聖女の力のない令嬢の織った布に、冷徹公爵は恋をした。
第1章
ネティヤ公爵邸は、リディアが想像していたよりもずっと静かだった。
三大公爵家が催す夜会といえば、社交界の花形だ。煌めくシャンデリア、香水と蝋燭の混じった甘い空気、笑い声と弦楽の重なり、宝石を散りばめたドレスの裾がフロアを滑る音――そういうものを想像していた。実際、広間はそれなりに賑わっていた。給仕が銀盆を手に行き来し、令嬢たちは扇の陰で囁き合い、令息たちは背筋を伸ばして杯を傾けている。
だが邸全体に漂う空気は、どこか緊張を帯びていた。華やかさの奥に、薄い膜のような緊張が張っている。
客人たちが笑い、杯を傾けながらも、目はちらちらと広間の奥へ向く。まるで何か恐ろしいものを横目で確認するように、しかし直視はしないように。リディアもつられてそちらへ視線を向けた。
壁際に、一人の男が立っていた。
背が高い。それが最初の印象だった。次いで、笑っていない。広間中の誰もが社交の仮面を貼りつけているなか、その男だけが仮面すらつけていなかった。
ただそこに立ち、腕を緩く組んで、静かに室内を見渡している。漆黒の礼服は飾り気がなく、胸元に一つだけ、ネティヤ家の紋章を象った深緑の留め金が光っていた。切れ長の目は暗い琥珀色で、光の加減によっては金にも茶にも見えた。整った顔立ちだが、その美しさには近寄りがたさが同居している。冬の湖面のような、触れれば沈むとわかっている美しさだ。
アルシェ・ネティヤ公爵。
噂通りだ、とリディアは思った。愛想がないとかそういう次元ではない。あの男は最初から、この夜会に自分が属しているとは思っていない顔をしている。まるで他人の庭に迷い込んだ獣のように、馴染まず、しかし怯えてもいない。