きらめきステージは、放課後の屋上で
最終話 星と月をつなぐリボン
屋上へ続く階段を上りながら、足が震えていることに気づいた。
震えている。また震えている。きゅるると初めて会った日と同じだ。あのときは、風に飛ばされたスケッチを追いかけて、一人でここへ来た。誰かに見られることを怖がりながら、でも絵を取り戻したくて、必死に走ってきた。
今日は違う。隣にルナちゃんがいる。
「みらい、顔が青い」
「震えてる」
「わたしも震えてる」
ルナちゃんが右手を差し出した。
わたしはその手を取った。ルナちゃんの手も、少し冷たかった。緊張しているんだ、と分かった。でも、つながれた手はあたたかかった。冷たさの中に、あたたかさがあった。
ドアを押した。
☆
屋上には、人が来ていた。
こころちゃんが告知してくれたから、クラスの子たちが何人か来るとは思っていた。でも、思っていたよりずっと多かった。知らない顔もあった。別のクラスの子や、二年生、三年生らしき人たちも、屋上の端に集まっていた。
その中に、ひなのちゃんがいた。
人混みが苦手なひなのちゃんが、隅の方でひっそりと立っていた。わたしと目が合うと、小さく手を振った。
こころちゃんが人混みをかき分けてこちらへ来た。
「二人とも来た! みんな待ってたよ! あたし、ちゃんと盛り上げるから安心して!」
「ありがとう、こころちゃん」
「泣かないでよね、まだ始まってもいないんだから」
泣いていなかった。でも、泣きそうではあった。
まどか先輩が少し離れたところに立っていた。バインダーを持って、記録を取る体勢だった。目が合うと、小さくうなずいた。それだけだったけれど、来てくれているということが、嬉しかった。
エマ先輩は、観客の少し後ろに立っていた。腕を組んで、まっすぐこちらを見ていた。笑ってはいなかった。でも、冷たくもなかった。ただ、見ていた。本気で見ていた。
きゅるるはステージの端にいた。手すりの上じゃなくて、ステージの袖のところに、ちょこんと座っていた。わたしたちを見て、しっぽをひとふりした。
きゅるるの目が、少し光っているように見えた。
☆
きゅるるが手を叩いた。
ステージに光が灯った。
今日の光は、今まで見た中で一番あたたかかった。黄色みがかったやわらかい光で、古い木の床を照らして、ステージ全体を包んでいた。袖のところに浮かんだ小さな星の飾りが、観客の目に届くくらい、はっきりと輝いていた。
衣装が現れた。
わたしの星のワンピース。夜明け前の青。星の飾り。袖のレース。胸の金糸のリボン。
ルナちゃんの月の衣装。白と銀。柔らかいリボン。サッシュに散った星の飾り。
そして、二人をつなぐリボン。
着替えて、ステージに上がった。
三段の階段。昔は遠く感じた。今日も遠かった。でも、登れた。
ステージの上に立つと、観客が見えた。
こんなにいるんだ、と思った。
見られている。
全員に見られている。
足が止まりそうになった。でも、隣にルナちゃんがいた。ルナちゃんもわたしを見ていた。
「大丈夫」
ルナちゃんが言った。
いつも自分に言い聞かせていた言葉を、今日は、わたしに向けて言ってくれた。
☆
音楽が始まった。
きゅるるが用意してくれた曲だった。タイトルは「星と月をつなぐリボン」。ゆっくりとしたイントロから、少しずつ温度を上げていく曲だった。
最初はルナちゃんが動き始めた。
月のプリンセスが、静かに動き出した。白と銀の衣装が光を受けて、ステージの上で揺れた。今まで見てきたルナちゃんのダンスとは、少し違った。完ぺきに整えた動きじゃなかった。でも、その分だけ、何かが出ていた。迷いがあって、それでも前へ進もうとしている、そういうものが、体の動きから滲み出ていた。
観客が静かになった。しゃべっていた子も、ざわめいていた空気も、すうっと落ち着いた。みんながルナちゃんを見ていた。
わたしの番が来た。
動けなかった。一瞬だけ、体が固まった。
でも、きゅるるがステージの袖からわたしを見ていた。
何も言わなかった。ただ、見ていた。
一歩、踏み出した。
ルナちゃんと逆の方向から、ゆっくりと中央へ向かった。二人が近づいていく。星と月が、夜空で出会うように。
リボンが、ふわりと空中で揺れた。
☆
曲のテンポが少し落ちたとき、きゅるるが目で合図をした。
話す番だ、と分かった。
ルナちゃんとわたしは、ステージの中央で向き合った。それから、観客の方を向いた。
マイクはなかった。でも、屋上は静かで、声は届くと思った。
わたしが先に話した。頭の中で、何度も練習した言葉だった。でも、いざ口を開くと、練習した通りにはならなかった。
「わたしは、目立つのが怖かったです」
声が少し震えた。
「スケッチブックに衣装の絵を描いていたけど、誰にも見せられなかった。見せたら笑われると思って、ずっと隠してました」
そこで一度、言葉が止まった。
でも、ここで終わりにしたくなかった。
「でも、本当は苦しかった。好きなものを隠すのが、ほんとうはずっと苦しかった」
言い終えて、少し息を吸った。
言えた。
誰かに笑われなかった。誰かが立ち去らなかった。みんなが、静かに聞いていた。
ルナちゃんが続けた。
「わたしも、失敗するのが怖かった」
ルナちゃんの声は、いつもの明るい声より少し低かった。でも、それがかえって、遠くまで届く気がした。
「小学生のとき、ステージで失敗して、笑われたことがある。それからずっと、完ぺきにしなきゃって思いながら練習してきた」
誰かが小さく息を飲む音がした。
「でも今日は、ひとりじゃないから踊れます」
ルナちゃんがわたしを見た。わたしもルナちゃんを見た。
二人で、観客の方に向き直った。
「この衣装は、わたしが描きました」
わたしは自分のワンピースの裾を、少しだけ持ち上げた。星の飾りが光を受けてきらりとした。
「目立つ衣装じゃないかもしれないけれど、そっとそばにいられる衣装を作りたかった。見た人の心のどこかに、そっと残れたら、って思って作りました」
少し間を置いた。
「クラスに、いつも静かに応援してくれる友だちがいます。大きな声では言えないけど、ちゃんと見ていてくれる友だちが」
ひなのちゃんの方は見なかった。見たら、泣いてしまう気がしたから。
「その子に届けたくて、今日ここに立っています。その子みたいに、一歩踏み出すのが怖い人に、届いてほしくて」
言い終えた。
ステージの上で、夕方の風が吹いた。
スカートのすそが揺れた。星の飾りが、風に揺れてきらきらと光った。
観客の中から、誰かが小さく拍手した。
それが広がった。
大きな拍手じゃなかった。でも、確かな拍手だった。
☆
曲の後半が始まった。
今度は二人で動いた。最初は離れたところから。星と月が、それぞれの軌道を描いて、でもだんだん近づいていく。リボンが、その動きに合わせてふわりふわりと揺れた。
ルナちゃんの動きは、今日が今まで一番よかった、とわたしでも分かった。完ぺきじゃなかった。でも、完ぺきじゃないところから、何かが滲み出ていた。ステージが怖かった、でも今日は立っている、そういうものが体全体から出ていた。
わたしは踊れなかった。
でも、歩いた。ルナちゃんに合わせながら、ゆっくりと中央へ向かった。
サビに入ったとき、二人の手がつながった。
リボンが、二人の間で輝いた。
星と月をつなぐリボンが、ステージの上で光を放った。金色と銀色が混じって、まるで夜明けの空みたいな色になった。
観客から、声が上がった。
きゅるるがステージの袖で、しっぽを大きく揺らしているのが見えた。
☆
曲が終わった。
ステージに、静寂があった。
一瞬だけ。
それから、拍手が来た。
さっきよりずっと大きかった。こころちゃんの「やばい、かわいすぎる!」という声が一番大きく響いた。誰かが「もう一回!」と言った。
わたしはルナちゃんと顔を見合わせた。
ルナちゃんが笑っていた。
今まで見たルナちゃんの笑顔の中で、一番本物だと思った。完ぺきに作られた笑顔じゃなかった。目が少し潤んでいて、口元が少しほどけていて、全部が本当のルナちゃんだった。
わたしも笑っていたと思う。顔が笑っているかどうか確認できなかったけれど、胸の中がそういう気持ちだったから、たぶん笑っていた。
ステージの光が、より明るくなった。
袖に浮かんでいた星の飾りが、ステージ全体に広がった。屋上が、星空みたいになった。足元から頭の上まで、小さな光がふわふわと漂って、夕暮れの空に溶けていった。
観客の子たちが「わあ」と声を上げた。
きゅるるが、ステージの袖からするりと出てきた。ステージの上に上がって、わたしとルナちゃんの間に立った。きゅるるのしっぽの先が、星の形に輝いていた。
「消えないきゅる」
小さな声だったけれど、聞こえた。
「このステージ、消えないきゅる」
きゅるるの目が、光っていた。
さっきとは違う光だった。さっきは潤んでいた。今は、本当に輝いていた。
☆
ステージが終わって、観客が散り始めた頃、エマ先輩が近づいてきた。
わたしとルナちゃんの前に立って、少しの間、何も言わなかった。
それからゆっくりと、口を開いた。
「届いていたわ」
その一言だった。
「憧れだけじゃなかった。ちゃんと、届けるものを持って立っていた」
ルナちゃんが「ありがとうございます」と言った。声が少し震えていた。
エマ先輩はルナちゃんを見た。
「野月さん、今日のステージは今まで一番よかった。完ぺきじゃなかったけれど、一番よかった」
「……はい」
「失敗が怖いまま立つことが、どれだけ勇気のいることか。私には、まだできていないことよ」
エマ先輩の声が、少しだけやわらかくなった。
「次は、私も変わってみようと思う。あなたたちを見て、そう思った」
それだけ言って、エマ先輩は踵を返した。
でも、数歩歩いてから、振り返った。
「みらいさん」
「はい」
「その衣装、そっとそばにいてくれる衣装だと言っていたわね」
「はい」
「届いていたわ。私にも」
エマ先輩はそのまま屋上を出ていった。
足音が遠くなって、ドアが静かに閉まった。
わたしは少しの間、ドアの方を見ていた。
☆
まどか先輩が来たのは、観客がほとんどいなくなってからだった。
バインダーを抱えて、まっすぐわたしたちの前に立った。
「記録が取れました」
「見ていてくれたんですか」
「最初から最後まで」
まどか先輩は少し間を置いた。
「今日のステージなら、生徒会として正式な放課後イベントへの申請を支持します」
「じゃあ、これからも続けられるんですか?」
「まだ校長先生の許可は必要です。でも、私からも推薦します」
ルナちゃんが「本当ですか!」と言った。
「条件は達成されました。観客に届いていることを確認しました」
まどか先輩は真顔だった。でも、口元がほんの少しだけゆるんでいた。
「小動物さんについては、学校の公式な記録には記載しません。説明のつかないものは、説明のつかないものとして扱います」
「小動物じゃないきゅる。きゅるるきゅる」
「……分かっています」
「じゃあ、名前で呼ぶきゅる」
まどか先輩は、バインダーへ目を落とした。
「学校の記録に残せない存在を、正式名称で呼ぶ必要はありません」
「まどか、照れてるきゅる?」
「照れていません」
答えるのが、いつもより少しだけ早かった。
こころちゃんが吹き出しそうになって、両手で口を押さえた。まどか先輩はそれを見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「……きゅるるさん。これでいいですか」
「よいきゅる」
きゅるるが満足そうに胸を張った。
まどか先輩はため息をついた。でも、口元は少しだけ笑っていた。
きゅるるが「まどかは面白いきゅる」と小声で言った。
まどか先輩はきゅるるを一目見て、それから前を向いた。
「来年度以降の継続については、また話し合いましょう。今日のところは、これで」
まどか先輩は屋上を出ていった。
その背中が、少しだけ、いつもより軽そうに見えた。
☆
ひなのちゃんは最後まで残っていた。
みんながいなくなって、わたし、ルナちゃん、きゅるる、こころちゃん、ひなのちゃんだけになった屋上で、ひなのちゃんがゆっくりと近づいてきた。
「みらいちゃん」
「うん」
「届いたよ」
声が小さかった。でも、確かに聞こえた。
「ちゃんと、届いた」
わたしは何も言えなかった。
ひなのちゃんが続けた。
「わたしも、今度は何かやってみたい。何かはまだ分からないけど。でも、少し変わってみたい気がする」
ひなのちゃんの声は小さかった。けれど、さっきまでより少しだけ前を向いていた。
「ひなのん、わたしが一緒に考えるよ!」
こころちゃんが、ぱっとひなのちゃんの肩に手を置いた。
ひなのちゃんは少し驚いた顔をした。それから、ほんの小さく笑った。
その笑顔を見て、わたしは思った。
ちゃんと、届いていたんだ。
☆
みんなが帰って、最後にきゅるるとわたしだけが残った。ルナちゃんは「また明日」と言って帰っていった。
ステージの前に立った。
光は消えていた。でも、さっきまでの温度が、まだ床に残っている気がした。
「きゅるる」
「なにきゅる」
「ありがとう」
「何がきゅる」
「全部」
きゅるるはしばらく黙った。
それからしっぽをふわりと揺らして言った。
「きゅるるは、ナビきゅる。みらいたちが動いたきゅる。きゅるるはただ、そばにいただけきゅる」
「それが一番よかったんだよ」
きゅるるがまた黙った。
今度は長かった。
それから、小さな声で言った。
「きゅるるも、みらいに会えてよかったきゅる」
その言葉が、夕暮れの屋上に静かに落ちた。
消えなかった。どこかに残った。
☆
家に帰って、わたしは自分の部屋でスケッチブックを取り出した。
新しいページを開いた。
そこに、描き始めた。
みらいとルナちゃんの衣装だけじゃなかった。こころちゃんが楽しそうに観客席にいる絵。ひなのちゃんが穏やかに笑っている絵。まどか先輩がバインダーを持って立っている絵。エマ先輩が腕を組んでいる絵。きゅるるがステージの袖で尻尾を揺らしている絵。
みんなの衣装を、描いた。
こころちゃんには、向日葵みたいに明るいオレンジのドレス。ひなのちゃんには、小さな花がそっと散った淡いグリーンのワンピース。まどか先輩には、きっちりとしたラインの、深い紺のステージ衣装。エマ先輩には、今より少しだけやわらかい羽根がついた、やっぱり白いドレス。
きゅるるには、星型の耳に合わせた、小さなリボンのついたマントを描いた。
描いているうちに、みんなの顔が一人ずつ浮かんできた。
ひとりじゃなかった。
最初からひとりじゃなかったけれど、ひとりだと思っていた。ひとりで抱えて、ひとりで隠して、ひとりで怖がっていた。
でも、本当は、そばにいてくれる人がいた。
☆
一週間後、屋上ステージは「放課後きらめきステージ」として、正式な放課後イベントに認められた。
校長先生の許可が下りたことを、まどか先輩が知らせに来てくれたのは、昼休みの廊下だった。
「正式に許可が出ました。次回からは、生徒会への事前申請を条件に使用できます」
「ほんとに?」
ルナちゃんが、ぱっと顔を上げた。
「本当です」
「やったあああ!」
こころちゃんの声が、廊下の端まで響いた。
「こころちゃん、声、大きい」
ひなのちゃんが小さな声で言った。でも、口元は笑っていた。
ルナちゃんはわたしの手をぎゅっと握った。
「みらい、やったね」
「うん」
うなずいたら、胸の奥がじんと熱くなった。
エマ先輩は腕を組んで、いつもの落ち着いた顔で言った。
「これからの方が大変よ。続けるなら、責任も増えるから」
「はい」
わたしたちがそろって返事をすると、エマ先輩は少しだけ目を細めた。
「でも、楽しみにしているわ」
そして放課後、わたしたちはまた屋上に集まった。
「次のきらめき、見つけに行くきゅる」
きゅるるはいつもの偉そうな声に戻っていた。
しっぽが元気よく揺れていた。
わたしはスケッチブックから顔を上げて、きゅるるを見た。
それから、笑った。
「うん。今度は、わたしから」
きゅるるのしっぽの先が、星の形に光った。
☆
わたしは今日も、自分の部屋でスケッチブックを開いた。
窓の外には、星が出ていた。少し離れたところに、月も浮かんでいた。
二つが並んで、きらりと輝いていた。
スケッチブックの新しいページには、まだ描ける余白があった。
それが、嬉しかった。
(おしまい)
震えている。また震えている。きゅるると初めて会った日と同じだ。あのときは、風に飛ばされたスケッチを追いかけて、一人でここへ来た。誰かに見られることを怖がりながら、でも絵を取り戻したくて、必死に走ってきた。
今日は違う。隣にルナちゃんがいる。
「みらい、顔が青い」
「震えてる」
「わたしも震えてる」
ルナちゃんが右手を差し出した。
わたしはその手を取った。ルナちゃんの手も、少し冷たかった。緊張しているんだ、と分かった。でも、つながれた手はあたたかかった。冷たさの中に、あたたかさがあった。
ドアを押した。
☆
屋上には、人が来ていた。
こころちゃんが告知してくれたから、クラスの子たちが何人か来るとは思っていた。でも、思っていたよりずっと多かった。知らない顔もあった。別のクラスの子や、二年生、三年生らしき人たちも、屋上の端に集まっていた。
その中に、ひなのちゃんがいた。
人混みが苦手なひなのちゃんが、隅の方でひっそりと立っていた。わたしと目が合うと、小さく手を振った。
こころちゃんが人混みをかき分けてこちらへ来た。
「二人とも来た! みんな待ってたよ! あたし、ちゃんと盛り上げるから安心して!」
「ありがとう、こころちゃん」
「泣かないでよね、まだ始まってもいないんだから」
泣いていなかった。でも、泣きそうではあった。
まどか先輩が少し離れたところに立っていた。バインダーを持って、記録を取る体勢だった。目が合うと、小さくうなずいた。それだけだったけれど、来てくれているということが、嬉しかった。
エマ先輩は、観客の少し後ろに立っていた。腕を組んで、まっすぐこちらを見ていた。笑ってはいなかった。でも、冷たくもなかった。ただ、見ていた。本気で見ていた。
きゅるるはステージの端にいた。手すりの上じゃなくて、ステージの袖のところに、ちょこんと座っていた。わたしたちを見て、しっぽをひとふりした。
きゅるるの目が、少し光っているように見えた。
☆
きゅるるが手を叩いた。
ステージに光が灯った。
今日の光は、今まで見た中で一番あたたかかった。黄色みがかったやわらかい光で、古い木の床を照らして、ステージ全体を包んでいた。袖のところに浮かんだ小さな星の飾りが、観客の目に届くくらい、はっきりと輝いていた。
衣装が現れた。
わたしの星のワンピース。夜明け前の青。星の飾り。袖のレース。胸の金糸のリボン。
ルナちゃんの月の衣装。白と銀。柔らかいリボン。サッシュに散った星の飾り。
そして、二人をつなぐリボン。
着替えて、ステージに上がった。
三段の階段。昔は遠く感じた。今日も遠かった。でも、登れた。
ステージの上に立つと、観客が見えた。
こんなにいるんだ、と思った。
見られている。
全員に見られている。
足が止まりそうになった。でも、隣にルナちゃんがいた。ルナちゃんもわたしを見ていた。
「大丈夫」
ルナちゃんが言った。
いつも自分に言い聞かせていた言葉を、今日は、わたしに向けて言ってくれた。
☆
音楽が始まった。
きゅるるが用意してくれた曲だった。タイトルは「星と月をつなぐリボン」。ゆっくりとしたイントロから、少しずつ温度を上げていく曲だった。
最初はルナちゃんが動き始めた。
月のプリンセスが、静かに動き出した。白と銀の衣装が光を受けて、ステージの上で揺れた。今まで見てきたルナちゃんのダンスとは、少し違った。完ぺきに整えた動きじゃなかった。でも、その分だけ、何かが出ていた。迷いがあって、それでも前へ進もうとしている、そういうものが、体の動きから滲み出ていた。
観客が静かになった。しゃべっていた子も、ざわめいていた空気も、すうっと落ち着いた。みんながルナちゃんを見ていた。
わたしの番が来た。
動けなかった。一瞬だけ、体が固まった。
でも、きゅるるがステージの袖からわたしを見ていた。
何も言わなかった。ただ、見ていた。
一歩、踏み出した。
ルナちゃんと逆の方向から、ゆっくりと中央へ向かった。二人が近づいていく。星と月が、夜空で出会うように。
リボンが、ふわりと空中で揺れた。
☆
曲のテンポが少し落ちたとき、きゅるるが目で合図をした。
話す番だ、と分かった。
ルナちゃんとわたしは、ステージの中央で向き合った。それから、観客の方を向いた。
マイクはなかった。でも、屋上は静かで、声は届くと思った。
わたしが先に話した。頭の中で、何度も練習した言葉だった。でも、いざ口を開くと、練習した通りにはならなかった。
「わたしは、目立つのが怖かったです」
声が少し震えた。
「スケッチブックに衣装の絵を描いていたけど、誰にも見せられなかった。見せたら笑われると思って、ずっと隠してました」
そこで一度、言葉が止まった。
でも、ここで終わりにしたくなかった。
「でも、本当は苦しかった。好きなものを隠すのが、ほんとうはずっと苦しかった」
言い終えて、少し息を吸った。
言えた。
誰かに笑われなかった。誰かが立ち去らなかった。みんなが、静かに聞いていた。
ルナちゃんが続けた。
「わたしも、失敗するのが怖かった」
ルナちゃんの声は、いつもの明るい声より少し低かった。でも、それがかえって、遠くまで届く気がした。
「小学生のとき、ステージで失敗して、笑われたことがある。それからずっと、完ぺきにしなきゃって思いながら練習してきた」
誰かが小さく息を飲む音がした。
「でも今日は、ひとりじゃないから踊れます」
ルナちゃんがわたしを見た。わたしもルナちゃんを見た。
二人で、観客の方に向き直った。
「この衣装は、わたしが描きました」
わたしは自分のワンピースの裾を、少しだけ持ち上げた。星の飾りが光を受けてきらりとした。
「目立つ衣装じゃないかもしれないけれど、そっとそばにいられる衣装を作りたかった。見た人の心のどこかに、そっと残れたら、って思って作りました」
少し間を置いた。
「クラスに、いつも静かに応援してくれる友だちがいます。大きな声では言えないけど、ちゃんと見ていてくれる友だちが」
ひなのちゃんの方は見なかった。見たら、泣いてしまう気がしたから。
「その子に届けたくて、今日ここに立っています。その子みたいに、一歩踏み出すのが怖い人に、届いてほしくて」
言い終えた。
ステージの上で、夕方の風が吹いた。
スカートのすそが揺れた。星の飾りが、風に揺れてきらきらと光った。
観客の中から、誰かが小さく拍手した。
それが広がった。
大きな拍手じゃなかった。でも、確かな拍手だった。
☆
曲の後半が始まった。
今度は二人で動いた。最初は離れたところから。星と月が、それぞれの軌道を描いて、でもだんだん近づいていく。リボンが、その動きに合わせてふわりふわりと揺れた。
ルナちゃんの動きは、今日が今まで一番よかった、とわたしでも分かった。完ぺきじゃなかった。でも、完ぺきじゃないところから、何かが滲み出ていた。ステージが怖かった、でも今日は立っている、そういうものが体全体から出ていた。
わたしは踊れなかった。
でも、歩いた。ルナちゃんに合わせながら、ゆっくりと中央へ向かった。
サビに入ったとき、二人の手がつながった。
リボンが、二人の間で輝いた。
星と月をつなぐリボンが、ステージの上で光を放った。金色と銀色が混じって、まるで夜明けの空みたいな色になった。
観客から、声が上がった。
きゅるるがステージの袖で、しっぽを大きく揺らしているのが見えた。
☆
曲が終わった。
ステージに、静寂があった。
一瞬だけ。
それから、拍手が来た。
さっきよりずっと大きかった。こころちゃんの「やばい、かわいすぎる!」という声が一番大きく響いた。誰かが「もう一回!」と言った。
わたしはルナちゃんと顔を見合わせた。
ルナちゃんが笑っていた。
今まで見たルナちゃんの笑顔の中で、一番本物だと思った。完ぺきに作られた笑顔じゃなかった。目が少し潤んでいて、口元が少しほどけていて、全部が本当のルナちゃんだった。
わたしも笑っていたと思う。顔が笑っているかどうか確認できなかったけれど、胸の中がそういう気持ちだったから、たぶん笑っていた。
ステージの光が、より明るくなった。
