乾杯はふたりだけの秘密
のんべえ会の帰りは、電車で居眠りしても乗り過ごす心配はいらない。
「先輩、今日もコーヒーご馳走してくださいね」
「ああ、うん……」
新田は遠慮も知らない人種のようだが、逆にそこが良いところでもある。年下のくせに、人に気を遣わせない術を知っている。
結衣は新田の背中にぴったりと張り付いて、甘い香りと心地よい揺れを感じていた。本当は歩けないほど酔ってはいなかったが、新田の好意に甘えた形だ。理性はあるが恥じる気持ちがなくなっているのは、やはりアルコールのせいなのか、それとも相手が新田だからなのか――
「お邪魔します」
新田の自由さと品格のバランスが、相手に不快感を与えない要因だろう。新田はいつでも礼儀正しい。
「コーヒー淹れるね」
「ありがとうございます」
新田がコートを脱いでソファに腰を下ろす様子をキッチンから眺めながら、結衣はコーヒーケトルに水を注ぎ、火にかけた。
改めて考えると、おかしな光景だ。飲み仲間で付き合いの長いまさやんとなかじーは一度も来たことがないのに、入社して数ヶ月の後輩が深夜にソファで寛いでいる。こんなことがもし社内に知れ渡ったら、自分よりも彼のほうが被害を被るだろう。村八分とまではいかないにしても、変な噂を立てられて居づらくなるに違いない。ましてや、真面目で誠実だと知られている彼なら尚更だ。
新田の視線が部屋の中をゆっくりと移動しながら、結衣に向けられた。
「先輩、ぬいぐるみ好きなんですか?」
新田が真似をして、ぬいぐるみを片手にアヒル口で尋ねる。
「そのカモノハシのぬいぐるみ、可愛いでしょ? この前一目惚れして、つい衝動買いしちゃったんだよね~」
「意外です」
「どういう意味? 私には可愛いものが似合わないってこと?」
結衣は笑いながら、コーヒーカップをふたつ持ってテーブルに移動した。
「先輩は可愛いっていうより、格好いいってイメージが強くて。……いただきます」
新田がカップを手にして、息を吹き掛けた。
「へえ。私ってそんなイメージなんだ」
「面倒見が良くて、姉貴的な……」
「ふうん。そっか」
「……酔った時は違いますけど」
「え、今それ言う?」
消し去りたい過去を掘り返され、結衣は思わず苦笑いした。
「先輩、俺のこと好きですか?」
「え?」
「この前は好きだって言ってくれましたよね」
「え、そんなこといつ言った?」
「覚えてないんですか? 言ったじゃないですか。言いましたよ。この前先輩を送ってコーヒーをご馳走になった時、このソファに座って」
新田が畳み掛けるように言った。
「それはさあ、後輩としてってことだよね?」
全く記憶にない結衣は、まるで他人事のように言った。
「何だ。……がっかりです」
伏し目がちにそう言うと、新田は一気にコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「ご馳走さまでした」
「え? あ、ううん。こっちこそ送ってくれてありがとう」
結衣は足早に玄関へと向かう新田の後ろを慌てて追った。
この後味の悪さはなんだろう。悪いことをしたわけでもないのに、罪悪感にも似た感情に満たされている。
初めて見送る新田の背中は、やけに小さく見えた。ドアが閉まった瞬間、飛ばした記憶の重さが、不意に結衣にのしかかってきた。
自分の知らない自分が、何かを動かしているように思えた。
結衣はどうしてもそれを知りたくなった。
「先輩、今日もコーヒーご馳走してくださいね」
「ああ、うん……」
新田は遠慮も知らない人種のようだが、逆にそこが良いところでもある。年下のくせに、人に気を遣わせない術を知っている。
結衣は新田の背中にぴったりと張り付いて、甘い香りと心地よい揺れを感じていた。本当は歩けないほど酔ってはいなかったが、新田の好意に甘えた形だ。理性はあるが恥じる気持ちがなくなっているのは、やはりアルコールのせいなのか、それとも相手が新田だからなのか――
「お邪魔します」
新田の自由さと品格のバランスが、相手に不快感を与えない要因だろう。新田はいつでも礼儀正しい。
「コーヒー淹れるね」
「ありがとうございます」
新田がコートを脱いでソファに腰を下ろす様子をキッチンから眺めながら、結衣はコーヒーケトルに水を注ぎ、火にかけた。
改めて考えると、おかしな光景だ。飲み仲間で付き合いの長いまさやんとなかじーは一度も来たことがないのに、入社して数ヶ月の後輩が深夜にソファで寛いでいる。こんなことがもし社内に知れ渡ったら、自分よりも彼のほうが被害を被るだろう。村八分とまではいかないにしても、変な噂を立てられて居づらくなるに違いない。ましてや、真面目で誠実だと知られている彼なら尚更だ。
新田の視線が部屋の中をゆっくりと移動しながら、結衣に向けられた。
「先輩、ぬいぐるみ好きなんですか?」
新田が真似をして、ぬいぐるみを片手にアヒル口で尋ねる。
「そのカモノハシのぬいぐるみ、可愛いでしょ? この前一目惚れして、つい衝動買いしちゃったんだよね~」
「意外です」
「どういう意味? 私には可愛いものが似合わないってこと?」
結衣は笑いながら、コーヒーカップをふたつ持ってテーブルに移動した。
「先輩は可愛いっていうより、格好いいってイメージが強くて。……いただきます」
新田がカップを手にして、息を吹き掛けた。
「へえ。私ってそんなイメージなんだ」
「面倒見が良くて、姉貴的な……」
「ふうん。そっか」
「……酔った時は違いますけど」
「え、今それ言う?」
消し去りたい過去を掘り返され、結衣は思わず苦笑いした。
「先輩、俺のこと好きですか?」
「え?」
「この前は好きだって言ってくれましたよね」
「え、そんなこといつ言った?」
「覚えてないんですか? 言ったじゃないですか。言いましたよ。この前先輩を送ってコーヒーをご馳走になった時、このソファに座って」
新田が畳み掛けるように言った。
「それはさあ、後輩としてってことだよね?」
全く記憶にない結衣は、まるで他人事のように言った。
「何だ。……がっかりです」
伏し目がちにそう言うと、新田は一気にコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「ご馳走さまでした」
「え? あ、ううん。こっちこそ送ってくれてありがとう」
結衣は足早に玄関へと向かう新田の後ろを慌てて追った。
この後味の悪さはなんだろう。悪いことをしたわけでもないのに、罪悪感にも似た感情に満たされている。
初めて見送る新田の背中は、やけに小さく見えた。ドアが閉まった瞬間、飛ばした記憶の重さが、不意に結衣にのしかかってきた。
自分の知らない自分が、何かを動かしているように思えた。
結衣はどうしてもそれを知りたくなった。