好きが止まらない
第9話 迎えに来た人
朝から降り続く雨は、夕方になっても勢いを弱めることはなかった。
図書館の窓を打つ雨音は、いつもより大きく聞こえる。
「今日はよく降るね」
同僚の言葉に、私は曖昧に笑った。
外を見る。
灰色の空。
道路には水たまりができ、人々は足早に駅へ向かっていた。
私は鞄の中を探る。
財布。
スマートフォン。
文庫本。
……傘がない。
「しまった……」
朝、玄関に置いたまま出てきてしまった。
最近、考え事ばかりしているからだろう。
閉館作業を終えた私は、入口の屋根の下で立ち尽くしていた。
コンビニまで走るべきか。
少し雨が弱まるのを待つべきか。
迷っていると、一台の車がゆっくりと図書館の前に停まった。
見覚えのある白い軽ワゴンだった。
運転席のドアが開く。
傘を差した人がこちらへ駆けてきた。
「雨宮さん!」
聞き慣れた声。
「……桐生さん?」
思わず息をのむ。
悠真さんは少し肩で息をしながら、私の前で立ち止まった。
「よかった。まだ帰ってなかった」
「どうして……?」
「迎えに来ました」
その一言に、頭の中が真っ白になる。
「迎え……?」
「天気予報で大雨だって言ってたでしょう?」
悠真さんは照れくさそうに笑う。
「雨宮さん、前にも傘を忘れてたから。また忘れてる気がして」
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
覚えていてくれたんだ。
あの日のことを。
私が傘を忘れたことまで。
「でも、ご迷惑じゃ……」
「迷惑じゃないです」
食い気味に返ってきた。
「むしろ、来なかったら後悔すると思って」
優しい声だった。
飾らない、本音の声。
その響きに、張りつめていた心が少しずつほどけていく。
◇
二人で一つの傘に入る。
前より少し近い距離。
雨音が静かに二人を包んでいた。
「最近、カフェに来なくなりましたね」
不意に悠真さんが口を開く。
私は俯いた。
「すみません……」
「謝らなくていいんです」
少し間を置いて、彼は続けた。
「でも、心配でした」
その一言が胸に刺さる。
「何か嫌なことを言ったのかな、とか」
「違います!」
思わず声が大きくなる。
「桐生さんは悪くありません」
「じゃあ、どうして?」
答えられない。
好きだから。
その一言が喉まで込み上げるのに、口からは出てこない。
沈黙だけが続いた。
◇
アパートが見えてきた頃、私はようやく小さく口を開いた。
「……聞いたんです」
「え?」
「桐生さんには、忘れられない人がいるって」
足が止まる。
悠真さんは目を丸くした。
「誰から?」
「常連さんが話していて……」
しばらくの沈黙。
やがて悠真さんは、困ったように笑った。
「なるほど」
その笑顔は、どこか安心したようにも見えた。
「それで避けてたんですね」
私は何も言えず、ただ頷いた。
「誤解です」
「え……?」
「その話、ちゃんと説明したいです」
真っ直ぐな眼差しが私を見つめる。
鼓動が速くなる。
「でも今日は、このまま帰りましょう」
そう言って、悠真さんはまた歩き始めた。
「続きは、明日」
その言葉だけを残して。
◇
部屋へ戻っても、胸の高鳴りは収まらなかった。
誤解。
そう言った。
忘れられない人の話は、私が思っていたものとは違うのだろうか。
期待してはいけない。
そう思うのに、期待してしまう。
明日。
全部話してくれると言った。
その「明日」が、こんなにも待ち遠しいなんて。
窓の外では、雨が少しずつ弱くなっていた。
長く続いたすれ違いも、ようやく終わりを迎えようとしていた。
図書館の窓を打つ雨音は、いつもより大きく聞こえる。
「今日はよく降るね」
同僚の言葉に、私は曖昧に笑った。
外を見る。
灰色の空。
道路には水たまりができ、人々は足早に駅へ向かっていた。
私は鞄の中を探る。
財布。
スマートフォン。
文庫本。
……傘がない。
「しまった……」
朝、玄関に置いたまま出てきてしまった。
最近、考え事ばかりしているからだろう。
閉館作業を終えた私は、入口の屋根の下で立ち尽くしていた。
コンビニまで走るべきか。
少し雨が弱まるのを待つべきか。
迷っていると、一台の車がゆっくりと図書館の前に停まった。
見覚えのある白い軽ワゴンだった。
運転席のドアが開く。
傘を差した人がこちらへ駆けてきた。
「雨宮さん!」
聞き慣れた声。
「……桐生さん?」
思わず息をのむ。
悠真さんは少し肩で息をしながら、私の前で立ち止まった。
「よかった。まだ帰ってなかった」
「どうして……?」
「迎えに来ました」
その一言に、頭の中が真っ白になる。
「迎え……?」
「天気予報で大雨だって言ってたでしょう?」
悠真さんは照れくさそうに笑う。
「雨宮さん、前にも傘を忘れてたから。また忘れてる気がして」
その言葉を聞いた瞬間、胸が熱くなった。
覚えていてくれたんだ。
あの日のことを。
私が傘を忘れたことまで。
「でも、ご迷惑じゃ……」
「迷惑じゃないです」
食い気味に返ってきた。
「むしろ、来なかったら後悔すると思って」
優しい声だった。
飾らない、本音の声。
その響きに、張りつめていた心が少しずつほどけていく。
◇
二人で一つの傘に入る。
前より少し近い距離。
雨音が静かに二人を包んでいた。
「最近、カフェに来なくなりましたね」
不意に悠真さんが口を開く。
私は俯いた。
「すみません……」
「謝らなくていいんです」
少し間を置いて、彼は続けた。
「でも、心配でした」
その一言が胸に刺さる。
「何か嫌なことを言ったのかな、とか」
「違います!」
思わず声が大きくなる。
「桐生さんは悪くありません」
「じゃあ、どうして?」
答えられない。
好きだから。
その一言が喉まで込み上げるのに、口からは出てこない。
沈黙だけが続いた。
◇
アパートが見えてきた頃、私はようやく小さく口を開いた。
「……聞いたんです」
「え?」
「桐生さんには、忘れられない人がいるって」
足が止まる。
悠真さんは目を丸くした。
「誰から?」
「常連さんが話していて……」
しばらくの沈黙。
やがて悠真さんは、困ったように笑った。
「なるほど」
その笑顔は、どこか安心したようにも見えた。
「それで避けてたんですね」
私は何も言えず、ただ頷いた。
「誤解です」
「え……?」
「その話、ちゃんと説明したいです」
真っ直ぐな眼差しが私を見つめる。
鼓動が速くなる。
「でも今日は、このまま帰りましょう」
そう言って、悠真さんはまた歩き始めた。
「続きは、明日」
その言葉だけを残して。
◇
部屋へ戻っても、胸の高鳴りは収まらなかった。
誤解。
そう言った。
忘れられない人の話は、私が思っていたものとは違うのだろうか。
期待してはいけない。
そう思うのに、期待してしまう。
明日。
全部話してくれると言った。
その「明日」が、こんなにも待ち遠しいなんて。
窓の外では、雨が少しずつ弱くなっていた。
長く続いたすれ違いも、ようやく終わりを迎えようとしていた。