〜落ちこぼれ魔女は天才の弟子に溺愛される〜

【本編】

 今夜ですべて、終わらせる。
 日に日に増していくこの想いを。


 シェリーは何度も思い描いた計画を反芻しながら、ぐつぐつと煮立っている鍋をかき混ぜた。
 今日は奮発して、お肉の入ったシチューにした。それもとびきりのいい肉を選んだ。

 これでへそくりは空っぽになってしまったけれど、今夜は年にたった一度の聖夜、特別な日だ。普段は節制しているのだし、このぐらいの贅沢は許されるだろうとシェリーは他に、チキンとケーキも用意していた。
 少しだけでも愛弟子の喜ぶ顔が見たかった。
 彼と過ごす聖夜は今年が最後になるだろうから。

「ただいま戻りました」

 と、居間に直接繋がっている玄関の扉が開いて、狭い家に、セディオスの明るい声が響いた。

「お帰りなさい」

 シェリーは火加減を調整して、セディオスに駆け寄る。

「寒かったでしょう? ごめんね、お仕事任せきりで」
「全然。大したことなかったですよ。ドラゴンが二頭だけでしたし」

 鼻先まで顔を赤くしたセディオスは両目を細めて微笑むと、ぐるぐるに巻いていたマフラーを外しはじめた。三年前にシェリーが編んであげたそれはすっかりくたびれてしまっているのに、セディオスは頑なに捨てさせてはくれなかった。気に入っているし、暖かいからと。

「二頭だけだなんて……それって嫌味?」

 シェリーが怒ったように眉を寄せると、セディオスはことさら楽しそうな声を上げる。

「はは。先生、魔物退治苦手ですもんね」

 そうして、緩やかな笑顔を浮かべる。

「いいですよ、危ないことも面倒なことも、全部俺に任せてください」
「…………生意気」

 悔しくてそんなことを言ってしまったけれど、シェリーが魔物退治が苦手なのは事実だったから、それ以上は言い返せない。
 さらに言ってしまえば、シェリーは他の分野、すなわち防御や治癒魔法においても弟子であるセディオスに実力を上回られていた。シェリーは、魔術師の中でも相当な落ちこぼれ組だった。

 と、見上げていたセディオスのオレンジ色の髪の上に、粉雪を見つける。
 手を伸ばして払えば、すぐに水滴となって消えた。シェリーは水のついた指先を見つめた後、セディオスに尋ねる。

「吹雪いてた?」
「いえ、そこまでは……ありがとうございます」

 セディオスはシェリーが雪を払いやすいようにと、少しだけ背を屈めてくれた。
 彼が子供の頃は、雪を払ってあげるのにそんなことをしてもらう必要はなかったのに。
 ふと至近距離にあったセディオスの黒に近い赤い瞳が、物言いたげにシェリーを見つめてきた。そのまま、端正な顔が近づいてくる。
 そうして唇同士が触れる瞬間、セディオスはわずかに首を傾けた。
 鼻が当たらないように?
 いったい、誰にそんなことを教わったのだろう。
 わからない。
 シェリーと違ってセディオスの交友関係はとても広いから。
 考えるのをやめて、シェリーは両の目を閉じた。いつの間にかセディオスの大きな手のひらがシェリーの頭の後ろと背中に回されていた。耳をセディオスの低い声がくすぐる。

「……先生、あったかいね」

 寒い寒い雪の中を歩いてきた彼は、安心したようにそう言った。




 身寄りもなく彷徨っていたセディオスを拾って早五年。彼は今年で、十七になる──独り立ちだってできる、十分な年齢になった。

 色白の可愛かった少年はそのまま美しく成長し、今やシェリーを見下ろすほどに背も伸びきっている。
 性格は明るくてお喋り、友人も多く、家事も完璧──その上彼ときたら、魔法の才能にまで恵まれていた。
 落ちこぼれのシェリーとは、大違いだった。

