執愛隠した策士な御曹司は偽装婚約で激情露わに囲い堕とす
約半年のあいだ千花は奏と会うのをセーブしていたが、彼はまめに連絡を寄越してはこちらの身体を心配し、ときに自宅アパートに外資系スーパーや百貨店で購入した惣菜などを差し入れてくれた。
そんな奏に感謝しつつも、尽くされる一方の関係を次第に重荷に感じ、「これ以上彼に迷惑をかけたくない」と考えた千花は、結局別れを告げた。
『ごめんなさい。これ以上奏と一緒にいたら、たぶんわたしは駄目になる。だからあなたは、自分に合ったレベルの人を探して』
久しぶりに会うなりそう告げた千花を前に、奏はしばし呆然としていた。
彼にしてみれば、「卒論が終われば以前のように会える」と考えていたのにいきなり別れを告げられ、納得できなかったに違いない。
奏は「自分に悪いところがあるなら改める」「金銭的な話をしたのが千花さんにとって負担だったのなら、二度とそういう話はしない」と言って謝ってきたものの、千花の決意は固かった。
『わたし、卒業したらすぐフランスに行く予定なの。そのためにコツコツと貯金してきて、やっと目標額に到達したから、向こうで何年か暮らすつもり』
彼は「自分は遠距離恋愛でも構わない」「千花さんがいつか日本に帰って来るまで待つ。何なら自分もフランスに留学してもいい」と食い下がってきたが、それを聞いた千花は奏にはっきり告げた。
『わたしと一緒にいたいからフランスに留学するとか、そういうことを事も無げに考える金銭感覚が合わないって言ってるの。奏は実家が裕福で留学するためのお金をすぐ用意できるのかもしれないけど、わたしはこの四年間必死で資金を貯めたんだよ。あまりにも価値観が違いすぎて、一緒にいると惨めになる』
『……千花さん』
『あなたはまだ二年大学が残ってるんだから、ちゃんと卒業して。――今までありがとう。元気でね』
かくして奏と別れた千花は大学を卒業し、まもなく渡仏した。
それから彼とは一度も連絡を取っておらず、何をしているのかも知らない。そうして六年が経過していたが、なぜ今になって空港で遭遇する羽目になっているのだろう。
そんな戸惑いをおぼえる千花を見つめ、奏が微笑んで口を開いた。
「おかえり、千花さん。――六年ぶりだね」
「う、うん。あの、奏はどうしてここに?」
数年ぶりに帰国したタイミング、しかも空港内で呼び止めてきたのは、はたして偶然なのか。そんな疑問を抱きつつ見つめると、彼がニッコリ笑って言う。
「どうしてだと思う?」
「どうしてって、それはわたしが聞いてるんだけど」
目まぐるしく考えた千花は、ある可能性に思い至ってつぶやいた。
「もしかして、わたしの動向をチェックしてた?」
「うん。千花さん、渡仏したあとブログやSNSで積極的にフランスでの暮らしを発信してただろ。ライターとして雑誌やウェブメディアで発表した記事も、全部読んでるよ」
まさか奏がそこまで詳細にこちらの動きを把握しているとは思わず、千花は驚きをおぼえる。
何しろこちらは五年ぶりの帰国で、彼と直接連絡を取り合っていたわけではない。日本に生活拠点を移すことは共通の知人にもまだ伝えておらず、そんな状況でなぜ――と考えていると、奏があっさり告げた。
「千花さんのSNSを見ていれば、おおよその予想はつくよ。アパルトマンの部屋を片づけている様子や、昨日空港の写真を上げて『これから日本にフライト』っていう内容もつぶやいてただろ。その時刻以降のパリ発羽田行きの飛行機を調べて到着時間を確認すれば、こうして迎えることは可能だ」
ことさらプライベートをSNSで晒したつもりはなく、普段から日常の断片だけをつぶやくようにしていたものの、奏はわずかな情報からそこまで分析したらしい。
それを知った千花は、自分の脇の甘さを痛感すると共にひとつの疑念を抱いた。
(つまり奏は、六年前に別れて以降ずっとわたしの動きを監視してたってこと? 一体何のために……)
そんな千花の疑念をよそに、奏はさらに驚くことを言う。
「あの様子だと、向こうのアパルトマンは完全に引き払って日本に拠点を移すのかな。その理由は、もしかしてお母さんの健康に不安があるから?」
「どうしてそれを……」
「千花さんのところは、母ひとり子ひとりだろ。ずっと向こうに住んでいたのにわざわざ日本に帰ってくるのは、娘の千花さんでなければ対応できないことがあるからじゃないかと考えたんだけど」
