拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由

 
 一方その頃、そのメッセージを受け取った華もスマホの画面を見つめていた。眉間にしわを寄せ、悲しそうな顔をしている。

「避けてる私が悪いのに」

 こんなメッセージをくれた彼の優しさに泣きそうになる。

 それでも、逃げてるばかりじゃだめだと自分でも分かっていた。悪いのは私。本当なら私から会いに行って謝らなければならなかったのに、どうしても言えなくて向かい合えなかった。

 でも、また屋上に行きたい気持ちはずっとあった。次に会った時、全部言おう。

「ちゃんと謝ろう」

 せっかくのプレゼントを失くしてしまったと、彼に全て告げるのだ。




 年始は仕事がたっぷりあって、みんな忙しく働いていた。連休が終わってしまった嘆きが漂っている。

 朔弥はその中でも、無我夢中で仕事をこなしていた。どうしても昼に屋上に行きたいためだった。

 営業職は外に出ることも多いので、社内で昼食を取らないこともしょっちゅうだ。取れるとしても、忙しくて屋上へ足を運べないことも多い。でもどうしても、今日は時間を作りたかった。そんな朔弥を、周囲は『連休明けから凄いなあ』と感心して見ている。

 何とか仕事を調整して昼になると、朔弥はすぐに飛び出した。

 大急ぎで階段を上りきり、屋上への扉を開けると、最後に来た時より寒さが増している気がした。もう1月なので気温は低く、肌を刺すような刺激がある。

 すぐにいつも二人が座るベンチを見てみるが、華の姿はない。

「まだかな……」

 朔弥はそう呟き、とりあえずベンチに腰掛ける。びゅうっと強風が吹き、朔弥の柔らかな髪を上げた。ぶるっと震えて腕を組んだ時、ハッとする。

「ていうか俺は何とかなったけど、佐々山さんは仕事が調整出来なかったんじゃ……!?」

 彼女だって同じように仕事をしているんだから、昼に必ずここへ来られるわけがないと分かっていたはずじゃないか。そんなことも考えられないくらい、朔弥は必死になってしまった。

「あああ~っ!! 一人で突っ走ってる~~!!」

 大きく頭を抱えて嘆いた瞬間、隣に華が立っていることに気付き、朔弥は勢いよく立ち上がる。

「あ、佐々山さん!!」

「……お待たせしました。年明けで、仕事が溜まっていて……」

「い、いや俺も来たところだし。別に時間を合わせてたわけじゃないし……!」

 『昼休憩に屋上で会う』なんていう漠然とした待ち合わせ。日付も明確な時間も決めてない、ぼんやりとした約束。それでも、仕事始めの日にこうして会えたのは二人の真面目さを表していた。

 華は俯き、暗い表情をしている。そんな彼女を見て、朔弥は不安に駆られた。

(一体何だろう……自分が悪いって佐々山さんは言ってたけど、一体……?)

 緊張の面持ちで華の言葉を待っていると、華は突然勢いよく頭を下げた。

「すみません! 私、失くしてしまったんです!」

「……へ?」

 朔弥はぽかん、と口を開ける。

「私、深見さんがくれたリップ。どこかに落としたみたいで、失くしてしまったんです……! せっかく頂いたのに。私……」

 泣き出しそうな声で華はそう真実を告げた。

 朔弥は一瞬、固まる。だが頭の中で、年末に見た華の光景を思い出していた。

(あげた日だけリップを付けてくれていたのはそれで……あ、それにあの時、受付で困った顔をしていたのってもしかして……)

 全てが繋がった瞬間、朔弥は大きなため息をついてその場にへなへなとしゃがみ込んだ。華は慌てて朔弥の顔を覗き込む。

「ふ、深見さん?」

「……なんだ~そんなことか~。てっきり、もっと重要な事を言われるのかと……」

「え、そんなことって……せっかく買ってくれた物をその日に失くしたんですよ!? 最低じゃないですか、私」

 朔弥が顔を上げると、華の苦しそうな表情が見えた。同時に、受付前で見た華の様子も蘇る。

(なんていうか、まっすぐな人だなあ……別にそんなの黙ってれば分からないし、似たようなリップを塗っておけば誤魔化せただろうに)

 人に対しても厳しいが、どうやら自分に対しても厳しいようだ。

 ふっと、朔弥は顔を緩めた。

「いいよ、それくらい。また買うよ」

「……え」

「それより、ずっと話せなかったことの方がきつかったよ」

 朔弥はそう言って屈託のない笑顔を見せた。華はそれを見てぐっと言葉を詰まらせる。

(責めないどころか、笑ってくれるなんて……)

 結局、あれからもポーチはずっと探していたが見つかることはなかった。たった一度しか使われなかった、あの可愛いリップ。華は申し訳なくて朔弥に事情を言えなかった。でも黙っているわけにもいかず意を決して今日話したわけだが、まさかこんな反応が返ってくるなんて。

 失くした自分が悪い。それを言えず避けていたのも自分が悪い。なのに彼は笑ってくれた。

(……こんなことならもっと早く言えばよかったのかも……)

