次の世界でも、私を探してくださいね。

53

竹香はふたつの峰を歩き、飛び、また歩いて谷を越えていった。飛ぶのがだんだんとうまくなっていくのがわかった。
 今頃飛べるようになるなんて、信じられない。年少組の最初の授業でひとりだけできなかったから、自分はできないものだと信じてしまったのかもしれなかった。
 
 飛べるようになったといっても、2つ目の峰にたどり着く頃には、足がつって岩のようになってしまった。痛い。どうしよう。
 
 別れる時に、永剣が言ったその声が聞こえる。
「何としても、冬氷に会うんだ、諦めるなよ、どんなことをしても、前に進むんだ」
 
そう、わたしは行く。どうしても、行く。
 そして、キャプテンに会う。
 わたしだって仙女子なのだから、と竹香は懸命に足を揉んで、また歩き出した。

 目の前に湖が見えた。
 ようやく、たどり着いたようだ。湖は薄青い氷のような色をしている。岩に「冬氷秘湖」、その下に、「仙師たる者、ここより入れ。しばしの休息ありて、次の世界へ」と刻まれている。
 ここが次の世界の入口らしい。
 
 新しい血痕が落ちていた。キャプテンのに違いない。
 つまり、彼はここから飛び込んだということなのだ。
 竹香も急がなくてはならない。彼が次の世界に行く前に、どうしても会いたい。ありがとう。愛しているって、伝えたい。
 休んでいる暇はないのだ。
 竹香は冷たい湖に、飛び込んだ。
 
 気がつくと、もう水の中ではなく、雲の中のような白い世界だった。
 わたし、死ななかったらしい。それとも、ここが死後の世界というところなのかしら。
 ここでは、わたしがひとりなのだろうか。
 どこへ行けばよいのだろう。どこから、キャプテンがいるのだろうか。
 ただひたすらまっすぐに歩いていくと、白い布に包まれて横たわっている人が見えた。

「キャプテン」 
 
 冬氷だ。
 間に合った。
 竹香は名前を大声で呼びながら、駆けて行った。

「キャプテン」
 竹香がはぁはぁ言いながら、顔を冬氷に近づけた。

「死んでる?」
 竹香が彼に顔を近づけて、目を見開いた。
 
 キャプテン、
 今でも、わたしの瞳に、灯が見えますか。

「死んでないよ」
 冬氷がほんのりと笑った。

 ここは笑ってもよい世界なのだ、と竹香はなんだか少しほっとした。
「キャプテン、会えたね」

「チーチー、ここまで来れたのかい。まさか。すごいね」
「わたし、仙女子なのよ。能力が開花するのが遅かったけど、飛べるんだよ、わたし」
「飛べるのかい」
 
 竹香は彼のそばに座ってその額に触れた。
「キャプテン、ここまですごく大変だったね。ケンケンが教えてくれたんです」
「あいつめ……」
「そんなことできるの、キャプテンしかいない」
 竹香が彼の額にかかっていた前髪を横に流した。

「あんなの、平気だよ」
 彼は目を閉じたまま、小さく笑った。
「わたしのために、ありがとうございます」
 ははは、と冬氷が笑って目の端を抑えた。

「チーチー、よくここまで来れたね」
「キャプテンがくれた笛を吹いたら、ケンケンが現れて、途中まで送ってくれたの」
「あいつ」
「ケンケンは総仙督になったら、改革をして仙師が人間界に行かれるようにするんだって。キャプテンの足を治してあげようとしてたのよ」
「どこまで馬鹿なんだ、あいつは」
 このふたりは相手のことを「あいつ」と呼び、「馬鹿」だと繰り返している。

「キャプテンとケンケンは、最高の友達ですね」
「悪友だ」
 はははと冬氷が笑った。
 
 冬氷はすっかり疲れて、目を閉じている。もう話せない。
「わたし、キャプテンとずうっと一緒にいたい」
 彼が目を半分あけて、竹香の頭をやさしく撫でた。
「チーチーが泣くとこは見たくないよ」
「うん。もう泣かないから」

「今はこんなになっちゃったけど、次の世界では、かっこいいキャプテンだからな」
「キャプテンはいつだって、かっこかいい。一番だよ」
 そんなことはない、と冬氷が首を横に小さく振って笑った。

「あのね、離山さまが洗濯場に現れた時、すてきすぎて、わたし、たらいに落ちちゃったんだよ。覚えてる?」
 いいや、と冬氷がまた首を横に振った。

「わたし、すてきな人の前だと、口がきけなくなっちゃうタイプなの」
「チーチーは、いつだって、おもしろいなぁ」
「わたしね、もっとおもしろいこと言えるんだよ。言うだけじゃなくて、踊るし、歌だって歌っちゃうんだからね」
「すごいな」
「わたしも次の世界に行けるのかしら。キャプテンと同じ世界に行けるのかしら。次の世界で会ったら、わたし、もっともっとたくさんおもしろいことを言って、踊って……」
 
 冬氷の首が、かくんと横に落ちた。
「キャプテン、まだ行かないで。まだ言いたいことがたくさんあるの」
 竹香が身体を揺すった。まだ言いたいことがあるのに。行ったらだめー。だめだって。

 冬氷が目を少しあけた。
「だれ」
 彼は失神していたのだろうか。あぶなかった。
「竹香、竹香よ」
「ああ、なんか寝てた。チーチー、来れたんだったね」
 冬氷が微笑んだ。

「わたしも、次の世界に行くからね」
 うん。
「来い。必ず来い」
「行く。ぜったいに行く。今度の時には、目いっぱいかわいく登場するから、どんなきれいな子がいても、必ずわたしを見つけてね」
 うん、と彼が頷いた。

 彼は頷いて、左の手首に巻いていた青い紐をほどこうとしたから、竹香が手伝った。その青い紐は、彼がいつも後ろ髪につけていた智修家の組紐の一部分だった。
 冬氷はそれを竹香の髪にしばった。
「それをつけていて。必ず見つけるから」
「うん。ずうっとつけている」
 竹香が手で紐を抑えて確認した。

「今度は、わたしがキャプテンを見つけたい。どうやって、見つければいい?」
 冬氷は唇を結んで、
「ここを噛んで」
 と白い腕を出した。

「噛んだって、すぐに消えちゃうよ」
「消さない」
「わかった」
 竹香は冬氷の痩せた腕に、くっきりと歯形をつけた。
「わたし、この印の人を見つけます」
 うん。

「次の世界で、わたし達、必ず、会います」
 竹香が冬氷の顔を両手で包んで、キスをした。
 うん。
「今度はわたしのほうが先に、キャプテンを見つけます。ぜったい、先に、見つけてみせるから」
「うん。よろしく頼むよ」

 さぁ、少し休もうと冬氷が目を閉じた。
 竹香は彼の身体を抱きながら、目を閉じた。
 次の世界で、また会えるよね。

  竹香は目を閉じている冬氷のそばで、ずっと話を続けていた。話題がなくなると、ナツメ饅頭のことや、洗濯のことも。
 キャプテンがこの世界を出ていく最後の瞬間まで、自分の声を聞いていてほしかったから。覚えていてほしかったから。
「ねっ、キャプテン、もっとたくさんの約束をして。次の世界で、見つけやすいように」
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