次の世界でも、私を探してくださいね。
27
今夜の離山はより険しい顔をしていると、アミノはお茶と菓子を運びながら思った。
「だんな様、何かございましたか」
「いいや」
「アミノにはわかりますよ。あのお嬢様、竹香さまのことでございますね」
離山は振り返って、アミノには何でも見透かれてしまうと苦笑した。
離山が十六雲冠山から来た元仙師だということをアミノだけは知っている。彼が優しいこと、若くして官吏試験にかつてない成績で合格したことだけではなく、何か強い意志をもって仙師を退身してまで人間界に来た青年のことを、アミノは息子のように愛しく思い、また尊敬もしている。
離山は少しはにかみながら、明日の夜、竹香が遠音皇子の前で踊るのだということを話した。
「遠音皇子さまは次の国王候補の殿下でいらっしゃいますね。まだ王太子に立たれていないのは、……」
アミノはここまで言って、言葉を止めた。
「大丈夫でございますよ。竹香さまはしっかりしていらっしゃいますから」
離山が小さく横に首を振った。
「ああ、そうでございますよね。性格がしっかりなさっているのと、そちらのしっかりしているは別でございますから。このアミノもしっかりしていると言われながら、男では3度も失敗しておりますから」
アミノがはっとして、話をやめた。
「私、何を申しあげているのでしょう」
「アミノは、全然慰めてくれていないですよ」
そう言いながらも、離山の表情が和らいだ。
「すみません。何かいいことを言おうとして、かえって墓穴を掘ってしまいました」
「その3度の失敗って、何ですか」
「全然おもしろくも、役に立つ話でもありませんから」
「いいや。役に立っていますよ。笑いましたから」
彼はアミノが運んできたナツメ餅に手を伸ばした。
「お好きなようなので、作ってみました」
「うん、うまい。アミノのも、うまい」
「でも、竹香さんのナツメ餅が一番なのでしょう」
「いいや。ただチーチーの餅には思い出があるから、懐かしい味なんだ」
「どんな思い出でございますか。アミノに話してくださいませんか」
「今夜ですか」
「はい。今日の夜は特に長いですから、思い出のひとつくらい話してくださってもよいのではありませんか」
離山は蝋燭を眺めながら少し逡巡した後、
「そうしようか」
とぽつぽつと話し始めたのだった。
それは冬氷と竹香がまだ学校の年少組にいた頃のこと、彼が荷物をまとめて、家出をしたことがあった。
もう帰らないつもりだったから、冬氷は竹香の家に現れて「さよなら」を言いに行った。彼が急にいなくなったら、竹香が悲しい思いをするだろうと心配したからだった。すると、竹香は「さよならなんか、いやだ」と後をついて来た。
「帰れよ。ぼくはひとりで行くんだ」
「ぜったいに、わたしも行く」
「ぼくは遠いところへ行くんだ」
「うん。わたしも行く」
竹香は後ろから、とことこと、どこまでもついて来た。
「うちで心配してるよ」
「うちは、誰も心配しない」
「怒られるよ」
「怒られるのなんか、なれてる」
「仕方のないやつだなぁ」
森は暗くなると表情を変え、魔物が出そうでこわかったが、その日はそこで夜宿することになった。竹香がもっていたナツメ餅を分けて食べた。
「キャプテン、どこに行くの?」
「お母さんのいるところだ。会ってから、遠いところに行くんだ」
冬氷が恥ずかしそうに言った。
「お母さんはどこ?」
「仙界のはずれにある遠い村にいるんだ」
「どうして生きているのに、別れて暮らしているの?」
「家にはそういう規則があるんだ」
「一緒に住めないなんて、変な規則」
「勉強が一番の家だから、勉強の邪魔になることはしないんだ」
冬氷は自分が智修宗家の長男で、その責任がどれだけ重いかを話した。「冬氷」という名前も、仙界の秘湖「冬氷湖」からきていて、仙界中から、自分がどれだけ期待されていることか。それに応えられずはずがないし、そんな毎日に耐えきれないのだと言った。
「期待されているのも、大変なんだね」
「そうだよ」
朝から寝るまで日課があり、たくさんの規則でいっぱいなのだ。母親に会えるのも、1年に1度。
「もっとお母さんに会ったっていいだろ」
「でも、会えるんでしょ。わたしなんか、全然会えないんだから」
「チーチーには、ぼくの気持ちなんか、わかんないさ」
