執愛隠した策士な御曹司は偽装婚約で激情露わに囲い堕とす
◆第一章
四月半ば、天気予報によると明日の東京の気温は二十二度で、春らしい温かな陽気のようだ。
パリのシャルル・ド・ゴール空港のロビーでスマートフォンを開き、天気を確認していた佐久田千花は、じっと考える。
(東京は、こっちよりも少し気温が高いんだ。日本に帰国するのは五年ぶりだから、感慨深いな)
千花の職業は、ファッション関係のフリーライターだ。
大学でフランス語を学び、卒業後に渡仏したのは六年前で、パリの日本食レストランで働きながらファッションやアート、グルメに関するブログを運営し始めた。
やがてウェブマガジンに寄稿するようになり、文章力とフランス語力が高く評価されて、今やハイブランドの取材記事やファッション評論家のインタビュー記事を専門に手掛ける、売れっ子ライターになっている。
パリに住んでいた理由は、世界有数のファッションの都であるがゆえだ。名だたる有名ブランドの本社や旗艦店が集中しており、パリ・ファッションウィークの開催地で、海外のメディアやフォトグラファーが集まるためにブランド案件のインタビューが多い。
パリコレの前後や主要メゾンの新作発表、撮影やインタビューなどで年間スケジュールがぎっしり埋まり、出遅れるわけにはいかないためにまとまった休みが取りにくく、千花は渡仏して一年後に帰国した以外は日本にまったく戻れていなかった。
ビザはフリーランスやライター、デザイナーといった自営業者向けの長期滞在ビザを取得しており、更新はフランス国内でオンラインでできてしまうため、わざわざ帰国する必要がなかったというのも理由のひとつとしてある。
(でも……)
そんな千花がパリの住まいを引き払い、生活拠点を日本に移すことを決めたのは、母親が病気になったからだ。
中学生の頃に父が病死し、母子家庭になって以降、母は必死に働いて千花を大学まで通わせてくれた。卒業後に「フランスで暮らしたい」という意向も尊重してくれ、この六年間はメールやテレビ電話などで連まめに絡を取り合ってきたが、そんな彼女は娘に心配をかけないよう体調不良を隠していたらしい。
実は数年前から心臓の病を患っていたという母は、今回入院して手術を受けることになり、唯一の家族である千花に手術の同意書へのサインを申し訳なさそうに頼んできた。
突然そんな事情を打ち明けられた千花は、驚くと同時にひどく思い悩んだ。
(お母さんはわたしに「同意書にサインしてくれるだけでいい」「私のことは気にせず、あなたはフランスで仕事を頑張って」って言ってたけど、そんなわけにはいかない。もし離れているあいだにお母さんに何かあったら、わたしはきっと後悔する)
職業的に考えればパリに住み続けることが望ましいが、今はオンラインでもインタビューはできる。
原稿はどこででも書けるのだから、後々後悔しないためにも母の傍にいるべきだ。そう考えた千花は生活拠点を日本に移すことを決め、関係各所にその旨を通達した。そしてパリのアパルトマンを引き払い、今まさに日本行きの飛行機に搭乗しようとしている。
スマートフォンを閉じた千花はそれをバッグにしまい、保安検査の列に並んだ。フライト時間は十四時間弱で、搭乗して席に座った途端に名残惜しい気持ちがこみ上げる。
(パリでの暮らし、大変だけど楽しかった。でも仕事に必要なコネクションは充分作れたし、これからは日本でお母さんにうんと親孝行してあげなきゃ)
久しぶりのフライトは、眠ったり映画を観たりとリラックスして過ごせた。
やがて羽田空港に到着し、出国手続きを終えた千花は、キャリーバッグを引いてロビーに出る。五年ぶりの日本は、フランスと比べて空気の匂いが違う気がした。
空港から出て実家に着く頃には、もう日が暮れているだろうか――そんなふうに考えながら歩いていたところ、ふいに後ろから「千花さん」という声が聞こえる。
(……えっ?)
