拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由



 朔弥が以前も来たという化粧品売り場は、一歩足を踏み入れただけでぶわっと甘い香りが漂うフロアで、華はあまり来たことがない場所だった。来たとしても、ふらふら見て何も買わず帰っていくだけ。こういう場所は美意識の高い女性が来るものだと思っていた。

 微妙な距離を保ちつつ、世間話をしながら二人は歩く。華が周囲を見回すと、男性の姿はあまり見当たらず、確かにここに一人で買い物に来るのは勇気がいるだろうな、と思った。

「確かこっちのブランドで……あ、あそこの」

 朔弥が指を指した先には、少々化粧が濃い目のスタッフがにこやかに接客をしていた。

 二人が近づくと、店員の一人が気が付く。今日も出勤中、浜口佳代子(39)だった。佳代子は朔弥を見てすぐに思い出す。

(えっ! あの子、前に来た純情青年じゃん!!)

 忘れもしない、リップを誰かに贈りたいのだと言って買って行った男性。久々に燃える接客に出会ったなと佳代子は喜んでいたのだ。まさか、また来店してくれるとは。

 もちろん顔には出さず営業スマイルを浮かべたままだったが、朔弥の隣にいる華を見て、さすがの佳代子もスマイルを忘れた。

(えっ……女性連れなんですけど~~~~~~!!)

 その上、二人の距離は絶妙な距離。雰囲気もどこかぎこちない。漂ってくる微かな緊張感。

 しかも華は色白で黒髪。

(はい、付き合う直前の男女ですね。ご馳走様です)

 先日のリップは間違いなくこの女性に贈ったのだろう。佳代子は確信した。

 それにしても、この男性が選んだのがきゃぴきゃぴ系の女性ではなく、はたまたセクシー系の女性でもなく、真面目そうな華というところになお興奮を覚える。

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 佳代子はにっこり笑いながらそう声を掛けた。二人とも慣れない様子でどこか落ち着かなそうだ。

 朔弥が答える。

「ええと、リップを……」

「リップですね。こちらです」

「あ、これだ。この前のはこの色だよ。でも、もっと他に似合う色があるかもしれないから、佐々山さん選んでよ。買うから」

(苗字呼び最高なんですけど?? それは置いといて、これは確か前回購入したリップのはず。気に入ってもう一本、となるには時間が経っていない。その上今日は付けていない。となると、女性の方が失くしたりしたのかな)

 そんな佳代子の推理は、もちろん口には出さない。

 華は朔弥を見上げる。

「あの、そもそも失くしたのは私なので、今回は自分で買います。二つもなんて深見さんに申し訳ない」

「いや、俺買うつもりで来たんだから」

「悪いです、自分で買います!」

「お礼のつもりなんだよ。この前なんて弁当までもらっちゃったしチョコレートも!」

「あれはお詫びですし!」

「元々俺がお世話になったお礼なのに、そこに弁当もチョコも貰ってお礼になってないじゃん!」

(ん~~~~~やっぱり彼女さんが失くしちゃったのね。それでお弁当を作ってあげるような関係なのね~尊っ!!!)

 二人の言い合いを微笑ましく思いながら、佳代子は黙って聞いている。この絶妙な距離感、美味しいなあ……。

 しばらく言い合いをしていた二人だが、結局は華が折れる形で収まることになる。

「で、では……お言葉に甘えます。その代わり、ご馳走させてください。ここだけは譲れません」

「わ、分かった……」

 息切れを起こす二人に、佳代子は早速営業を始める。

「こちらのリップ、発色がよくて落ちにくく大変人気の商品になっております。お客様にもとてもお似合いかと」

「は、はい……ではこの色で」

「あ、でもこちらのお色もお似合いかと……お時間があれば、少し載せてみてはいかがでしょう?」

 佳代子の提案に華は困ったように視線を泳がせた。それを見て朔弥が察したように華に言う。

「俺、姉に頼まれたの隣の店だから見てくる。よければ佐々山さん、ゆっくり見たら?」

「あ、ありがとう……」

 朔弥は他の店に見に行ってしまったので、華は佳代子に勧められるがまま鏡の前に座った。こんなこと、初めてだ。いつだって化粧品はドラッグストアで、無難な物だけ買っていた。

 佳代子は緊張した面持ちの華を見て、優しく目を細めた。

「とても肌が綺麗でいらっしゃいますね。色白ですし、映えそうです」

「そ、そうでしょうか……自分では何が似合うかよくわからなくて」

 困ったように言う華は、確かにかなりナチュラルメイクだった。ほぼ素顔に近い。

(でもこのナチュラルメイクでこの肌艶……それに、派手な顔立ちではないけれど、パーツ一つ一つを見ると整ってる)

 これは、かなり化粧映えする顔だ。

「そのままでも十分素敵だと思いますが、たまに気分を変えたい時など、化粧品もいいですよね。こちらの色、塗ってみますね」

 佳代子は以前も購入したリップをそっと華の唇に載せる。一度だけ見た、自然な桜色のリップ。華は鏡の中の自分を見て、少し表情を緩めた。

 佳代子は続ける。

「とてもお似合いです。先ほどの彼氏さん、以前買いに来てくださったときも私が担当したんですが、凄く悩んで選んでいました」

「か、彼氏ってわけじゃ……」

「(知ってるけど)あら、そうなんですか? 失礼しました。必死に選ぶ姿が印象的で……お客様に似合うだろうなって言っていました。よく分かっていますね。あとは好みもありますよね。いかがですか?」

 佳代子はにっこりと笑って尋ねた。

 華はじっと鏡を見つめつつ、戸惑いの色を見せる。

「好き、です。こういうの可愛くて気分が上がるし……ただ昔、自分が選んだ物を『似合わない』と笑われたことが何度かあって。それ以降、本当に似合ってるのかなって不安になって……」

 語尾が小さくなる。

 分かっている。

 これは言い訳だ。

 結局は自分を変える勇気がなかっただけ。朔弥のように、少しズレていたとしても自分を変えたくて努力することが出来なかった。本当は自分は、彼に助言できる立場ではない。
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