「わかんない。でも、キャプテンも、わたしの気持ちなんか、わかんない。わたしにはお母さんがいなだけじゃなくて、わたし、ハーフなんだよ」
「そうか、チーチーはハーフだった」
「学校でひとりだけだよ、空を飛べないのなんか」
「飛び方、教えてやるよ。あんなの簡単だから」
「キャプテンには簡単でも、わたしには不可能なの。できる人にはわからないけど、どんなに練習しても、だめ、そういうことってある」
「そうか」
「そうだよ。キャプテンは何でもできるし、みんなから好かれている。期待されているんだよ」
焚火の炎が、竹香の顔に赤く映っていた。
「キャプテンはお母さんに会ったら、それからどうするの」
「ぼくは仙界を飛び出して、別の世界に行くんだ。ぼくは鳥みたいに、自由になりたいんだ」
「仙師は、この山からは出られないのよ」
「そんなこと、やってみないと、わからないだろ」
「じゃ、キャプテンが山を出る時には、わたしも、出る」
「チーチーはここにいたほうがいいよ」
「いやだ。わたし、キャプテンがいなくなったら、友達がひとりもいなくなるんだよ」
「どうして、他に友達がいないの?」
「わからない」
「そんなにかわいいのに」
「わたし、かわいい? かわいかったら、どうしてみんな、いじめるの?でも、なんか、うれしくなってきた」
「これからは、ぼくがチーチーを守るから。いじめられたら、言ってきな」
「ほんと」
「チーチーはここを飛び出したら、どこに行きたい?」
「海というものが見たい」
「じゃ、お母さんに会った後、海に行こうか」
「行く」
しかし、その時、智修家の一団が探しにきたので、チーチーは木の陰に身を隠した。
「女子がそばにいるとわかったら、何を言われるかわかんないから」
「チーチーはひとりで、大丈夫なのかい」
「平気。ひとりは慣れている」
アミノは離山の話をじっと聞いて、頷いた。
「だから、竹香さまをお守りしたいと考えていらっしゃるのですね。でも、明日、遠音殿下に会いに書かれても、皇子が竹香さんに、襲いかかるというわけではありませんでしょう」
そうだなと離山は思った。
皇子の前で、踊りを披露して、帰ってくるだけの話だ。
「では、次はアミノの番だよ」
「何でございましたか」
とアミノがとぼけた。
「だんな様、何かございましたか」
「いいや」
「アミノにはわかりますよ。あのお嬢様、竹香さまのことでございますね」
離山は振り返って、アミノには何でも見透かれてしまうと苦笑した。
離山が十六雲冠山から来た元仙師だということをアミノだけは知っている。彼が優しいこと、若くして官吏試験にかつてない成績で合格したことだけではなく、何か強い意志をもって仙師を退身してまで人間界に来た青年のことを、アミノは息子のように愛しく思い、また尊敬もしている。
離山は少しはにかみながら、明日の夜、竹香が遠音皇子の前で踊るのだということを話した。
「遠音皇子さまは次の国王候補の殿下でいらっしゃいますね。まだ王太子に立たれていないのは、……」
アミノはここまで言って、言葉を止めた。
「大丈夫でございますよ。竹香さまはしっかりしていらっしゃいますから」
離山が小さく横に首を振った。
「ああ、そうでございますよね。性格がしっかりなさっているのと、そちらのしっかりしているは別でございますから。このアミノもしっかりしていると言われながら、男では3度も失敗しておりますから」
アミノがはっとして、話をやめた。
「私、何を申しあげているのでしょう」
「アミノは、全然慰めてくれていないですよ」
そう言いながらも、離山の表情が和らいだ。
「すみません。何かいいことを言おうとして、かえって墓穴を掘ってしまいました」
「その3度の失敗って、何ですか」
「全然おもしろくも、役に立つ話でもありませんから」
「いいや。役に立っていますよ。笑いましたから」
彼はアミノが運んできたナツメ餅に手を伸ばした。
「お好きなようなので、作ってみました」
「うん、うまい。アミノのも、うまい」
「でも、竹香さんのナツメ餅が一番なのでしょう」
「いいや。ただチーチーの餅には思い出があるから、懐かしい味なんだ」
「どんな思い出でございますか。アミノに話してくださいませんか」
「今夜ですか」
「はい。今日の夜は特に長いですから、思い出のひとつくらい話してくださってもよいのではありませんか」
