母国を追われた草いじり令嬢は、敵国で『宮廷植物医』として新生活を満喫しています~元婚約者様と義妹、お元気ですか? 貴重な植物が全て枯れ、さらに私が渡した大事な園芸書を燃やした?じゃあ、もう無理ですね~
第1話:草いじり令嬢、婚約破棄と国外追放を命じられる
「ベルナデッタ・フォーセット。僕は貴様との婚約を破棄する」
「……はい?」
アトラ王国の王宮内にある、王宮植物園にて。
ベルナデッタがいつものように、楽しく植物の剪定をしていたときだった。
唐突に言われた彼女は思わず素の声が出てしまった。
剪定の手を止め振り返ると一人の男性がいる。
金色の髪は清風にも靡くほど軽やかで、深い碧眼は美しく煌めいていた。
手入れの行き届いた品のよい衣服もまた、彼の見目を引き立てる。
世間的には眉目秀麗と評される男性だったが、彼を見ただけでベルナデッタの楽しかった心はたちまち萎れてしまった。
(私の婚約者……ギルアン第二王子)
ベルナデッタは消沈した気持ちを押し殺し、丁寧にカーテシーする。
「ギルアン様、こんにちは。植物園にお越しいただきありがとうございます。失礼ながら先ほどのお言葉の真意を伺ってもよろしいでしょうか」
首を垂れる彼女に向けられる視線は、相変わらず冷ややかなものだった。
「真意も何も、それこそ言葉の通りだ。僕はお前との婚約を破棄すると言ったんだよ。聞こえなかったのか?」
「聞こえてはおります。ただ、些か急なお話でしたので、どのような経緯があったのかと気になりまして……」
「うるさい。女が男に口答えするな。そもそも、お前は王族よりずっと下の伯爵家出身じゃないか。身の程を弁えろ」
「申し訳ございません」
ギルアンの睨みをベルナデッタは無言の笑顔でやり過ごす。
笑顔に反して、その胸中にはストレスが渦巻いていた。
(……めんどくさい。なぜ、私はこんな男性と婚約する羽目になってしまったんだろうか)
ベルナデッタの頭に、これまでの日々が走馬灯のように思い出される。
元々、彼女はフォーマット伯爵家にて、好きが高じて作った植物園を細々と管理していた。
幼少期から植物が好きで、物心ついた頃からずっと植物に触れながら生きている。
領地で採取した種や苗から育てた薬草や香草はいずれも極めて高品質で、人工栽培は不可能と言われた植物さえ彼女の手にかかれば元気に育った。
やがて、繊細で貴重な植物を育てられる腕を買われ、王宮の植物園を管理するようにまでなったのだ。
フォーマット伯爵家の植物も全て王宮に移した後は、毎日手入れに没頭できるという幸せな時間を過ごした。
(ここまでは本当に楽しかったのに……)
ところが、実績を上げすぎた結果必要以上に国王に気に入られてしまい、第二王子のギルアンとの婚約を結ばれてしまった。
彼が善良な人間であればまた違ったかもしれない。
実際は横暴で粗雑な権力者であるため、ベルナデッタはひっそりとため息を吐く日々を送っている。
そんな彼女に、ギルアンは侮蔑の目を向けるばかりだ。
「僕は"真に愛する女性"を見つけたんだ。だから、君との婚約は破棄することを決めた」
「そうですか。それはよかったです」
私にとっても、と心の中で付け足した。
同時に、徐々に嬉しさが胸にあふれる。
ギルアンは以前から唐突に話をすることが多々あり、今回も質の悪い冗談だと思っていたのだ。
どうやら、婚約破棄は決定事項らしい。
(私をずっと悩ませてきたギルアン様との婚約。まさか……向こうから破棄してくれるなんて!)
