拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由



 大勢の人がそれぞれ自分の仕事に集中していた。広々としたオフィスには絶え間なく様々な音が響いている。

 鳴った電話に対応する者、パソコンにかじりついている者、上司と今後について相談する者……みんな必死に目の前の仕事をこなす午前十時。

 朔弥は届いたメールの返信を打っていた。文面を確認して送信したと同時に、別案件のメールが届く。返事をしてもしても終わりがないな……とため息をついた。

 でも午後からは外での仕事があるので、今のうちに出来ることはこなしておきたい。そう気合を入れてキーボードを打ち始める。

「深見さん」

 声が掛かったので顔を持ち上げると、同僚の女性社員が立っていた。確か、まだ一年目の後輩だった。

 朔弥はふ、と表情を緩める。

「どうした?」

「私が数字を間違えてた部分を深見さんが見つけてくださったみたいで……助かりました。すみませんでした」

 営業部の中で、朔弥はそれなりの好成績を収めていた。仕事面に関しては周りから一目置かれており、頼りにされる面も多い。その上彼はまだここに異動してきて間もないのに結果を出しているので、今後の伸びしろはどれほどか期待されるのも無理はない。

 朔弥は何かを思い出したようにああ、と呟く。

 確かに、彼女が作成した資料の小さなミスを見つけたのは自分だった。それでわざわざお礼を言いに来てくれたのか。真面目だな。

 彼は小さく頷いた。

「小さな部分だけどミスはよくないからな」

「す、すみません。確認不足でした。見つけてもらって本当に助かりました。さすがですね」

 彼女は素直に感心しているように朔弥を見る。自分は何度か読んでしっかり確認したつもりだったのに見つけられなかった。それが、彼はちょっと見ただけであっさり見つけてしまったのだから。

 褒められた朔弥は、胸のあたりがむずっとした。だが、それを表に出すのだけは避けたかった。

 一旦自分を落ち着かせると、朔弥はどこかわざとらしく髪を掻き上げる。ふわりと黒髪が揺れた。

「俺が気づいたからいいものの……まあ、次からは気をつけろよ。いつまでも俺に頼ってちゃ成長できねーぞ?」

 朔弥は口角を上げて女性社員にそう言った。


 途端、空気が固まった。


 冷たい風が吹いているようだった。

 女性社員は完全に目に色を失くして朔弥を眺めている。仕事が出来る同僚を見る目ではない。完全に何か見てはいけない物を見てしまった目。感情を押し殺し、何とか無を保っているような必死な顔。つい先ほどまでは微笑みを浮かべていたのに、すんっと顔が固まっている。

「…………」

「…………」

「……そうですね。気を付けます。本当にありがとうございました」

 女性社員は深々と頭を下げると、そそくさとその場から立ち去った。朔弥とはもう目を合わせないようにしながら。残ったのは掻き上げた髪がはらりと垂れて乱れた、朔弥だけ。

(…………あっれ~~……おかしいな)

 咳ばらいをしてすぐにパソコンに向き直り、周りに気付かれないように頭を抱えた。返信途中のメールは今、続きを書けそうにない。

 さっき来た同僚は普段から朗らかで優しい女性だった。朔弥にも笑顔でよく話しかけてくれるし、それなりに好感度が高いのだと思っていた。でもさっきの間はなんだ? ものすごく冷たい目で見られた気がしたんだが……。

(めっちゃ決め台詞だったんだけど。なんかまずかったか……?)

 ミスは誰でもするし、俺は本当に責めてるつもりはない。でも次から気を付けるに越したことはないからああ言ったが、責めてるように聞こえてしまったのだろうか? だとしたらまずい。
 
 朔弥はちらりと横目で先ほどの女性社員を見た。でも彼女は落ち込んでる様子はなく、他の社員と笑って雑談していたので、ほっと胸をなでおろした。

(よかった、ショックを受けてる様子はないな……)

 安心しつつもさっきの彼女の視線が忘れられず、朔弥はモヤモヤした気持ちになる。それでもどうすることも出来ず、仕方なくパソコンに向き直る。

 するとすぐに、また声が掛かった。

「深見さん、今少しよろしいでしょうか」

 声と話し方だけで分かった。朔弥が振り返ると、佐々山華がピシッと背筋を伸ばして立っていた。

 朔弥と同い年の佐々山華は、いつでも肩までの黒髪を一つにまとめ、前髪もびしっとそろった女性だった。眼鏡をかけ、化粧っ気もあまりなく、誰から見ても『真面目な女性』そのものだった。見た目だけではなく仕事も的確で早い。

 朔弥は華とは仕事上の会話しかしたことがない。彼が約三ヵ月前にこの本社に異動してきたからというのが理由ではなく、華は元々誰かと雑談するタイプではなかった。いつも黙々と仕事をする、物静かな女性。ただ、違うことは違うと指摘出来る人でもあった。

 朔弥は少し華が苦手だった。仕事をする上で信頼は寄せているが、必要最低限の事しか話さず、何を考えているのか分からないからだ。

「佐々山、どうした?」

「頼まれていた資料です。確認をお願いします」

「早」

 渡された書類を手に取って中身をざっと確認する。

(佐々山さんはミスしない人なんだよなあ。今回も問題なさそうだな……)

 うん、と朔弥は頷いた。

「さすが佐々山。完璧だよ。ほんとミスしねーよな」

「どうも」

「でもあんま詰めすぎるなよ? 完璧主義もほどほどに、困ったときはちゃんと言」

「ご心配ありがとうございます。では失礼します」

 華は少し頭を下げると、すぐにその場からいなくなってしまった。まだ話の途中だった朔弥は、行き場のない言葉を呑み込んで固まる。

 しばらくそのままでいた朔弥だが、小さく頭を搔いて再びパソコンに向き直り、作成途中の文章を眺めながらぼうっと考える。

(なんか……変だな……)

 この東京にある本社に異動してきたのが三ヵ月前。それまでは地方にある支店で経験を積み、憧れだった本社に行けることが決まった時は喜んだ。

 朔弥は田舎生まれの田舎育ち。東京に憧れるごく普通の人生を送って来た。

 住んでいる場所は山と畑ばかりが見えるとんでもなく自然豊かな場所だった。元々勤めていた会社は隣の市にあり、決して都会とは言えない素朴な場所なのだが、そこに行くのですら車で四十分かけて通勤していた。

 そんな田舎から出たいと思っていたので、東京に来られて喜んでいたのに……。

 仕事面に関しては、不安もあったが今のところ問題はない。もちろんやり方の違いはあるし忙しさに圧倒されるが、やりがいがあるので乗り越えられている。成績もすでにそれなりの数字を出せて上司に褒められたくらいだ。

 それよりもっと難しい物がある。

 ……少女漫画で長く培った『モテる男性』を発揮しまくっているのだが、ちっともモテる雰囲気を感じられないことだ。


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