拗らせ俺様が犬系彼氏になった理由
朔弥と別れ、仕事に戻る前にトイレへ行こうと華が女子トイレに入った時、中には美鈴と女子社員たちが立ち話をしているところだった。美鈴の鈴のような声は分かりやすい。メイクでも直しながら雑談をしているに違いなかった。
(昨日のこともあるし、違うトイレにしよう……)
一人でそう思って背を向けた時、美鈴の口から朔弥の名前が出てきて華は足を止める。
「……で、深見さん連絡先聞いて来てさあ!」
「美鈴に行ったとか身の程知らず~! まあ、顔はいいけどね。それで勘違いしてるのかね」
「ほんと顔は好みなんだけど。さすがにあれはね。最初にランチ誘ったから勘違いされちゃったのかも……」
(あーあ。早速噂流されてるけど……)
華は小さくため息をついた。
自分が黙っていても、こうなるだろうなとは思っていた。美鈴はよく同僚とこうしていろんな話をしているからだ。
「ん~でもつい断っちゃったけど、ラインくらい教えればよかったかなあって」
「え、美鈴マジ? あれイケる?」
「だって私誕生日近いんだもん。ああいうのは案外、ねだるとすぐ買ってくれるよ」
どっと笑い声が漏れた。男性は美鈴に『清楚で大人しくて優しい美鈴ちゃん』という印象を抱いているみたいだが、大丈夫だろうか。華は静かに眉間にしわを寄せた。
深見朔弥の立ち振る舞いは、確かに女性から敬遠されても仕方ない部分はあると思う。とはいえ、それを利用しようとするのもいかがなものか。
(……多分、あの人は悪い人じゃないと思うんだけど……)
ふと、朔弥と仕事をした時のシーンを思い出す。
華はいつも一人で黙々と仕事をするタイプで、周りからいろんな仕事を任されることも多かった。だがずっとそうやってきた華は、辛いとも、苦しいとも思っていなかった。それが自分の仕事なのだし、残業を頑張ればいい、と。
でもそんな時、異動してきて間もない朔弥が気づいて声を掛けてきたのだ。
『これ佐々山一人でやるの? お前詰め込みすぎじゃない?』
言い方こそ引っ掛かったが(ほぼ話したことがないのにお前呼びとは)彼の周りを見る能力や、気遣う気持ちは優れていると感じたのだ。
(ほんと、言い方さえ直ればね……)
するとその時、トイレから出てきた美鈴たちとバッタリ会ってしまった。しまった、立ち去るのをすっかり忘れていた。午前中は仕事に忙しくしていたので関わらなかったが、昼休みの今だとまずい。
案の定、美鈴は眉尻を下げて華に近づいた。
「佐々山さん! 昨日はすみませんでした!」
「……いえ、別に大丈夫です」
「怒ってますか? 私、悪気はなかったんです! そうだ、今度はもう少し年上の男性たちと飲みませんか? 佐々山さんの新たな恋愛を応援したんです!」
口では熱く語っているが、その後ろで美鈴の友人たちが笑いをこらえているのが見えている。さすがに、華も分かっていた。
面白がられてるだけだ。
「……いえ、私は恋愛とか全く興味ないので」
「えー! 佐々山さん、可愛いのに? 彼氏いらないんですか?」
「いりません」
きっぱり言い放った直後、美鈴は確かに小声でこう呟いた。
「……枯れてる~……」
その言葉に全身が停止してしまう。
枯れてる。私は枯れてるのか。
恋愛はもうこりごりだと思っていた。好きになった人に裏切られて、他の女性と子供まで作られて、挙句に自分が式を挙げるはずだった式場で挙式されて。
そんな経験をしてもなお、恋愛をしないと『枯れてる』んだろうか。
黙り込んだ華を美鈴はふふっと笑うと、華を横目で見ながら通り過ぎる。
「まあ、彼氏なんて作ろうと思って作れるもんじゃないですしね」
美鈴を含む女子たちは、華を見て笑いをこらえながら去っていく。残された華は一人、拳を強く握るしか出来なかった。
(……枯れてるわけじゃない)
私はこういう生き方を選んだだけだ。恋愛がすべてじゃない。
そう強く思ったものの、まだ癒え切れていない心の傷が痛んだ。もしあの時、あのまま結婚出来ていたら、私は違う人生を歩んでいたのだろうか。
会社の隣にあるカフェは、ディナーの時間帯になっているからか人が多かった。けれど運よく一番奥にあるソファ席に座れた華は、少し遅れてやってきた朔弥を前に、温かな紅茶を啜っていた。
「ごめん佐々山さん! 待たせた!」
「いえ」
(本当に来た……)
華はちらりと目の前の朔弥を見て思う。よほど急いできたのか、朔弥の前髪は汗で少し張り付いていた。まあ、誘ったのは向こうなのだから来るだろうけれど、でもこんなに急いでくるなんて。
自分と朔弥はだいぶタイプが違うし、きっと関わることのない人だと思っていたのに、まさか会社帰りにカフェに来るなんて。
朔弥はメニューを見てしばらく悩んだ後、ホットコーヒーを頼んだ。店員が去った後、華は彼が一体何をどう切り出すのか、静かに待っていた。
朔弥は一つ咳ばらいをする。両肘をついて顔の前で手を組み、祈るような格好で突然言った。
「俺、デブだったんだよ」
「…………は?」
華はティーカップを持つ手を止める。昼もそんなことを言っていたが、切り出し方がそれとは。
「生まれた時、4000グラムあったらしくて」
「平均が3000グラムですから、大きめですね」
「物心ついた頃から食べることが大好きで、甘党で、ずっとデブだったんだ」
(一体急に何を……)
華は首を傾げつつ、黙って続きを待つ。
「あと俺、とんでもなく田舎育ちなんだ」
「……はあ」
「田んぼと山と畑だらけで。ここに来る前の支店があったのも結構田舎だったけど、そこにも車で四十分以上かけて通勤してた。それくらい実家は田舎」
「のどかな場所なんですね」
「当然小学校も子供が少なくて。ただ人数が少ないと逆に仲良くなるもんなんだよ。だから小学校と、それから中学も自分の体形を気にしたことはなかったんだけど……」
そこまで言った朔弥が静かに天を仰ぐ。
「高校に入ると一気にいろんな人と接する機会が増えて。あ、高校も田舎なんだけどさ。それでも小学校の頃とは違うから……あれ、もしかして見た目って思ってた以上に重要なの? ってここで気が付いた。虐めこそなかったけど、何だか冷ややかな目で見られることが多くなった」
華は何も返事をせず静かに紅茶を飲んでいる。
「それでもいいやって思ってたんだけど。大学に進学すると、そうも言ってられなくて……あ、ちなみに大学は片道一時間半かけて通ってた。これも結構田舎だけど」
「一時間半ですか? 結構遠いですね。一人暮らししなかったんですか」
華がようやく質問を挟むと、朔弥は苦笑いした。
「うち母子家庭で、裕福じゃないんだよね。姉もいるし」
「…………」
「そうそう、大学行くとさらに風当たり強くてさ~! なんか女の子とかあからさまに避けてくるわけ。聞こえるように悪口言ったりさ。そこでようやくダイエットを決意して、痩せたんだよ。就活が本格化する頃に、ようやく今の感じになったかな」
店員がコーヒーを運んでくる。朔弥はテーブルの上にあった砂糖に手を伸ばすが、すぐに引いてブラックで飲み始める。