まさしく、頭痛の種が取り去られたと言えよう。
彼女の瞳の輝きに気づかず、ギルアンは不敵な笑みを浮かべた。
「この際だ。君にも紹介しておいてやろう。彼女は非常に美しい。きっと、君は地味な自分が恥ずかしくなるだろうね」
(誰でもいいよ、そんなの)
ベルナデッタは興味がなくむしろ早く立ち去りたかったが、樹木の陰から現れた令嬢を見ると驚きの声が出た。
「セリーヌがギルアン様の"真に愛する女性"なの?」
「ええ、そうですわ。私たちは真実の愛で結ばれていますのよ」
ギルアンにしな垂れかかる令嬢は、セリーヌ・フォーセット。
ベルナデッタの義妹だった。
魔法で桃色に染めた髪は派手なウェーブがかかり、髪と同じ桃色の瞳はいつもどこか潤んでいる。
彼女が着る宝石が散りばめられたドレスは大変高価な品で、ベルナデッタの想像通りギルアンが買い与えた物だった。
「何度見ても、お前の緑の髪と黄色の目は醜いな。胼胝と肉刺だらけの手は老婆のようだし、汚れた衣服からは常に土の臭いがしてたまらんよ。セリーヌと大違いだ」
「申し訳ございません」
ベルナデッタは再度素直に頭を下げる。
それが一番早く事が終わると知っていたからだ。
彼女は今年で十六歳になる。
この年齢の貴族令嬢であれば、日常的にドレスや装飾品を身につける者が多い。
だが、今日も朝から植物の手入れに精を出していたベルナデッタは質素な作業着に身を包み、手も顔も土まみれであった。
植物園の草木には鋭利な葉を持つ種も多々あり、手や顔には小さな切り傷も見られる。
農民のような格好の彼女を見て、ギルアンはさらに鼻で笑った。
「まったくなんだ、その服は。婚約者に会うときくらい着飾っておけよ。僕に悪いと思わないのか?」
「申し訳ございません。ギルアン様がいらっしゃるとは聞いておりませんでしたので。ドレスなどは作業の邪魔になるため、このような作業着を着ていた次第です」
「お義姉様はどうかその汚い格好のままでいてください。あなたに着られるドレスが可哀想ですわ」
セリーヌの瞳が弧を描く。
ギルアンとの仲睦まじい様子から、ベルナデッタは裏の事情を把握できた。
(この二人は私の知らないところで仲を深めていたのね。……別にどうでもいいけど。むしろありがとう)
おそらく、実父と継母もセリーヌの婚約に賛成なのだろうと推測し、実際にそうだ。
王族との婚約は変わらないのだから。
フォーセット伯爵家でベルナデッタの味方は、何年も前に死去した実母だけだった。
ベルナデッタは、どちらかというと人間より植物に興味がある。
何より、自分を攻撃するような人間のことなどあまり考えていなかったので、浮気を知っても「ああ、そうなんだ」という感想を持つだけだった。
あくまでも淡々とした彼女に構わず、セリーヌはギルアンとともに悪質な笑みを浮かべる。
「さあ、早く出て行ってください。"草いじり令嬢"のお義姉様がいると家全体の名誉に関わりますのでね」
――"草いじり令嬢”
日々、植物の手入れに熱心なベルナデッタを蔑む呼び名だったが、当の本人はまったく意に介していなかった。
(ギルアン様とセリーヌは、どんな植物も草に見えてしまうらしい。草とは茎が硬くならず柔らかいままの植物を指す呼称なのだけど、言葉の定義すらも知らないのね)
地面に落とした微笑みを顔に貼り付けて、ベルナデッタは言う。
「出て行くのは構いませんが、植物園の管理はどうされるのでしょうか?」
この植物園には、彼女が復活させた貴重な野性絶滅種も多く育つ。
以前は手伝いの使用人がいたが、ギルアンの嫌がらせによって誰も来なくなった経緯がある。
自分がいなくなったら誰が……と疑問に思うベルナデッタに、セリーヌが自慢げに胸を張った。
「もちろん、私が引き継ぎますわ。お義姉様がここに残る必要はありません」
「え……? 引き継ぐって、あなたは植物のお世話をしたことがあるの? この庭の植物は繊細で貴重な種も多いのよ。最初から全部できるようになるのは難しいわ。少しお世話の仕方を教えてもいいかしら」
セリーヌが植物を触っているところを見たことがない。
庭の植物たちは、みなベルナデッタの大事な友人だ。
残して去るのは忍びなかったし、万が一にでも枯らされたらと思うと心配でしょうがなかった。
ベルナデッタは少しでも知識を共有しようとしたが、ギルアンが間に割り入る。
「今すぐ出て行け、"草いじり令嬢"め。僕のセリーヌに近寄るな」
「私の話を聞いてください。今度、ギルアン様の大叔父様がここに……」
