蝶よ花よ
第三章、鞍馬
その翌日。
小鳥の様子を見に伊吹さんの屋敷に向かうと、『ツバメ』と名付けられた小鳥(種類はつばめではない)は元気になっていた。
ツバメのことでお願いがあると言われて、やってきたのはとあるお店だった。
「えっと、ここは?」
「さる商人が管理している店だよ。本拠地は京じゃないけど、今回は行商で来ているんだって」
(へぇ……よく知っているなー……)
身分の高い人というのは、色んなところに関わりを持っているらしい。
「お待たせしました。本日は何をお求めで?」
「小鳥を飼うことにしたから、道具を揃えたくて」
「え、まだ揃えていなかったんですか?」
「うん。そういうのは誰かと選んだ方が楽しそうだよね。二助はそういうの得意じゃないし」
店の奥へ案内されると、木箱や棚が整然と並び、その一つ一つに小さな札が掛けられていた。
竹で編まれた籠、陶器の餌皿、水差し、細やかな細工が施された止まり木。見たことのない道具まで揃っている。
思わず、きょろきょろと辺りを見回してしまう。
「この店に来れば大抵の物は揃うって聞いたんだけど、本当?」
「ええ、当店ではお客様の要望第一で、全国から品を取り寄せていますから」
愛想良い返事を聞き、伊吹さんはおもむろに頷く。
「黄金で編まれた鳥籠、銀細工の止まり木、削り水晶の餌箱とか、あったりするかな?」
(え?)
「は……?」
目を点にする店の人に、伊吹さんはにっこりと微笑んだ。
「お代はいくらかかっても良いよ。それとも、ここで手にはいらない物はないって、やっぱりただの大袈裟な噂だったのかな?」
「しょ、少々お待ちをっ!」
逃げるように店の奥に引っ込んでしまった店員を見ながら、私は慌てて耳打ちした。
「なんであんな注文したんですか?黄金の鳥籠なんか聞いたことありませんよ」
「重いし悪趣味だし、良いことはなにもなさそうだよねぇ」
「だったら何であんな……」
問いただそうとしていると、店の奥から店主らしき人がのれんをくぐって出てきた。
「困りますよ、お客さん」
奥から出てきた若い店主らしき男性は、呆れたように伊吹さんを見下ろした。
「奇遇だね、鞍馬さん」
「白々しい。誰の店か分かってやってるくせに」
鞍馬と呼ばれた男性はにっこり笑顔のまま対応するが、無茶苦茶な注文をされたせいか、青筋が浮かんでいる。
「そんな怖い顔しないで。彼女も困惑しているよ」
その言葉に、鞍馬さんの視線がすっとこちらに移る。
——次の瞬間。
目を見開いたかと思うと、いきなり私の前に跪いた。
「お美しいお嬢さん、良ければ僕と逢瀬でも」
「……え?」
間の抜けた声が、思わず口からこぼれた。
突然の出来事に頭が追いつかない。
目の前では、先ほどまで店主として冷静に対応していたはずの男性が、まるで別人のように柔らかな笑みを浮かべている。
手を取られていることに気づき、慌てて引こうとするが——
「つれない。だが、そこも良い……!」
するりと、逃げる隙を与えないように指先を絡められる。
(な、なんで!?え、怖い)
「ちょっと鞍馬さん、それはさすがに引くよ」
「てめぇは少し黙っとけ、伊吹」
「急に口が悪くなってません!?」
思わず声を上げると、鞍馬さんは一瞬だけ「はっ」とした顔をして、それから何事もなかったかのように咳払いをした。
「……失礼。少々、取り乱しました」
「そんなんだから恋仲がいないんだよ」
伊吹さんの言葉に、彼はぴたりと動きを止め——そして、目に見えて項垂れた。
「伊吹だけ次回から値上げしてやる……」
「横暴だなぁ」
伊吹さんはけらけらと笑いながら肩をすくめる。
軽口を叩き合う二人を前に、私はようやく解放された手をそっと引き寄せた。
戸惑いが抜けきらないまま様子をうかがっていると、鞍馬さんが髪を搔き上げ、今度はきちんとした態度でこちらに向き直る。
「平泉一の色男、鞍馬。鞍馬だぞー!」
「あ、理世です……」
慌ててぺこりと頭を下げ、少し距離を取る。
「金さえ積まれれば、どんな仕事でもしますよー。迷い猫探しから汚れ仕事まで!」
さらっと物騒なことを言いながら、にっと笑う。
(思ったより凄い人だった……)
よろず屋、という言葉が頭に浮かぶ。
