乾杯はふたりだけの秘密
 引き継ぎを終えた翌週、ようやく佐々木が皆の前に姿を現した。
 あんなことを仕出かした上に、引き継ぎで皆の手を煩わせたというのに、佐々木の表情は苛立ちを覚える程、清々しく見える。
 結局、佐々木の退職理由は一身上の都合。そう言われて、それ以上踏み込む者はいない。
 就業のチャイムが鳴り、皆が帰り支度を始めた頃、佐々木から声が掛かった。
「結衣ちゃん、ちょっといい?」
「何?」
 警戒しながら佐々木の後に付いていくと、休憩所だとわかって、結衣はほっと胸を撫で下ろした。
「結衣ちゃん、色々悪かったな」
「え、自覚あったの?」
「ほんと悪かったと思ってるんだ。ごめん」
 結衣は思わずため息を漏らした。
「もういいけど」
「まあ新田と仲良くやってよ」
「散々邪魔しておいて、何よ、今さら」
 やっぱり腹が立つ。
 佐々木は苦笑いを浮かべた。
「あの日さぁ、新田が店に結衣ちゃん迎えにきた日、俺ほんとはすげえびびってたんだよ。マジで新田怒らしちまったなと思って」
「怒ってたのは私だよ。だって、あれは酷すぎでしょ。あんなやり方、最低だと思う」
「わかってるよ、ほんとごめん」
 佐々木は俯いて息を吐き出した。
「あの日、結衣ちゃんが店出た後、新田に殴られるだろうなって覚悟してたんだ。そしたら、いきなり頭下げられてさ」
「え?」
「それ! まさにそんな感じ」
 佐々木は人差し指をぴんと立てた。
「どういう状況!? ってなってさ」
 言ってから、佐々木は不意に表情を曇らせた。
「結衣ちゃんのことだけは勘弁してくれって」
「新田君がそんなこと?」
「そうなんだ。それで、自分のことが気に入らないんだったら、喧嘩でも勝負でもなんでも受けるし、辞めてほしいって言うなら会社も辞めてやるからって言われてさ」
「えぇっ!?」
「その代わり、結衣ちゃんを巻き込むことだけは金輪際やめてくれって頼まれて。俺、何も言い返せなくなってさ」
 まさかそんな話を聞かされるとは思わず、結衣は一瞬言葉を失った。
「俺さぁ、結構モテるんだけど……唯一落とせなかったのが、結衣ちゃん」
「はあ? この状況でよくそんなこと言えたね」
 怒りを通り越して、呆れてしまう。
「あいつみたいなやつがいたら、そりゃ無理だよなって思った。なんか、こんなやり方しかできねえ自分がすげえ情けなくなってさ」
「それってさぁ……」
「嫉妬だよ。あいつに嫉妬。みんな新田新田ってちやほやするからさぁ。悔しくて憎くて、新田の大事なもん奪ってやりたくなったんだ。仕事も女も」
「最低だね」
「わかってるから、もうこれ以上言わないでよ」
「でも、わかるよ、その気持ち。佐々木君だけじゃないと思う」
 つい、本音をこぼした。
 結衣は、あの日來未の店で抱いた醜い気持ちを思い出していた。
「あいつの手柄も横取りしたし、あいつの客に悪い噂流したりもした。それであいつは担当から外されて、俺と交代。けど、後でそれが客にバレて……」
「それで、どうなったの?」
「あいつ、そのこと誰にも言わなかったんだよ。それどころか、俺を庇って客に口止めまでしてさ。会社にもバレずに、客と俺とあいつの中だけで済んだんだ」
「そんなことがあったんだ。全然知らなかった」
「引くだろ?」
「うん。それは引く」
「でも、今度はそんなことするあいつに無性に腹が立ってさ。嫉妬に狂った男はマジやべえから」
 佐々木が苦々しく笑った。
「あいつがなんかする度、俺のこと蔑んだ目で見てる気がして、もう止められなくなって。あいつが結衣ちゃんに好意持ってるって気付いて、壊してやろうと思った」
 飲み会での賢吾への暴言、クリスマスの嫌味、自分への強引な誘いや試すような言葉、執拗に賢吾との関係を気にしていたこと。
 話を聞いて、佐々木の今までの言動が腑に落ちた。
「俺、こんなだけどさぁ、さすがにこのまま会社に居続けられるほど神経図太くないから。逃げるみたいでずるくてかっこわりいけど、許してほしい」
 何も言わずに逃げるやつなんていくらでもいる。そうじゃない佐々木は、更正の余地があると思える。
「俺があいつに仕事を託したのは、嫌がらせじゃねえから。あいつの大口の客奪ったお詫びと、あいつなら安心して任せられると思ったから。それはマジだから」
 今の佐々木の言うことなら、信用できそうだ。
 賢吾はきっと、この話も自分にはしないのだろう。佐々木に敵対心を持っていたのは明らかだったが、そんな佐々木の仕事を引き継ぐことも、聞かなければ言わないつもりだったのだろう。仕事だと割り切ったのか、愚痴ひとつこぼさなかった。
 さすが賢吾だと思った。
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