「黙れ。指示に従わなければ、お前の大切な植物を燃やしてもいいんだぞ?」
そのまま、彼は手の平に火球を生み出し、近くの草木に近づけた。
展開される小さな魔法陣でさえ、植物に対する殺意を感じる。
(人質ってわけね……)
ギルアンは植物に興味などない。
本当に燃やしてしまうだろう。
逡巡した後、ベルナデッタはため息交じりに結論を出した。
「……わかりました、出て行きます。その前にお渡しした物があるので少しだけお待ちください」
彼女は近くの作業小屋に戻ると、両手で木箱を抱えてきた。
中には十数冊の本が収まっている光景を見て、ギルアンは顔をしかめる。
「なんだ、その汚い本は」
「ここに育つ全ての植物たちのお世話の仕方や、手入れの注意点などをまとめた園芸書です。この通りに作業していただけば、誰でも枯らさずに育てることができます。どこでどんな植物を育てているかも書いてあるので、迷うことはないと思います」
ベルナデッタが差し出した本の表紙はどれもくたびれ、ページも皺が寄って非常にみすぼらしい。
これには彼女が日々の作業で気づいたことや独自の視点で見つけた栽培のコツなど、並の園芸書とは比べものにならないほどの情報が書かれている。
中身の良さより装飾で本の善し悪しを判断するギルアンとセリーヌは、汚れた園芸書を腫れ物のように押しつけ合っていた。
そんな二人に、ベルナデッタは粛々と別れの挨拶を告げる。
「ちゃんと渡しましたからね。もう一度言いますが、ここには貴重な植物がたくさん育っています。毎日きちんとお世話をお願いします。実際に作業するのが嫌だったら誰か人を雇ってください。それでは、私は身支度を整えてからここを去ります」
「まったく、置き土産まで汚らしい女だな。腹が立つ。次に会ったとき、お前の命はないと思え。もう二度と王宮に足を踏み入れるな。国外追放だ。この国から出て行け」
「……承知いたしました」
(国外追放まで命じられるとは……)
やはり、ギルアンは最後まで横暴だった。
自室に戻ったベルナデッタは手早く着替えを済まし、生活必需品やわずかな資金をまとめる。
手持ちは少ないがないよりはいい。
植物の手入れ道具の他、国王から特別に下賜された多種多様な種をトランクバッグに収めたところで外に出た。
最後に植物園を振り返る。
(たぶん、私がこの国で一番長く過ごした場所だ。みんな、最後までお世話ができなくてごめんね。私はもう行くよ)
案の定見送りは誰もいなかったがベルナデッタはそれについては特に何も感じず、とりあえず王都とは反対方向にある街――"オービタル"に向かう。
煌びやかな王都より素朴な雰囲気が好きで、二十分も歩けば着いてしまう距離だ。
(この後はどうやって生きようかしら。自由の身になったから何をやってもいいのよね)
歩きながら、ベルナデッタは考える。
(流れの仕事の定番である冒険者は危なそうだ。私のところにも怪我に効く薬草を頻繁に買いに来ていたし。じゃあ、植物のお店を開く? これは楽しそう。だけど、ギルアン様たちに知られないようにしないと。あの二人は絶対に嫌がらせしてくるよね。どうしようかな……)
国外に出て行けとは言われたが、別に言いなりになるつもりはなかった。
どこか遠くに行って名前を変え、細々と静かに生活すればいい。
ギルアンとセリーヌの目の届かない場所はどこだろうかと悩んでいるうちに、“オービタル”の街に着いた。
建物は主に石材で構成され、道は土が剥き出しだ。
長閑な場所ではあるが、その日は街全体がどこか忙しなかった。
(なんだか騒がしいな。浮き足立っているというか、慌てているというか)
周りの様子に注意しながら馬車の停留所に向かう。
途中、ベルナデッタの耳には住民の会話が聞こえてきた。
「……おい、聞いたか。また緩衝地帯で帝国軍が演習を行ったらしい。規模は一個旅団だってさ。しかも、指揮したのはあの"冷眼の皇太子"とのことだ」
「えっ、本当かよ。いよいよ戦争が近いのかな……」
住民の会話を聞くと、ベルナデッタは納得した。
(ああ、エーデル帝国が原因か)
アトラ王国の北には、エーデル帝国という巨大な国家が位置する。
およそ五十年前に勃発した大規模な軍事衝突以降、両者は長らく敵対関係にあった。
緊張状態は近年まで続き、現在は国交も交易もまったくない。
(植物園を訪れる貴族からもよく帝国の噂を聞いたっけ。……そうだ! 私には行きたいところがあったんだ!)