「ちなみに恋仲募集中!」
鞍馬さんは元気よくそう宣言した。
「だからできないんだよ」
「うるせぇ!」
店の中に、勢いのいい声が響いた。
「なぁ、理世ちゃんは平泉に行ったことあるか?」
鞍馬さんが私の方を振り返って聞いてきた。
「いえ、名前くらいしか……」
そう答えながら、頭の中で思い出す。
藤原氏が治める、京とは少し違う栄え方をしている土地。
人も多く、富も集まる——そんな話を聞いたことがある。
「いいとこだぞ!」
鞍馬さんは、どこか誇らしげに笑った。
「公家だの武士だの、くだらねぇ意地の張り合いも少ないしな」
「京は華やかだけどねぇ、蓋を開ければ権力争いだよ」
「お前は公家だもんな。反乱軍に足すくわれねぇよう気をつけろよ」
「ご忠告どうも」
(っ……)
鞍馬さんの口から反乱軍って言葉が出た途端、まるで未知の物に触れた時のような悪寒が背筋を這い上がる。
まるで、冷たい水に足元が浸かってすっと体温が奪われていくかのような……。
「食えねぇやつ。人の親切心は素直に受け取っておけよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
にこりと、伊吹さんは笑顔を貼り付けて答えた。
思わず肩がびくりと揺れる。
「それで?無茶苦茶な注文をして僕を呼び出した理由は?」
「実は鞍馬さんに頼みたいことがあってね」
「頼み事ねぇ……一体どんな蟻地獄に落とす気なんだよ」
「人聞きが悪いなぁ。あちこちで商いをする商人は情報網だ。相談したいことは山ほどあるんだよねぇ」
「まぁ、金さえ貰えれば何でも良いけどな」
「さすが、便利屋だね」
「公家よりも武士よりも、最強なのは商人なんで」
その時、さっき伊吹さんに無茶苦茶な注文をされた男性が木箱を抱えて入って来た。
「失礼します。鞍馬さん宛に急ぎの荷物が届いたんですけど」
「お、ありがと。そこ置いといて」
軽く手を振って指示を出す。
「鞍馬さんに荷物なんて珍しいね」
「はっ倒されてぇなら早く言えよ。僕は安達と伊吹撲滅同盟を結んでんだからよ」
「あはは、相変わらず物騒だねー」
伊吹さんは気にもとめずに面白そうに笑った。
「じゃあ、確かに受け取りましたんで」
「ああ、ご苦労さん」
店員は一礼して、そそくさと奥へ引っ込んでいった。
残された木箱に、私はなんとなく視線を向ける。
(……なんだろう)
見た目はただの簡素な木箱だ。けれど、どこか——妙に気になる。
「急ぎみたいだし先に確認させてもらいますよ。箱の中身はなんだろなっ」
無造作に箱が開けられると、そこに入っていたのはズタズタの土人形だった。
「理世さん、こっちに」
不意に肩を強く引かれ、伊吹さんに抱き寄せられた。
伊吹さんは私を土人形から遠ざけながら、鞍馬さんに向き直った。
「わー、人気者だね鞍馬さん。これ呪具だよ」
「ですよねー」
軽い口調のわりに、鞍馬さんの目は一切笑っていなかった。
(……鞍馬さんは驚いていない)
「理世さん、あんまり近寄らない方がいいよ」
伊吹さんが、いつになく真面目な声で言った。
「え……?」
思わず間の抜けた声が出る。
鞍馬さんは慣れたように指先で土人形に触れるのを避け、代わりに近くにあった木の棒で軽くつついた。
「驚かないんですか?」
「この手の嫌がらせ、割と多いんだよねー。九割は商売敵だからだけど、そんな暇あるなら働けば良いのになー」
「鞍馬さんの趣味で増えただけなんじゃない?」
「僕は、ぼったくりをしてる同業者に喧嘩を売っている健全な商人なんだけどなぁ」
鞍馬さんはポリポリと頭を搔きながら首をかしげる。
「それ、どうするんですか?」
「あとでゴミと一緒に焼くから心配しなさんなって。時は金なり、こんなの相手にするだけ無駄無駄」
(でも、呪具だし……万が一なにかあったら……)
不安になる私を安心させるように伊吹さんが肩を叩いた。
「鞍馬さんみたいな商魂がたくましい人は殺しても死ななそう……っていう感想はさておき、素人の呪詛はたかが知れているから気にする必要もないよ。理世さんのことは念の為に遠ざけたけど」
「……?詳しいんですね」
「昔、ちょっと色々あったんだよねぇ」
(色々……?)
