喪失騎士エルディーテの冥界追想録 〜 孤独な騎士の過去を辿る、運命を覆す相互救済ロマンス~
「月の騎士殿、今宵はいつにも増して熱い視線を集めてるな?」
不意に隣から嫌味の篭った声が聞こえた。
同じく壁際に配備されている騎士、バロンのものだ。
「無駄口を叩かないでくれないか。気が散る」
エルディーテが会場に視線を止めたまま嗜めると少し離れた反対側から失笑が漏れる。
男社会に身を投じたが、選民意識の高いリシア帝国では女というだけで舐められる。
剣を取れば捩じ伏せられると父は言ったが、確かに暴漢や理不尽を強いようとする男から身を守ることは出来ても社会はエルディーテを拒絶していた。
バロンはその象徴だ。
入団試験の時から何かにつけてエルディーテに嫌みたらしく絡んでくる同期である。
「つれないな。褒めているんだぜ。ティアローゼ嬢の件、婚約者のランスはまだ怒り心頭だとさ。俺はあの小僧が嫌いだからな、よくやってくれたって感じだ」
ランスはエルディーテやバロンよりも年下の十七になる侯爵家の令息だ。
自分の婚約者が年上の女騎士を相手に両方の手袋を落としたため、年若いランスは火がついたようにエルディーテを罵倒していった。
当然、このとき傍には護衛対象のサフィアが居た。
「くだらない戯れで茶会に水を差したことが?どうかしている」
婚約者同伴が許されていた茶会、サフィアの友人にあたる令嬢が主催した場で起きたこの出来事は小さな騒ぎとなった。
「ま、俺も婚約者に同じことをされたら苛立つが……所詮は傷物女が騎士ごっこしてるだけのことなのにな。狭量なランスがみっともなくて笑えるよ」
バロンは鼻で笑った。
自分より家格の高いランスを嘲笑うような言い方をしているが、エルディーテへの悪意の方が強い。
嫌味にはもう慣れてしまったが、持ち場が近いため執拗に絡んでくるその態度は任務の邪魔にしかならない。
一言、エルディーテは短く告げた。
「会場から目を離すな」
しかしバロンはエルディーテにだけ伝わる声で言う。
「……なぁ、行き遅れて辛いだろ?サフィア王女も嫁ぐんじゃ、お前は帝国騎士団に居場所もない」
あからさまな嗾けに乗るようなエルディーテではないため沈黙し会場の様子を注意深く監視していたが、バロンは愉しげに続けた。
「無視するなよ、エルディーテ。団長達はお前を高く評価しているが、グラウス宰相の目があるからだと忘れるな。俺という友人がいなければ話す相手もいない、肩身が狭いなぁ」
一瞬、無意識に片眉が上がりエルディーテは咳払いした。
「お前を友人などと思った事はない」
これだけは今はっきりと訂正しておかねば後々も吹聴して回る可能性が十二分にあったからだ。
するとバロンは気を引けたことに喜ぶかの如くエルディーテの横顔に視線を向ける。
「そう強がるな。このまま騎士を続けるのは女にはキツいだろ。お前いくつになった?」
エルディーテは内心で舌打ちした。
二十七になるエルディーテだが婚姻に希望など持っていない。
リシア帝国の貴族令嬢ならばとっくに婚期を逃し泣き寝入りしている頃だろうが、サフィアを守る立場にいられればそれで良かった。
エルディーテは押し黙ったまま口の達者な悪辣男の言葉を待った。
「仮に婚約者探しをすりゃ、せいぜい老いぼれの爺さんしか相手にしないだろうな……」
攻撃しているつもりだろうが、バロンもまた未婚。
以前は婚約者が居たようだが相手の事情でいつの間にか解消していた。
エルディーテに向けた言葉はそのまま自分に返っていると気付いていないのだろうか。
飽き飽きしていた頃、バロンは歪な笑みを孕んだ吐息を溢して言った。
「……なぁ、エルディーテ。俺が貰ってやろうか?」
嫌悪の感情が胸に落ちる。
よくもサフィアの祝いの場で言えたものだ。
しかし怒りは直ぐに鎮まり、腹立たしさを通り越して関心すら覚える。
エルディーテは声を潜め、一度だけバロンに鋭い視線を向けた。
「舌を切り落とされたいか。決闘なら受けてやるが」
実際、これまで邪な感情を一方的に抱き、舐めた口を聞いてきた人間にはもれなく決闘を挑み、エルディーテはその全てに勝利している。
「は……冗談だろうが……」
エルディーテの本気を感じ取ったのか、バロンは吐き捨てた。
「しかし堅物まで加われば死ぬまで独り身確定だな。女を騎士になんてさせて、グラウス家はどうかしてる」
それはプライドを折られた男がエルディーテに言う定番の台詞だった。
顔を見なくても分かる。
斜に構えた物言いで揶揄したつもりだったのだろうが、今のバロンは顔を赤くしている。
「黙るなよ。やはり厄介払いなのか?だが残念だなぁ、お前は帝国騎士団に居場所はない。騎士の名を汚す迷惑な存在なんだよ」
流暢に舌を回すほどに恥を上塗りしていることに気付いていないのか。
今夜のバロンは一層エルディーテに踏み込んできた。
鬱陶しい。
エルディーテは一度双眸を伏せ瞬いたあと、静かに告げた。
「……汚れといえば臭うぞ、バロン。薄汚い男の臭いが私のすぐ傍から」
瞬間、直立を崩したバロンの影が揺れる。
「お前……っ」
「持参金狙いの誘いは腐るほど受けたが……お前の悪臭漂う口説き文句は記録を更新したな。過去最悪の糞以下だ」