不意に、ベルナデッタの瞳が輝いた。
(エーデル帝国に行きたい! そして、帝国固有の植物を見たい! 育てたい!)
彼女が住むアトラ王国よりずっと領土は広く、そこにしか自生しない固有種がたくさんあると聞く。
(図鑑でしか見たことがない数々の植物……ああ、一度でいいからこの目で見てみたい。王国との関係は正直どうでもいいや。この機会に行ってみる、っていうのはいい案ね。ちょっと地図を確認しましょう)
道端の雑貨屋に入ったベルナデッタは、立ち読みは申し訳ないのできちんと地図を買い、エーデル帝国との位置関係を確認する。
王都自体北に近い場所にあり、国境を出た後は緩衝地帯が広がっていた。
(国境までは馬車で三時間くらいか。……よし、エーデル帝国に行こう! そして、見たことない植物をたくさん見て育てる! 王国の人間が入国できるかはわからないけど……何とかなるでしょう! いや、何とかする!)
目的を決めたベルナデッタは街の停留所を探し回る。
ところが帝国のある北に向かう馬車は見つからず、いきなり出鼻をくじかれた。
(困った、馬車が全然ない。歩いて行くにはさすがに遠いし……。また別の街で探すことになりそうだわ)
噴水の縁に座りながら、計画の練り直しが必要だと考えていたとき。
穏やかな男の声で話しかけられた。
「こんにちは、お嬢さん。小耳に挟んだのですが、もしかして北に行きたいのですか? 僕は行商人でしてちょうど北を目指しています。よかったらどうでしょう。空きはまだありますよ」
彼女が顔を上げると、人の良さそうな若い男性が立っている。
風体から行商人の類いだとわかり、ベルナデッタもまた埃を払いながら立ち上がった。
「ええ、北に行きたいです。もっと言うと、エーデル帝国を目指しておりまして。国境の近くまで行けたら嬉しいなと」
「帝国に行くつもりなのですか!? それはまた度胸がありますね。さすがに国境の目の前は無理ですが、なるべく近くまでなら行けます。代金はこれでどうでしょう?」
「……ありがとうございます。お願いします」
行商人が提示した金額でベルナデッタは納得する。
正直に言うと今の持ち合わせでは少々厳しい金額だったが、この際我が儘は言えないだろう。
「では、僕についてきてください。馬車は街から少し離れたところです。はぐれないように気をつけて」
ベルナデッタは行商人に続いて歩く。
大通りを進み、街外れの森に来た。
簡素ながら頑丈そうな幌馬車が停まっており、行商人は自慢げに話す。
「これが僕たちの馬車です。今、護衛を紹介しますね。……みんな、旅の仲間を連れてきましたよ。北に行きたいそうです」
行商人が呼びかけると、幌馬車の裏から護衛とわかる男が二人現れた。
盗賊や山賊対策のためか、どちらも太い剣を腰に提げる。
ベルナデッタはトランクを持ったまま丁寧に頭を下げた。
「急なお願いで申し訳ありませんが、一緒に乗せてください。どうぞよろしくお願いします」
護衛の二人は何も反応せず、場違いな薄笑いを浮かべる。
(なんか嫌な感じ……いや、これは!)
