拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由
「華、綺麗だよ。凄く可愛い。俺、何で気づけなかったんだろう……一時の気の迷いなんだよ。結果的には騙されたんだし! きっと神様が俺たちに試練を与えたんじゃないかと思ってる。でもこうして華の元に戻って来たから、俺たちやっぱり運命なんだよ」
頭がくらくらした。
意味が分からなすぎて。
華は無言で頭を抱える。彼はどうしてしまったの? 頭のねじがどこかに行ってしまったんだろうか。
(いや違う……ご両親や友人に離れていかれて、相当焦ってるんだ)
元々明るくて友達の多いタイプだった。華も会わせてもらったことがあるが、みんな気さくでいい人達。それは彼の親もそうだった。華を可愛がってくれたことは今でも覚えている。
そんな彼らに失望されて、自分の立場を何とかしたくて必死なのだ。転職までして華を追いかけてきたのだから、相当なはず。
華は静かに切り出す。
「……あなたは別に私が好きなんじゃなくて、私と戻ればご両親や友達が戻って来るって思ってるから必死になってるだけ。断言するけど、もう失ったものは戻らないよ。あなたは婚約中に浮気をして、その相手と結婚する決断をした人間だと、知られてるから」
「……なんでそんなこと言うんだよ。華。俺たち5年も一緒だったんだぞ? その5年が無駄になってもいいのか? 華はちょっと綺麗になったけど、元々口下手だし男と付き合うの向いてないんだから。さっきの男も付き合ってはないんでしょ?」
「そりゃ……そうだけど」
華が口籠ると、浩一は大きな声で笑った。
「やっぱりなあ!! 華は変わってないな。やっぱり俺じゃないとダメなんだって。ほら、意地張ってないで素直になろう?」
「言ったけど、私はあなたとやり直すつもりは全くない。可能性はゼロだから」
華はそれだけ言うと、浩一に背を向けて再び資料探しに戻った。これ以上話していても無駄だ。早く資料を見つけてここから出たい。
「なんでそんな冷たい事言うのかな。華?」
「…………」
「ほら、このチョコ食べてよ。ここではダメなら後で食べればいいじゃん」
「…………」
「そうだ、来月バレンタインじゃん? 華が作ってくれたガトーショコラ、また食べたいなあ。華は料理上手だったよな。あいつなんて全く料理しなくてさあ。ほんと最低な女だったよ」
「…………」
もはや華は全く聞かないようにして棚に集中し、ようやく目的の物を探し出す。
(あった!)
ほっとしてファイルを取り出し、中身を確認した。これだ、ちゃんとあってる。これさえあれば、二人きりのこの状況から逃げ出せる。そもそも、資料室なんかに来なければ浩一とこんな話をしなくても済んだというのに。
ファイルを抱えて振り返ろうとした瞬間、左右から手が伸びてきた。まるで華の逃げ道を塞ぐように、手は棚に置かれている。華の体が停止した。
真上から声が降って来る。
「華? 聞いてんの?」
「……どいて、下さい……」
小さく体が震えてしまう。浩一の両腕に囲われてしまい、身動きが取れない。
不思議だ。この人のことが凄く好きで、この腕で抱きしめられるたびに幸福を感じていたというのに、今は恐怖すら感じるなんて。
近づいてほしくない。離れてほしい。構わないでほしい。
好きから嫌悪の存在になるのはあっという間なんだと分かった。結婚すら考えていたのに、裏切りを知った途端この人は自分の中で最低な人間と化した。愛情の欠片も残っていない。
それより今頭に浮かぶのは──
(深見さん……)
やっぱり自分が今求めてやまない人は、たった一人だった。
「そうだ華。帰りに食事でも……」
「……私は今好きな人がいるんです。あなたとはもう関わりたくない!!」
華はしっかりとした口調できっぱり言った。
浩一の表情が驚きで固まる。
その隙を見て、華は浩一の腕からしゃがんで逃げ出した。資料だけ大事に抱きかかえたまま、すぐに出口へ走る。
「華!」
追ってきそうな気配に怯えながら資料室を飛び出してそのまま廊下を駆ける。すると、角から現れた人物と思い切り体がぶつかってしまった。
「あっ!」
「うわ!」
勢いよくぶつかったため、体に痛みが走り顔を歪める。だが相手を見た途端、すうっとその痛みが引いた。
「あ、佐々山さん?」
笑いかけてきたのは、外回りから帰って来たばかりの朔弥だった。
「……深見、さん……」
「……どうした?」
華の表情を見ただけで何かを察した朔弥がそう尋ねた時、丁度資料室から浩一が現れた。
「華!」
険しい顔をした浩一を見た途端、すっと朔弥の表情が厳しくなる。華を背中に隠すようにして、浩一を睨んだ。
浩一は朔弥を見て、またかよ、というように顔を顰める。
ただ、ここは廊下。騒ぎを大きくすれば華が気まずく思うことを朔弥はわかっていた。
朔弥は一言だけ言う。
「付きまとい行為、酷いようなら上司に相談しなくちゃいけないんですけど」
朔弥の声を聞いて、浩一は小さく舌打ちした。付きまといって、ただ話そうとしてるだけじゃないか。大げさな。
だが事を大きくしたくないのは、転職したての浩一もそうだった。浩一は何も言わず、一度朔弥を睨みつけると、すっと二人の隣を通って去って行ってしまった。
浩一の姿が見えなくなったところで、朔弥が背中に隠れていた華にそっと声を掛ける。
「……大丈夫?」
ファイルを抱きしめたままの華は、小さくなっていた。何とかこくんと頷いたが、怯えているのは明白だった。朔弥は罪悪感でいっぱいになる。
「ごめん。俺、遅くて……」
「そんな。深見さんが謝ることは何もないんです」
「今から帰る?」
「あ、大島さんに頼まれた仕事がこれからで……」
「そうなの? 分かった。俺も手伝うから一緒にやろう。終わったら送っていく。一人じゃ不安なんじゃない?」
朔弥の優しい気遣いに、華はホッとして表情を緩めた。朔弥の柔らかな笑みを見ていると、心が安らぐ気がする。
「……お願いしてもいいですか」
「もちろん」