愛を教えてくれた君へ

 世界はいつだって、私にとって冷たくて、灰色の場所だった。
 物心がつく前に両親を亡くした私を引き取ったのは、父方のおばあちゃんだった。けれど、そこに「家族の温もり」なんてものはひとかけらも存在しなかった。おばあちゃんから私に向けられる言葉は、いつだって刃物のように鋭く、幼い私の心を容赦なく切り刻んだ。
「あんたなんか、生まれなければ良かったのよ」
「本当に邪魔な子供。あんたのせいで、うちの生活費がどれだけ圧迫されてると思ってるの」
 それが、日常の挨拶だった。ご飯はいつも、冷え切った残り物の白米に、少しのふりかけだけ。おばあちゃんがテレビを見ているリビングに私が一歩でも入ろうものなら、「汚らわしい。自分の部屋に引っ込んでなさい」と怒鳴られた。
 学校でも同じだった。ボロボロの制服を着て、いつも俯いている私に話しかけてくれる人なんて、お団子頭でクラスの人気者のかれんちゃんくらいしかいなかった。かれんちゃんは私の数少ない、そして唯一の光だったけれど、家に帰ればまたあの地獄が待っている。
 私はいつしか、自分の存在価値を見失っていた。「愛」って何だろう。そんなものはきっと、テレビの向こう側か、おとぎ話の中にしか存在しない、私には一生縁のないものなのだと思い知らされていた。
 あの日も、おばあちゃんから激しい罵声を浴びせられた。理由は、私が夕飯の準備の手伝いで、お皿を一枚、落として割ってしまったから。
「この役立たず! 邪魔ばかりして! 今すぐ出て行きなさい!」
 髪の毛を引っ掴まれ、玄関から放り出された。外はバケツをひっくり返したような土砂降りの雨。傘も持たず、行くあてもなく、私はただ雨の中を走り続けた。体中の水分がすべて雨と涙に変わってしまったんじゃないかと思うくらい、泣きながら走った。
 たどり着いたのは、住宅街の片隅にある、人目のつかない小さな公園だった。古びたベンチの上に、かろうじて雨を凌げる小さな屋根がついている。
 私はそこで膝を抱え、ガタガタと震えながら泣いていた。冷たい雨が容赦なく体温を奪っていく。このまま凍えて死んでしまえば、おばあちゃんも喜ぶのかな。そんな投げやりな思考が頭をよぎった、その時だった。
「……おい、大丈夫か?」
 頭上から、低くて、でも驚くほど優しい声が降ってきた。
 驚いて顔を上げると、そこにはずぶ濡れのサッカー部のユニフォームを着た、一人の男の子が立っていた。黒髪の短髪が雨に濡れて額に張り付いている。背が高くて、整った顔立ち。同じ高校の制服の入ったスクールバッグを肩にかけているから、雨宮高校の生徒だとすぐに分かった。彼の名前は阿部蓮。学校でも誰もが知っている、サッカー部のエースでモテ男子の彼だった。
「あ、あの……」
「そんなところで震えて、傘も持ってないのか? 身体、冷え切ってるじゃん」
 蓮は心配そうに眉をひそめると、自分のスクールバッグから、大きめのタオルを取り出して私の頭の上にポンと載せた。
「ほら、これ使いな。……お前、同じ学校の生徒だろ? 何があったか知らねーけど、この雨の中一人でいたら風邪ひくぞ」
「すみません……私、邪魔、だから……」
 口を突いて出たのは、おばあちゃんに言われ続けた呪いの言葉だった。けれど、蓮はその言葉を聞いた瞬間、何かを察したように、ぎゅっと拳を握りしめた。そして、私の目を真っ直ぐに見つめて、信じられない言葉を口にしたんだ。
「お前が邪魔なわけないだろ。……よし、うち来なよ」
「えっ……?」
「俺んち、すぐそこだから。お袋もいるし、温かい風呂もある。とにかく、ここにいたら死んじまうよ。行こう」
 蓮は私の細い手首をそっと、でも拒絶させない強さで握りしめ、歩き出した。
 それが、私の人生が大きく動き出した、運命の瞬間だった。
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