察したベルナデッタが街の方に駆け出したとき、行商人が立ちはだかった。
その顔から人の良さそうな表情は消え、代わりに悪の感情が現れる。
「おやおや、逃げないでください。せっかく手に入れた奴隷なんですからね」
「……はい?」
アトラ王国の王宮内にある、王宮植物園にて。
ベルナデッタがいつものように、楽しく植物の剪定をしていたときだった。
唐突に言われた彼女は思わず素の声が出てしまった。
剪定の手を止め振り返ると一人の男性がいる。
金色の髪は清風にも靡くほど軽やかで、深い碧眼は美しく煌めいていた。
手入れの行き届いた品のよい衣服もまた、彼の見目を引き立てる。
世間的には眉目秀麗と評される男性だったが、彼を見ただけでベルナデッタの楽しかった心はたちまち萎れてしまった。
(私の婚約者……ギルアン第二王子)
ベルナデッタは消沈した気持ちを押し殺し、丁寧にカーテシーする。
「ギルアン様、こんにちは。植物園にお越しいただきありがとうございます。失礼ながら先ほどのお言葉の真意を伺ってもよろしいでしょうか」
首を垂れる彼女に向けられる視線は、相変わらず冷ややかなものだった。
「真意も何も、それこそ言葉の通りだ。僕はお前との婚約を破棄すると言ったんだよ。聞こえなかったのか?」
「聞こえてはおります。ただ、些か急なお話でしたので、どのような経緯があったのかと気になりまして……」
「うるさい。女が男に口答えするな。そもそも、お前は王族よりずっと下の伯爵家出身じゃないか。身の程を弁えろ」
「申し訳ございません」
ギルアンの睨みをベルナデッタは無言の笑顔でやり過ごす。
笑顔に反して、その胸中にはストレスが渦巻いていた。
(……めんどくさい。なぜ、私はこんな男性と婚約する羽目になってしまったんだろうか)
ベルナデッタの頭に、これまでの日々が走馬灯のように思い出される。
元々、彼女はフォーマット伯爵家にて、好きが高じて作った植物園を細々と管理していた。
幼少期から植物が好きで、物心ついた頃からずっと植物に触れながら生きている。
領地で採取した種や苗から育てた薬草や香草はいずれも極めて高品質で、人工栽培は不可能と言われた植物さえ彼女の手にかかれば元気に育った。
やがて、繊細で貴重な植物を育てられる腕を買われ、王宮の植物園を管理するようにまでなったのだ。
フォーマット伯爵家の植物も全て王宮に移した後は、毎日手入れに没頭できるという幸せな時間を過ごした。
(ここまでは本当に楽しかったのに……)
ところが、実績を上げすぎた結果必要以上に国王に気に入られてしまい、第二王子のギルアンとの婚約を結ばれてしまった。
彼が善良な人間であればまた違ったかもしれない。
実際は横暴で粗雑な権力者であるため、ベルナデッタはひっそりとため息を吐く日々を送っている。
そんな彼女に、ギルアンは侮蔑の目を向けるばかりだ。
「僕は"真に愛する女性"を見つけたんだ。だから、君との婚約は破棄することを決めた」
「そうですか。それはよかったです」
私にとっても、と心の中で付け足した。
同時に、徐々に嬉しさが胸にあふれる。
ギルアンは以前から唐突に話をすることが多々あり、今回も質の悪い冗談だと思っていたのだ。
どうやら、婚約破棄は決定事項らしい。
(私をずっと悩ませてきたギルアン様との婚約。まさか……向こうから破棄してくれるなんて!)
