終着駅のワンナイトは終わらない〜策士なイメチェン元後輩(一見ワンコ)の執着に囚われました〜【一話から】

17. 終着駅での恋(終)

 コンペはその時点で結論を出すものだった。ワンマン経営だからというのが大きい。
 全ての業務連絡が終わった後で、雪那は玲司に呼び止められた。

 「さすが雪那さん……まさかあんなふざけたコンセプトで負けると思わなかった。そもそも何?業務管理システムにコンセプトって」
「無味無臭の管理システムだからこそ遊び心がある方が現場は喜ぶんじゃないかと思って……随分以前に、社長の講演に行ったことがあってね、創造が全てだ、従業員への投資は惜しまない、株は売らないって、それはもう熱弁していたのを思い出したの」
「無駄で創造力を掻き立てる、か。全く思いつかない発想だった」
「玲司くんは合理性が好きそうだからね」
「……これを雪那さんと考えた奴がいるって思うとそいつを消したくなる」

 玲司が銀縁メガネの真ん中を指先で持ち上げた。あまり冗談には聞こえないのは怖い。ちょっと身を引いた雪那に、玲司はすぐ苦笑した。

「負けは、負けです。潔く引きますよ、桐谷さん」
「…………物分かりが良過ぎない?」
「悪くていいなら悪くなりますけど」
「よくない」
「でしょう?……雪那さん、いい顔してる。また肌荒れしてるけど、でも、俺といた時とは比べ物にならないくらい、生き生きしていい笑顔だった。俺が本当に見たかった雪那さんだって、勝てないなって思った。ほんっと、勝つって言いながら、負けるなんてダサくて。カッコ悪いけど……でも、よかった」

 玲司は今は外面モードだから微笑みは絶やさない。ただレンズの向こうで瞳が揺れていた。体の横にある手も拳て震えていた。

「……私ね、玲司くんといて楽しかった。本当に、楽しかった。好きだったよ。多分ね、今までて付き合った人の中で、一番。ダントツに、好きになってた」
「……ありがとうございます」
「こちらこそ。ありがとうございます。たくさん助けてくれてありがとう」

 手を差し出すと、玲司が少し迷ってから差し出し返してきた。ぎゅっと強く握手を交わした。
 雪那が手を引こうとしても、玲司が離してくれない。そのまままた数秒。流石に困って彼を見上げると、唇を噛んでいた。
なんでこの人はこんなに雪那のことが好きなのだろう。結局、恋より仕事を選ぶような、そんな女を。
 
「玲司くん」
「……っ、ごめ、んなさい」

 慌てたように、玲司が手を離す。その手をぎゅっと反対の手でも握りしめていた。いじらしいほどの乙女だ、なんて思う。だから。
 
「……あのね」

 その先を雪那は言うかどうか躊躇った。馬鹿馬鹿しい発言だと思う。でも、伝えたかった。

「三年後、私が何かを成し遂げたと思えたら、今度は私から玲司くんに会いに行くね」
「……え?」
「あんな綺麗な設計とプログラムを作れる玲司くんに、それでもあなたに尽くすだけが価値じゃないってものを私が手に入れたら……手遅れでも、会いには行く。だから、玲司くんは私がどこにいるかすぐにわかるくらいに会社大きくするか若手実業家で活躍してて」
「なに、それ」
「……ふふ、今は内緒」

 待ってて、と言えばいいのかもしれない。
 でも雪那はきっと自分だけに夢中になる。この仕事の最中、大半は玲司へ思いを馳せなかったように。恋愛はど真ん中になれない。両立できない。
 そのくせ、わがままに玲司が好きだから、きっと、遠くで待ってるを疑って苦しむ時が来る気がする。この先、仕事を優先して子供も授かれるかわからない年になっていく。後悔してるんじゃないかって疑う気がする。呆れて知らないうちに誰かをとか、他の彼を支えられる人のが良かったはずなのに、と、信じられなくなる。
 雪那はそれから逃げたい。自分の気持ちだけの、ずるい大人だ。でも、大人だから、恋なんてものだけに夢中にはなれない。
 