あまりに的確にこちらの状況を言い当てられ、千花は驚きを通り越して唖然としてしまう。彼の顔を見つめた千花は、自分の中の疑問を口にした。
「何で? どうしてわたしの動向を、そこまで詳しく知ってるの。一体何の目的?」
「俺はずっと、千花さんが日本に帰ってくるのを待ってたんだ。六年前はあまりに頑なで、こっちの話を全然聞いてくれなくて、別れを受け入れざるを得なかった。でもどれだけ時間が経っても、千花さんのことを忘れることができなかった」
――奏は語った。
千花が卒論とアルバイトで忙しいのを理由になかなか会ってくれなくなったとき、少しずつ心の距離を感じていたこと。
だがすべて終われば元どおりの関係に戻れるのだと信じ、じっと耐えていたこと。それなのに突然別れを告げられ、加えて「卒業後はフランスに移住する」と告げられて、頭が真っ白になったこと――。
「……ショックだった。俺が何気なく口にした金銭関係の話に、千花さんがあれほどまでに拒否感を示すとは思わなかったし、それこそ価値観の違いなのかと考えて自分の浅慮を死ぬほど後悔した。それでも、千花さんのプライドや気持ちを傷つけてしまったのは事実なんだから、別れを告げられたのは相応の罰なんだと考えて受け入れようとした」
彼はやるせなく微笑み、「でも」と言葉を続ける。
「どれだけ時間が経っても、諦められない。千花さんが渡仏してすぐにSNSのアカウントを見つけて、それを追うようになってからは余計にだ。フランスに行ってからのあなたはすごく生き生きとしてて、大変な中でも充実した生活を送っているのが伝わってきた。それを見ているうちに思ったんだ。『諦められないなら、無理に諦める必要はないんじゃないか』『だったら千花さんがまた日本に戻ってきたときに、もう一度アプローチしよう。そのためには一人前の男になろう』って」
奏の発言を聞いた千花は、びっくりしてまじまじと彼を見る。
まさか奏が自分を諦めておらず、再びアプローチをするためにこうして会いに来たのだとは夢にも思わなかった。
(それにしても……)
改めて彼を観察したところ、かつての面影を残しつつもかなり大人びたのがよくわかる。
大学時代の奏は整った顔立ちと柔和な物腰、人懐こい性格で、まるで血統書付きの犬のような雰囲気だった。しかし今は仕立てのいいスーツを着こなし、体形もしなやかでありながらも厚みを増していて、以前よりシャープになった顔立ちに大人の男らしい雰囲気が漂っている。
それを意識した途端、妙に落ち着かない気持ちになって、千花はそんな自分を内心強く戒めた。
(わたしの馬鹿。今さら奏を意識してどうするの)
彼と自分は、とっくに終わった関係だ。
嫌いになって別れたわけではないものの、千花なりに深く思い悩んで出した結論であり、後悔したことは一度もない。それにこんなに恰好よくなっているのだから、この六年で一度も彼女がいなかったというのはあり得ないだろう。
そんなこちらの考えを読んだように、奏がさらりと告げた。
「この六年間で他につきあった人間がいると思ってるのかもしれないけど、俺が千花さん以外の女性を好きになるわけないよ。ずっと帰ってくるのを待っていたんだから」
「べ、別にそんなこと思ってるわけじゃ……」
「ところでこのあと、実家に行く? それともお母さんが入院してるなら、病院に行くのかな。車で来てるから送るよ」
突然そんな提案をされた千花は、慌てて首を横に振って言う。
「自分で移動するから、気にしないで。それより奏、仕事は? そういう恰好をしてるってことは、働いてるんだよね」
「もちろん働いてるけど、今日は時間をやり繰りして来たんだ。どうせ会社がある都心に戻るし、遠慮しないで」
「遠慮じゃなく、あなたにそういうことをされる理由がないから断ってるの。じゃあ、わたしはこれで」
奏の申し出をきっぱりと断った千花は、キャリーバッグを引いてロビーを歩き出す。
思いがけない再会に、ひどく困惑していた。まさか六年前に別れた相手が空港で待っているとは思わず、しかも今も恋愛感情があることを仄めかされて、動揺している。
(とっくに別れたはずなのに、いきなり「日本に帰ってくるのを待っていた」なんて言われても困る。しかもあんな……)
かつては可愛い印象だった二歳年下の奏が、スーツの似合う青年になっていたことに驚きを隠せない。
現在は二十六歳になっているはずだが、彼は一体どんな仕事をしているのだろう。そんな疑問が浮かんだものの、千花は急いでそれを打ち消す。