 華は両手をぎゅっと握った。

「ごめんなさい……私、ずっと言えなくて……」

「きっとたくさん探してくれたんでしょ? なんか、それ結構嬉しいかも。あの日、受け付けで見た佐々山さんの顔、凄く絶望的な顔してたもん」

 朔弥が笑って言うと、華は恥ずかしく思って両手で顔を覆った。その光景は、やけに朔弥の胸を熱くさせた。

「嬉しかったんです。凄く可愛かったし……。いつも使ってるポーチの中にしまっておいたんですが、ポーチごと無くなってしまっていて……」

「そっか」

「せっかく頂けたのに、たった一度しか使わないまま失くしたなんて、合わせる顔が無くて」

「うん」

「……すみません」

 朔弥はようやくゆっくり立ち上がる。華の顔を正面からまっすぐ見て、目じりに皺を浮かべた。

「全然大丈夫だよ。むしろ、そんなに必死に探してくれてありがとう。てっきり何かしちゃったかと思ってたよ」

「そんな、深見さんは何も……」

「とりあえず、飯でも食べようよ。時間もあんまりないし……って、ああ!」

 突然朔弥が大きな声を上げたので華はびくっと反応した。彼は自分の両手を見てわなわなと震える。

「昼飯買ってくるの忘れた!!!」

 なんということだ。朝から華と話すことで頭がいっぱいで、昼食の事を完全に忘れていたのだ。

 がくりと項垂れる。

「今から社食もなあ……後で自販機で何か買うかあ」

「……あの、よかったら半分食べますか?」

 華がとんでもない提案をしてきたので、朔弥は目を丸くした。華は持っていた弁当箱をおずおずと差し出す。

「それと、失くしてしまったお詫びにチョコレートを買ってきたんです。よければ、食べませんか」




 華が開いた弁当箱の中身は、家庭的なおかずがバランスよく詰められていた。卵焼き、ほうれん草の胡麻和え、豚肉のアスパラ巻き……いつも隣で見ていたが、改めて彼女らしい弁当だと朔弥は思った。とてもおいしそうで、きっちりしている。

 華の膝の上に載った弁当を眺め、ごくり、と朔弥は喉を鳴らした。

(思えば半分って……箸とかどうしちゃうの? え? どうしちゃうの??)

 これはよくある少女漫画で、間接キスをするという展開なのではっ……!! 胸キュンするまさに王道シーン!!

 変な意識をして華の口元を見てしまう。いやいやこの年でそんなことを気にしてるなんてあほか俺は? 気持ち悪いだろうが!!!

「深見さん」

「アッ!? さ、佐々山さん先に……!」

「割りばしどうぞ」

「……へっ」

「たまに箸を入れ忘れることがあるので、そういう時のために割りばしを保冷バッグの中に入れてあるんです」

 華の手には、割りばしがあった。

 朔弥の肩の力がふっと抜ける。なんだそうか。てっきり、同じ箸を使うのかと舞い上がってしまった。

 ……いや、舞い上がるってなんだ。

「あ、ど、どうもありがとう。割り箸を入れておくなんて、さすが佐々山さんって感じだな。ていうか本当にいいの?」

「こんなものでよければ……」

「すっごく美味しそうだよ。そうだ、デザートはこのチョコレートを半分こしよう」

 華はソワソワと落ち着かない。適当に作った弁当を、まさか朔弥に分けるとは夢にも思ってなかったからだ。

(こんなことなら、もっと凝った料理にしたのに……)

 って、なぜそんなことを思っているんだろう。華は小さく首を振って思考を払った。

 そんな華を置いて、朔弥はもらった割りばしでおずおずと卵焼きを食べる。ふわりと口の中に広がる出汁の味がほどよく、心の底から美味しいと思った。

「美味い! 俺、甘党だけど卵焼きはしょっぱい方が好きで……何これ、どうやって味付けしてるの? 凄く手間がかかってそう!」

「あ、白だし入れだけです」

 華が即座にそう言ったので、朔弥はきょとんとする。そしてすぐ、ぶはっと吹き出した。

「ちょ、しょ、正直……! 佐々山さん正直……!」

「正直も何も、それが本当なんですから……簡単ですみません」

「さすが佐々山さんだなあ。いや、簡単もなにも、毎日作ってるの凄いから。俺なんていつも買うか食べに行くかどっちか。それに、この焼き加減も最高。料理上手いんだね」

 朔弥は笑いながらおかずを食べる。一つ食べるたびに大げさなほど喜んで美味しいと言った。華はほっとして微笑む。

(なんでも褒めてくれる……本当に美味しそうに食べてくれるなあ。なんか、犬っぽい)

 こんな簡単に作った弁当をこんなにありがたがって食べてくれるなんて。

「アスパラ肉巻きうまー!」

「以前の深見さんならどう言ってましたか?」

「まあ、俺好みの味じゃねーの? 合格かな」

「やっぱり0点ですね」

「あはは、もう分かってるよ」

「素のままで百点です」

 華の言葉を聞いて、笑っていた朔弥の顔が固まる。ゆっくり華の方を見ると、華がとても優しい微笑みで朔弥を見ていることに気が付き、彼の箸が止まる。

 
 
『それ恋じゃん!』


 なんで今、姉と母の声を思い出すんだよ。

 合ってたよ、くそ。



「……あー、あのさ、佐々山さん」

「はい」

「一緒にリップ、買いに行かない?」



 寒空の中、一つの弁当を分け合う二人。

 それでもどちらとも、この時間を終わりにしようとは言わなかった。

 そしてこれから、新しい時間が動き出そうとしている。
 






 
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