顔色は意識を失う前は血の気が失せたような顔色だったが、今はほんのりと赤味を帯びているのを見て、スカーレットは少しだけ安心した。
レインフォードにリオンの事を少し聞いたが、リオンは現在16歳だという。
14歳の頃に縁あってレインフォード付きの従者として仕えていて、剣の腕は自分の身を何とか守れる程度らしいが、レインフォードの身の回りの世話と機動性の高い小柄な体格を生かした斥候として、今回の旅に同行したらしい。
シャロルクでの一件で、逸れてしまったとのことだったが、必死に追いかけてきたのだろう。
(こんな子供なのに……よく頑張ったわね)
スカーレットとは2歳しか違わないが、スカーレットの中身は20代半ばなので、なんとなく家庭教師先の教え子を見るような感覚になってしまう。
なんというか、守ってあげなければと思ってしまうのだ。
だからどうしても心配で、こうして深夜にも関わらず傍にいてしまうのだ。
リオンを見ながらスカーレットは膝の上で眠るライザックをそっと撫でた。
タオルを敷いた箱で休ませようと思ったのだが、スカーレットにすっかり懐いてしまったようで、膝に乗せないとピーピーと鳴くのだ。
結果、スカーレットは膝の上に乗せたライザックを撫でながらリオンの看護をしているという状態だ。
「ふわぁ……ちょっと眠いかも……」
いくら剣術に優れているとはいえ、スカーレットの体力は普通の女性と変わらない。
ここまで強行軍で来ているので、深夜になるとさすがに眠気が襲ってくる。
この部屋に来る前にコーヒーを持ってきたのは正解だった。とはいうものの、この程度のカフェインでは目が覚めない。
「エナジードリンクがあれば徹夜なんて全然平気なんだけどな」
リオンはぐっすり眠っているようなので、このまま自分も部屋に戻って休むという選択肢もあるが、怪我人を一人放置して隣の部屋でぐーぐーと寝る気にもならない。
それに目が覚めたら知らない部屋で一人きり……というのもリオンは驚いてしまうであろう。
そう考えてスカーレットは部屋に留まることにした。
まぁ、この程度の疲労も眠気にも耐えて徹夜することは、前世ではよくあることだった。
それを考えれば徹夜など屁でもない。
「でももう一杯コーヒー貰ってこようかな」
スカーレットはそう思いつつ、欠伸を噛み殺しながら立ち上がろうとした。
その時だった。
「うっ……」
「リオン!?」
急にリオンが呻いたのでスカーレットはすぐに駆け寄った。
もしかして急に傷が痛み始めたのか、もしくは目を覚ますのか。
だが様子がおかしい。
眉間に皺を寄せて苦しそうに短く呼吸を繰り返していている。
「う……止めて……熱い……熱い……ミス……ティ……どこ……」
食いしばった歯の隙間から言葉が漏れる。
そして誰かを追うようにリオンは手を伸ばした。
「待って……燃えちゃう……ミスティどこ……助け……」
途切れ途切れに発せられる言葉はあまりにも悲壮な声で、伸ばされた手はリオンが助けを求めているように見えた。
だからスカーレットは思わずその手を握りしめた。
「リオン、大丈夫?」
するとリオンは虚ろな目でスカーレットを見つめて、縋るように手を握ってきた。
「もう燃えて……ない?」
何か燃える夢を見ているのか。
夢か現かも分かっていないのかもしれない。リオンの切実な表情を見て、スカーレットはその手をしっかり握り返し、ゆっくりと語り掛けた。
「大丈夫。燃えてないわ」
「一人……じゃない? 一緒に……いる?」
「ええ。ここにいるわ。傍にいるから安心して」
「う……ん……」
リオンはスカーレットの言葉に安堵したように小さくほほ笑んで、再びその瞼を閉じた。
今度は穏やかな表情で規則正しい寝息を立てているのを確認し、スカーレットはほっと胸を撫でおろした。
きっと怖い夢を見ていたのだろう。
繋がれた手は、もう固く握りしめてはいなかったが、なんとなくこのまま離すのが躊躇われて繋いだままにした。
その時、コンコンとドアがノックされる音が響き、スカーレットは反射的にドアを見た。
ようやくアルベルトたちが帰ってきたのだろう。
スカーレットはやれやれと思いながら返事をした。
「はーい! 開いてるわよ。ってか、遅い!」