まさしく、頭痛の種が取り去られたと言えよう。
彼女の瞳の輝きに気づかず、ギルアンは不敵な笑みを浮かべた。
「この際だ。君にも紹介しておいてやろう。彼女は非常に美しい。きっと、君は地味な自分が恥ずかしくなるだろうね」
(誰でもいいよ、そんなの)
ベルナデッタは興味がなくむしろ早く立ち去りたかったが、樹木の陰から現れた令嬢を見ると驚きの声が出た。
「セリーヌがギルアン様の"真に愛する女性"なの?」
「ええ、そうですわ。私たちは真実の愛で結ばれていますのよ」
ギルアンにしな垂れかかる令嬢は、セリーヌ・フォーセット。
ベルナデッタの義妹だった。
魔法で桃色に染めた髪は派手なウェーブがかかり、髪と同じ桃色の瞳はいつもどこか潤んでいる。
彼女が着る宝石が散りばめられたドレスは大変高価な品で、ベルナデッタの想像通りギルアンが買い与えた物だった。
「何度見ても、お前の緑の髪と黄色の目は醜いな。胼胝と肉刺だらけの手は老婆のようだし、汚れた衣服からは常に土の臭いがしてたまらんよ。セリーヌと大違いだ」
「申し訳ございません」
ベルナデッタは再度素直に頭を下げる。
それが一番早く事が終わると知っていたからだ。
彼女は今年で十六歳になる。
この年齢の貴族令嬢であれば、日常的にドレスや装飾品を身につける者が多い。
だが、今日も朝から植物の手入れに精を出していたベルナデッタは質素な作業着に身を包み、手も顔も土まみれであった。
植物園の草木には鋭利な葉を持つ種も多々あり、手や顔には小さな切り傷も見られる。
農民のような格好の彼女を見て、ギルアンはさらに鼻で笑った。
「まったくなんだ、その服は。婚約者に会うときくらい着飾っておけよ。僕に悪いと思わないのか?」
「申し訳ございません。ギルアン様がいらっしゃるとは聞いておりませんでしたので。ドレスなどは作業の邪魔になるため、このような作業着を着ていた次第です」
「お義姉様はどうかその汚い格好のままでいてください。あなたに着られるドレスが可哀想ですわ」
セリーヌの瞳が弧を描く。
ギルアンとの仲睦まじい様子から、ベルナデッタは裏の事情を把握できた。
(この二人は私の知らないところで仲を深めていたのね。……別にどうでもいいけど。むしろありがとう)
おそらく、実父と継母もセリーヌの婚約に賛成なのだろうと推測し、実際にそうだ。
王族との婚約は変わらないのだから。
フォーセット伯爵家でベルナデッタの味方は、何年も前に死去した実母だけだった。
ベルナデッタは、どちらかというと人間より植物に興味がある。
何より、自分を攻撃するような人間のことなどあまり考えていなかったので、浮気を知っても「ああ、そうなんだ」という感想を持つだけだった。
あくまでも淡々とした彼女に構わず、セリーヌはギルアンとともに悪質な笑みを浮かべる。
「さあ、早く出て行ってください。"草いじり令嬢"のお義姉様がいると家全体の名誉に関わりますのでね」
――"草いじり令嬢”
日々、植物の手入れに熱心なベルナデッタを蔑む呼び名だったが、当の本人はまったく意に介していなかった。
(ギルアン様とセリーヌは、どんな植物も草に見えてしまうらしい。草とは茎が硬くならず柔らかいままの植物を指す呼称なのだけど、言葉の定義すらも知らないのね)
地面に落とした微笑みを顔に貼り付けて、ベルナデッタは言う。
「出て行くのは構いませんが、植物園の管理はどうされるのでしょうか?」
この植物園には、彼女が復活させた貴重な野性絶滅種も多く育つ。
以前は手伝いの使用人がいたが、ギルアンの嫌がらせによって誰も来なくなった経緯がある。
自分がいなくなったら誰が……と疑問に思うベルナデッタに、セリーヌが自慢げに胸を張った。
「もちろん、私が引き継ぎますわ。お義姉様がここに残る必要はありません」
「え……? 引き継ぐって、あなたは植物のお世話をしたことがあるの? この庭の植物は繊細で貴重な種も多いのよ。最初から全部できるようになるのは難しいわ。少しお世話の仕方を教えてもいいかしら」
セリーヌが植物を触っているところを見たことがない。
庭の植物たちは、みなベルナデッタの大事な友人だ。
残して去るのは忍びなかったし、万が一にでも枯らされたらと思うと心配でしょうがなかった。
ベルナデッタは少しでも知識を共有しようとしたが、ギルアンが間に割り入る。
「今すぐ出て行け、"草いじり令嬢"め。僕のセリーヌに近寄るな」
「私の話を聞いてください。今度、ギルアン様の大叔父様がここに……」
