向日葵が向くのは、太陽じゃない。

第1章:届かない特等席

「想、おはよ!」
朝の教室。
きらきらとした初夏の光を背負って、日葵が僕の席へと駆け寄ってくる。
緩く巻かれた栗色の髪がふわリと揺れて、彼女のお気に入りのシトラスの香水が、僕の鼻腔をくすぐった。
「……おう、日葵。おはよ」
なるべく平然を装って、僕は文庫本から顔を上げる。
心臓がトクン、と大きく跳ねるのを悟られないように、椅子の背もたれに少し体重を預けた。
日葵は僕の幼馴染だ。
昔からずっと近くにいて、彼女の喜怒哀楽を誰よりも見てきた自信がある。
けれど――今の僕には、彼女の隣に立つ資格はない。
「ねえ聞いてよ想、昨日ね……」
嬉しそうにスマートフォンを差し出してくる日葵。
画面に映っているのは、流行りのカフェで撮ったツーショット写真。
日葵の隣で、気だるげに、でも整った顔でピースサインを作っている男。
日葵の彼氏――陽太だ。
「陽太、いっつも無愛想だけど、昨日はこのパフェ一口くれたんだ〜」
「へえ、よかったじゃん」
胸の奥が、ぎゅっと雑巾を絞るように締め付けられる。痛い。
日葵が笑ってくれるのは嬉しい。
彼女の笑顔は、僕にとって何よりの救いだ。
だけど、その笑顔を引き出しているのが僕じゃないという事実が、鋭い針のように胸に突き刺さる。
これが僕の、毎日の『特等席』。
一番近くで彼女の恋バナを聞かされる、残酷で、切ない、届かない場所。
「……あ、陽太だ! 想、また後でね!」
廊下を通りがかった陽太の姿を見つけるや否や、日葵は花が咲いたような笑顔で僕の元を去っていく。
陽太の腕にしがみつく日葵と、心底めんどくさそうに、でも彼女の頭をぽんぽんと叩く陽太。
それを見つめることしかできない僕は、ただ静かに、握りしめた拳をポケットの奥に隠した。
あいつの隣にいるのが、俺だったらいいのに――。
何度思ったか分からない、叶うはずのない願い。
でも、そんな僕たちの関係が、その日の放課後、静かに狂い始める。
「じゃあな、想。また明日」
「おう、気をつけて」
部活帰りの夕暮れ時。
誰もいなくなった渡り廊下を歩いていると、ふと、校舎の裏手につながる階段の踊り場に、見覚えのある人影が見えた。
日葵だった。
いつもならとっくに陽太と帰っているはずの時間なのに、なぜか一人でぽつんと佇んでいる。
「日葵……?」
声をかけると、彼女はびくりと肩を揺らし、ゆっくりと振り返った。
その瞬間、僕は息を呑む。
夕日に照らされた日葵の瞳が、じっと僕を見つめていた。いつも通りの幼馴染としての視線じゃない。
どこか切なげで、揺れ動いていて、僕の心の奥底を見透かそうとするような――そんな強い視線。
「……想」
日葵の声が、かすかに震えている。
いつも僕を見ていたはずの彼女の瞳に、今は、僕だけが映っていた。
「どうしたんだよ、そんなところで。陽太は?」
僕が問いかけると、日葵は一瞬だけ悲しそうに視線を落としたけれど、すぐにまた、まっすぐ僕の目を見つめ直した。
一歩、また一歩と、日葵が僕との距離を詰めてくる。
「……ううん。なんでもないの」
そう言うのに、日葵は僕の目の前で立ち止まり、じっと僕の顔を見つめ続けている。
静まり返った校舎に、僕の心臓の音だけがうるさく響く。
これは一体、どういうことだ……!?
日葵の引き止めようとするような視線に、僕の胸は、これまでとは違う意味で激しく締め付けられ始めていた。
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