乾杯はふたりだけの秘密
 翌日、結衣は何事もなかったような顔をして出社した。眠っていた体なのだから、そうでなければいけない。
「おはようございます」
「あ、新田君、おはよう」
 朝から満面の笑みを向けられて、心が満たされる。それだけで、長い一日を軽々と乗り切れそうな気がした。けれど、実際はほとんど眠れなかった。ドーパミンだかアドレナリンだかの影響で、「何かいける」という感じだ。
 確かめたかった新田の気持ちを思わぬ形で知ることとなり、どうすればいいのかわからなかった。
「昨日はご馳走様でした」
 新田が少し声を潜めたことで、昨日のことがふたりだけの秘め事だと意識しているように感じられた。
 額に触れた唇の感触と「好きだ」と呟いた新田の声が、今も耳に残っている。
 それなのに、昨夜のことはまるで夢だったかのように思わせる新田の冷静な態度が、結衣の心を惑わせた。
 新田には、ちょい悪要素があるように思う。
 もう一度だけ確かめたい。それで、自分の心が決まるだろう。

 クリスマスがすぐそこまで迫っている。
 社内ではギフト需要に向けた繁忙期で連日対応に追われているというのに、自分にはそのギフトを贈る予定も贈られる予定もないという事実に、虚しさを通り越して笑えてくる。
 当たり前のようにクリスマスを一緒に過ごして新しい年を迎えるものだと思っていた恋人の浮気が発覚したのは、梅雨明け間近の蒸し暑さが続く時期だった。
 梅雨の晴れ間、社員旅行で留守にしている恋人の部屋に少しでも風を通しておいてあげようと合鍵で入ると、裸の男女が抱き合っていた。それは、いるはずのない恋人と、知らない女だった。
 多くを語らず落ち着きがあり、どこか憂いを帯びた雰囲気の彼に惹かれたのは確かだけれど、影のある男というのは、影に隠れて浮気をするという意味ではないはずだ。モテる男は魅力的だが、それでも浮気をしない誠実さとガツガツしていない余裕な姿に魅力があるわけで、そうでなければただのクズ男だ。そんな男には一ミリも未練はない。
 異性の好みというのは、どの段階で決まるのだろうかと考える。幼少期、思春期、親の影響なども関係あるのだろうか。結衣の父親は、嘘のひとつもつけない、冗談のひとつも言えない真面目だけが取り柄のような人間だった。もちろん浮気の「う」の字も知らないような人で、仕事が終われば寄り道もせず真っ直ぐ家に帰る愛妻家だ。
 そんな親を見て育ったのに、自分は何故いつも少し危険な香りがする男に惹かれてしまうのだろう。
「先輩、大丈夫ですか?」
 不意に耳に飛び込んできた新田の声に、結衣は体を跳ね上げた。
「ぼんやりして……寝不足ですか?」
 新田の言葉は、心配しているのかからかっているのか、よくわからない。昨夜のことなどまるで気にも留めていないような顔でコーヒーを差し出してくる。
 酔って眠りこけている体の自分にこっそり告白していたのは、どこのどいつだ。おかげで――
「ぜっ、絶好調だよ。昨日はよく寝たしー」
 反撃するかのように皮肉めいた返事をして、結衣は山積みの納品伝票の処理にとりかかった。
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