「黙れ。指示に従わなければ、お前の大切な植物を燃やしてもいいんだぞ?」
そのまま、彼は手の平に火球を生み出し、近くの草木に近づけた。
展開される小さな魔法陣でさえ、植物に対する殺意を感じる。
(人質ってわけね……)
ギルアンは植物に興味などない。
本当に燃やしてしまうだろう。
逡巡した後、ベルナデッタはため息交じりに結論を出した。
「……わかりました、出て行きます。その前にお渡しした物があるので少しだけお待ちください」
彼女は近くの作業小屋に戻ると、両手で木箱を抱えてきた。
中には十数冊の本が収まっている光景を見て、ギルアンは顔をしかめる。
「なんだ、その汚い本は」
「ここに育つ全ての植物たちのお世話の仕方や、手入れの注意点などをまとめた園芸書です。この通りに作業していただけば、誰でも枯らさずに育てることができます。どこでどんな植物を育てているかも書いてあるので、迷うことはないと思います」
ベルナデッタが差し出した本の表紙はどれもくたびれ、ページも皺が寄って非常にみすぼらしい。
これには彼女が日々の作業で気づいたことや独自の視点で見つけた栽培のコツなど、並の園芸書とは比べものにならないほどの情報が書かれている。
中身の良さより装飾で本の善し悪しを判断するギルアンとセリーヌは、汚れた園芸書を腫れ物のように押しつけ合っていた。
そんな二人に、ベルナデッタは粛々と別れの挨拶を告げる。
「ちゃんと渡しましたからね。もう一度言いますが、ここには貴重な植物がたくさん育っています。毎日きちんとお世話をお願いします。実際に作業するのが嫌だったら誰か人を雇ってください。それでは、私は身支度を整えてからここを去ります」
「まったく、置き土産まで汚らしい女だな。腹が立つ。次に会ったとき、お前の命はないと思え。もう二度と王宮に足を踏み入れるな。国外追放だ。この国から出て行け」
「……承知いたしました」
(国外追放まで命じられるとは……)
やはり、ギルアンは最後まで横暴だった。
自室に戻ったベルナデッタは手早く着替えを済まし、生活必需品やわずかな資金をまとめる。
手持ちは少ないがないよりはいい。
植物の手入れ道具の他、国王から特別に下賜された多種多様な種をトランクバッグに収めたところで外に出た。
最後に植物園を振り返る。
(たぶん、私がこの国で一番長く過ごした場所だ。みんな、最後までお世話ができなくてごめんね。私はもう行くよ)
案の定見送りは誰もいなかったがベルナデッタはそれについては特に何も感じず、とりあえず王都とは反対方向にある街――"オービタル"に向かう。
煌びやかな王都より素朴な雰囲気が好きで、二十分も歩けば着いてしまう距離だ。
(この後はどうやって生きようかしら。自由の身になったから何をやってもいいのよね)
歩きながら、ベルナデッタは考える。
(流れの仕事の定番である冒険者は危なそうだ。私のところにも怪我に効く薬草を頻繁に買いに来ていたし。じゃあ、植物のお店を開く? これは楽しそう。だけど、ギルアン様たちに知られないようにしないと。あの二人は絶対に嫌がらせしてくるよね。どうしようかな……)
国外に出て行けとは言われたが、別に言いなりになるつもりはなかった。
どこか遠くに行って名前を変え、細々と静かに生活すればいい。
ギルアンとセリーヌの目の届かない場所はどこだろうかと悩んでいるうちに、“オービタル”の街に着いた。
建物は主に石材で構成され、道は土が剥き出しだ。
長閑な場所ではあるが、その日は街全体がどこか忙しなかった。
(なんだか騒がしいな。浮き足立っているというか、慌てているというか)
周りの様子に注意しながら馬車の停留所に向かう。
途中、ベルナデッタの耳には住民の会話が聞こえてきた。
「……おい、聞いたか。また緩衝地帯で帝国軍が演習を行ったらしい。規模は一個旅団だってさ。しかも、指揮したのはあの"冷眼の皇太子"とのことだ」
「えっ、本当かよ。いよいよ戦争が近いのかな……」
住民の会話を聞くと、ベルナデッタは納得した。
(ああ、エーデル帝国が原因か)
アトラ王国の北には、エーデル帝国という巨大な国家が位置する。
およそ五十年前に勃発した大規模な軍事衝突以降、両者は長らく敵対関係にあった。
緊張状態は近年まで続き、現在は国交も交易もまったくない。
(植物園を訪れる貴族からもよく帝国の噂を聞いたっけ。……そうだ! 私には行きたいところがあったんだ!)
