君の隣。 〜一番愛した人の裏切り、泥沼のモラハラ彼氏。傷だらけの私を最後に救ったのは、出会って10年、ずっと私だけを思い続けてくれた「親友の元彼」でした〜

解けない震え

無事に模擬挙式が終わり、着替えるために柊と一旦別れた私は、女性スタッフの方と一緒に控え室へと戻った。

重いドレスのファスナーに手をかけようとしたその時、ドアが開いて明里が入ってきた。

「あ、お疲れ様! 後の着替えや片付けは私がやるから、大丈夫だよ。ありがとうね」

明里がスタッフの方へ優しく声をかけると、スタッフは「わかりました、よろしくお願いします」と笑顔で控え室を出て行った。

パタン、とドアが閉まる。
すると明里はすぐさまドアノブへ手を伸ばし、カチャリと静かに鍵をかけた。

「……柚那。どうしたの……? 様子がおかしいよ」

明里が真顔で歩み寄ってくる。
その視線が、私の手元に注がれた。

膝の上で重ねた私の指先が、自分でも気づかないうちにガタガタと酷く震えていた。

「あ、これは……っ」

慌てて震える手を隠そうとしたけれど、もう遅かった。
明里は私の両手を優しく包み込み、視線をまっすぐに合わせてくる。

「柚那……話して?」

親友の温かい温度とまっすぐな瞳に触れ、私の中で必死に張りつめていた糸がぷつりと切れた。
ボロボロと涙が溢れ出し、私は止まらないしゃくり上げを抑えながら、途切れ途切れに声を絞り出した。

「柊が……っ……あの日……すごく怒って……暴力、振るわれて……っ」

「——っ!?」

明里が息を呑み、ショックで目を見開く。

その時だった。
コンコン、と控え室のドアがノックされた。

『失礼いたします。新郎様のお着替えが終了いたしました』

ドアの向こうから聞こえた男性スタッフの声。間一髪のところで会話が中断される。
明里は一瞬で表情を引き締め、ドアに向かって声を張った。

「はーい! こちらももうすぐ終わりますので、少々お待ちください!」

スタッフの足音が遠ざかるのを確認すると、明里は素早く私の涙をティッシュで拭い、メイクボックスを開いた。

「柚那、今夜空いてる? 二人で話そう」

「でも……このあと、柊と一緒に帰ることになると思う……」

「大丈夫、私がなんとかするから」

明里はそう言うと、私の肩を力強く抱き寄せ、耳元で低く真剣な声をささやいた。

「……片付けが終わるまで、絶対に柊くんと二人きりになっちゃダメだよ。待ち時間も、絶対に人がいるオープンな場所に入るんだよ」

「……うん……っ」

明里がドアの鍵を解錠すると同時に、着替えを終えた柊が「おーい、まだか?」と機嫌よく入ってきた。

「あ、柊くん! 着替え早かったね。今ね、挙式用の濃いメイクから普段のナチュラルメイクにお直ししてるところだから、ちょっと待ってて!」

明里は何事もなかったかのようにプロの笑顔を向け、私の泣き跡を隠すようにパフで優しく肌を叩いていく。

「そうか。式用のメイクでもかわいかったけどなー」

満足そうに腕を組む柊に、明里はメイクの手を動かしながら、軽やかなトーンで話しかけた。

「ねえ、柊くん! 急なお願い受けてくれたお礼に、今夜柚那にご飯奢っちゃおうと思うんだけど……柚那のこと、借りていいかな?」

「え? 明里ちゃんと? どうせなら3人で美味いもんでも食いに行こうぜ。俺が奢るしさ」

「えー、ダメダメ! 今夜は私の彼氏の話を柚那に聞いてもらわなくちゃいけないの! 柊くんはまた今度ね!」

「なんだよ、それ。まあいいや、楽しんできなよ」

明里の前で『物分りの良い最高の彼氏』を演じたい柊は、カッコつけるように軽く肩をすくめて承諾した。

「着替えと片付けで1時間くらいかかっちゃうから、式場の前のカフェで待ってて!」

パフの陰で、明里がそっと私に目配せをする。その頼もしい瞳に、私は胸の奥で静かに救われる思いがしていた。

ーーーーーーーーーー

着替えとメイク直しを終えて式場を出ると、柊が当たり前のように私の隣に並んだ。

「じゃあ、明里ちゃんが来るまでそこのカフェで時間潰そうぜ」

「え……?」

明里との『二人きりになっちゃダメ』という言葉が脳裏をよぎり、息が止まる。
けれど、ここで拒絶して柊の機嫌を損ねたら、またあの恐ろしい暴力を振るわれるかもしれない。

「う、うん……」

断る勇気も持てないまま、私は柊に促されるように式場の目と鼻の先にあるカフェへと足を踏み入れた。

一番奥のテーブル席。周囲には他のお客さんもいるはずなのに、テーブルを挟んで向かい合う柊の存在感が、逃げ場のない圧迫感となって私にのしかかる。

「今日のドレス姿、マジで可愛かったな。やっぱり俺たち、最高にお似合いのカップルに見えただろ?」

柊は注文したコーヒーを一口飲むと、ご満悦な様子で自慢げに鼻を鳴らした。

「……うん」

引きつる口角で生返事を返しながら、私はテーブルの下で両手をぎゅっと握りしめていた。
グラスの水を持つことすらできない。手が震えているのを見られたら、また不機嫌になって怒鳴られる。

そんな私の怯えに気づく様子もなく、柊はどこまでも自分勝手な笑みを浮かべて身を乗り出してきた。

「なぁ……俺らの本当の結婚式が、今からマジで楽しみだな」

——っ!!

背筋に激しい寒気が走り、胃の奥から生温かい吐き気が込み上げてきた。
あの恐怖の夜を完璧に帳消しにし、自分の思い通りに私を縛りつけようとするその言葉。

(嫌……っ、絶対に嫌……!!)

「……そうだね」と答える声すら震え、私は冷や汗を流しながら、テーブルの下で爪が皮膚に食い込むほど拳を強く握りしめた。

たった一時間が、永遠の拷問のように思える地獄の時間だった——。
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