四つ葉の栞

気づいてしまった人

夏の終わり。

美紗樹はいつものように本屋を訪れた。

店内には穏やかな音楽が流れ、新刊の並ぶ棚には新しい物語が増えている。

「こんにちは、富田さん。」

蒼が笑顔で声をかける。

「こんにちは、先輩。」

美紗樹も笑って返事をする。

けれど、その笑顔は少しだけぎこちなかった。

「この前おすすめした本、どうだった?」

蒼が尋ねる。

美紗樹は一瞬、口元を見つめた。

言葉が聞き取れない。

少しだけ考えてから笑顔を作る。

「……すごく良かったです。」

その返事に、蒼は小さく首をかしげた。

「まだ読んでないよね?」

美紗樹の表情が固まる。

実は、その本は忙しくてまだ読めていなかった。

聞き取れなかったから、そう答えてしまったのだ。

「ごめん……。」

小さな声がこぼれる。

蒼は責めることなく、静かに言った。

「最近、何かあった?」

「何もないよ。」

美紗樹はすぐに笑った。

でも、その笑顔はどこか苦しそうだった。

蒼はそれ以上聞かなかった。

けれど、その日の帰り際。

美紗樹が呼び止められても気づかず、そのまま店を出ようとした。

「富田さん!」

もう一度呼ぶ。

それでも振り向かない。

蒼は急いで追いかけ、そっと肩に手を添えた。

美紗樹は驚いて振り返る。

「あ……先輩。」

「ごめん、呼んでたんだけど……。」

その一言で、美紗樹の目に涙が浮かんだ。

隠していたものが、もう隠せない。

「……ごめんなさい。」

「最近、少しずつ聞こえなくなってきたの。」

「先輩には、知られたくなかった。」

「心配をかけたくなくて……。」

蒼は少しだけ目を伏せ、静かに首を振る。

「どうして一人で抱えたの?」

「僕は、富田さんが笑っていても、無理をしている笑顔くらい分かるよ。」

美紗樹は涙をこぼした。

蒼はハンカチを差し出し、優しく言った。

「聞こえなくなっても、本は一緒に読める。」

「手紙も書ける。」

「だから、一人で頑張らなくていい。」

その言葉に、美紗樹は初めて声を上げて泣いた。

本屋の片隅で交わされたその約束は、どんな言葉よりも静かで、どんな励ましよりも温かかった。
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