次の世界でも、私を探してくださいね。
17
今日の離山さまは何かおかしい。
何か言いかけては留まる、という奇妙なしぐさを繰り返しているように見える。
「あのう、何かご用事でしょうか」
竹香のほうから声をかけてみた。
「今度の休みはいつですか」
ようやく彼が口を開いた。
「来週ですが」
「来週ですか」
彼が考えこんでいる。
「あのう、どうしたましたか」
「私は町を見て歩きたいと思っているのですが、その休みの日、一緒に来てくれませんか」
竹香は離山にはお世話になっているし、よい人だとは思っている。でも、一緒に出かけるというのは、荷が重すぎる。
それに、役人には近づかないほうが安全な気がする。それに、個人的なことをあまり知られたくはない。
「わたし、その休みには用事があります」
「やっぱり。そうですよね。せっかくのお休みですから、もう予定がはいっていますよね、当然です」
離山のがっかりした様子を見て、竹香はかわいそうになった。
「休みには、中柿おじさんに届けるものがあるのです」
次の休みには、小菜から父親へのお小遣いを届ける予定なのだった。洗濯部にいた時、休みは2ヵ月に1度だったが、今は給料が上がっただけではなく、毎月、休みが取れるようになっていた。
「それはちょうどよかった」
「何がよかったのですか?」
離山は中柿おじさんを専用の車引きに雇ったのだという。おじさんの車で、町を案内してもらおうと計画していたのだ。
「ぼくは足が悪いからうまく歩くことができないからね。馬車があるけど、でも、馬車では外がうまく見えない。人力車のほうが小回りが利いて、どこへでも行けるから、とても便利なのです。おじさんには助けてもらっているのです」
「中柿おじさんの人力車で、町を見学ですか」
「一緒にどうですか。いやですか。人に見られたら、困りますか」
「いいえ、それは少しもいやじゃないです」
竹香の返事を聞いて、離山がほっと息を吐いて、うれしそうな顔をした。
「離山さまは困りませんか」
「何がですか」
「人の噂とか」
「人の噂がどうかしましたか」
「ああ、そうですよね。わたしがおそばに乗っていても、ご主人と女中にしか見えませんから、人の噂を心配することはないと思います」
「えっ」
離山が、きみはいったい何を考えているのだい、というような顔をした。
「だって、わたしみたいな女子が一緒だったら、みんなが何か言いますよ。そういうのって、結婚とか、出世の邪魔になるのではないですか」
「考えたこともないです。いつも竹香さんはそんなことを考えているのですか」
ああ。
竹香は恥ずかしくなったので、急いで話題を変えた。
「わたしも都に来たばかりの頃、おじさんに町を案内してもらったことがあります。釣りにも連れて行ってもらって、とても楽しかったです」
「釣りもよいですね」
「したことありますか」
「ないです」
というわけで、竹香の休みの日には、中柿おじさんの案内で町を見て回り、その後で釣りに行くことになった。
「楽しいそうだなぁ」
離山が子供のようにうれしそうだった。この役人は、想像以上に素直な人なのかもしれないと竹香は思った。
「はい。楽しい休みにしましょう」
その日、人力車に乗ったふたりは、途中の大きな銀杏の木のあるやしろに寄って、本堂の前で手を合わせた。
「何を祈りましたか」
と離山が振り向いた。
竹香がちょっと首を傾げた。
「ああ、そうですよね。願いごとは言ってはだめなのですよね」
「いいえ。神様がいらしたら、言ってはだめとか、そんな小さいことは気になさるはずがないでしょう」
「たしかに、そうです」
「わたしはこの幸せが、ずうっと続きますようにとお願いしました」
「そうですか」
「離山さまは」
「同じです」
「答えが早いです。わたしの真似しましたか」
「していませんよ。本当にそうお願いしたのですよ」
離山は料理人にお弁当を作らせて持参し、竹香はまたナツメ餅を作ってもって来た。
「これ好きです」
離山はお弁当のほうではなく、ナツメ餅を食べた。
竹香は釣り糸を垂らし続けている中柿に、お弁当を運んだ。
「こちらに来ればいいのに」
