次の世界でも、私を探してくださいね。

30

遠音皇子は宮殿の部屋に帰ると、どうにか上着の片腕だけを脱いだまま、寝台に力が抜けたように背中を丸めて座った。
 動きたくない。何もかも億劫だ。

 自分はとても不幸な気がする。
 結局のところ、いつもこうなる。
 権力を持った国王と美しい妃の嫡男として生まれ、すべてをもっているはずなのに、木枯らしのような寂寥の風がいつも胸に吹いている。
 
 自分がこんな気持ちで日々を暮らしていることなど、世の中の誰にも想像すらできないだろう。
 母は若くして生命を絶ったが、今になれば、その根本の原因が、自分にはわかるような気がする。
 自分の中にも、その憂鬱の血が流れている。

 それを救ってくれていたのが大鶴《ダイカク》という女官だった。大鶴は亡くなった乳母の姪で8歳年上、子供の頃からよく世話をしてくれたのだが、今は宮廷を出て、町中にひっそりと住んでいる。
乳母から厳命されたのか、私を本心好いてくれたからなのか、どんなに時も、その優しい言葉をかけて励まし続けてくれた。

 もともとは小鶴という名前だったが、私が20歳の頃、初の女性問題を起こした時、そのごたごたをうまく処理してくれた。そのことに大感激をして、私が「大鶴」という名前を授けたのだが、父王からは考えが性急すぎると叱られた。君子になるものは、感情の起伏を抑えるものだと。

 大鶴がいなかったら、私はここまで生きてはこられなかった。4年前には男子が生まれたこともあり、彼女は一生私の陰にいて支えてくれるものだとばかり思っていた。自分の人生には、大鶴は必要なのだ。
 
 その大鶴がこのところ、おかしい。
 まるで愛想をつかしたように、夜更けに行ってやってもよい顔をしない。
 子供の世話で忙しいし、こちらは行ってもぐだぐだとしゃべるだけだから、いやになる気持ちがわからないことはないが、これまではつまらない話を聞いて笑ったり、慰めたりしてくれたではないか。

 息子の鶴音が生まれた時、大鶴は、私が早く皇太子になり、やがては国王になり、鶴音にそのあとを継がせたいという情熱を見せていた時もあったが、最近はそういうことは一切言わない。
 私の無気力な締りのない生活ぶりを見て落胆し、飽き飽きしてしまったのかもしれない。
 最近では、もう都にはいたくないという空気すら伝わってくる。
「幸せって、何なのでしょうね」
 と言って、ため息をついたりする。

「故郷に帰って、心穏やかに暮らしたい」
 などと言うから、こちらは冷静さを失ってしまいそうになる。

 私からの援助がなくては暮らしていけないただろうと脅したことがあるが、「つつましく暮らすだけの蓄えはありますから、ご心配には及びません」
 などと答える。
 これまではなかったことだ。
 前は、他の女のところに行った帰りに寄ったとしても、温かく迎えてくれたではないか。私は変化に弱いのだ。内心、おたおたする。

 昨夜は竹香の踊りを見て、久しぶりによい気分になっていたというのに、離山という邪魔がはいった。そのまま寝る気分ではないから、大鶴のところに出かけて、あれこれと愚痴を並べたら、
「いい加減にしてくださいませね」
 と言いながら、鼻で笑ったようだった。
 不愉快だ。

「私はね、大鶴からだけは、いやな気持にされたくはないのだよ」
 遠音皇子は本音を言った。

「私はあなた様のゆりかごではありませんわ」
 昨夜の大鶴には同情しようとするところが、まったく見られなかった。

 私だって、何とかしなければならないのはわかっている。
 しかし、やろうと思う時はあるのだが、不治病を宣言された人のように、やる気が起きてこないのだ。
 これまでは、やる気を起こさせるのが大鶴の役目だったのに、肝心な任務を放棄してしまったのか。

 大鶴は子供がまた風邪をひいたので、その様子を見に行くと部屋を出ていったまま、戻ってこなかった。
 遠音皇子は仕方なくひとりで寝て、朝方に宮廷に戻ってきた。その日は午前中に、父王と会うことになっている。ふたりの義弟もやってくるから、兄としてはそれなりの身支度を整えて、弟を威圧しておかねばならないのだ。
 
 ああ、面倒くさい。
 不満の蓄積、睡眠不遜、早起き、すべてがいやだ。
 多くが自分勝手から発していることは知ってはいるが、どこからこんがらがってしまった糸玉から先端の1本を探し出していけばよいのか、それを考えるのが面倒だ。
 何もかもいやになり、周りが動いて、自分のところに吉が舞い込んでこないのなら、ここで人生やめてやってもいいぜ、という孤独と厭世の風が吹く。
 どうしようもない自分だと、鏡を見ると、ますますいやになる。正気のない顔をしている。これでは、弟に負ける。
 今年も春はやってくるというのに、自分には春などやってこない。

 そう思った時、昨夜の竹香の踊りを思いだした。
 あれは舞いと音楽が合っていて、たまらなく嬉しさを感じた時間だった。
 そうだ、会議の前に、芍薬麗園に行ってみよう。気持ちが晴れてくるかもしれない。

 そこで遠音皇子は礼服に着替えてから芍薬麗園に行ってみると、下働きのふたりが働いていたが、竹香の姿がなかった。
 皇子は塀の陰に隠れて、様子を見ていた。

 その時、「すみません」と言いながら、竹香が走ってきた。
 息を切らして、はぁはぁと息を切らして、咳などしている。
「ごめんなさい。二度寝したら、寝坊しちゃいました」
 竹香がぺこりと頭を下げた。
 皇子は、その仕草がかわいいと思って、ふふっと笑いそうになった。

 しかし、待てよ。
 遠音皇子の脳裏に疑念が沸き上がって、顔をゆがめた。
 そうだ、昨夜は離山が竹香を部屋まで、送っていったはずではないか。
 しかし、今朝、離山とはおかしな時刻に門のところですれ違った。離山は、いったいどこで寝たのだ。そして、竹香が珍しく寝坊をした。
 離山は仕事熱心な男だとばかり思っていたが、とんでもない不埒ものなのかもしれない。

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