あの三人はスカーレットの正体を知っている。
だから気軽に返事をしたのだが、入ってきたのは予想外の人物だった。
「……スカー、まだいたのか?」
「レ、レインフォード様!?」
まさかのレインフォードの登場に思わず目を丸くしてしまったスカーレットであったが、すぐに自分の失態に気づいて息を呑んだ。
今、スカーレットは完全に素だった。
だからいつもの口調で言ってしまったのだ。「開いている”わよ”」と。
(だ、大丈夫よね)
ドア越しであったから細かい語尾までは気づかない……だろう。
そう思うものの、内心ドキドキしながらレインフォードの次の言葉を待った。
「スカー、お前はさっき……」
「は、はい」
マズイ、指摘される。
先ほど女性に対して見せたレインフォードの凍てつく表情を思い出し、スカーレットの背に冷たいものが流れた。
「誰が来たか確認しないのはどうかと思うぞ。それに鍵もかけてないじゃないか」
「えっと……それだけですか?」
「? それだけと言えばそれだけだが。他に何かあるのか?」
「いえ……そうですか」
スカーレットは心の中で盛大に安堵のため息をついた。
そもそも今日はお風呂上りの件といい、身バレのピンチばかりである。
油断しているつもりはないのだが、やはりまだ男装に慣れないのだろう。
(私は男! スカーは男!)
スカーレットは自己暗示のように心の中で呟いていると、レインフォードはそれには気づかない様子で、酷く真剣な顔でこちらを見てきた。
「“そうですか”ではなく、気を付けるんだぞ」
「あ、はい。すみませんでした」
スカーレットは素直に謝った。
確かに不用心だったかもしれない。
だが人間がドアの前の人間に殺意があれば、おそらくスカーレットは気づくことができるだろうから問題ないとは思うが、一応気を付けることにしよう。
レインフォードは寝ているリオンへと目を向け、スカーレットに尋ねた。
「リオンの様子はどうだ?」
「大丈夫です。この通りぐっすり眠っています」
「そうか。良かった。スカーは部屋に戻って休んだらどうだ?」
「いえ、私は大丈夫です」
「だが、夜も遅い。明日に障りがあるんじゃないか」
「でも、リオンが目覚めた時、一人だと寂しくないですか? 誰か居た方が安心しますよね」
「いや、そうかもしれないが……」
スカーレットの言葉にレインフォードはふと思い至ったように怪訝そうに尋ねてきた。
「……一応聞くが、お前は夜通しここでリオンに付き添うつもりじゃないだろうな?」
「そのつもりですが……」
目が覚めた時に知らない場所で一人でベッドに寝かされていたらさぞかし不安だろう。
そう思ったからこそ、コーヒーを飲んで徹夜に備えたのだ。
しかし、スカーレットの答えに動揺したようで、慌てた様子でレインフォードは慌てた様子で確認の言葉を口にした。
「だが、朝まで目を覚まさなかったら徹夜になってしまうぞ」
「あ、それは平気です。3徹くらいまでなら何とか生きていけると思います」
前世では徹夜など日常茶飯事だった。
3徹目だとさすがに思考回路が鈍くなるが、そこは気力で乗り切ってきた。
だからこの程度の徹夜は慣れっこである。
だが、スカーレットの言葉がよほど衝撃だったのだろう。
レインフォードは目を丸くして固まっている。かと思うと、小さく微笑みならスカーレットの頭をぽんと撫でた。
「なら俺もここにいる」
意外な言葉に、今度はスカーレットが驚いてしまった。
「えっ! レインフォード様は休んでください」
「いや、リオンは俺の従者だからな。お前だけに負担はかけられないさ」
それはそうなのだが。
従者のために徹夜をする主人も珍しいと思う。
(まぁ、そこがレインフォード様の良いところなんだよね)
たぶん説得しても譲らないような気がする。
スカーレットは苦笑しながらベッドの脇にある椅子を勧めた。
「レインフォード様、あちらに椅子があるので座られたらいかがですか? 本当はボクが持ってくるべきなのでしょうけど……申し訳ありません」
「それは構わないが……」
なぜスカーレットが謝るのかが分からない様子のレインフォードだったが、不意にスカーレットの膝に視線が向けられた。
そしてその言葉の意味を理解したようで、ふっと笑った。
