月影の彼方〜千年の約束〜
第十九話 予兆
新学期が始まった。
中学三年の二学期になると、将来の話が増える。
学校では、高校の話。
どこの高校に行きたいとか。
あそこは家から通うには遠すぎるとか。
施設では、中学卒業後の話。
高校の寮に入る者もいれば、親元へ戻る者もいる。
毎日が少しずつ慌ただしくなっていった。
俺は、中学を卒業したら寮のある高校へ進学したいと思っていた。
いずれ月島家へ帰るにしても、まずは高校を卒業して働いてから。
そんな話をすると、リッカはつまらなそうにあくびをする。
「お前のしたいようにすればいい」
それが最近のリッカの口癖だった。
突き放しているようでいて。
どんな選択をしても見守っている、と言われているようで、どこか心強かった。
「俺は高校行かないで働こうと思うわ」
帰り道。
晃が足元の小石を蹴りながら言った。
「なりたいものもねぇし。それより早く稼いで自立したい」
それは晃らしい考え方だった。
でも少しだけ寂しかった。
同じ高校へ行けたらいいのに。
そんなことを思っていたからだ。
もちろん、言わなかったけれど。
すると晃が続ける。
「でもさ」
「ん?」
「お前と同じ高校ってのも楽しそうだな」
思わず顔が綻ぶ。
「俺、寮がある高校で考えてるんだ。学費は奨学金でなんとかなるし」
少し前を歩くリッカを見る。
「リッカも、高校は出た方がいいって言うし」
「あいつほんと、お前の親みてぇだよな」
晃が笑う。
俺もつられて笑った。
「でも、最近リッカ少し変なんだよな」
ふと口をついて出た言葉だった。
晃の表情が僅かに固まる。
「……何が?」
「前はいつもそばにいたんだ」
空を見上げる。
そこにいるのが当たり前だった存在。
「呼ばなくてもいたし、気付いたら隣にいた」
それなのに。
「最近は姿が見えない時間が増えてさ」
「……」
「呼べば来るんだけど、どこにいたのか聞いても、寝てたとか、適当に誤魔化されるんだ」
晃が少しだけ目を伏せた。
「……子離れしたんだろ」
冗談めかしてそう言う。
「そうなのかな」
だったら少し寂しい。
そんなことを思ってしまう自分の方が、親離れできていない子供みたいだった。
「……そういえばさ」
晃が何かを言いかける。
「ん?」
「いや」
少し間を置いて。
「なんでもない」
それ以上は何も言わなかった。
その夜。
晴人が眠りについた頃。
晃は一人、施設の中を歩いていた。
探している相手は一人しかいない。
ようやく見つけた時。
リッカは食堂の窓際に立ち、外を眺めていた。
月明かりが銀色の髪を照らしている。
「……なんだ、晃か」
「お前、このままでいいのかよ」
リッカがゆっくりと振り返る。
「何がだ」
「話す気ねぇなら俺が言うぞ」
晃が睨む。
「晴人に」
一瞬だけ。
リッカの目が細くなった。
「やめろ」
「なんでだよ」
晃が声を荒げる。
「なんでそんなになるまで黙ってんだよ」
静寂が落ちる。
やがてリッカは小さく息を吐いた。
「……お前、気付いていたのか」
「夏休み最後の日だ」
晃が拳を握る。
「あの日、お前ほとんど一日寝てただろ」
「……ああ」
「俺だって術師の端くれだ。気配を辿ればわかる」
リッカは何も言わない。
晃は続けた。
「晴人は気付いてねぇ」
「だろうな」
「だからって、このままでいいわけねぇだろ」
しばらく沈黙が続いた。
やがてリッカがぽつりと言う。
「高校へ行くそうだ」
「……ああ」
「寮にも入りたいらしい」
晃が頷く。
「友達もできた」
リッカの目が少しだけ細められる。
「昔は俺以外誰も寄せ付けなかったのにな」
その声は、どこか誇らしげだった。
そして。
少しだけ寂しそうでもあった。
「……俺がいなくても、生きていける」
晃は何も言えなかった。
「櫂燕殿にも言われた」
リッカが空を見上げる。
「別れはちゃんと告げろ、と」
「だったら」
「でもな」
晃の言葉を遮る。
「言ったら、あいつは泣くだろう」
「言わなくても泣く!」
晃の声が響く。
「突然いなくなる方が泣くだろうが!」
リッカは少しだけ困ったように笑った。
「……俺はな」
静かな声だった。
「あいつが泣くと駄目なんだ」
「は?」
「昔からそうだ」
月明かりの中で目を細める。
「あいつを泣かせる奴は、全部俺が排除してきた」
その声はどこか懐かしそうだった。
「だから俺が泣かせるわけにはいかない」
晃は呆れたように息を吐く。
「……親バカかよ」
「なんとでも言え」
リッカは笑った。
そして。
「晃」
「……なんだよ」
「晴人を頼む」
晃が顔を上げる。
その時にはもう。
リッカの姿は月明かりの中へ溶けるように消えていた。
「……おい」
返事はない。
晃は拳を握り締めた。
「……馬鹿やろ」
何も知らずに眠っている晴人。
その寝顔を思い浮かべる。
このことを伝えるべきなのか。
それとも。
晃は答えを出せないまま夜空を見上げた。
窓の外では、秋の風が静かに吹いていた。
その時は、もうすぐそこまで来ていた。