まさかこんなところで誰かに名前を呼ばれるとは思わず、千花はドキリとして振り返る。
するとそこにいたのは、二十代半ばの青年だった。身長が高く、一八〇センチをゆうに超えていて、オーダーメイドとおぼしきスーツがしなやかで均整の取れた体形にフィットしている。
その生地の光沢やデザインはハイブランドのものであることは明らかで、袖口から垣間見える腕時計や磨き上げた革靴などは彼が上流階級の人間であることを如実に示していた。
何より目を引くのは、その顔立ちだ。切れ長で涼やかな目元、きれいに通った鼻筋や薄い唇が絶妙な配置で並び、シャープな輪郭が少し甘さのある端整な容貌を引き立てている。
さらりとして癖のない髪がわずかに目元に掛かっていて、ほんのりと男の色気が漂うその様は俳優かモデルを思わせ、道行く女性たちがチラチラと好奇の視線を向けていた。
男性の顔には見覚えがあり、千花は信じられない思いでつぶやく。
「……もしかして、奏? どうしてここに」
彼――早瀬奏は、千花が六年前までつきあっていた相手だ。
大学時代の千花は実家から出てアパートで独り暮らしをしていて、勉強とアルバイトで多忙な毎日を過ごしていた。
これまで母に苦労をかけてきたのだから、一日も早く自立するのが親孝行だ。せめて大学にかかる費用は、自分で出したい――そう考え、入学金はお祝いとして祖父に出してもらったものの、学費と生活費は奨学金とアルバイトで賄う生活を送っていた。
それは生半可な苦労ではなく、何度挫折しそうになったかわからない。アルバイトをする目的は生活費の足しにするのはもちろんのこと、卒業後にフランスで暮らすという夢を叶えるためだった。
そんな中で誰かとつきあう余裕はなく、当初奏からの告白を断った千花だったが、彼はなかなか諦めなかった。度重なるアプローチに根負けしてついにつきあい始めると、奏は千花をとことん甘やかしてきた。
「頑張っている千花さんの支えになりたい」という彼は、毎日大学とバイト先への送り迎えをするだけでなく、千花が不在のあいだに独り暮らしのアパートを掃除したり、バランスのいい食事を作ってくれる。
その献身ぶりは目を瞠るほどで、友人たちから「こんなに尽くしてくれる男性は滅多にいない」と言われ、千花は困惑してしまった。
(奏のことは、嫌いじゃない。きれいな顔をしてるし、性格も穏やかだし、いつもわたしのことを第一に考えてくれる。それでいて何か見返りを求めるわけでもなく、本当に愛されているんだと強く感じる)
人目を引く美青年であるのにそれをまったく鼻にかけず、愛情をまっすぐに伝えてくれる奏と一緒にいるのは、決して嫌ではなかった。
むしろ彼の醸し出す穏やかな雰囲気に癒やされ、忙しい毎日の中でホッと息をつける存在だったのは確かだ。
しかし優しくされる一方で奏に何も返せていないことが心苦しく、千花が「そこまでしてくれなくていい」「身の回りのことくらい、自分でできるから」と伝えても、彼はやめなかった。
『千花さんのサポートをするのは、俺の趣味みたいなものだよ。だから全然気にしないで』
その言葉どおり、奏は千花が学業とアルバイトの疲れから体調を崩したときも献身的に看病してくれた。
だがその際に彼が発した言葉が、千花の心に大きな波紋を広げた。
『俺がアパートの家賃や生活費を出すから、千花さんはもうバイトを辞めたらどうかな』
『えっ?』
『だって千花さんがここまで頑張ってるのって、生活のためだろ。お母さんに負担をかけたくないから奨学金をもらって、それ以外にかかるお金は全部アルバイトで賄ってる。その姿勢はすごく立派だけど、大学に通いながら毎日日付が変わるくらいまで働くのは無理があるし、今回みたいに体調を崩して当然だよ。それで授業やバイトを休んだら、本末転倒じゃない?』
彼の発言はもっともだったが、だからといってアルバイトを辞めれば自分の生活は成り立たなくなる。千花がそう言うと、奏が事も無げに言葉を続けた。