「いいのです。中柿おじさんは釣りが大好きだし、離山さまといると、緊張するんですって」
と竹香がくすくす笑った。
「どうして、私といると緊張するのですか」
「だって、偉いお役人だからですよ。それに、たくさんの難しい試験を全部一番で合格した人だなんて聞けば、誰だって緊張しますよ」
「そういうものなのですか。私は竹香さんに緊張しますけど」
「どうして。わたしに緊張するんですか」
「長いことこと、人と話をしていなかったからかな。男友達はひとりいたけれど」
「どんな人ですか」
「悪友です」
「離山さんは、試験に受かるために、勉強ばっかりだったのですか」
「そんなところです」
「わたし、前はとても緊張して話せなかった時があります」
「今は」
「今は、大丈夫です」
「前は話せなかったのですか」
「はい。特に男の方とはうまく口をきけなかったのですけれど、年齢のせいでしょうか。それとも、洗濯主任になったからでしょうか。洗濯部だからって洗濯をしていればいいというわけではないのですよ。いろんな文句はくるし、交渉とかも、あります」
「そうなのですか。大変だったのですか」
「いいえ、大丈夫。そういうのは、大丈夫」
「大丈夫でないことは何ですか」
「そうですね」
竹香が唇をぎゅっと結んで、空を見た。
「わたし、離山さんと違って、試験がだめでしたね」
「どんな試験が、だめだったのですか」
「特に、専門科目がひどかったんです。わたしの学校では1を取ったら追い出される規則なんですけれど、いつも危ういところでセーフ」
竹香が胸をなでおろす仕種をした。
「セーフって、何か特別なことをしたのですか」
「わたし、踊りが少し上手なので、それで助かったみたい」
「そうですか。その踊りを見せてください」
はははと笑って、竹香はダメダメと顔の前で手を振った。
「離山さまのお里はどこですか」
「山を越えた遠いところです。チーチーは」
「チーチー?」
「ああ、中柿さんがいつもそう言っているから、移りました。すみません。竹香さんでした」
「チーチーのほうがいいです。わたしの故郷も、遠いところです」
「ぼくも、別の名前がほしい。離山さまじゃなくて、別の呼び方を考えてください」
「そうですね。じゃ、外では、お兄さま、はどうですか」
「もっとほかのがよいけれど、せっかく決めてくれたので、お兄さんでよいことにします」
「では、お兄さん、その足はどうなさったのですか」
「怪我をしたんだ」
彼の口調が、お兄さんぽくなった。
「崖から落ちたのですか」
「そんなところだよ」
「わたしも前に崖から落ちたことがあります。骨折はなかったのですが、顔と手と足に怪我をしちゃいました」
「それで」
「先輩が助けてくれました」
「どんなふうにして」
「その人には特別な能力があって、治せるのです」
「その人は、ぼくの足も治せますかね」
「残念ですが、無理です。その人は遠いところにいる人なので」
「無理かぁ」
離山が頭の上で手を組んで笑った。
「チーチーはいくつですか」
「18です。お兄さんは」
「いくつだと思いますか」
「うーん、30くらい?」
離山の瞳があまりに驚いていたので、「冗談ですよ」と竹香が言った。
「30なわけがないです。30ならおじさんですよね。お兄さんは……26」
「うーん、そんなところです」
そう言って、離山が急にお弁当をひらいて食べ始めた。
彼が咳をしたので、そんなに急いで食べるからですよと竹香が背中を撫でると骨ばかりだった。
痛い、と彼が身をねじった。
「背中、どうかしましたか」
「いやいや、何でもない」
離山が何かしてほしいことはないかと訊いたので、後宮に母親がいるかもしれないので、もしいたのなら会いたいと話した。
後宮にはいった小菜がいろいろと調べてくれたのだけれど、「桃風」を知っている人を見つけることができないでいた。
「わかった、やってみるよ」
お兄さんって、なんてやさしくて、頼もしい人なのだろうと竹香は感心する。
竹香は遠くを見つめながら呟いた。
「お兄さんの足は、あそこに行けば、治してもらえるかもしれない」
