姫の花道
第一章

稀有な運命を持つ姫君

 《稀有な運命を持つ姫君。姫が手を取る相手は、世界を繁栄に導く王となるであろう》

 わたしが生まれたその日、大きな星が流れて、月の国イクストゥーラだけではなく砂漠でも草原でも「ここより歴史が変わる」と予見されたのだという。

 世界のいずこかに覇王を選ぶ姫が生まれ落ちた。
 姫は動乱の時代の勝者を見抜く者であり、姫に選ばれた者が覇権を取ることになる。

 雲を掴むような話――

 同時期に複数個所においてほとんど同内容の予見があっただけに、当時はそれなりに信憑性があることと考えられたという。
 そのため、予見があった土地では一応、その時期に生まれた女子を調べたり召し上げたりする動きがあったらしい。
 しかし、いずれの地においても予見は曖昧で詳細が判然とせず決め手に欠けるものであった。いったい、何を持って「王を選ぶ姫」を見分けるべきなのか。
 結局のところ、運命の姫君がどこの誰かは不明なままやがて噂は噂のままゆっくりと消えていった。
 ただ月の国だけが、月神イクストゥーラの神託を受けて預言の姫を特定していた。

 セリスこそが、予見された運命の姫君である、と。

 * * *

「これがいまから十五年前の話。月の国はセリス姫が無自覚なまま誰かを『選ばないように』女性だけで構成された離宮へと隔離し、厳重に管理して世間とのつながりを断ってきた。そして対外的には、まるでそんな姫など存在していないかのように振る舞ってきた――そこまでが、わたしの聞いている話のすべてよ」

 木製の格子の嵌った窓から差し込む光の中、銀色の髪に櫛を通してもらいながら、セリスは鏡の中の自分を見つめる。

(セリス。「覇王を選ぶ姫」それがわたし)

 緑の瞳が、瞬きもせずに自分を見返してきた。

「月の国は歴史ある古い王国。そして小さな国です。めざましい勢いで台頭してきた新興国に囲まれて難しい立ち位置にありますから、姫の存在が他国に知られるわけにはいかなかったのです。それに、姫様と他人との接触もできる限り減らさなければいけませんでした」

 櫛を使いながら、侍女のマイヤが答える。

「理屈はわかるの。予見を真に受けた他国が、手っ取り早く侵略してくるかもしれない。だから存在そのものを伏せた。さらに、自由に育てようものならその間にわたしは側仕えの誰かを『選んで』しまうかもしれない。だから隔離した。正しい相手を『選べる』分別のつく年齢になるまで」

 この日セリスが身に着けているカフタンは、繊細なレースや真珠や刺繍で彩られた豪勢なもので、一人では着付けられないほど複雑な意匠であった。
 これまで人前に出る機会がなかったセリスには縁のない「外出着」である。
 華奢な肩にふわりと流れるのは、銀の髪。月の王家の証だ。

(閉じ込められて生きてきたわたしは「世界」を知らず、知識はすべて与えられたもの。この髪の色は月の王家の血筋にしか現れず、逃げ出してもすぐに見つかってしまうと聞いたわ。それに……わたしが逃げた時点で管理不行き届きとして、離宮勤めの者たちは全員処刑されてしまうと)

 その重さを思えば、離宮を飛び出すことなどできなかった。
 セリスに出来たのは、ただ待つことのみ。
 王宮に呼び戻される今日という日が来るまで。

「姫様、ずーっと閉じ込められてきたご不満はもっともなことと思いますが、王宮ではぜひこれまで学んできたことを生かし、慎み深く誰からも愛されるように振る舞ってくださいませ。決して敵を作らず、信用できない相手には近づかず」

 年齢が近く友人のような存在であったマイヤが、心の底から心配している口ぶりで言う。セリスは鏡越しに目配せをしてみせた。

「そうしようと、自分では思っているわよ。でも、『これまで学んできたこと』はあれど、実践の機会はなかったでしょう? いきなりひとつも失敗することなくうまくやっていくのは難しいかもしれないわ」

「大丈夫ですよ! 姫様は運命の姫君なのですから。覇王を選びその横に並び立つ日まで、尊き道をご自身の足で歩まれるのでしょう」

 マイヤの声を聞きながら、セリスはもう一度鏡を見つめた。
 自分自身と目を合わせて、問いかける。

「わたしは運命の姫。わたしが選んだ相手が世界を統べる覇王となるとして――その傍らに立つわたしはいったい、何者なの?」

 奇妙にねじれた予見と神託。
 選んだ相手がこの世界のすべてを手にする覇王になったとして、王の覇業はセリスの手柄ではなく、王の手にしたものはセリスの所有物でもないだろう。

(覇王の添え物? 争い、奪われる女? それでわたしの手には、何が残るというの?)