膝の上でライザックが気持ちよさそうに寝ているのに気づいたからだ。
「ライザック・ド・リストレアンもゆっくり寝ているな」
「はい。でも痛みがあるのかは分からないのですが……獣医さんがいればちゃんと診てもらえるんですけどね」
「獣医?」
(あぁ、この世界にはいないんだったわ)
聞き慣れない単語に首を傾げているレインフォードにどう説明すべきかを考えながら答えた。
「えっと、動物のお医者さんです。そういう方がいれば、ライザック・ド・リストレアンの怪我も見てもらえて、ちゃんと治ると思っただけです」
「そうかもしれないが、動物に医者が必要だとは思わなかったな」
「まぁ、そうですよね。確かにそれよりも人間のお医者様を増やす方が先ですからね」
この世界にはそもそも人間の医者でさえ不足している。
というより、前世の日本と比較して医療が格段に遅れているのだ。
その理由の一つは医者になるには膨大なお金がかかるからだ。
高等教育を要するため医者になるには非常に多くの学費が必要になる。そういった金が出せるのは貴族や一部の裕福な商人だが、あえて医者の道を選ぶ者は少ない。
「……奨学金があればいいのにな」
「ん? 奨学金とはなんだ?」
「国が医者の養成に学費を出資する制度のことです。お金を貸しつけて、医者になったら返してもらうとか、もしくは医者になってある程度の条件を満たした者はお金の返済はを免除するとかいった感じです。そういう国の制度があればって思っただけです」
実はスカーレット自身、前世では奨学金で学校を卒業した人間である。
貧富の差に関わらず教育を受けられるというのは非常にありがたい制度だと思う。
スカーレットのその言葉を聞いたレインフォードは、何やら考え込んでしまった。
(何か気に障ることでも言っちゃったかしら?)
部屋に沈黙が訪れ、非常に居心地が悪い。
何か言わなくてはと口を開きかけたその時、レインフォードが頷きながら言った。
「お前の考えは分かった」
「すみません。勝手な妄想を言いました」
「いや、参考になった。前向きに検討すべきだな」
そう言ったレインフォードの顔は為政者の物だった。
その時、目の前のリオンが小さく声を漏らした。
「ん……」
するとリオンがゆっくりと目を開ける。
琥珀色の瞳が現れ、ぼんやりと天井を見上げて、ぽつりと呟くように言った。
「ここは……」
「リオン!」
「あっ……殿下……。殿下、ご無事でしたか。……っ!」
体を起こそうとして顔を顰めたリオンをレインフォードは補助するようにその体を起こした。
「俺は大丈夫だ。お前こそ無事で良かった。もう死んでしまったかと思った」
「僕も殿下はお亡くなりになってしまったかと思ってました。安心しました。……ん?」
感動の再会という雰囲気だったが、突然リオンは自分の手の違和感を覚えたらしく、右手に目をやった。
そして一拍置いてから、状況を理解したようで、目を丸くして驚きの声を上げた。
「……うわあああ! あなた、なんで僕の手なんて握ってるんですか!? というか、あなた誰です!?」
「ボクはスカーって言うんだ。えっと、貴方はうなされてて……その、寂しそうだったから」
「うなされていた?」
スカーレットの言葉にリオンは怪訝そうな顔をした。
どうやらうなされていたことは覚えていないようだ。
「きっと悪夢を見てたんだと思うんだけど、覚えてないなら良かったかもね」
「も、もう結構です! 放してください!」
リオンはそう言ってスカーレットの手を勢いよく振り払うように乱暴に離した。
何故ここまで拒否されるのか分からないし、ちょっとショックを受けてしまう。
「あなた、よく男の手なんて握ろうと思いますね」
「えっ?そういうもの?」
「……」
渋面のリオンの反応に、思わずレインフォードを見ると、同意見というようにレインフォードも頷いた。
「俺は男にも女にも握られるのは嫌かもしれないな」
「そう言うものなのですね。すみませんでした。アルベルトは喜んでいたので、そういうものかと」
「……アルベルトはお前に対してはちょっと変わった態度をとるからな。あまり参考にしない方がいいだろう」