冬氷は今頃、どうしているのだろうか。永剣はどうしているのだろうか。
何か言いかけては留まる、という奇妙なしぐさを繰り返しているように見える。
「あのう、何かご用事でしょうか」
竹香のほうから声をかけてみた。
「今度の休みはいつですか」
ようやく彼が口を開いた。
「来週ですが」
「来週ですか」
彼が考えこんでいる。
「あのう、どうしたましたか」
「私は町を見て歩きたいと思っているのですが、その休みの日、一緒に来てくれませんか」
竹香は離山にはお世話になっているし、よい人だとは思っている。でも、一緒に出かけるというのは、荷が重すぎる。
それに、役人には近づかないほうが安全な気がする。それに、個人的なことをあまり知られたくはない。
「わたし、その休みには用事があります」
「やっぱり。そうですよね。せっかくのお休みですから、もう予定がはいっていますよね、当然です」
離山のがっかりした様子を見て、竹香はかわいそうになった。
「休みには、中柿おじさんに届けるものがあるのです」
次の休みには、小菜から父親へのお小遣いを届ける予定なのだった。洗濯部にいた時、休みは2ヵ月に1度だったが、今は給料が上がっただけではなく、毎月、休みが取れるようになっていた。
「それはちょうどよかった」
「何がよかったのですか?」
離山は中柿おじさんを専用の車引きに雇ったのだという。おじさんの車で、町を案内してもらおうと計画していたのだ。
「ぼくは足が悪いからうまく歩くことができないからね。馬車があるけど、でも、馬車では外がうまく見えない。人力車のほうが小回りが利いて、どこへでも行けるから、とても便利なのです。おじさんには助けてもらっているのです」
「中柿おじさんの人力車で、町を見学ですか」
「一緒にどうですか。いやですか。人に見られたら、困りますか」
「いいえ、それは少しもいやじゃないです」
竹香の返事を聞いて、離山がほっと息を吐いて、うれしそうな顔をした。
「離山さまは困りませんか」
「何がですか」
「人の噂とか」
「人の噂がどうかしましたか」
「ああ、そうですよね。わたしがおそばに乗っていても、ご主人と女中にしか見えませんから、人の噂を心配することはないと思います」
「えっ」
離山が、きみはいったい何を考えているのだい、というような顔をした。
「だって、わたしみたいな女子が一緒だったら、みんなが何か言いますよ。そういうのって、結婚とか、出世の邪魔になるのではないですか」
「考えたこともないです。いつも竹香さんはそんなことを考えているのですか」
ああ。
竹香は恥ずかしくなったので、急いで話題を変えた。
「わたしも都に来たばかりの頃、おじさんに町を案内してもらったことがあります。釣りにも連れて行ってもらって、とても楽しかったです」
「釣りもよいですね」
「したことありますか」
「ないです」
というわけで、竹香の休みの日には、中柿おじさんの案内で町を見て回り、その後で釣りに行くことになった。
「楽しいそうだなぁ」
離山が子供のようにうれしそうだった。この役人は、想像以上に素直な人なのかもしれないと竹香は思った。
「はい。楽しい休みにしましょう」
その日、人力車に乗ったふたりは、途中の大きな銀杏の木のあるやしろに寄って、本堂の前で手を合わせた。
「何を祈りましたか」
と離山が振り向いた。
竹香がちょっと首を傾げた。
「ああ、そうですよね。願いごとは言ってはだめなのですよね」
「いいえ。神様がいらしたら、言ってはだめとか、そんな小さいことは気になさるはずがないでしょう」
「たしかに、そうです」
「わたしはこの幸せが、ずうっと続きますようにとお願いしました」
「そうですか」
「離山さまは」
「同じです」
「答えが早いです。わたしの真似しましたか」
「していませんよ。本当にそうお願いしたのですよ」
離山は料理人にお弁当を作らせて持参し、竹香はまたナツメ餅を作ってもって来た。
「これ好きです」
離山はお弁当のほうではなく、ナツメ餅を食べた。
竹香は釣り糸を垂らし続けている中柿に、お弁当を運んだ。
「こちらに来ればいいのに」