「とにかく、老人とか幼子とかの生命力の低い人が対象であれば、死に至らない程度の体調不良は引き起こせる可能性はあるけど……本気で呪殺したいなら自分の命と引き換えにしても足りないくらいだよ。陰陽師が何人か揃って、ようやく形になるかどうかってとこかな」
呪術を扱う陰陽師といえど、あくまで朝廷に仕える役人だ。
金で人を殺すなど許されるはずもない。
もし露見すれば依頼した者も、それを実行した者も——流罪では済まない可能性すらある。
「そうなんですか……」
伊吹さんの苦笑めいたものを浮かべる様子に少し引っかかるけれど……。
尋ね返す前に、店の戸がガラリと開いた。
「失礼します。ただいま戻りました」
旅装束の集団が入ってきて、鞍馬さんに頭を下げた。
(鞍馬さんの部下の人達かな?)
「長旅お疲れ。今日と明日はよく休むといいぞ。商談成功の特別手当てを出しておくから」
鞍馬さんの声に歓声が上がった。
「あれ?その箱、どうしたんですか?ゴミなら捨ててきましょうか?」
(あっ!)
笑いながら部下の一人が土人形の入った木箱に手を伸ばす。
「待てっ!」
「え、うわっ!」
中身に驚いたのか、のぞけった拍子に箱の中身がひっくり返った。
「ちょっと、大丈夫?」
傍にいた女性が身をかがめ、人形を拾い上げようとする。
「ダメ!」
慌てて止めようとした瞬間、土人形から黒いもやのようなものが染み出したような気がした。
「からだ……重い……」
「大丈夫ですか!?」
鞍馬さんが鋭い表情になって女性を見つめる。
「こっち、座って」
ふらつきながら女性が座ると、鞍馬さんは他の部下達を見渡した。
「彼女は僕が責任持って家に送り届けるから、他のみんなは退出して良し」
部下達は心配そうにざわめきながら、鞍馬さんの言いつけ通りに退出していく。
「体調は大丈夫?」
「……吐き気がしてきました。それに、なんだかめまいまで……」
「私は薬師です。このまま診ますね」
「……ありがとう、ございます」
女性の手首に触れてみると、わずかに熱っぽい。
ふと女性の帯に付けられた安産祈願のお守りが目に留まる。
(これって……)
「あの……もしかして、ご妊娠されていますか?」
「ええ」
鞍馬さんに目を向けると、首を横に振っていた。
「身籠っている状態なら、言ってくれれば旅の面子から外したのに」
どうやら、鞍馬さんも知らなかったみたいだ。
「旅の途中で気づいたんです。大事な仕事でしたし、周りにも気を遣わせたくないと思って、みんなには内緒にしていたんですけど……」
(妊娠と長旅で、もともと体調が優れなかった……。それで呪具の効果を)
「知り合いにこの手の問題を即座に解決できる人がいて、俺で良ければそれは預かるよ」
伊吹さんは箱に入れ直した人形をひょいっと持ち上げる。
「見返りは何をお求めで?」
「頼み事が一つあるんだよねぇ」
「こちとら無関係な大切な部下を人質にされてんだ。その知り合いにひと欠片の効果も腹の子に残すなよって伝えとけ」
「もちろん」
その口調に明確な怒りを感じてゾクリとする。
(伊吹さん、怒ってる……?)