不意に、ベルナデッタの瞳が輝いた。
(エーデル帝国に行きたい! そして、帝国固有の植物を見たい! 育てたい!)
彼女が住むアトラ王国よりずっと領土は広く、そこにしか自生しない固有種がたくさんあると聞く。
(図鑑でしか見たことがない数々の植物……ああ、一度でいいからこの目で見てみたい。王国との関係は正直どうでもいいや。この機会に行ってみる、っていうのはいい案ね。ちょっと地図を確認しましょう)
道端の雑貨屋に入ったベルナデッタは、立ち読みは申し訳ないのできちんと地図を買い、エーデル帝国との位置関係を確認する。
王都自体北に近い場所にあり、国境を出た後は緩衝地帯が広がっていた。
(国境までは馬車で三時間くらいか。……よし、エーデル帝国に行こう! そして、見たことない植物をたくさん見て育てる! 王国の人間が入国できるかはわからないけど……何とかなるでしょう! いや、何とかする!)
目的を決めたベルナデッタは街の停留所を探し回る。
ところが帝国のある北に向かう馬車は見つからず、いきなり出鼻をくじかれた。
(困った、馬車が全然ない。歩いて行くにはさすがに遠いし……。また別の街で探すことになりそうだわ)
噴水の縁に座りながら、計画の練り直しが必要だと考えていたとき。
穏やかな男の声で話しかけられた。
「こんにちは、お嬢さん。小耳に挟んだのですが、もしかして北に行きたいのですか? 僕は行商人でしてちょうど北を目指しています。よかったらどうでしょう。空きはまだありますよ」
彼女が顔を上げると、人の良さそうな若い男性が立っている。
風体から行商人の類いだとわかり、ベルナデッタもまた埃を払いながら立ち上がった。
「ええ、北に行きたいです。もっと言うと、エーデル帝国を目指しておりまして。国境の近くまで行けたら嬉しいなと」
「帝国に行くつもりなのですか!? それはまた度胸がありますね。さすがに国境の目の前は無理ですが、なるべく近くまでなら行けます。代金はこれでどうでしょう?」
「……ありがとうございます。お願いします」
行商人が提示した金額でベルナデッタは納得する。
正直に言うと今の持ち合わせでは少々厳しい金額だったが、この際我が儘は言えないだろう。
「では、僕についてきてください。馬車は街から少し離れたところです。はぐれないように気をつけて」
ベルナデッタは行商人に続いて歩く。
大通りを進み、街外れの森に来た。
簡素ながら頑丈そうな幌馬車が停まっており、行商人は自慢げに話す。
「これが僕たちの馬車です。今、護衛を紹介しますね。……みんな、旅の仲間を連れてきましたよ。北に行きたいそうです」
行商人が呼びかけると、幌馬車の裏から護衛とわかる男が二人現れた。
盗賊や山賊対策のためか、どちらも太い剣を腰に提げる。
ベルナデッタはトランクを持ったまま丁寧に頭を下げた。
「急なお願いで申し訳ありませんが、一緒に乗せてください。どうぞよろしくお願いします」
護衛の二人は何も反応せず、場違いな薄笑いを浮かべる。
(なんか嫌な感じ……いや、これは!)
察したベルナデッタが街の方に駆け出したとき、行商人が立ちはだかった。
その顔から人の良さそうな表情は消え、代わりに悪の感情が現れる。
「おやおや、逃げないでください。せっかく手に入れた奴隷なんですからね」
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