『今借りてる奨学金を、俺が全額肩代わりする。いっそこのアパートを引き払って、こっちのマンションに引っ越してきたら、家賃も浮くよね。そうすれば千花さんは勉強に専念できて、悪い話じゃないと思うんだけど』
彼の話している内容はあまりに金銭感覚が違いすぎて、千花は愕然とした。
恋人のアパートの家賃や生活費を出すことなど、普通の大学生にできるはずがない。ましてや奨学金の返済まで含めれば、数百万単位になるのは必至だ。
その後詳しく事情を聞いてわかったことだが、奏の家は相当な資産家らしい。確かに彼が着ているものはブランドものが多く、品のある物腰も育ちのよさを感じさせた。
アルバイトの類は一切しておらず、千花の家で料理をしてくれたときに材料費を支払おうとしても「必要ないよ」と微笑んで一度も受け取ろうとしなかったが、今思えばそれは金銭的にまったく困窮していないがゆえの発言だったのだろう。
(だからって、わたしの生活にかかるお金を全部奏が払うのはおかしい。いくら彼の家がお金持ちでわたしたちが恋人同士だとしても、そんなの道理に合わないよ)
今まで何となく感じていた感覚のずれが露呈され、千花はひどく困惑した。
奏の鷹揚さが経済的余裕からきているもので、恋人のために数百万円を出しても惜しくないという感覚は、一般庶民である自分には到底理解できない。それは愛情があるかどうかではなく、価値観の問題だ。
そんな思いにかられた千花は、卒論の執筆で忙しいことを理由に奏と距離を置いた。そしてじっくり考えて出した結論は、「価値観が合わないなら、一緒にいるのは難しい」ということだ。
自立心が強い千花はどんなことでも〝自分で成し遂げる〟という事実に充実感をおぼえる性質で、恋人からおんぶに抱っこされるのは性に合わない。
何よりこれほどまでに家柄が違うなら、この先トラブルになる可能性も否定できなかった。
(そうだよ。実家がものすごくお金持ちなら、奏の両親は片親で経済的に豊かとはいえないわたしと自分たちの息子がつきあうことにいい顔はしないかもしれない。そもそも住む世界が違うんだから)
パリのシャルル・ド・ゴール空港のロビーでスマートフォンを開き、天気を確認していた佐久田千花は、じっと考える。
(東京は、こっちよりも少し気温が高いんだ。日本に帰国するのは五年ぶりだから、感慨深いな)
千花の職業は、ファッション関係のフリーライターだ。
大学でフランス語を学び、卒業後に渡仏したのは六年前で、パリの日本食レストランで働きながらファッションやアート、グルメに関するブログを運営し始めた。
やがてウェブマガジンに寄稿するようになり、文章力とフランス語力が高く評価されて、今やハイブランドの取材記事やファッション評論家のインタビュー記事を専門に手掛ける、売れっ子ライターになっている。
パリに住んでいた理由は、世界有数のファッションの都であるがゆえだ。名だたる有名ブランドの本社や旗艦店が集中しており、パリ・ファッションウィークの開催地で、海外のメディアやフォトグラファーが集まるためにブランド案件のインタビューが多い。
パリコレの前後や主要メゾンの新作発表、撮影やインタビューなどで年間スケジュールがぎっしり埋まり、出遅れるわけにはいかないためにまとまった休みが取りにくく、千花は渡仏して一年後に帰国した以外は日本にまったく戻れていなかった。
ビザはフリーランスやライター、デザイナーといった自営業者向けの長期滞在ビザを取得しており、更新はフランス国内でオンラインでできてしまうため、わざわざ帰国する必要がなかったというのも理由のひとつとしてある。
(でも……)
そんな千花がパリの住まいを引き払い、生活拠点を日本に移すことを決めたのは、母親が病気になったからだ。
中学生の頃に父が病死し、母子家庭になって以降、母は必死に働いて千花を大学まで通わせてくれた。卒業後に「フランスで暮らしたい」という意向も尊重してくれ、この六年間はメールやテレビ電話などで連まめに絡を取り合ってきたが、そんな彼女は娘に心配をかけないよう体調不良を隠していたらしい。