スカーレットの周りの男性と言えば、婚約者だったデニスと父親、そして義弟のアルベルトくらいなのだ。
だからどうしてもアルベルトを基準に考えてしまうのだが、この口ぶりからするとアルベルトは特殊なのだろう。
「分かりました」
「それで、なぜスカーさんはここにいるのですか?」
「あぁ、ボクはレインフォード様の護衛なんだ」
「護衛!? あなたがですか!? ……殿下、失礼ですがこの方の身元は確かなのでしょうか?」
驚きと懸念が伝わってくる。
まぁ、小柄な自分がいきなり王太子の護衛などと言っては驚くのは理解できる。
「あぁ、彼はバルサー家の嫡男だよ」
「バルサー家……あの、『赤の騎士将軍』の、ですか?」
「そうだ。実はあの時、スカーが刺客を倒して俺を助けてくれたんだ。その縁で護衛を依頼した」
「あの刺客を……この方が?」
刺客の強さを知っているのだろう。
リオンの表情から”こんな弱っちそうな人間が刺客を倒した?”というのがありありと伝わって来る。
「まぁ、そういうわけで、王都に帰るまでスカー達に護衛をしてもらうことになった」
「”達”ということは他にも護衛がいるのですか?姿が見えないようですが」
鋭い指摘に、スカーレットもレインフォードも気まずい顔になった。
「えっと……ボクの義弟と親戚が一緒なんだ。ちょっと今はお酒を飲んでいるというか……。あ、でも剣の腕は確かだから安心してほしいな」
「はぁ」
リオンの不信感を露わにした視線に、スカーレットは肩を縮こませてしまう。
それはそうだ。
護衛なのに主人をほっぽり出して酒を飲みに行っているなど護衛とは言えないだろう。
リオンの云わんとしていることを察したレインフォードは小さく笑った。
「まぁ、いいんだ。それでリオン、お前は俺たちと別れて一人で帰れるか?」
「どういう意味でしょうか?」
「お前もあの刺客の強さを見ただろう?今回は無事だったが、次はどうなるか分からない。お前は一人で王都を目指すんだ」
「そんな! 僕だけ別になんて帰れません! お願いします! 一緒に連れて行ってください!」
リオンは必死になって訴えているが、レインフォードは眉間に皺を寄せて首を振った。
それを見たリオンは悔しそうに顔を歪め、唇をぎゅっと噛んでいる。
「足手まといならそのまま置いていっていただいて構いません! お願いします……」
絞り出すような声で訴えるリオンを見て、スカーレットは可哀想になった。
自分もレインフォードを守りたくて男装までしてついてきた。だからリオンの気持ちが痛いほど分かる。
「レインフォード様。リオンの同行を許してあげては駄目でしょうか?何かあればレインフォード様を優先させますが、ボク達4人ならそうそう敵に引けを取ることはないと思います。何かあったらリオンは全速力で逃げる。それであれば連れて行ってあげてもいいのでは?」
「はい! 何かあれば逃げます!」
スカーレットとリオンの懇願にレインフォードは難しい顔をして逡巡した後、ため息をついて頷いた。
「分かった。でもリオン、何かあれば先に逃げてくれ」
「ありがとうございます!」
レインフォードの言葉にリオンの顔が一気に明るくなった。
そして次にスカーレットに向き直ると可愛らしい笑みを浮かべた。
「スカー様もありがとうございます! どうぞよろしくお願いいたします!」
「こちらこそよろしくね!」
こうして旅の仲間が一人増えることになった。
そして明け方にようやく帰ってきた3人を含めて、翌日の昼にスカーレット達はグノックを出発することにした。
4人部屋には、今は眠っているリオンと、その傍らに座るスカーレットだけがいた。
スカーレットとレインフォードが酒場から戻ってきてから、すでに3時間以上が経過していた。
だいぶ夜が更けてしまっているのだが、アルベルトたちはまだ帰ってこない。
アルベルトがランとルイに早く帰ろうと急かすが酔っぱらった2人が動かず途方に暮れているところまで想像できる。
ランはスカーレットがいた時からすでに相当飲んでいたので今頃はアルベルトに絡んでいるかもしれない。
彼は酔っ払うと何故かアルベルトとスカーレットにだけ絡むのだ。
(社交界だとびしっと決めちゃって全然そんなことないのに……本当に外面がいいんだから!)