目に見えない何か重たいものを抱えている気がして、なんだかもどかしくなった。
「ごめんねぇ、怖がらせるつもりはなかったんだけど」
そう言って笑うその顔は、いつもと同じはずなのに、少しだけ違って見えた。
優美で貼り付けたような微笑みは、いつも伊吹さんの感情を覆い隠してしまう。
小鳥を愛でる優しい伊吹さんと、どこか冷たい伊吹さんの落差をどう考えて良いのか、私にはまだ分からないままだった。
鞍馬さんのお店を出て、そのまま二人で並んで歩く。
隣を歩く伊吹さんは、さっきまでのことなど何もなかったみたいに、いつも通り飄々としていた。
「理世さん、今日はごめんねぇ。鞍馬さんの店に連れて来なければ巻き込まれなかったのに」
「いえ、私は……今回、巻き込まれて良かったと思っています。あんなふうに人を呪う人もいるんだって知ることができました」
伊吹さんは腑に落ちない表情で、形の良い眉をひそめた。
「人の悪意なんて知らずに育った方が良いよ」
「そうかもしれません。けど……伊吹さんは昔色々あったから詳しいって言っていましたよね。勘違いだったらすみません、さっきの伊吹さんは雰囲気が違う気がして……」
「…………」
「友達なんておこがましい気もしますが……これでも、私は親しくさせてもらっているつもりなんです。私に力になれることがあれば、良ければ話してもらえませんか?」
伊吹さんの視線がわずかに揺れた。
「……参ったなぁ」
その笑みは、いつもみたいな笑顔とは少し違って見えた。
「分かるよ。君は、大切にされて育った。だから、俺はそういうところに、つい見惚れてしまうんだろうねぇ……」
ゆっくりと伊吹さんは言葉を続けた。
「俺は生まれながらにして、はらわたの中まで穢れている。胎児の時にそう運命付けられたからね」
「何でそんなこと……」
「母が俺を身籠った時、父親から呪いをかけられてね。人に言えないような供物を捧げ、それはそれは大掛かりな儀式だったらしい」
「……え」
あまりの告白に、私は一瞬言葉を失う。
伊吹さんは、どこか他人事みたいに笑った。
「死産を願われながら、十月十日をかけて腹を膨らませ続ける様は……周りには、さぞ気味悪く見えただろうねぇ」
それは。
私が何か言うより先に、伊吹さんは続ける。
「俺はもう慣れてるからさ。そんなに辛そうな顔をされると、逆に困っちゃうなぁ」
伊吹さんは、まるで他人の話みたいに笑っているが、その笑顔の奥にあるものを思うと、苦しくてたまらない。
こんな話を、どうしてそんな風に笑いながら話せるのだろう。
怒りも、悲しみも、苦しみも。 全部とうの昔に飲み込んで、傷口の上から無理やり蓋をしてしまったみたいだった。
黙り込んだ私を見て、伊吹さんは困ったような悲しそうな笑みを浮かべた。
「理世さんって、本当に優しいよねぇ」
目の前にいる人がこんな風に笑うしかなかった過去を持っているのに、掛けられる言葉が見つからない。
薬師としてなら怪我や病は診られる。
けれど、こんな傷を前にして、私はあまりにも無力だった。
「理世さん、薬師だからかな。誰かが傷ついてると助けなきゃって思う癖があるよねぇ」
「それは……」
否定できなかった。
怪我をしている人がいれば手当てをしたいと思う。苦しんでいる人がいれば、少しでも楽にしたいと思う。
「……ごめんなさい。私にはなんて言ったら良いのか分からないんです」
すぐに考えつくような安易な言葉は、例え嘘じゃなくても伊吹さんにはきっと届かない。
目の奥が行き場のない衝動にじんと熱くなり、それを止められない自分にも、無性に腹が立った。
「理世さんはどうして他人のために泣けるんだろうねぇ……俺とは違うもので心ができているのかな」
さらりと言われたその言葉が、胸に重く沈んだ。
「……伊吹さんが生まれてきてくれて良かった。これだけは言えます」
言いながら、こぼれた涙が視界を遮った。
「今の話を聞いて、不気味に思わないの?」
「伊吹さんは私やツバメを助けてくれました。それで、呪詛の時も心配してくれましたし、あの女性のために怒っていました。そんな人の何を不気味に思えば良いんですか?」
唇を噛み締め、伊吹さんを見つめた。
「……ありがとう。いつか君になら、俺は呪われても良いな。その時は俺の自業自得だから」
「どういうことですか?」
「内緒」
小鳥の様子を見に伊吹さんの屋敷に向かうと、『ツバメ』と名付けられた小鳥(種類はつばめではない)は元気になっていた。
ツバメのことでお願いがあると言われて、やってきたのはとあるお店だった。
「えっと、ここは?」
「さる商人が管理している店だよ。本拠地は京じゃないけど、今回は行商で来ているんだって」
(へぇ……よく知っているなー……)
身分の高い人というのは、色んなところに関わりを持っているらしい。
「お待たせしました。本日は何をお求めで?」
「小鳥を飼うことにしたから、道具を揃えたくて」
「え、まだ揃えていなかったんですか?」
「うん。そういうのは誰かと選んだ方が楽しそうだよね。二助はそういうの得意じゃないし」
店の奥へ案内されると、木箱や棚が整然と並び、その一つ一つに小さな札が掛けられていた。
竹で編まれた籠、陶器の餌皿、水差し、細やかな細工が施された止まり木。見たことのない道具まで揃っている。
思わず、きょろきょろと辺りを見回してしまう。
「この店に来れば大抵の物は揃うって聞いたんだけど、本当?」
「ええ、当店ではお客様の要望第一で、全国から品を取り寄せていますから」
愛想良い返事を聞き、伊吹さんはおもむろに頷く。
「黄金で編まれた鳥籠、銀細工の止まり木、削り水晶の餌箱とか、あったりするかな?」
(え?)
「は……?」
目を点にする店の人に、伊吹さんはにっこりと微笑んだ。
「お代はいくらかかっても良いよ。それとも、ここで手にはいらない物はないって、やっぱりただの大袈裟な噂だったのかな?」
「しょ、少々お待ちをっ!」
逃げるように店の奥に引っ込んでしまった店員を見ながら、私は慌てて耳打ちした。
「なんであんな注文したんですか?黄金の鳥籠なんか聞いたことありませんよ」
「重いし悪趣味だし、良いことはなにもなさそうだよねぇ」
「だったら何であんな……」
問いただそうとしていると、店の奥から店主らしき人がのれんをくぐって出てきた。
「困りますよ、お客さん」
奥から出てきた若い店主らしき男性は、呆れたように伊吹さんを見下ろした。
「奇遇だね、鞍馬さん」
「白々しい。誰の店か分かってやってるくせに」
鞍馬と呼ばれた男性はにっこり笑顔のまま対応するが、無茶苦茶な注文をされたせいか、青筋が浮かんでいる。
「そんな怖い顔しないで。彼女も困惑しているよ」
その言葉に、鞍馬さんの視線がすっとこちらに移る。
——次の瞬間。
目を見開いたかと思うと、いきなり私の前に跪いた。
「お美しいお嬢さん、良ければ僕と逢瀬でも」
「……え?」
間の抜けた声が、思わず口からこぼれた。
突然の出来事に頭が追いつかない。
目の前では、先ほどまで店主として冷静に対応していたはずの男性が、まるで別人のように柔らかな笑みを浮かべている。
手を取られていることに気づき、慌てて引こうとするが——
「つれない。だが、そこも良い……!」
するりと、逃げる隙を与えないように指先を絡められる。
(な、なんで!?え、怖い)
「ちょっと鞍馬さん、それはさすがに引くよ」
「てめぇは少し黙っとけ、伊吹」
「急に口が悪くなってません!?」
思わず声を上げると、鞍馬さんは一瞬だけ「はっ」とした顔をして、それから何事もなかったかのように咳払いをした。
「……失礼。少々、取り乱しました」
「そんなんだから恋仲がいないんだよ」
伊吹さんの言葉に、彼はぴたりと動きを止め——そして、目に見えて項垂れた。
「伊吹だけ次回から値上げしてやる……」
「横暴だなぁ」
伊吹さんはけらけらと笑いながら肩をすくめる。
軽口を叩き合う二人を前に、私はようやく解放された手をそっと引き寄せた。
戸惑いが抜けきらないまま様子をうかがっていると、鞍馬さんが髪を搔き上げ、今度はきちんとした態度でこちらに向き直る。
「平泉一の色男、鞍馬。鞍馬だぞー!」
「あ、理世です……」
慌ててぺこりと頭を下げ、少し距離を取る。
「金さえ積まれれば、どんな仕事でもしますよー。迷い猫探しから汚れ仕事まで!」
さらっと物騒なことを言いながら、にっと笑う。
(思ったより凄い人だった……)
よろず屋、という言葉が頭に浮かぶ。
「ちなみに恋仲募集中!」
鞍馬さんは元気よくそう宣言した。
「だからできないんだよ」
「うるせぇ!」
店の中に、勢いのいい声が響いた。
「なぁ、理世ちゃんは平泉に行ったことあるか?」
鞍馬さんが私の方を振り返って聞いてきた。
「いえ、名前くらいしか……」
そう答えながら、頭の中で思い出す。
藤原氏が治める、京とは少し違う栄え方をしている土地。
人も多く、富も集まる——そんな話を聞いたことがある。
「いいとこだぞ!」
鞍馬さんは、どこか誇らしげに笑った。
「公家だの武士だの、くだらねぇ意地の張り合いも少ないしな」
「京は華やかだけどねぇ、蓋を開ければ権力争いだよ」
「お前は公家だもんな。反乱軍に足すくわれねぇよう気をつけろよ」
「ご忠告どうも」
(っ……)
鞍馬さんの口から反乱軍って言葉が出た途端、まるで未知の物に触れた時のような悪寒が背筋を這い上がる。
まるで、冷たい水に足元が浸かってすっと体温が奪われていくかのような……。
