く ち な し―身代わりの恋
「キスは身体のうちには入らないよ」

大橋はベンチから立ち上がると、自身の腕時計を見る。

「もう戻らないと」

その言葉にホッとしたような、ちょっと寂しいような感情を覚えた。

「見送らなくていい、また連絡する」

大橋は、見送りを迷っていた私に気が付いて笑って言った。

広い庭を颯爽と歩いていく後ろ姿を見て、かなり背が高いのだと気付いた。
今更ながら、辺りを見回して、塀の上から誰か覗き見してなかったか不安になっていると、

「……クチナシ」

「え」

急に大橋が発した言葉に、意味もなくドキッとする。

「クチナシの花が咲いてる……珍しいね、庭に植えてるなんて」

大橋が花に興味があるなんて意外だ。

「父が造園業を営んでいて、ここにある樹木は全部好きなように植えていったの」

大橋は、「……へぇ」と乾いた返事をして、しばらく花を見つめていた。

少し陰のあるその横顔は、ずっと前に見た事があるような気がした。
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