そしてルイはきっと、ランに絡まれているアルベルトを他人事のように見て楽しんでいるに違いない。
この時間まで帰ってこないと言うことは、下手をすれば明け方まで帰ってこないかもしれない。
スカーレットはそんなことを考えながら、目の前で眠るリオンを見つめた。
リオンの傷は擦過傷だけではあるが傷は全身の至る所にあり、見るからに痛そうである。
(こういう小さな傷も結構痛いのよね……)
綺麗な顔に痛々しい傷ができているのを見て、スカーレットはそう思った。
リオンの顔色は意識を失う前は血の気が失せたような顔色だったが、今はほんのりと赤味を帯びているのを見て、スカーレットは少しだけ安心した。
レインフォードにリオンの事を少し聞いたが、リオンは現在16歳だという。
14歳の頃に縁あってレインフォード付きの従者として仕えていて、剣の腕は自分の身を何とか守れる程度らしいが、レインフォードの身の回りの世話と機動性の高い小柄な体格を生かした斥候として、今回の旅に同行したらしい。
シャロルクでの一件で、逸れてしまったとのことだったが、必死に追いかけてきたのだろう。
(こんな子供なのに……よく頑張ったわね)
スカーレットとは2歳しか違わないが、スカーレットの中身は20代半ばなので、なんとなく家庭教師先の教え子を見るような感覚になってしまう。
なんというか、守ってあげなければと思ってしまうのだ。
だからどうしても心配で、こうして深夜にも関わらず傍にいてしまうのだ。
リオンを見ながらスカーレットは膝の上で眠るライザックをそっと撫でた。
タオルを敷いた箱で休ませようと思ったのだが、スカーレットにすっかり懐いてしまったようで、膝に乗せないとピーピーと鳴くのだ。
結果、スカーレットは膝の上に乗せたライザックを撫でながらリオンの看護をしているという状態だ。
「ふわぁ……ちょっと眠いかも……」
いくら剣術に優れているとはいえ、スカーレットの体力は普通の女性と変わらない。
ここまで強行軍で来ているので、深夜になるとさすがに眠気が襲ってくる。
この部屋に来る前にコーヒーを持ってきたのは正解だった。とはいうものの、この程度のカフェインでは目が覚めない。
「エナジードリンクがあれば徹夜なんて全然平気なんだけどな」
リオンはぐっすり眠っているようなので、このまま自分も部屋に戻って休むという選択肢もあるが、怪我人を一人放置して隣の部屋でぐーぐーと寝る気にもならない。
それに目が覚めたら知らない部屋で一人きり……というのもリオンは驚いてしまうであろう。
そう考えてスカーレットは部屋に留まることにした。
まぁ、この程度の疲労も眠気にも耐えて徹夜することは、前世ではよくあることだった。
それを考えれば徹夜など屁でもない。
「でももう一杯コーヒー貰ってこようかな」
スカーレットはそう思いつつ、欠伸を噛み殺しながら立ち上がろうとした。
その時だった。
「うっ……」
「リオン!?」
急にリオンが呻いたのでスカーレットはすぐに駆け寄った。
もしかして急に傷が痛み始めたのか、もしくは目を覚ますのか。
だが様子がおかしい。
眉間に皺を寄せて苦しそうに短く呼吸を繰り返していている。
「う……止めて……熱い……熱い……ミス……ティ……どこ……」
食いしばった歯の隙間から言葉が漏れる。
そして誰かを追うようにリオンは手を伸ばした。
「待って……燃えちゃう……ミスティどこ……助け……」
途切れ途切れに発せられる言葉はあまりにも悲壮な声で、伸ばされた手はリオンが助けを求めているように見えた。
だからスカーレットは思わずその手を握りしめた。
「リオン、大丈夫?」
するとリオンは虚ろな目でスカーレットを見つめて、縋るように手を握ってきた。
「もう燃えて……ない?」
何か燃える夢を見ているのか。
夢か現かも分かっていないのかもしれない。リオンの切実な表情を見て、スカーレットはその手をしっかり握り返し、ゆっくりと語り掛けた。
「大丈夫。燃えてないわ」
「一人……じゃない? 一緒に……いる?」
「ええ。ここにいるわ。傍にいるから安心して」
「う……ん……」
リオンはスカーレットの言葉に安堵したように小さくほほ笑んで、再びその瞼を閉じた。
