『身代わり結婚』いただきます!不浄の辺境伯様は、どうやら私の◯◯がお気に召した御様子です。

癒やしってそれです?

 休んでくれるとは約束してくれたものの、騎士団のすでに決まった勤務シフトは変えられないらしい。
 それでも今後は休日を増やすと言ってくれたから、私は私で自分にできることをすることにした。まあ端的に言えば、ソニアさんのお手伝いである。

「雑用何でもどんと来い。任せてくださいね、ソニアさんっ」

「とっても助かるわ、ベルさん。万年人手不足だけれど機密文書も交じっているし、手伝ってくれるなら誰でもいいってわけじゃなかったのよ」

 無表情に喜んでいるソニアさんに笑いかけつつ、私は肩の凝る書類仕事と格闘した。
 メイドの仕事も嫌いじゃなかったけれど、こういう頭を使う仕事も意外と新鮮で面白かった。夫よ、出来た妻に感謝するがいい。

 午前いっぱい黙々と頑張り、ようやくお昼休憩の時間になった。
 美味しくクセ強な辺境料理を心ゆくまで堪能し、再び執務室に戻ったとき――……

 ()()は起こった。


 ――怪我を負ったアレクシス様が、屋敷に担ぎ込まれたのだ。


 ◇


「――アレクシス様!」

 知らせを受けて早々、私とソニアさんはアレクシス様の元へと駆けつけた。
 心配そうに集まっていた屋敷の使用人さんたちが、私とソニアさんを見てすぐさま場所を空けてくれる。

「アレクシス様。そんな、どうして……?」

 アレクシス様は玄関に力なく横たわっていた。
 変わり果てたその姿に、私の足がみっともなく震え出す。すぐに彼の怪我の具合いを確かめねばと思うのに、なかなか手が伸びなかった。

 ……なぜならアレクシス様が、全身ぐっしょりと濡れそぼっていたからだ。

「私はひどい妻です。触るのにためらっちゃう……っ」

「当然だから自分を責めないで、ベルさん。綺麗な水であればまだいいけれど、魔物の体液の可能性だってあるのだから」

「嫌ぁぁぁッ!?」

 ソニアさんの予想におののきつつ、それでも私はアレクシス様の傍らに寄り添った。顔を覗き込めば紙のように真っ白で、私はさっきまでのためらいなんて忘れて夢中ですがりつく。

「アレクシス様っしっかりして! 新婚早々私を未亡人にするおつもりですか!?」

「ぅ……っ」

「――ああ、そんなに心配しなくても大丈夫。瘴気のせいで気を失ってるだけで、怪我自体はほんのかすり傷だから」

 この場にそぐわない、からりとした明るい声が降ってくる。
 はっとして顔を上げれば、赤毛の長髪の男が私を見下ろしていた。こんな状況だというのにその表情は楽しげで、髪とおそろいの赤目が爛々と光っている。

「あなた、は?……ってそれより、かすり傷って本当ですか!?」

「うん。本当本当」

 男は優雅な物腰でひざまずくと、至近距離から私を見つめてくる。
 ぎょっとして身を引く私に、なぜか男はますます距離を詰めてきた。邪気のない顔でふわりと笑う。

「ベルちゃん。初めまして、可愛いね? 身代わり花嫁なんかやめにして、今からオレと駆け落ちしない?」

 ……あぁん?

「――コンラート。不道徳な誘いはおやめなさい。今この場で息の根を止めるわよ」

 私が口を開くより早く、ソニアさんの絶対零度な声が降ってきた。
 コンラート、と呼ばれた赤毛男は「おお怖い」と大仰に身を震わせると、ようやく私から離れてくれた。

「コンラート。旦那様に一体何があったの?」

 メイドさんからタオルを受け取り、ソニアさんがアレクシス様の顔を拭き始める。慌てて私も手を伸ばした。

「ソニアさん、私が代わりますっ」

「ではお願い。透明だし臭いもないし、どうやら水で間違いなさそうね」

「そそ、オレがアレクシスを川の中に放り投げたんだよ。何せまともに魔物の返り血を浴びちゃったもんだから、応急処置で致し方なく」

 私は二人の会話に耳を傾けながら、アレクシス様の騎士服の襟元をゆるめる。首元に新しいタオルを巻きつけ保温して、水に濡れて重くなった漆黒のコートをえいえいっと力任せに脱がせた。

(……ん?)