実は数年前から心臓の病を患っていたという母は、今回入院して手術を受けることになり、唯一の家族である千花に手術の同意書へのサインを申し訳なさそうに頼んできた。
突然そんな事情を打ち明けられた千花は、驚くと同時にひどく思い悩んだ。
(お母さんはわたしに「同意書にサインしてくれるだけでいい」「私のことは気にせず、あなたはフランスで仕事を頑張って」って言ってたけど、そんなわけにはいかない。もし離れているあいだにお母さんに何かあったら、わたしはきっと後悔する)
職業的に考えればパリに住み続けることが望ましいが、今はオンラインでもインタビューはできる。
原稿はどこででも書けるのだから、後々後悔しないためにも母の傍にいるべきだ。そう考えた千花は生活拠点を日本に移すことを決め、関係各所にその旨を通達した。そしてパリのアパルトマンを引き払い、今まさに日本行きの飛行機に搭乗しようとしている。
スマートフォンを閉じた千花はそれをバッグにしまい、保安検査の列に並んだ。フライト時間は十四時間弱で、搭乗して席に座った途端に名残惜しい気持ちがこみ上げる。
(パリでの暮らし、大変だけど楽しかった。でも仕事に必要なコネクションは充分作れたし、これからは日本でお母さんにうんと親孝行してあげなきゃ)
久しぶりのフライトは、眠ったり映画を観たりとリラックスして過ごせた。
やがて羽田空港に到着し、出国手続きを終えた千花は、キャリーバッグを引いてロビーに出る。五年ぶりの日本は、フランスと比べて空気の匂いが違う気がした。
空港から出て実家に着く頃には、もう日が暮れているだろうか――そんなふうに考えながら歩いていたところ、ふいに後ろから「千花さん」という声が聞こえる。
(……えっ?)
まさかこんなところで誰かに名前を呼ばれるとは思わず、千花はドキリとして振り返る。
するとそこにいたのは、二十代半ばの青年だった。身長が高く、一八〇センチをゆうに超えていて、オーダーメイドとおぼしきスーツがしなやかで均整の取れた体形にフィットしている。
その生地の光沢やデザインはハイブランドのものであることは明らかで、袖口から垣間見える腕時計や磨き上げた革靴などは彼が上流階級の人間であることを如実に示していた。
何より目を引くのは、その顔立ちだ。切れ長で涼やかな目元、きれいに通った鼻筋や薄い唇が絶妙な配置で並び、シャープな輪郭が少し甘さのある端整な容貌を引き立てている。
さらりとして癖のない髪がわずかに目元に掛かっていて、ほんのりと男の色気が漂うその様は俳優かモデルを思わせ、道行く女性たちがチラチラと好奇の視線を向けていた。
男性の顔には見覚えがあり、千花は信じられない思いでつぶやく。
「……もしかして、奏? どうしてここに」
彼――早瀬奏は、千花が六年前までつきあっていた相手だ。
大学時代の千花は実家から出てアパートで独り暮らしをしていて、勉強とアルバイトで多忙な毎日を過ごしていた。
これまで母に苦労をかけてきたのだから、一日も早く自立するのが親孝行だ。せめて大学にかかる費用は、自分で出したい――そう考え、入学金はお祝いとして祖父に出してもらったものの、学費と生活費は奨学金とアルバイトで賄う生活を送っていた。
それは生半可な苦労ではなく、何度挫折しそうになったかわからない。アルバイトをする目的は生活費の足しにするのはもちろんのこと、卒業後にフランスで暮らすという夢を叶えるためだった。
そんな中で誰かとつきあう余裕はなく、当初奏からの告白を断った千花だったが、彼はなかなか諦めなかった。度重なるアプローチに根負けしてついにつきあい始めると、奏は千花をとことん甘やかしてきた。
「頑張っている千花さんの支えになりたい」という彼は、毎日大学とバイト先への送り迎えをするだけでなく、千花が不在のあいだに独り暮らしのアパートを掃除したり、バランスのいい食事を作ってくれる。