今度は穏やかな表情で規則正しい寝息を立てているのを確認し、スカーレットはほっと胸を撫でおろした。
きっと怖い夢を見ていたのだろう。
繋がれた手は、もう固く握りしめてはいなかったが、なんとなくこのまま離すのが躊躇われて繋いだままにした。
その時、コンコンとドアがノックされる音が響き、スカーレットは反射的にドアを見た。
ようやくアルベルトたちが帰ってきたのだろう。
スカーレットはやれやれと思いながら返事をした。
「はーい! 開いてるわよ。ってか、遅い!」
あの三人はスカーレットの正体を知っている。
だから気軽に返事をしたのだが、入ってきたのは予想外の人物だった。
「……スカー、まだいたのか?」
「レ、レインフォード様!?」
まさかのレインフォードの登場に思わず目を丸くしてしまったスカーレットであったが、すぐに自分の失態に気づいて息を呑んだ。
今、スカーレットは完全に素だった。
だからいつもの口調で言ってしまったのだ。「開いている”わよ”」と。
(だ、大丈夫よね)
ドア越しであったから細かい語尾までは気づかない……だろう。
そう思うものの、内心ドキドキしながらレインフォードの次の言葉を待った。
「スカー、お前はさっき……」
「は、はい」
マズイ、指摘される。
先ほど女性に対して見せたレインフォードの凍てつく表情を思い出し、スカーレットの背に冷たいものが流れた。
「誰が来たか確認しないのはどうかと思うぞ。それに鍵もかけてないじゃないか」
「えっと……それだけですか?」
「? それだけと言えばそれだけだが。他に何かあるのか?」
「いえ……そうですか」
スカーレットは心の中で盛大に安堵のため息をついた。
そもそも今日はお風呂上りの件といい、身バレのピンチばかりである。
油断しているつもりはないのだが、やはりまだ男装に慣れないのだろう。
(私は男! スカーは男!)
スカーレットは自己暗示のように心の中で呟いていると、レインフォードはそれには気づかない様子で、酷く真剣な顔でこちらを見てきた。
「“そうですか”ではなく、気を付けるんだぞ」
「あ、はい。すみませんでした」
スカーレットは素直に謝った。
確かに不用心だったかもしれない。
だが人間がドアの前の人間に殺意があれば、おそらくスカーレットは気づくことができるだろうから問題ないとは思うが、一応気を付けることにしよう。
レインフォードは寝ているリオンへと目を向け、スカーレットに尋ねた。
「リオンの様子はどうだ?」
「大丈夫です。この通りぐっすり眠っています」
「そうか。良かった。スカーは部屋に戻って休んだらどうだ?」
「いえ、私は大丈夫です」
「だが、夜も遅い。明日に障りがあるんじゃないか」
「でも、リオンが目覚めた時、一人だと寂しくないですか? 誰か居た方が安心しますよね」
「いや、そうかもしれないが……」
スカーレットの言葉にレインフォードはふと思い至ったように怪訝そうに尋ねてきた。
「……一応聞くが、お前は夜通しここでリオンに付き添うつもりじゃないだろうな?」
「そのつもりですが……」
目が覚めた時に知らない場所で一人でベッドに寝かされていたらさぞかし不安だろう。
そう思ったからこそ、コーヒーを飲んで徹夜に備えたのだ。
しかし、スカーレットの答えに動揺したようで、慌てた様子でレインフォードは慌てた様子で確認の言葉を口にした。
「だが、朝まで目を覚まさなかったら徹夜になってしまうぞ」
「あ、それは平気です。3徹くらいまでなら何とか生きていけると思います」
前世では徹夜など日常茶飯事だった。
3徹目だとさすがに思考回路が鈍くなるが、そこは気力で乗り切ってきた。
だからこの程度の徹夜は慣れっこである。
だが、スカーレットの言葉がよほど衝撃だったのだろう。
レインフォードは目を丸くして固まっている。かと思うと、小さく微笑みならスカーレットの頭をぽんと撫でた。
「なら俺もここにいる」
意外な言葉に、今度はスカーレットが驚いてしまった。
「えっ! レインフォード様は休んでください」
「いや、リオンは俺の従者だからな。お前だけに負担はかけられないさ」