 自分の手に目を落とす。
 重いものを持ったことがない、水仕事をしたことがない、苦労を知らぬ手だ。
 その手が、まだ出会ってもいない、この世界のどこかにいるであろう相手の手を取ることを想像する。

(……「男性」に出会ったことがないんだもの。想像がつかないわ)

 思い描くのを諦めようとしたそのとき、セリスの脳裏をよぎったのは、かつて離宮をとりまく森の中で、ただ一度きり偶然出会った少年の姿だった。
 金色の髪、金色の瞳。
 すらりと若木のように背が高く、声が低く、離宮にいる女官たちとは何もかもが違った。
 隠れて剣の稽古をしていたという少年は、真夜中に離宮を抜け出してきたセリスに手を差し伸べた。
 セリスは、その手を取った。すんなりと長い指なのに、触るとでこぼことしていて固く、大きな手をしていた。
 このひとは男性なのだと幼いセリスにも直感的にわかった。離宮に残されていた古ぼけた絵本に描かれていた男神の姿に似ていた。
 無邪気に、セリスは少年に話しかけた。

 “あなたは太陽の神アスランディアみたいね”

 大きく見開かれた瞳。驚きに打ちのめされた顔。すぐに彼は表情を引き締めてセリスに言った。

 “二度とその名を口にしてはいけない”

「姫様、もう間もなく王宮からの迎えが到着するかと思います。最後の確認をしますので、お立ちになって、全身を見せていただけますか」

 マイヤに声をかけられて、セリスは椅子から立ち上がる。
 自分が長く過ごしてきた離宮の一室を見回して、呟いた。

「運命の姫は十五歳となり、覇王たるものを選ぶのにふさわしい頃合いになったと、ついに王宮へと呼び出されることになった、と」

 セリスは、これから選ぶのだ。
 月の国の民から、覇王になる人間を。

(建前だと聞いたわ。月の国イクストゥーラには古い王家があり、わたしには母親の違う兄がいるのですって。どう考えてもわたしが兄王子を「選ぶ」のが、月の国にとって最善の道よ)

 選ぶという言葉が何を意味しているのか、正確なところはわからない。
 わかっているのは、セリスに期待されているのはおそらく「兄を王に選ぶこと」ただそれだけだ。
 そしておそらく、選定後は「他の相手を選ぶことがないように」セリスはまた男性から遠ざけられる。
 覇王が男性に限られたことではないとすれば、今度は完全に女性からも遠ざけられ、すべての人間から隔離されるかもしれない。
 セリス自身が「覇王」となるわけではないのだから、選定後は用済みなのだ……。

 鏡の中から見返してくる銀色の姫と目を合わせて、セリスは唇を噛みしめる。
 そのとき、ドアをノックする音が響いた。
 応えるより先にドアが開く。
 廊下に立つ誰かを押し留めようとするかのように「お待ちください!」と悲鳴じみた声を上げながら侍女が部屋に入ってきて、セリスと目が合うと早口に告げてきた。

「ゼファード様が、姫様を直々にお迎えにいらしてます!」

 それは、兄王子の名。
 ハッと息を呑んで、セリスは振り返る。
 開け放たれた戸口に、背の高い相手が立っているのが見えた。

(光の加減で顔が見えない)

 相手を確認するべく、セリスはサンダル履きの足で駆け出す。
 そのときセリスを突き動かしたのは、好奇心であると同時に「世界」への強い意志だった。
 不意に開かれた扉の向こうに現れた相手は、セリスが初めて触れ合う「世界」だ。
 恐れずにその前に立ち、しっかりと目に焼き付けてみよう。

 ――わたしは「世界」を知りたい。

 走り込んだセリスの前に立っていたのは、離宮の者ではない。
 襟の高い象牙色のカフタンに、装飾性のない皮の腰帯。直剣を佩いている。
 白金色のやわらかそうな髪は、首の後ろで束ねているようだ。浅く焼けた細面に無骨な眼鏡をかけており、レンズの向こうの瞳は明るい茶色。その瞳が、驚いたように軽く見開かれていた。

(銀髪では……ない? 月の王子であるゼファード兄様ではないの? 誰……?)

 相手の目が、セリスの銀色の髪を確認したのを感じた。
 視線がぶつかる。
 その瞬間、音がすべて消えた。
 世界にはセリスと目の前の相手の二人だけしか存在しないかのような、永遠の一瞬。

「あなたは誰ですか?」

 先に口を開いたのはセリスで、自分でもびっくりするほど単純でぶしつけな質問をしてしまった。

「ラムウィンドス」

 即座に、低くかすれたような声が問いかけに答えた。
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