「いいのです。中柿おじさんは釣りが大好きだし、離山さまといると、緊張するんですって」
と竹香がくすくす笑った。
「どうして、私といると緊張するのですか」
「だって、偉いお役人だからですよ。それに、たくさんの難しい試験を全部一番で合格した人だなんて聞けば、誰だって緊張しますよ」
「そういうものなのですか。私は竹香さんに緊張しますけど」
「どうして。わたしに緊張するんですか」
「長いことこと、人と話をしていなかったからかな。男友達はひとりいたけれど」
「どんな人ですか」
「悪友です」
「離山さんは、試験に受かるために、勉強ばっかりだったのですか」
「そんなところです」
「わたし、前はとても緊張して話せなかった時があります」
「今は」
「今は、大丈夫です」
「前は話せなかったのですか」
「はい。特に男の方とはうまく口をきけなかったのですけれど、年齢のせいでしょうか。それとも、洗濯主任になったからでしょうか。洗濯部だからって洗濯をしていればいいというわけではないのですよ。いろんな文句はくるし、交渉とかも、あります」
「そうなのですか。大変だったのですか」
「いいえ、大丈夫。そういうのは、大丈夫」
「大丈夫でないことは何ですか」
「そうですね」
竹香が唇をぎゅっと結んで、空を見た。
「わたし、離山さんと違って、試験がだめでしたね」
「どんな試験が、だめだったのですか」
「特に、専門科目がひどかったんです。わたしの学校では1を取ったら追い出される規則なんですけれど、いつも危ういところでセーフ」
竹香が胸をなでおろす仕種をした。
「セーフって、何か特別なことをしたのですか」
「わたし、踊りが少し上手なので、それで助かったみたい」
「そうですか。その踊りを見せてください」
はははと笑って、竹香はダメダメと顔の前で手を振った。
「離山さまのお里はどこですか」
「山を越えた遠いところです。チーチーは」
「チーチー?」
「ああ、中柿さんがいつもそう言っているから、移りました。すみません。竹香さんでした」
「チーチーのほうがいいです。わたしの故郷も、遠いところです」
「ぼくも、別の名前がほしい。離山さまじゃなくて、別の呼び方を考えてください」
「そうですね。じゃ、外では、お兄さま、はどうですか」
「もっとほかのがよいけれど、せっかく決めてくれたので、お兄さんでよいことにします」
「では、お兄さん、その足はどうなさったのですか」
「怪我をしたんだ」
彼の口調が、お兄さんぽくなった。
「崖から落ちたのですか」
「そんなところだよ」
「わたしも前に崖から落ちたことがあります。骨折はなかったのですが、顔と手と足に怪我をしちゃいました」
「それで」
「先輩が助けてくれました」
「どんなふうにして」
「その人には特別な能力があって、治せるのです」
「その人は、ぼくの足も治せますかね」
「残念ですが、無理です。その人は遠いところにいる人なので」
「無理かぁ」
離山が頭の上で手を組んで笑った。
「チーチーはいくつですか」
「18です。お兄さんは」
「いくつだと思いますか」
「うーん、30くらい?」
離山の瞳があまりに驚いていたので、「冗談ですよ」と竹香が言った。
「30なわけがないです。30ならおじさんですよね。お兄さんは……26」
「うーん、そんなところです」
そう言って、離山が急にお弁当をひらいて食べ始めた。
彼が咳をしたので、そんなに急いで食べるからですよと竹香が背中を撫でると骨ばかりだった。
痛い、と彼が身をねじった。
「背中、どうかしましたか」
「いやいや、何でもない」
離山が何かしてほしいことはないかと訊いたので、後宮に母親がいるかもしれないので、もしいたのなら会いたいと話した。
後宮にはいった小菜がいろいろと調べてくれたのだけれど、「桃風」を知っている人を見つけることができないでいた。
「わかった、やってみるよ」
お兄さんって、なんてやさしくて、頼もしい人なのだろうと竹香は感心する。
竹香は遠くを見つめながら呟いた。
「お兄さんの足は、あそこに行けば、治してもらえるかもしれない」
冬氷は今頃、どうしているのだろうか。永剣はどうしているのだろうか。