それはそうなのだが。
従者のために徹夜をする主人も珍しいと思う。
(まぁ、そこがレインフォード様の良いところなんだよね)
たぶん説得しても譲らないような気がする。
スカーレットは苦笑しながらベッドの脇にある椅子を勧めた。
「レインフォード様、あちらに椅子があるので座られたらいかがですか? 本当はボクが持ってくるべきなのでしょうけど……申し訳ありません」
「それは構わないが……」
なぜスカーレットが謝るのかが分からない様子のレインフォードだったが、不意にスカーレットの膝に視線が向けられた。
そしてその言葉の意味を理解したようで、ふっと笑った。
膝の上でライザックが気持ちよさそうに寝ているのに気づいたからだ。
「ライザック・ド・リストレアンもゆっくり寝ているな」
「はい。でも痛みがあるのかは分からないのですが……獣医さんがいればちゃんと診てもらえるんですけどね」
「獣医?」
(あぁ、この世界にはいないんだったわ)
聞き慣れない単語に首を傾げているレインフォードにどう説明すべきかを考えながら答えた。
「えっと、動物のお医者さんです。そういう方がいれば、ライザック・ド・リストレアンの怪我も見てもらえて、ちゃんと治ると思っただけです」
「そうかもしれないが、動物に医者が必要だとは思わなかったな」
「まぁ、そうですよね。確かにそれよりも人間のお医者様を増やす方が先ですからね」
この世界にはそもそも人間の医者でさえ不足している。
というより、前世の日本と比較して医療が格段に遅れているのだ。
その理由の一つは医者になるには膨大なお金がかかるからだ。
高等教育を要するため医者になるには非常に多くの学費が必要になる。そういった金が出せるのは貴族や一部の裕福な商人だが、あえて医者の道を選ぶ者は少ない。
「……奨学金があればいいのにな」
「ん? 奨学金とはなんだ?」
「国が医者の養成に学費を出資する制度のことです。お金を貸しつけて、医者になったら返してもらうとか、もしくは医者になってある程度の条件を満たした者はお金の返済はを免除するとかいった感じです。そういう国の制度があればって思っただけです」
実はスカーレット自身、前世では奨学金で学校を卒業した人間である。
貧富の差に関わらず教育を受けられるというのは非常にありがたい制度だと思う。
スカーレットのその言葉を聞いたレインフォードは、何やら考え込んでしまった。
(何か気に障ることでも言っちゃったかしら?)
部屋に沈黙が訪れ、非常に居心地が悪い。
何か言わなくてはと口を開きかけたその時、レインフォードが頷きながら言った。
「お前の考えは分かった」
「すみません。勝手な妄想を言いました」
「いや、参考になった。前向きに検討すべきだな」
そう言ったレインフォードの顔は為政者の物だった。
その時、目の前のリオンが小さく声を漏らした。
「ん……」
するとリオンがゆっくりと目を開ける。
琥珀色の瞳が現れ、ぼんやりと天井を見上げて、ぽつりと呟くように言った。
「ここは……」
「リオン!」
「あっ……殿下……。殿下、ご無事でしたか。……っ!」
体を起こそうとして顔を顰めたリオンをレインフォードは補助するようにその体を起こした。
「俺は大丈夫だ。お前こそ無事で良かった。もう死んでしまったかと思った」
「僕も殿下はお亡くなりになってしまったかと思ってました。安心しました。……ん?」
感動の再会という雰囲気だったが、突然リオンは自分の手の違和感を覚えたらしく、右手に目をやった。
そして一拍置いてから、状況を理解したようで、目を丸くして驚きの声を上げた。
「……うわあああ! あなた、なんで僕の手なんて握ってるんですか!? というか、あなた誰です!?」
「ボクはスカーって言うんだ。えっと、貴方はうなされてて……その、寂しそうだったから」
「うなされていた?」
スカーレットの言葉にリオンは怪訝そうな顔をした。
どうやらうなされていたことは覚えていないようだ。
「きっと悪夢を見てたんだと思うんだけど、覚えてないなら良かったかもね」
「も、もう結構です! 放してください!」
リオンはそう言ってスカーレットの手を勢いよく振り払うように乱暴に離した。