「っ……」
冷ややかな声音で告げる。
するとバロンはそれ以上何も言わなくなった。
不意に隣から嫌味の篭った声が聞こえた。
同じく壁際に配備されている騎士、バロンのものだ。
「無駄口を叩かないでくれないか。気が散る」
エルディーテが会場に視線を止めたまま嗜めると少し離れた反対側から失笑が漏れる。
男社会に身を投じたが、選民意識の高いリシア帝国では女というだけで舐められる。
剣を取れば捩じ伏せられると父は言ったが、確かに暴漢や理不尽を強いようとする男から身を守ることは出来ても社会はエルディーテを拒絶していた。
バロンはその象徴だ。
入団試験の時から何かにつけてエルディーテに嫌みたらしく絡んでくる同期である。
「つれないな。褒めているんだぜ。ティアローゼ嬢の件、婚約者のランスはまだ怒り心頭だとさ。俺はあの小僧が嫌いだからな、よくやってくれたって感じだ」
ランスはエルディーテやバロンよりも年下の十七になる侯爵家の令息だ。
自分の婚約者が年上の女騎士を相手に両方の手袋を落としたため、年若いランスは火がついたようにエルディーテを罵倒していった。
当然、このとき傍には護衛対象のサフィアが居た。
「くだらない戯れで茶会に水を差したことが?どうかしている」
婚約者同伴が許されていた茶会、サフィアの友人にあたる令嬢が主催した場で起きたこの出来事は小さな騒ぎとなった。
「ま、俺も婚約者に同じことをされたら苛立つが……所詮は傷物女が騎士ごっこしてるだけのことなのにな。狭量なランスがみっともなくて笑えるよ」
バロンは鼻で笑った。
自分より家格の高いランスを嘲笑うような言い方をしているが、エルディーテへの悪意の方が強い。
嫌味にはもう慣れてしまったが、持ち場が近いため執拗に絡んでくるその態度は任務の邪魔にしかならない。
一言、エルディーテは短く告げた。
「会場から目を離すな」
しかしバロンはエルディーテにだけ伝わる声で言う。
「……なぁ、行き遅れて辛いだろ?サフィア王女も嫁ぐんじゃ、お前は帝国騎士団に居場所もない」
あからさまな嗾けに乗るようなエルディーテではないため沈黙し会場の様子を注意深く監視していたが、バロンは愉しげに続けた。
「無視するなよ、エルディーテ。団長達はお前を高く評価しているが、グラウス宰相の目があるからだと忘れるな。俺という友人がいなければ話す相手もいない、肩身が狭いなぁ」
一瞬、無意識に片眉が上がりエルディーテは咳払いした。
「お前を友人などと思った事はない」
これだけは今はっきりと訂正しておかねば後々も吹聴して回る可能性が十二分にあったからだ。
するとバロンは気を引けたことに喜ぶかの如くエルディーテの横顔に視線を向ける。
「そう強がるな。このまま騎士を続けるのは女にはキツいだろ。お前いくつになった?」
エルディーテは内心で舌打ちした。
二十七になるエルディーテだが婚姻に希望など持っていない。
リシア帝国の貴族令嬢ならばとっくに婚期を逃し泣き寝入りしている頃だろうが、サフィアを守る立場にいられればそれで良かった。
エルディーテは押し黙ったまま口の達者な悪辣男の言葉を待った。
「仮に婚約者探しをすりゃ、せいぜい老いぼれの爺さんしか相手にしないだろうな……」
攻撃しているつもりだろうが、バロンもまた未婚。
以前は婚約者が居たようだが相手の事情でいつの間にか解消していた。
エルディーテに向けた言葉はそのまま自分に返っていると気付いていないのだろうか。
飽き飽きしていた頃、バロンは歪な笑みを孕んだ吐息を溢して言った。
「……なぁ、エルディーテ。俺が貰ってやろうか?」
嫌悪の感情が胸に落ちる。
よくもサフィアの祝いの場で言えたものだ。
しかし怒りは直ぐに鎮まり、腹立たしさを通り越して関心すら覚える。
エルディーテは声を潜め、一度だけバロンに鋭い視線を向けた。
「舌を切り落とされたいか。決闘なら受けてやるが」
実際、これまで邪な感情を一方的に抱き、舐めた口を聞いてきた人間にはもれなく決闘を挑み、エルディーテはその全てに勝利している。
「は……冗談だろうが……」
エルディーテの本気を感じ取ったのか、バロンは吐き捨てた。
「しかし堅物まで加われば死ぬまで独り身確定だな。女を騎士になんてさせて、グラウス家はどうかしてる」
それはプライドを折られた男がエルディーテに言う定番の台詞だった。
顔を見なくても分かる。
斜に構えた物言いで揶揄したつもりだったのだろうが、今のバロンは顔を赤くしている。
「黙るなよ。やはり厄介払いなのか?だが残念だなぁ、お前は帝国騎士団に居場所はない。騎士の名を汚す迷惑な存在なんだよ」
流暢に舌を回すほどに恥を上塗りしていることに気付いていないのか。
今夜のバロンは一層エルディーテに踏み込んできた。
鬱陶しい。
エルディーテは一度双眸を伏せ瞬いたあと、静かに告げた。
「……汚れといえば臭うぞ、バロン。薄汚い男の臭いが私のすぐ傍から」
瞬間、直立を崩したバロンの影が揺れる。
「お前……っ」
「持参金狙いの誘いは腐るほど受けたが……お前の悪臭漂う口説き文句は記録を更新したな。過去最悪の糞以下だ」
「っ……」
冷ややかな声音で告げる。
するとバロンはそれ以上何も言わなくなった。