「頑張ってね、CEO。応援してるよ」

 だから言えるのはこの言葉で。
 未練が残らないように、今できるありったけの笑顔を浮かべて別れを告げた。

 **

「ふぃー……あっつ……」
「きりたにさん、今日の集会所の当番のことやけど」
「きりやでーす」
「すまんすまん、この辺りじゃ、たに、が多いもんで」
「全然。よく間違われていました」

 あの寒い出会いの冬と別れの春が巡って、夏真っ盛り。
 雪那は古民家をリノベーションした物件に回覧板を回しにきた近所のおばさんたちと首にタオルをかけながら井戸端会議するのが常である。田舎暮らしに慣れない雪那をおせっかいとも言えるほどの距離感で迎え入れてくれている。実家の母よりも世話焼きで心配性。

 普段は町役場に席があって、色々親切にされつつ、あちこちで人手不足とインフラ整備の話を聞く。やはり、農家と畜産業が多い。ついでに独り身ならうちの息子は…と誘われるのもお約束だ。二十くらい年上の人を紹介されて戸惑ったのは記憶に新しい。

「本当に男って幾つになっても若くて綺麗なお姉さんが好きで馬鹿よね。本当男って」

 一緒に周る十五歳上の女性主事のため息も何回も聞いた。彼女もまた面倒見がよくて、ちょっとおせっかい。ここは人との距離感が近い。
 透明ではない、剥き出しの好意。
 実家にはこの仕事で本当に嫁き遅れになると猛反対されて以来、連絡を取ってない。住んでる場所も教えてない。これは雪那の人生だ。標準的な女の子の人生じゃないと割り切った。

「明日、研修だって?駅まで送ってあげるよ」

 そんな気軽な申し出はペーパードライバーの雪那にはありがたい。一度見事に田んぼに車輪を落としてから、出勤以外では極力運転したくない。

「ありがとうございます」
「面倒でも、男の車は乗ったらダメだよ。危険だから」
「はは……」
「雪那ちゃん、あっちに恋人いないの。そうしたら落ち着くかも」

 ドキっとした。玲司の顔が一番に思い浮かぶ。

「無理無理。こんなど田舎に来る美女に恋人がいたって、遠距離恋愛だって丸わかりだからみんなワンチャン狙ってくるわよ」

 すぐに話題が移って、曖昧に笑ったまま、誤魔化した。

 次の日、電車に揺られながら二つ隣の市で開催されたフォーラムに懇親会まで参加して、終電で帰ってくる。
 玲司と出会ったときより二時間も早い。それでもこれが最終だ。最終列車だけは二両。それなりには人がいる。それでも隣には誰もいなかった。
 雪那はほんの少しお酒の匂いがする息を吐いて、反対側の手すりに頭を擦り付けた。
 ドアが開くたび、カエルの鳴き声がうるさい。田舎だ。

「終点、飯谷駅、飯谷駅に到着しました。お出口は右側です。本車両にご乗車はできません。お手荷物のお忘れ物のないようにお降りください……」
 
 夜闇の中、ゴロゴロとキャリーバッグを引いてホームを進む。照明のある時刻表の前にいる背の高い人をさほど意識せずに避けようとしたが、そんな雪那に声がかかった。

「あの、すみません。乗り過ごしたんですけど、引き返す電車はありますか?」
「え?大変!これもう最終電車で……、……?!」

 目深に被った帽子に、黒いTシャツとジーンズ。背中は大きなリュック。一見旅行者風の長身の青年。顎に黒子がある、形のいい薄い唇。高い鼻筋。

「は……?れ、玲司く……?」
「最終ないのは困ったな。どう考えてもホテルもなさそうだし、帰る方法がないので家に泊めてもらえませんか?」
「なっ、なんでここに……!携帯変えたし、行き先言ってないのに!また違法な手段?!」