離山は蝋燭を眺めながら少し逡巡した後、
「そうしようか」
とぽつぽつと話し始めたのだった。
それは冬氷と竹香がまだ学校の年少組にいた頃のこと、彼が荷物をまとめて、家出をしたことがあった。
もう帰らないつもりだったから、冬氷は竹香の家に現れて「さよなら」を言いに行った。彼が急にいなくなったら、竹香が悲しい思いをするだろうと心配したからだった。すると、竹香は「さよならなんか、いやだ」と後をついて来た。
「帰れよ。ぼくはひとりで行くんだ」
「ぜったいに、わたしも行く」
「ぼくは遠いところへ行くんだ」
「うん。わたしも行く」
竹香は後ろから、とことこと、どこまでもついて来た。
「うちで心配してるよ」
「うちは、誰も心配しない」
「怒られるよ」
「怒られるのなんか、なれてる」
「仕方のないやつだなぁ」
森は暗くなると表情を変え、魔物が出そうでこわかったが、その日はそこで夜宿することになった。竹香がもっていたナツメ餅を分けて食べた。
「キャプテン、どこに行くの?」
「お母さんのいるところだ。会ってから、遠いところに行くんだ」
冬氷が恥ずかしそうに言った。
「お母さんはどこ?」
「仙界のはずれにある遠い村にいるんだ」
「どうして生きているのに、別れて暮らしているの?」
「家にはそういう規則があるんだ」
「一緒に住めないなんて、変な規則」
「勉強が一番の家だから、勉強の邪魔になることはしないんだ」
冬氷は自分が智修宗家の長男で、その責任がどれだけ重いかを話した。「冬氷」という名前も、仙界の秘湖「冬氷湖」からきていて、仙界中から、自分がどれだけ期待されていることか。それに応えられずはずがないし、そんな毎日に耐えきれないのだと言った。
「期待されているのも、大変なんだね」
「そうだよ」
朝から寝るまで日課があり、たくさんの規則でいっぱいなのだ。母親に会えるのも、1年に1度。
「もっとお母さんに会ったっていいだろ」
「でも、会えるんでしょ。わたしなんか、全然会えないんだから」
「チーチーには、ぼくの気持ちなんか、わかんないさ」
「わかんない。でも、キャプテンも、わたしの気持ちなんか、わかんない。わたしにはお母さんがいなだけじゃなくて、わたし、ハーフなんだよ」
「そうか、チーチーはハーフだった」
「学校でひとりだけだよ、空を飛べないのなんか」
「飛び方、教えてやるよ。あんなの簡単だから」
「キャプテンには簡単でも、わたしには不可能なの。できる人にはわからないけど、どんなに練習しても、だめ、そういうことってある」
「そうか」
「そうだよ。キャプテンは何でもできるし、みんなから好かれている。期待されているんだよ」
焚火の炎が、竹香の顔に赤く映っていた。
「キャプテンはお母さんに会ったら、それからどうするの」
「ぼくは仙界を飛び出して、別の世界に行くんだ。ぼくは鳥みたいに、自由になりたいんだ」
「仙師は、この山からは出られないのよ」
「そんなこと、やってみないと、わからないだろ」
「じゃ、キャプテンが山を出る時には、わたしも、出る」
「チーチーはここにいたほうがいいよ」
「いやだ。わたし、キャプテンがいなくなったら、友達がひとりもいなくなるんだよ」
「どうして、他に友達がいないの?」
「わからない」
「そんなにかわいいのに」
「わたし、かわいい? かわいかったら、どうしてみんな、いじめるの?でも、なんか、うれしくなってきた」
「これからは、ぼくがチーチーを守るから。いじめられたら、言ってきな」
「ほんと」
「チーチーはここを飛び出したら、どこに行きたい?」
「海というものが見たい」
「じゃ、お母さんに会った後、海に行こうか」
「行く」
しかし、その時、智修家の一団が探しにきたので、チーチーは木の陰に身を隠した。
「女子がそばにいるとわかったら、何を言われるかわかんないから」
「チーチーはひとりで、大丈夫なのかい」
「平気。ひとりは慣れている」
アミノは離山の話をじっと聞いて、頷いた。
「だから、竹香さまをお守りしたいと考えていらっしゃるのですね。でも、明日、遠音殿下に会いに書かれても、皇子が竹香さんに、襲いかかるというわけではありませんでしょう」
そうだなと離山は思った。
皇子の前で、踊りを披露して、帰ってくるだけの話だ。
「では、次はアミノの番だよ」
「何でございましたか」
とアミノがとぼけた。