 そんな自分が彼の師匠だなんて笑ってしまう。
 背も実力も追い抜かれてからずっと、シェリーは悩み続けていた。
 ──もう先生だなんて呼んでもらえる立場じゃない。
 ──これ以上教えてあげられることなんてない。

 師弟契約を解除すべきだ。
 彼のためにも。

 シェリーが師の元から独立したのは、十六の時だった。
 以来この街で小さな魔術屋を営んでいる。
 けれど、どの分野にも特化出来なかったシェリーができることといえば、簡単な薬や魔除け作りがせいぜいで、その商いも決して繁盛しているとは言い難かった。毎月、家計簿と睨み合いつつ、なんとかやりくりをしているほどだった。

 けれどここ一年で、そんな生活がぐんと楽になり始めていた──セディオスが受け始めてくれた魔物討伐のおかげだった。
 魔物の討伐は、対象が強ければ強いほどかなりの収入になる。シェリーは最初、可愛い弟子が恐ろしい狼やドラゴンと戦うなんてとんでもないと大反対していた。
 けれど目の前で実力を見せつけられ、さらに家計の惨状を冷静に指摘されては、それ以上ダメだとは言えなくなってしまった。
 お金は、どんな時だって必要だ。

 森や街道に出現する魔物に困っていた人々は、魔物をあっという間に倒したセディオスに感謝するようになり、それからたちまち彼は街中の人気者になっていった。今や依頼はシェリーではなく、セディオス宛てのものばかりとなっていた。

 だからこの子はもう、大丈夫。

 シェリーはなんだか泣き出したくなりながら、セディオスの背中に両腕を回し、広い胸に顔をうずめた。セディオスが、やさしく笑うのがわかった。

「先生、くすぐったいです」
「あっためてあげてるの」

 きっと本当は、こんな関係になってはいけなかった。
 セディオスに「好きです」と詰め寄られたあの時、断らなくてはいけなかったのだ。
 思いを堪えて、シェリーは顔をあげる。

「お腹空いたでしょ。食事にしましょうか」
「はい」

 それからシェリーとセディオスは役割を分担して、夕食の準備に取り掛かった。セディオスは食器と飲み物を、シェリーは煮詰め終わったビーフシチューとチキンを用意した。付け合わせのパンを切っているところで、テーブルに並んだ料理を目にしたセディオスが大きな声をあげる。

「すごい、今夜は豪勢ですね」
「うん。聖夜祭だから特別。奮発しちゃった」
「去年は薄いスープだけでしたよね」
「そうだったわね、それに、薪もケチっちゃったからとっても寒かったのよね」

 去年までの極貧を思い出し、ふたりは目を合わせて、くすくすと笑い合った。
 この家族ごっこが、いつまでも続いてくれたらよかったのに。

 シェリーはずっと、育ち盛りの、それも才能あふれる男の子に薄いスープしか与えられない自分が情けなくて仕方がなかった。

 ずっと思っていたのだ。
 彼を拾ったのが自分ではなくて、お金持ちや才気あふれる魔術師だったら、セディオスはもっともっと幸せになれただろうにと。

「じゃあ、いただきます」
「いただきます」

 木製テーブルについたふたりは向かい合い、乾杯する。
 セディオスが買ってきてくれた赤いワインは、慣れない味がした。酸っぱくて濃くて、美味しいといえば美味しいような。癖になって、ついついもう一杯と注ぎ足してしまう。シチューにもチキンにも合っていたからだろうか。

 そうしてたわいない話をしているうち、テーブルにはデザートが並んだ。シェリーが買ってきたブッシュドノエルだ。丸太を模したロールケーキの上に、砂糖づくりのサンタとトナカイがちょこんと乗っている。ひとりと一匹のにこりと笑った顔が可愛らしかった。
 このふたりはきっと、助け合いながら生きているのだろう。自分と彼もそんな風に生きられたらよかった。