その献身ぶりは目を瞠るほどで、友人たちから「こんなに尽くしてくれる男性は滅多にいない」と言われ、千花は困惑してしまった。
(奏のことは、嫌いじゃない。きれいな顔をしてるし、性格も穏やかだし、いつもわたしのことを第一に考えてくれる。それでいて何か見返りを求めるわけでもなく、本当に愛されているんだと強く感じる)
人目を引く美青年であるのにそれをまったく鼻にかけず、愛情をまっすぐに伝えてくれる奏と一緒にいるのは、決して嫌ではなかった。
むしろ彼の醸し出す穏やかな雰囲気に癒やされ、忙しい毎日の中でホッと息をつける存在だったのは確かだ。
しかし優しくされる一方で奏に何も返せていないことが心苦しく、千花が「そこまでしてくれなくていい」「身の回りのことくらい、自分でできるから」と伝えても、彼はやめなかった。
『千花さんのサポートをするのは、俺の趣味みたいなものだよ。だから全然気にしないで』
その言葉どおり、奏は千花が学業とアルバイトの疲れから体調を崩したときも献身的に看病してくれた。
だがその際に彼が発した言葉が、千花の心に大きな波紋を広げた。
『俺がアパートの家賃や生活費を出すから、千花さんはもうバイトを辞めたらどうかな』
『えっ?』
『だって千花さんがここまで頑張ってるのって、生活のためだろ。お母さんに負担をかけたくないから奨学金をもらって、それ以外にかかるお金は全部アルバイトで賄ってる。その姿勢はすごく立派だけど、大学に通いながら毎日日付が変わるくらいまで働くのは無理があるし、今回みたいに体調を崩して当然だよ。それで授業やバイトを休んだら、本末転倒じゃない?』
彼の発言はもっともだったが、だからといってアルバイトを辞めれば自分の生活は成り立たなくなる。千花がそう言うと、奏が事も無げに言葉を続けた。
『今借りてる奨学金を、俺が全額肩代わりする。いっそこのアパートを引き払って、こっちのマンションに引っ越してきたら、家賃も浮くよね。そうすれば千花さんは勉強に専念できて、悪い話じゃないと思うんだけど』
彼の話している内容はあまりに金銭感覚が違いすぎて、千花は愕然とした。
恋人のアパートの家賃や生活費を出すことなど、普通の大学生にできるはずがない。ましてや奨学金の返済まで含めれば、数百万単位になるのは必至だ。
その後詳しく事情を聞いてわかったことだが、奏の家は相当な資産家らしい。確かに彼が着ているものはブランドものが多く、品のある物腰も育ちのよさを感じさせた。
アルバイトの類は一切しておらず、千花の家で料理をしてくれたときに材料費を支払おうとしても「必要ないよ」と微笑んで一度も受け取ろうとしなかったが、今思えばそれは金銭的にまったく困窮していないがゆえの発言だったのだろう。
(だからって、わたしの生活にかかるお金を全部奏が払うのはおかしい。いくら彼の家がお金持ちでわたしたちが恋人同士だとしても、そんなの道理に合わないよ)
今まで何となく感じていた感覚のずれが露呈され、千花はひどく困惑した。
奏の鷹揚さが経済的余裕からきているもので、恋人のために数百万円を出しても惜しくないという感覚は、一般庶民である自分には到底理解できない。それは愛情があるかどうかではなく、価値観の問題だ。
そんな思いにかられた千花は、卒論の執筆で忙しいことを理由に奏と距離を置いた。そしてじっくり考えて出した結論は、「価値観が合わないなら、一緒にいるのは難しい」ということだ。
自立心が強い千花はどんなことでも〝自分で成し遂げる〟という事実に充実感をおぼえる性質で、恋人からおんぶに抱っこされるのは性に合わない。
何よりこれほどまでに家柄が違うなら、この先トラブルになる可能性も否定できなかった。
(そうだよ。実家がものすごくお金持ちなら、奏の両親は片親で経済的に豊かとはいえないわたしと自分たちの息子がつきあうことにいい顔はしないかもしれない。そもそも住む世界が違うんだから)
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