何故ここまで拒否されるのか分からないし、ちょっとショックを受けてしまう。
「あなた、よく男の手なんて握ろうと思いますね」
「えっ?そういうもの?」
「……」
渋面のリオンの反応に、思わずレインフォードを見ると、同意見というようにレインフォードも頷いた。
「俺は男にも女にも握られるのは嫌かもしれないな」
「そう言うものなのですね。すみませんでした。アルベルトは喜んでいたので、そういうものかと」
「……アルベルトはお前に対してはちょっと変わった態度をとるからな。あまり参考にしない方がいいだろう」
スカーレットの周りの男性と言えば、婚約者だったデニスと父親、そして義弟のアルベルトくらいなのだ。
だからどうしてもアルベルトを基準に考えてしまうのだが、この口ぶりからするとアルベルトは特殊なのだろう。
「分かりました」
「それで、なぜスカーさんはここにいるのですか?」
「あぁ、ボクはレインフォード様の護衛なんだ」
「護衛!? あなたがですか!? ……殿下、失礼ですがこの方の身元は確かなのでしょうか?」
驚きと懸念が伝わってくる。
まぁ、小柄な自分がいきなり王太子の護衛などと言っては驚くのは理解できる。
「あぁ、彼はバルサー家の嫡男だよ」
「バルサー家……あの、『赤の騎士将軍』の、ですか?」
「そうだ。実はあの時、スカーが刺客を倒して俺を助けてくれたんだ。その縁で護衛を依頼した」
「あの刺客を……この方が?」
刺客の強さを知っているのだろう。
リオンの表情から”こんな弱っちそうな人間が刺客を倒した?”というのがありありと伝わって来る。
「まぁ、そういうわけで、王都に帰るまでスカー達に護衛をしてもらうことになった」
「”達”ということは他にも護衛がいるのですか?姿が見えないようですが」
鋭い指摘に、スカーレットもレインフォードも気まずい顔になった。
「えっと……ボクの義弟と親戚が一緒なんだ。ちょっと今はお酒を飲んでいるというか……。あ、でも剣の腕は確かだから安心してほしいな」
「はぁ」
リオンの不信感を露わにした視線に、スカーレットは肩を縮こませてしまう。
それはそうだ。
護衛なのに主人をほっぽり出して酒を飲みに行っているなど護衛とは言えないだろう。
リオンの云わんとしていることを察したレインフォードは小さく笑った。
「まぁ、いいんだ。それでリオン、お前は俺たちと別れて一人で帰れるか?」
「どういう意味でしょうか?」
「お前もあの刺客の強さを見ただろう?今回は無事だったが、次はどうなるか分からない。お前は一人で王都を目指すんだ」
「そんな! 僕だけ別になんて帰れません! お願いします! 一緒に連れて行ってください!」
リオンは必死になって訴えているが、レインフォードは眉間に皺を寄せて首を振った。
それを見たリオンは悔しそうに顔を歪め、唇をぎゅっと噛んでいる。
「足手まといならそのまま置いていっていただいて構いません! お願いします……」
絞り出すような声で訴えるリオンを見て、スカーレットは可哀想になった。
自分もレインフォードを守りたくて男装までしてついてきた。だからリオンの気持ちが痛いほど分かる。
「レインフォード様。リオンの同行を許してあげては駄目でしょうか?何かあればレインフォード様を優先させますが、ボク達4人ならそうそう敵に引けを取ることはないと思います。何かあったらリオンは全速力で逃げる。それであれば連れて行ってあげてもいいのでは?」
「はい! 何かあれば逃げます!」
スカーレットとリオンの懇願にレインフォードは難しい顔をして逡巡した後、ため息をついて頷いた。
「分かった。でもリオン、何かあれば先に逃げてくれ」
「ありがとうございます!」
レインフォードの言葉にリオンの顔が一気に明るくなった。
そして次にスカーレットに向き直ると可愛らしい笑みを浮かべた。
「スカー様もありがとうございます! どうぞよろしくお願いいたします!」
「こちらこそよろしくね!」
こうして旅の仲間が一人増えることになった。
そして明け方にようやく帰ってきた3人を含めて、翌日の昼にスカーレット達はグノックを出発することにした。