 距離を取ろうとした雪那の腕を玲司がガシッと掴み取った。周りにいたまばらな人影が驚いたように凝視するのがわかる。
 けれど、玲司が帽子をとって、その秀麗な美貌が現れると、現金なものでチラチラと気にするものの、改札へ向けて離れていく。痴話喧嘩とでも思われたのかもしれない。ドラマの撮影かなーなんて声すら聞こえる。
 顔がいいって全ての免罪符じゃないのよ、この人実はストーカーだから、と雪那は思った。玲司の手は外れない。

「なんで……あの……離して……」
「違法な手段は使ってない。海外転勤にでも行くのかなと思ってたんだけど、正攻法で聞いて回ってたら、県だよりで町おこしの記事を見つけて」

 正攻法でローカルなものにたどり着く玲司が怖い。

「田舎って個人情報ゆるゆるだね?みんな親切に教えてくれてさ」

 その顔だからだね、と雪那は頬を引き攣らせた。人に警戒心を抱かせない柔らかな垂れ目を見て、がっくりと肩を落とすしかない。

「なんで……追いかけてくるの……三年はここから離れられないんだよ」
「うん、その三年は逃げられないでしょ。だったら、ゆっくり知ってもらおうと思って」

 玲司はニコニコと笑っている。
 
「私が勝ったら別れるって……」
「うん、別れるのは承知したよ。だから最初からやり直して?」
「屁理屈!仕事は!こんな田舎来てる場合じゃないでしょ!?もっと海外とかも視野にバリバリ活躍して……」
「そんなものパソコン一つあればどこでもできるよ。あと俺、活躍とか全く興味ないし」

優希のヒステリックな叫びが聞こえた気がする。

「うち、ネット弱いし!」
「自力で引くから大丈夫。ていうか家に入れてくれる気はあるんだ?」
「……っ」
「雪那ちゃん、どうしたの?!大丈夫??」

 ホームと道路を隔てる柵の下から、迎えに来てくれた近所の花井さんの声がする。いつまでも出てこないから心配してくれたのだろう。
それに答えたのは雪那でなくて玲司だ。

「すみません、遠距離になるからってフられたんですけど、諦めきれなくて。未練がましく彼女を追いかけてきました。そしたら、もう電車がなくて。どこか泊まるとこありますか?彼女が折れるまで長期滞在する予定で」
「……あら、あらあらまあまあ」

 花井さんが口を手で覆ってニマニマしているのがわかってしまった。
 
「ちょ……っ、何を……」
「事実を言ってるだけでしょ?三年ただ待つなんてできない。雪那さん、俺が三年なんて待てないって思ってたんでしょ?その認識、改めてあげるから。あ、もちろん責任感が強い雪那さんを妊娠させてドロップアウトなんてさせない。そのあたり、ちゃんと"待て"するから安心して」
「いやいやおかし……」
「あらー、こんないい男……うちに泊まりなさいな。娘たちが狂喜乱舞するわ。一目惚れされちゃうかもだけど」
「……っ、ダメ!」

 適齢期の独身の娘さんがいることも、すぐに噂が回る田舎ので既成事実が一度ついたら大変なことも知っている雪那が咄嗟に声を上げる。そして、やってしまった、と顔を手で覆った。
 花井さんがまた「あらー」とニコニコして、玲司が後ろから肩を叩いた。

「ごめんね、俺、すっごく諦めが悪いんだ。だから雪那さんが折れてね」
「なんでそこまで……」
「そんなの、あっさり仕事を選んで俺を捨てるかっこいい雪那さんが大好きだからに決まってるでしょ?」

 ちゅ、と頬に後ろから口付けられた。花井さんが年甲斐もなく叫んでいる。雪那も真っ赤になって頬を押さえた。

「今度は合法的に既成事実から積み重ねていくから、覚悟してね。すでに正攻法で聞いて回ってたから、もうあちこちですごい噂になってると思うけど」
「……嘘でしょ」

 都会に置いてきた元恋人(なお、イケメン)がこんな田舎まだ追いかけてきて同棲して復縁したラブロマンスの噂が町中を駆け巡って約二週間後、雪那はその噂を全く否定できなくなるのだった。

 冬の終着駅で始まった大人の恋は、元後輩の子供みたいな執着心により夏の終着駅でしっかりと身を結んだ。

 (Fin)
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