乾杯はふたりだけの秘密
 部屋に入るとコートを脱いで、真っ先に暖房を入れた。
 ほどなくして温かな風が流れ始め、強張っていた肩の力が抜けていく。
 賢吾はグラスふたつとワインボトルを両手に持ってテーブルに運び、ソファに腰を下ろした。結衣は生ハムとチーズやナッツを皿に盛り付けてテーブルに並べ、賢吾の隣に座った。
 賢吾が慣れた手つきでコルクを抜き、赤ワインをグラスへ注ぐと、ふたりは同時にグラスを持ち上げ、笑顔を交わす。
 急な仕事の引き継ぎで、賢吾は慌ただしい一週間を過ごした。
「お疲れ様」
 結衣は労いの言葉を掛けた。
「おつかれ」
 賢吾がグラスを軽く打ち鳴らす。
 ワインを一口飲むと、賢吾は表情を緩めた。そうしてネクタイを緩めてジャケットを脱いだ。

 アルコールは、人の心身に大きな作用を及ぼす。

「なんだぁ、賢吾結構飲めるんだ」
「まあ酒は嫌いじゃねえし」
「じゃあ、ほんとにずっと我慢してたんだね」
「まあな」
 その事実は、告白の言葉よりもずっと深く結衣の胸に落ちた。
 飲み会の度に、賢吾はきっと自分を思い浮かべていたのだろう。
「これからは、時々一緒に飲もうね」
「……おう」
 賢吾がナッツをつまんで、口へ放り込んだ。ただそれだけの動作なのに、何故か目を奪われてしまう。外では見せないリラックスした表情と、ゆったりとした動作が、大人の余裕と色気を感じさせる。
 不意に視線を向けた賢吾が、悪戯な笑みを浮かべた。そうしてまたナッツをつまむと、今度は自分の唇に押し当ててきた。
 賢吾の指先が唇に触れて、結衣の心臓が跳ねる。
 動揺しながら小さく口を開けると、ナッツと一緒に賢吾の指先が歯に触れる感触があった。
 賢吾は素知らぬ顔で、再びワイングラスをゆっくりと口に運んだ。
 ちょい悪男に翻弄されている。
 開けた二本目のボトルが、もうすぐ空になろうとしていた。

 ソファでぴったりと寄り添い、グラスを片手に賢吾が覗き込むようにして甘い視線を向けてくる。
「結衣、すげえ好き」
「え、どうしたの? 急に。……照れるんだけど」
「結衣は? 俺のこと好き?」
「うん、好きだよ」
 賢吾が目を細め、甘く微笑む。その表情がやけに色っぽい。
 互いの気持ちには気付いていたが、面と向かって言われたのも言ったのも、これが初めてだと気付く。
 賢吾が静かにテーブルにグラスを置いた。
「結衣……」
 髪を撫でられるだけで、体の力が抜けていく。心地好くてもっと甘えたくなる。
 ゆっくりとソファに体が沈んでいく。
「えっ!? ちょっ、ちょっと待って!」
「無理、待てねえ」
 気付けば、ソファの上で仰向けになり、身動きがとれない体勢になっていた。
 シャツのボタンを外しながら、賢吾が覆い被る。
「待って待って!!」
「もう無理。健全な男が好きな女を前にいつまでも我慢できるわけねえだろ」
 確かに。
 結衣はふと冷静になった。つい最近まで後輩の新田として接していただけに油断していた。好青年のイメージが強すぎて、賢吾と性のイメージが結び付かなかった。

 どうやら賢吾は色上戸のようだ。誠実で、爽やかで、礼儀正しい後輩の新田と、ちょい悪の賢吾とのギャップにやられてしまう。こんなにも余裕をなくして取り乱す賢吾の姿も初めて目にした。
 どっちの賢吾ももちろん好きだけれど、やっぱり惹かれてしまうのは――
 結衣は観念して、静かに目を閉じた。
「目開けてちゃんと俺を見ろよ」
「やだ、恥ずかしい」
 結衣は固く目を閉じて、首を横に振った。
「目開けねえと、もっと恥ずかしいことするぞ」
「やだやだ、絶対無理ー!」
 目を開けると、溢れだす賢吾の色気に、きっと溺れてしまう。



【完】
< 58 / 58 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:4

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

もう一度会えたなら
凛子/著

総文字数/15,747

恋愛(純愛)26ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
中島美紀と向かい合って座る、スーツに眼鏡の真面目風サラリーマン。 彼は、美紀の友人でも恋人でもない。 この店で相席している常連客――藤沢海斗だ。 完結&公開 2022.6.3 さとみっち様 レビューありがとうございます。
それでも愛がたりなくて
凛子/著

総文字数/8,029

恋愛(純愛)10ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
無口でシャイな夫・斎藤賢治と、そんな夫が大好きな妻・塔子。 食の好みが合い身体の相性もいい二人の幸せな結婚生活が、あることをきっかけに狂いはじめる。 完結&公開 2022.5.20 さとみっち様 素敵なレビューありがとうございます。
愛のかたち
凛子/著

総文字数/28,862

恋愛(純愛)69ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
情けない男の不器用な愛。 公開開始 2022.11.5 完結 2022.11.12 鮭ムニエル様 さとみっち様 sadsukgc様 チャマ様 かしらぎ様 レビューありがとうございます。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop