花囲い
――夕方。昇降口で靴を履いていると、隣に誰かがしゃがんだ。
「帰る?」
井𡈽くんだった。私は黙ったまま立ち上がる。当たり前のように足音がついてくるけれど、もう振り返らなかった。
家の近くの橋まで来たとき、不意に井𡈽くんが口を開く。
「僕のこと、そんなに嫌い?」
直接的な言葉は初めて聞いた気がして、私は立ち止まる。
「怖いの」
井𡈽くんは何も言わない。
「どうして私なの」
静かな川の音だけが聞こえる。
しばらくして、井𡈽くんは小さく笑った。
「選んだから」
その答えはあまりにも単純で、恐ろしかった。
「選んだ、って。なにを」
「沙羅さんを」
私は息をのむ。
「理由は?」
井𡈽くんは少しだけ首を傾げた。
「そんなもの必要?」
その笑顔は優しく、同時に底が見えない。
「ねえ沙羅さん」
井𡈽くんは川面を見たまま続ける。
「僕は何も奪ってないよ」
私は唇を噛み締める。
「みんなが勝手に信じただけ。先生もでしょ。クラスメイトもでしょ。ああそれとお母さんも」
指を折って数える井𡈽くんの前で、私は声を出せない。まるで見えない手で口を塞がれているようだ。
「僕は嘘をついていない」
反論できなかった。だって確かにそうなのだ。