袖に浮かんでいた星の飾りが、ステージ全体に広がった。屋上が、星空みたいになった。足元から頭の上まで、小さな光がふわふわと漂って、夕暮れの空に溶けていった。
観客の子たちが「わあ」と声を上げた。
きゅるるが、ステージの袖からするりと出てきた。ステージの上に上がって、わたしとルナちゃんの間に立った。きゅるるのしっぽの先が、星の形に輝いていた。
「消えないきゅる」
小さな声だったけれど、聞こえた。
「このステージ、消えないきゅる」
きゅるるの目が、光っていた。
さっきとは違う光だった。さっきは潤んでいた。今は、本当に輝いていた。
☆
ステージが終わって、観客が散り始めた頃、エマ先輩が近づいてきた。
わたしとルナちゃんの前に立って、少しの間、何も言わなかった。
それからゆっくりと、口を開いた。
「届いていたわ」
その一言だった。
「憧れだけじゃなかった。ちゃんと、届けるものを持って立っていた」
ルナちゃんが「ありがとうございます」と言った。声が少し震えていた。
エマ先輩はルナちゃんを見た。
「野月さん、今日のステージは今まで一番よかった。完ぺきじゃなかったけれど、一番よかった」
「……はい」
「失敗が怖いまま立つことが、どれだけ勇気のいることか。私には、まだできていないことよ」
エマ先輩の声が、少しだけやわらかくなった。
「次は、私も変わってみようと思う。あなたたちを見て、そう思った」
それだけ言って、エマ先輩は踵を返した。
でも、数歩歩いてから、振り返った。
「みらいさん」
「はい」
「その衣装、そっとそばにいてくれる衣装だと言っていたわね」
「はい」
「届いていたわ。私にも」
エマ先輩はそのまま屋上を出ていった。
足音が遠くなって、ドアが静かに閉まった。
わたしは少しの間、ドアの方を見ていた。
☆
まどか先輩が来たのは、観客がほとんどいなくなってからだった。
バインダーを抱えて、まっすぐわたしたちの前に立った。
「記録が取れました」
「見ていてくれたんですか」
「最初から最後まで」
まどか先輩は少し間を置いた。
「今日のステージなら、生徒会として正式な放課後イベントへの申請を支持します」
「じゃあ、これからも続けられるんですか?」
「まだ校長先生の許可は必要です。でも、私からも推薦します」
ルナちゃんが「本当ですか!」と言った。
「条件は達成されました。観客に届いていることを確認しました」
まどか先輩は真顔だった。でも、口元がほんの少しだけゆるんでいた。
「小動物さんについては、学校の公式な記録には記載しません。説明のつかないものは、説明のつかないものとして扱います」
「小動物じゃないきゅる。きゅるるきゅる」
「……分かっています」
「じゃあ、名前で呼ぶきゅる」
まどか先輩は、バインダーへ目を落とした。
「学校の記録に残せない存在を、正式名称で呼ぶ必要はありません」
「まどか、照れてるきゅる?」
「照れていません」
答えるのが、いつもより少しだけ早かった。
こころちゃんが吹き出しそうになって、両手で口を押さえた。まどか先輩はそれを見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「……きゅるるさん。これでいいですか」
「よいきゅる」
きゅるるが満足そうに胸を張った。
まどか先輩はため息をついた。でも、口元は少しだけ笑っていた。
きゅるるが「まどかは面白いきゅる」と小声で言った。
まどか先輩はきゅるるを一目見て、それから前を向いた。
「来年度以降の継続については、また話し合いましょう。今日のところは、これで」
まどか先輩は屋上を出ていった。
その背中が、少しだけ、いつもより軽そうに見えた。
☆
ひなのちゃんは最後まで残っていた。
みんながいなくなって、わたし、ルナちゃん、きゅるる、こころちゃん、ひなのちゃんだけになった屋上で、ひなのちゃんがゆっくりと近づいてきた。
「みらいちゃん」
「うん」
「届いたよ」
声が小さかった。でも、確かに聞こえた。
「ちゃんと、届いた」
わたしは何も言えなかった。
