拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由


 華が戻ると、美鈴は未だしゃがみ込んだままの状態だった。全く動けないみたいだ。華はそっと彼女の肩に手を置く。

「深見さんがタクシー呼んでくれました。出口まで歩けますか?」

「……ゆっくりなら」

「ゆっくりでいいです。行きましょう」

 華はまずコートを美鈴に着させてあげると、両手でしっかり支え、何とか立たせた。美鈴はお腹を押さえるように前かがみになり、小さく足を踏み出して歩き出す。ようやくトイレから出て、そのままエレベーターへ向かった。

 少し時間がかかりつつ、何とか会社の玄関まで辿り着くと、すでにタクシーは到着していた。そしてそこには朔弥が二人を待っていたのだ。朔弥は華たちを見ると、ほっとしたように小さく手を振った。

 華の隣にいる美鈴は、確かに誰が見ても体調が悪そうだった。着ているコートの下に、腰に巻いたカーディガンがちらりと見えた。病院や医務室ではなく、自宅に帰るということ、そしてカーディガンの事で、朔弥はそっと察する。姉がいると、こういう知識も増えるものだ。女性は大変だなと思う。

「鞄、もうタクシーに乗せてあるから」

「ありがとうございます」

 二人はゆっくりとタクシーに乗り込んだ。美鈴は行き先を運転手に告げている。

 華は扉が閉まる直前、朔弥に頭を下げた。

「深見さん、すみません」

「佐々山さんが謝ることは何もないから。また」

 自動ドアが閉じ、タクシーが発車していくのを朔弥は眺めていた。昨晩の美鈴の電話が幾度となく脳裏をよぎる。

(心配しすぎだよな……)

 家は近いからすぐに戻ってくると言っていたし、自分はそれまで仕事をしながら待つことにしよう。

 朔弥は再び職場に戻っていった。

 まだやることは多くあったので、パソコンの前に座ってため息をつく。さて何から始めようかと動きだした時、同僚の美鈴を探す声が聞こえた。

「あれー? 大島さん、さっきまでいたよね?」

 朔弥は振り返って答えた。

「体調悪いみたいで、今さっきタクシーで帰りましたよ」

「え? そうなの? じゃあ仕方ないかー」

 朔弥たちの会話を聞いていたのは、普段から美鈴と親しくしている女性社員だった。彼女は目を丸くして朔弥に尋ねる。

「え、美鈴大丈夫なんですか?」

「ああ、佐々山さんが付き添っているので大丈夫だと思いますよ」

「ならいいけど……あの子西ヶ原台の方だから遠いのにタクシーなんて、値段凄いことになりそう。言ってくれれば私の家近いから休ませてあげたのに」

 朔弥は彼女の方を振り返る。

「……え?」

 小さかった不安が、一気に膨張した。




 静かなタクシーの中で、華は窓から見える外の景色を眺めていた。

 美鈴の家に着いて無事休ませることが出来たら、すぐに戻って残った仕事をしないと。どうしても今日中にしなきゃいけないことがあるし……それから朔弥に話をしなくてはいけない。大分待たせることになってしまい、彼には本当に申し訳ない。
 
 でもどうしても、今日直接伝えたかった。

 昨日あんなことがあって、きっと朔弥は『勝手なことをした』と落ち込んでいる。別に大丈夫ですよと伝えたい。そして、自分の気持ちも正直に言わないと……。

 華が考え事をしていると、隣に座っていた美咲が小さく伸びをした。

「はあ……佐々山さんに貰った薬が効いてきたのかもしれません~ちょっと楽になってきました」

「あ……本当に? よかったです。薬って効くのに時間かかりますよね」

「ほんとですよ~私の場合効かない時もあるし……でも本当に助かっちゃいました。迷惑かけてごめんなさい」

 美鈴がぺこりと頭を下げたので、華は面食らう。あまり人を悪く言いたくはないけれど、美鈴はどちらかというといつも自信たっぷりで、どこか華を見下している雰囲気を感じていた。華に頭を下げるなんて、珍しい。