 アレクシス様の固く握られたこぶしの中に、光る何かがあるのに気がつく。
 長い指を優しく丁寧に外し、出てきたものに私はひゅっと息を呑んだ。

「そう。良い判断だったわね。瘴気にまみれた魔物の血だもの、早々に落とさなければ大惨事になるところだった」

「けどまあ、落とさないよりマシとはいえもう手遅れだったけどな。見ろよ、アレクシスを覆う真っ暗なこの瘴気を」

「あいにくわたしの目には何も見えない」

 頭の上で流れる会話は、もう私の耳を素通りしていた。
 夢見心地のまま、アレクシス様の手の中で光を放つ石に目を奪われる。


 ――まるで、夜の星空をそのままくり抜いたみたいな石だった。


 濃い藍の石の中には、無数の銀の星が閉じ込められている。星々は一瞬だってじっとしていなくて、流れ星のようにきらめき、互いに合流し、小規模な爆発を起こしてはまた散らばっていく。
 そうしてまた、よりいっそうの輝きを放つのだ。

「――……きれい」

 ぽつりとこぼせば、「え?」とソニアさんもそれに気がついた。
 長いまつ毛に縁取られた目を丸くして、おかしそうに頬をゆるめる。

「なるほど。旦那様はこれを取ろうと躍起になったというわけね?」

「大正解」

 コンラートがにやりとした。

 アレクシス様の手から星空の石をそっと取り上げ、眩しそうに目を細める。

「血まみれになりながらも怯むことなく、自ら魔物の胸を切り裂いて取り出したのさ。ベルちゃんが辺境に来てからずっと探し求めていたからな。絶対に手に入れなければと思ったんだろう」

「私の……ため?」

 泣き出しそうになりながらコンラートを見上げれば、コンラートは笑顔でうなずいた。
 私の手に魔石を握らせ、くいっと顎をしゃくってみせる。

「この魔石を強く握り込んで、意識を集中させてみな。魔石には全て『見魔(けんま)』の付属効果がある。アレクシスを覆う、瘴気の姿がベルちゃんの目にも映るはずだ」

「……っ」

 この星空の石が、魔石だったんだ……。

 驚く私だったが、すぐにコンラートに言われた通り魔石をきつく握った。
 未だぴくりとも動かないアレクシス様に目を移せば、その顔が見えなくなっているのに気がつく。

 真っ黒な()()が、アレクシス様を飲み込んでいるのだ。

「……やめて。アレクシス様から、離れてよ!」

 今まで感じたことのないほどの強い怒りが、お腹の底から込み上げてくる。

「どいて、どいてよっ。アレクシス様に近づかないで!」

 闇雲に手を振り払うのに、()()は少しも薄まらない。
 悔しさに涙を浮かべていると、コンラートが私の肩に手を置いた。

「無駄だよ、聞いているだろう? 瘴気は他者の力では祓えない。瘴気を浄化できるのは、あくまで瘴気に飲み込まれた己自身――アレクシス本人だけなのさ」

「…………」

 そうだ。
 確かにそう聞いている。

 瘴気を浄化できるのは、癒やしの力だけ――……

「アレクシス様。アレクシス様。目を、開けて」

 冷たい頬に手を伸ばし、何度も優しく叩いた。

「ほら、起きてください。瘴気を浄化しなくっちゃならないんです。できるでしょう?」

 今にも触れそうなほどアレクシス様の耳に唇を近づけて、私は熱を込めてささやきかける。

「特別に、許可してあげますから。私に――……手を出して、いいですよ?」
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