 寂しい空想の後、シェリーは意を決して口を開いた。もう後戻りは出来ない。

「あのね、セディオスくん。大事な話があるんだけど」
「仕事ですか? いいですよ」

 セディオスはこともなげに頷いた。シェリーは「違うの」と顔を左右に振る。

「また、学院から勧誘があったの。あなたを特待生で迎えたいって」

 とたん、セディオスから表情が消える。ケーキを食べていた手を休めて彼は言った。俯いた彼のオレンジ色の前髪が、美しい瞳を隠した。

「それ、前にも断りましたよね」
「うん、でもね。今回はもっといい条件を出してくれたの」
「条件?」

 セディオスが突き放したように先を促す。

「どんな?」

 シェリーは食べかけのケーキを見つめた。

 学院とは、国が運営する魔術師育成機関だった。
 街で評判になったセディオスの存在を知られてからずっと、しつこく勧誘されている。

 子供の頃、その学院に入学したかったシェリーは受験したけれど、実力が足りず、ついぞ合格することができなかった。
 それでも魔術師になる夢を捨てきれなくて、シェリーは知り合いの魔術師に頭を下げて弟子入りした。そうしてなんとか一番下のランクの魔術師資格を取得し、今に至っている。
 そんな、落ちこぼれの魔術師なのだった。

 シェリーはケーキから正面に座るセディオスへと視線を移した。

「学費の免除はもちろんだけど、生活費も、それからお小遣いまで出してくれるんですって。私もいくらか養育費をもらえることになったし、だから──」
「養育費? ……俺の?」
「ええ」

 頷けば、セディオスが忌々しそうに息を吐いた。

「金ならこれから俺がいくらだって稼ぎます。今更学院なんていく必要はありません。俺の先生は、先生だけだ」

 こちらを見上げたセディオスの瞳が、暗く光る。
 これだ。
 この瞳に、負けてしまったのだ。
 独り立ちを促そうとした時も、これまで学院から勧誘があった時も──

 でも、今夜は引かないと決めていた。
 もうセディオスにひもじい思いはさせたくない。食べ物がなくて木の根を齧ったり、凍えそうな夜を毛布一枚で凌いだり。そんな思いは、させたくない。

『俺は、先生といられたら、それだけでいいんです』

 そう笑う幼かった可愛い教え子が、愛しくてたまらなかった。
 シェリーは膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめる。

「それは、あなたが何も知らないからよ。学院には優秀な先生が大勢いるし、学院にしかない魔術書だって読めるようになるのよ、私じゃ扱えない道具だって」
「興味ありません」
「でももう、サインはしたから」
「……は?」

 セディオスの口から、低い声が漏れ出る。
 居た堪れなくなって、シェリーは視線を逸らした。

「聞こえなかった? サインしたの。今あなたの師匠は私でしょ。だから権限は私にある。明日には、学院から迎えがくるわ」
「っ! どうしてそんな勝手なことをしたんです。すぐに取り消してください。俺は先生と別れる気なんてありません」
「それもね。全部遊びだから、本気にしないでくれる?」

 セディオスの秀麗な眉が、不愉快そうに眉間に寄った。

「……遊び?」
「そうよ。あなたとばかりいたからずっと恋人もできなかったし、寂しかったから少し付き合ってあげようと思っただけ。だいたい、弟子なんかに本気になるわけが──」
「ふざけんなよ」

 と、それまで煌々と燃えていた暖炉の火が突然、吹き消えた。

「……え?」

 ぞわりと背中を伝うような悪寒がシェリーを襲う。がた、と音がして、正面を見上げれば、テーブルに片手をついた弟子がゆらりと立ち上がるところだった。シェリーはよく知っているはずのセディオスを、覗き込むように伺う。

「セディオス……くん……?」
「俺は別れませんよ」
 

 灯りの消えた部屋の中で、セディオスが言った。
 暗い瞳と視線がかち合う。
 怒っていた。

「絶対に」
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