ひなのちゃんが続けた。
「わたしも、今度は何かやってみたい。何かはまだ分からないけど。でも、少し変わってみたい気がする」
ひなのちゃんの声は小さかった。けれど、さっきまでより少しだけ前を向いていた。
「ひなのん、わたしが一緒に考えるよ!」
こころちゃんが、ぱっとひなのちゃんの肩に手を置いた。
ひなのちゃんは少し驚いた顔をした。それから、ほんの小さく笑った。
その笑顔を見て、わたしは思った。
ちゃんと、届いていたんだ。
☆
みんなが帰って、最後にきゅるるとわたしだけが残った。ルナちゃんは「また明日」と言って帰っていった。
ステージの前に立った。
光は消えていた。でも、さっきまでの温度が、まだ床に残っている気がした。
「きゅるる」
「なにきゅる」
「ありがとう」
「何がきゅる」
「全部」
きゅるるはしばらく黙った。
それからしっぽをふわりと揺らして言った。
「きゅるるは、ナビきゅる。みらいたちが動いたきゅる。きゅるるはただ、そばにいただけきゅる」
「それが一番よかったんだよ」
きゅるるがまた黙った。
今度は長かった。
それから、小さな声で言った。
「きゅるるも、みらいに会えてよかったきゅる」
その言葉が、夕暮れの屋上に静かに落ちた。
消えなかった。どこかに残った。
☆
家に帰って、わたしは自分の部屋でスケッチブックを取り出した。
新しいページを開いた。
そこに、描き始めた。
みらいとルナちゃんの衣装だけじゃなかった。こころちゃんが楽しそうに観客席にいる絵。ひなのちゃんが穏やかに笑っている絵。まどか先輩がバインダーを持って立っている絵。エマ先輩が腕を組んでいる絵。きゅるるがステージの袖で尻尾を揺らしている絵。
みんなの衣装を、描いた。
こころちゃんには、向日葵みたいに明るいオレンジのドレス。ひなのちゃんには、小さな花がそっと散った淡いグリーンのワンピース。まどか先輩には、きっちりとしたラインの、深い紺のステージ衣装。エマ先輩には、今より少しだけやわらかい羽根がついた、やっぱり白いドレス。
きゅるるには、星型の耳に合わせた、小さなリボンのついたマントを描いた。
描いているうちに、みんなの顔が一人ずつ浮かんできた。
ひとりじゃなかった。
最初からひとりじゃなかったけれど、ひとりだと思っていた。ひとりで抱えて、ひとりで隠して、ひとりで怖がっていた。
でも、本当は、そばにいてくれる人がいた。
☆
一週間後、屋上ステージは「放課後きらめきステージ」として、正式な放課後イベントに認められた。
校長先生の許可が下りたことを、まどか先輩が知らせに来てくれたのは、昼休みの廊下だった。
「正式に許可が出ました。次回からは、生徒会への事前申請を条件に使用できます」
「ほんとに?」
ルナちゃんが、ぱっと顔を上げた。
「本当です」
「やったあああ!」
こころちゃんの声が、廊下の端まで響いた。
「こころちゃん、声、大きい」
ひなのちゃんが小さな声で言った。でも、口元は笑っていた。
ルナちゃんはわたしの手をぎゅっと握った。
「みらい、やったね」
「うん」
うなずいたら、胸の奥がじんと熱くなった。
エマ先輩は腕を組んで、いつもの落ち着いた顔で言った。
「これからの方が大変よ。続けるなら、責任も増えるから」
「はい」
わたしたちがそろって返事をすると、エマ先輩は少しだけ目を細めた。
「でも、楽しみにしているわ」
そして放課後、わたしたちはまた屋上に集まった。
「次のきらめき、見つけに行くきゅる」
きゅるるはいつもの偉そうな声に戻っていた。
しっぽが元気よく揺れていた。
わたしはスケッチブックから顔を上げて、きゅるるを見た。
それから、笑った。
「うん。今度は、わたしから」
きゅるるのしっぽの先が、星の形に光った。
☆
わたしは今日も、自分の部屋でスケッチブックを開いた。
窓の外には、星が出ていた。少し離れたところに、月も浮かんでいた。
二つが並んで、きらりと輝いていた。
スケッチブックの新しいページには、まだ描ける余白があった。
それが、嬉しかった。
(おしまい)