(別に奏がどんな仕事をしてようと、わたしには関係ない。確かに昔と比べたらかなり大人っぽくなっていたけど、今さら彼とどうこうなる気はないんだから)
そんな奏に感謝しつつも、尽くされる一方の関係を次第に重荷に感じ、「これ以上彼に迷惑をかけたくない」と考えた千花は、結局別れを告げた。
『ごめんなさい。これ以上奏と一緒にいたら、たぶんわたしは駄目になる。だからあなたは、自分に合ったレベルの人を探して』
久しぶりに会うなりそう告げた千花を前に、奏はしばし呆然としていた。
彼にしてみれば、「卒論が終われば以前のように会える」と考えていたのにいきなり別れを告げられ、納得できなかったに違いない。
奏は「自分に悪いところがあるなら改める」「金銭的な話をしたのが千花さんにとって負担だったのなら、二度とそういう話はしない」と言って謝ってきたものの、千花の決意は固かった。
『わたし、卒業したらすぐフランスに行く予定なの。そのためにコツコツと貯金してきて、やっと目標額に到達したから、向こうで何年か暮らすつもり』
彼は「自分は遠距離恋愛でも構わない」「千花さんがいつか日本に帰って来るまで待つ。何なら自分もフランスに留学してもいい」と食い下がってきたが、それを聞いた千花は奏にはっきり告げた。
『わたしと一緒にいたいからフランスに留学するとか、そういうことを事も無げに考える金銭感覚が合わないって言ってるの。奏は実家が裕福で留学するためのお金をすぐ用意できるのかもしれないけど、わたしはこの四年間必死で資金を貯めたんだよ。あまりにも価値観が違いすぎて、一緒にいると惨めになる』
『……千花さん』
『あなたはまだ二年大学が残ってるんだから、ちゃんと卒業して。――今までありがとう。元気でね』
かくして奏と別れた千花は大学を卒業し、まもなく渡仏した。
それから彼とは一度も連絡を取っておらず、何をしているのかも知らない。そうして六年が経過していたが、なぜ今になって空港で遭遇する羽目になっているのだろう。
そんな戸惑いをおぼえる千花を見つめ、奏が微笑んで口を開いた。
「おかえり、千花さん。――六年ぶりだね」
「う、うん。あの、奏はどうしてここに?」
数年ぶりに帰国したタイミング、しかも空港内で呼び止めてきたのは、はたして偶然なのか。そんな疑問を抱きつつ見つめると、彼がニッコリ笑って言う。
「どうしてだと思う?」
「どうしてって、それはわたしが聞いてるんだけど」
目まぐるしく考えた千花は、ある可能性に思い至ってつぶやいた。
「もしかして、わたしの動向をチェックしてた?」
「うん。千花さん、渡仏したあとブログやSNSで積極的にフランスでの暮らしを発信してただろ。ライターとして雑誌やウェブメディアで発表した記事も、全部読んでるよ」
まさか奏がそこまで詳細にこちらの動きを把握しているとは思わず、千花は驚きをおぼえる。
何しろこちらは五年ぶりの帰国で、彼と直接連絡を取り合っていたわけではない。日本に生活拠点を移すことは共通の知人にもまだ伝えておらず、そんな状況でなぜ――と考えていると、奏があっさり告げた。
「千花さんのSNSを見ていれば、おおよその予想はつくよ。アパルトマンの部屋を片づけている様子や、昨日空港の写真を上げて『これから日本にフライト』っていう内容もつぶやいてただろ。その時刻以降のパリ発羽田行きの飛行機を調べて到着時間を確認すれば、こうして迎えることは可能だ」
ことさらプライベートをSNSで晒したつもりはなく、普段から日常の断片だけをつぶやくようにしていたものの、奏はわずかな情報からそこまで分析したらしい。
それを知った千花は、自分の脇の甘さを痛感すると共にひとつの疑念を抱いた。
(つまり奏は、六年前に別れて以降ずっとわたしの動きを監視してたってこと? 一体何のために……)
そんな千花の疑念をよそに、奏はさらに驚くことを言う。
「あの様子だと、向こうのアパルトマンは完全に引き払って日本に拠点を移すのかな。その理由は、もしかしてお母さんの健康に不安があるから?」
「どうしてそれを……」
「千花さんのところは、母ひとり子ひとりだろ。ずっと向こうに住んでいたのにわざわざ日本に帰ってくるのは、娘の千花さんでなければ対応できないことがあるからじゃないかと考えたんだけど」
あまりに的確にこちらの状況を言い当てられ、千花は驚きを通り越して唖然としてしまう。彼の顔を見つめた千花は、自分の中の疑問を口にした。
