友達以上恋人未満

第8話:名前入りの嘘

(楓side)
「じゃあな、由良! 先行くわ!」
雨の中、由良に手を振って、俺は朝比奈さんの傘に入った。
正直、かなり気まずい。女子と一つの傘に入るなんていつ以来だ? 隣を歩く朝比奈さんは、心なしか緊張で顔を真っ赤にしている。
――それにしても、由良のやつ。
俺は朝比奈さんの手から借りて差している、小さな紺色の折りたたみ傘を見つめた。
あいつ、置き傘があるって言ってたけど、絶対嘘だ。だってあいつ、いつも荷物になるからって置き傘なんてしない主義だし、もしあるなら今日、俺の低血圧をからかう前に「傘あるから貸してやろっか?」って言ってくるはずなんだ。
なのに、急に朝比奈さんに傘を貸して、俺を一緒に帰らせた。
あいつ、何考えてんだろ。
「あの、楓くん……」
「あ、ごめん、何?」
「ううん、傘、私の方に傾けてくれてありがとう。楓くんの肩、濡れちゃってる……」
「あー、別にこれくらい平気。男だし」
朝比奈さんは小さくて華奢だ。少しでも気を抜くと雨が当たってしまいそうで、俺は自然と傘を左側に傾けていた。歩調を合わせて歩いていると、ふと、自分が握っている傘の手元(持ち手)のところに、見覚えのある文字が目に入った。
プラスチックの白い持ち手の部分に、黒い油性ペンで、小さく文字が書かれている。
『由良』
「え……?」
心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
朝比奈さんが「由良ちゃんに貸してもらった」と言っていた、この折りたたみ傘。
でも、ここに書いてあるのは、由良の『苗字』じゃない。
あいつの下の名前――『由良(ゆら)』だ。
中2の時、あいつが親に買ってもらったばかりの傘に、俺がふざけて「お前の名前書いといてやるよ」って、勝手に下の名前を殴り書きした、あの傘だ。
「これ……由良の、傘……?」
じゃあ、由良は。
あいつ、自分の一本しかない傘を、朝比奈さんに貸したのか?
置き傘があるなんて大嘘をついて。
「楓くん……? どうしたの?」
「あ、いや……」
朝比奈さんの心配そうな声に、俺はうまく返事ができなかった。
頭の中が、一気にざわつき始める。
なんで由良は、自分の傘を渡してまで、俺と朝比奈さんを二人きりにしたんだ?
まるで、俺たちをくっつけようとしてるみたいじゃないか。
『付き合うとかは考えられない。……これからも、今まで通りじゃダメかな?』
中2の冬、あいつに告白されたとき、俺はそう言って断った。
あいつとの関係が変わるのが怖くて、今の「一番の親友」ってポジションが居心地よくて、ずるずると引き伸ばしてきた。
由良も、もう俺に好意なんて見せないし、完全に「ただの友達」に戻ったんだと思ってた。
なのに、なんでこんな、胸の奥がモヤモヤするんだ。
「危ねっ」
大きな水たまりに気づき、俺は反射的に朝比奈さんの腕を引いて避けた。
「あ、ありがとう……」と顔を赤くする朝比奈さんを見ても、俺の頭の中は、今頃ずぶ濡れになって駅へ向かっているかもしれない、あの不器用な幼馴染のことでいっぱいだった。
あいつの傘から、由良の匂いがする。
それなのに、その傘の下にいるのは、由良じゃない別の女の子だ。
「クソッ……」
俺は自分の心の狭さに悪態をつくように、激しくなる雨の音の中に、小さく声を吐き出した。
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