「いえ、全然大丈夫ですよ! 困ったときはお互い様ですし。女性同士分かる苦悩ですしね」

「あの時佐々山さんが近くにいなかったらと思うと……ゾッとします。本当によかったあ~」

「女性ならみんな経験ありますよね」

「そう言ってもらえて助かります~……そういえば、佐々山さん、その後どうなんです? 付き合ってるんですか?」

 美鈴が笑顔で尋ねてくるので、華は反射的に首を横に振った。

「いえ! 付き合ってないです!」

 だが答えた直後、正直に報告することは必要かもしれない、とも思った。なぜなら美鈴が朔弥を飲みに誘ったことを知っているからだ。

 今日、告白の返事をする予定なのだから、後に誤解を招くかもしれない。

 華は恥ずかしく思いつつも、しっかり言った。

「た、ただ……その、近くそうなるかも、とは思います」

「えー! そうなんですか?? びっくり!! 佐々山さんって、もう恋愛とかしないのかと思ってましたあ!」
 
 美鈴は目を真ん丸にして驚いた。

「ま、まあそうなんですけどね。でも前向きになれたんです。そう思わせてくれたことに感謝していて……」

「へ~。そうなんですかあ。入ってそんなに経ってないけど、仕事も真面目ですし凄いですよね! なんていうか爽やかだから、いろんな人から好感を得るタイプで」

 朔弥の可愛らしい笑顔を目に浮かべた。確かに可愛らしく、清潔感のある人だ。当初のズレた発言達が無ければ、彼はもっと早くに人気が出た人だ。

「まあ、確かに……私、元々は地味で人付き合いも下手じゃないですか。でも、少しだけ変われた気がするんです。それはやっぱり……」

「彼のおかげですかあ~惚気だなあ、この!」

 美鈴は肘で華を突いてくる。まさかあの美鈴とこんな風に会話が出来るとは思っておらず、華は少し嬉しくなった。女性同士の恋バナ、というやつだ。

「結婚式は呼んでくださいね!」

「え!? い、いやまだそんなことは考えてなくて……」

「アラサーなんですから考えなきゃ。もし挙げるときは、ですよ! 楽しみにしてますからね!」

「……あ、ありがとうございます……」

 華は恥ずかしくなって、俯いた。結婚なんて意識していないけれど、彼女が言うようになったら素敵だとは思う。

「でも秋山さんも佐々山さんを大事にしてくれそうだし、ほんとお似合いですね! 私二人が結婚式を挙げるの、楽しみだなあ~」


 ……え?


 これまでの会話を思い出し、とんでもないすれ違いが生じていたことに気付き、華は慌てた。

「ち、違います! 浩一の話じゃなくて……!」

「あ、浩一って呼んでるんだ~あはは、さすが五年付き合った恋人達」

「いえ、今の話は!」

「運転手さん、このアパートですよ~」

 美鈴の声に、タクシーの運転手が停める。彼女は手早く会計を行った。

 華は絶対に誤解を解かねばと思い、冷静に言う。

「さっきの話、秋山さんのことじゃないです。深見さんの話です!」

「え、そうだったんです~? 私はずっと秋山さんの話してました~あ、おつりどうもうでーす」

「まさか秋山さんと復縁なんて絶対ないので!」

「ざんねーん。すみません佐々山さん、一応部屋までいいですか? 歩くと気持ち悪くなっちゃうかも」

「あ、は、はい……」

 華は言われるがまま美鈴を支えてタクシーから降りた。美鈴は先ほどよりずっと足取りがしっかりしていたので、だいぶ気分は治ったようだった。

(誤解、解けてるよね? びっくりした、全然違う話をしていたなんて)

 思い返せば、美鈴は一言も浩一の名前を出していなかったのに、自分がすっかり思い込んでいたらしい。反省せねば。

 美鈴は階段やエレベーターを通り過ぎ、部屋へ向かう。一階に部屋があるようだ。

 ふと、華は気になる。

(一階なんだ……女性は一人暮らしで避けることが多いけど。特に大島さんって、綺麗だからこそそういう危機管理しっかりしてるかと思ってた)

 美鈴がぴたりと足を止める。見ると、103号室だった。

 てっきり鞄の中から鍵を取り出すのかと思ったが、彼女はインターホンを鳴らしたのだ。

(……あ、一人暮らしじゃない?)

 勝手に一人暮らしかと思っていたが、もしかしてきょうだいと住んでいるのだろうか。だとしたら、一階を選んだのも納得だった。

「大島さんって、きょうだいとか……」

 華が聞きかけた時、目の前の扉がガチャっと開いた。そちらを見た瞬間、華の息が止まる。


「よく来たね、華」


「……え」

 突然現れた浩一に絶句すると、華の背中を美鈴が思い切り押した。どんっと音が響き渡るぐらいの衝撃で、華は前に倒れこむ。

 それを、浩一がタイミングよく抱き留めた。

 華は一体何が起こったのか理解ができず、ただ呆然とするしかない。それと同時に、背後から『パシャ』と写真を撮る音が聞こえた。

 振り返ると、美鈴がスマホを持って微笑んでいた。


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