「何で? どうしてわたしの動向を、そこまで詳しく知ってるの。一体何の目的?」
「俺はずっと、千花さんが日本に帰ってくるのを待ってたんだ。六年前はあまりに頑なで、こっちの話を全然聞いてくれなくて、別れを受け入れざるを得なかった。でもどれだけ時間が経っても、千花さんのことを忘れることができなかった」
――奏は語った。
千花が卒論とアルバイトで忙しいのを理由になかなか会ってくれなくなったとき、少しずつ心の距離を感じていたこと。
だがすべて終われば元どおりの関係に戻れるのだと信じ、じっと耐えていたこと。それなのに突然別れを告げられ、加えて「卒業後はフランスに移住する」と告げられて、頭が真っ白になったこと――。
「……ショックだった。俺が何気なく口にした金銭関係の話に、千花さんがあれほどまでに拒否感を示すとは思わなかったし、それこそ価値観の違いなのかと考えて自分の浅慮を死ぬほど後悔した。それでも、千花さんのプライドや気持ちを傷つけてしまったのは事実なんだから、別れを告げられたのは相応の罰なんだと考えて受け入れようとした」
彼はやるせなく微笑み、「でも」と言葉を続ける。
「どれだけ時間が経っても、諦められない。千花さんが渡仏してすぐにSNSのアカウントを見つけて、それを追うようになってからは余計にだ。フランスに行ってからのあなたはすごく生き生きとしてて、大変な中でも充実した生活を送っているのが伝わってきた。それを見ているうちに思ったんだ。『諦められないなら、無理に諦める必要はないんじゃないか』『だったら千花さんがまた日本に戻ってきたときに、もう一度アプローチしよう。そのためには一人前の男になろう』って」
奏の発言を聞いた千花は、びっくりしてまじまじと彼を見る。
まさか奏が自分を諦めておらず、再びアプローチをするためにこうして会いに来たのだとは夢にも思わなかった。
(それにしても……)
改めて彼を観察したところ、かつての面影を残しつつもかなり大人びたのがよくわかる。
大学時代の奏は整った顔立ちと柔和な物腰、人懐こい性格で、まるで血統書付きの犬のような雰囲気だった。しかし今は仕立てのいいスーツを着こなし、体形もしなやかでありながらも厚みを増していて、以前よりシャープになった顔立ちに大人の男らしい雰囲気が漂っている。
それを意識した途端、妙に落ち着かない気持ちになって、千花はそんな自分を内心強く戒めた。
(わたしの馬鹿。今さら奏を意識してどうするの)
彼と自分は、とっくに終わった関係だ。
嫌いになって別れたわけではないものの、千花なりに深く思い悩んで出した結論であり、後悔したことは一度もない。それにこんなに恰好よくなっているのだから、この六年で一度も彼女がいなかったというのはあり得ないだろう。
そんなこちらの考えを読んだように、奏がさらりと告げた。
「この六年間で他につきあった人間がいると思ってるのかもしれないけど、俺が千花さん以外の女性を好きになるわけないよ。ずっと帰ってくるのを待っていたんだから」
「べ、別にそんなこと思ってるわけじゃ……」
「ところでこのあと、実家に行く? それともお母さんが入院してるなら、病院に行くのかな。車で来てるから送るよ」
突然そんな提案をされた千花は、慌てて首を横に振って言う。
「自分で移動するから、気にしないで。それより奏、仕事は? そういう恰好をしてるってことは、働いてるんだよね」
「もちろん働いてるけど、今日は時間をやり繰りして来たんだ。どうせ会社がある都心に戻るし、遠慮しないで」
「遠慮じゃなく、あなたにそういうことをされる理由がないから断ってるの。じゃあ、わたしはこれで」
奏の申し出をきっぱりと断った千花は、キャリーバッグを引いてロビーを歩き出す。
思いがけない再会に、ひどく困惑していた。まさか六年前に別れた相手が空港で待っているとは思わず、しかも今も恋愛感情があることを仄めかされて、動揺している。
(とっくに別れたはずなのに、いきなり「日本に帰ってくるのを待っていた」なんて言われても困る。しかもあんな……)
かつては可愛い印象だった二歳年下の奏が、スーツの似合う青年になっていたことに驚きを隠せない。
現在は二十六歳になっているはずだが、彼は一体どんな仕事をしているのだろう。そんな疑問が浮かんだものの、千花は急いでそれを打ち消す。
(別に奏がどんな仕事をしてようと、わたしには関係ない。確かに昔と比べたらかなり大人っぽくなっていたけど、今さら彼とどうこうなる気はないんだから)