「食えねぇやつ。人の親切心は素直に受け取っておけよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
にこりと、伊吹さんは笑顔を貼り付けて答えた。
思わず肩がびくりと揺れる。
「それで?無茶苦茶な注文をして僕を呼び出した理由は?」
「実は鞍馬さんに頼みたいことがあってね」
「頼み事ねぇ……一体どんな蟻地獄に落とす気なんだよ」
「人聞きが悪いなぁ。あちこちで商いをする商人は情報網だ。相談したいことは山ほどあるんだよねぇ」
「まぁ、金さえ貰えれば何でも良いけどな」
「さすが、便利屋だね」
「公家よりも武士よりも、最強なのは商人なんで」
その時、さっき伊吹さんに無茶苦茶な注文をされた男性が木箱を抱えて入って来た。
「失礼します。鞍馬さん宛に急ぎの荷物が届いたんですけど」
「お、ありがと。そこ置いといて」
軽く手を振って指示を出す。
「鞍馬さんに荷物なんて珍しいね」
「はっ倒されてぇなら早く言えよ。僕は安達と伊吹撲滅同盟を結んでんだからよ」
「あはは、相変わらず物騒だねー」
伊吹さんは気にもとめずに面白そうに笑った。
「じゃあ、確かに受け取りましたんで」
「ああ、ご苦労さん」
店員は一礼して、そそくさと奥へ引っ込んでいった。
残された木箱に、私はなんとなく視線を向ける。
(……なんだろう)
見た目はただの簡素な木箱だ。けれど、どこか——妙に気になる。
「急ぎみたいだし先に確認させてもらいますよ。箱の中身はなんだろなっ」
無造作に箱が開けられると、そこに入っていたのはズタズタの土人形だった。
「理世さん、こっちに」
不意に肩を強く引かれ、伊吹さんに抱き寄せられた。
伊吹さんは私を土人形から遠ざけながら、鞍馬さんに向き直った。
「わー、人気者だね鞍馬さん。これ呪具だよ」
「ですよねー」
軽い口調のわりに、鞍馬さんの目は一切笑っていなかった。
(……鞍馬さんは驚いていない)
「理世さん、あんまり近寄らない方がいいよ」
伊吹さんが、いつになく真面目な声で言った。
「え……?」
思わず間の抜けた声が出る。
鞍馬さんは慣れたように指先で土人形に触れるのを避け、代わりに近くにあった木の棒で軽くつついた。
「驚かないんですか?」
「この手の嫌がらせ、割と多いんだよねー。九割は商売敵だからだけど、そんな暇あるなら働けば良いのになー」
「鞍馬さんの趣味で増えただけなんじゃない?」
「僕は、ぼったくりをしてる同業者に喧嘩を売っている健全な商人なんだけどなぁ」
鞍馬さんはポリポリと頭を搔きながら首をかしげる。
「それ、どうするんですか?」
「あとでゴミと一緒に焼くから心配しなさんなって。時は金なり、こんなの相手にするだけ無駄無駄」
(でも、呪具だし……万が一なにかあったら……)
不安になる私を安心させるように伊吹さんが肩を叩いた。
「鞍馬さんみたいな商魂がたくましい人は殺しても死ななそう……っていう感想はさておき、素人の呪詛はたかが知れているから気にする必要もないよ。理世さんのことは念の為に遠ざけたけど」
「……?詳しいんですね」
「昔、ちょっと色々あったんだよねぇ」
(色々……?)
「とにかく、老人とか幼子とかの生命力の低い人が対象であれば、死に至らない程度の体調不良は引き起こせる可能性はあるけど……本気で呪殺したいなら自分の命と引き換えにしても足りないくらいだよ。陰陽師が何人か揃って、ようやく形になるかどうかってとこかな」
呪術を扱う陰陽師といえど、あくまで朝廷に仕える役人だ。
金で人を殺すなど許されるはずもない。
もし露見すれば依頼した者も、それを実行した者も——流罪では済まない可能性すらある。
「そうなんですか……」
伊吹さんの苦笑めいたものを浮かべる様子に少し引っかかるけれど……。
尋ね返す前に、店の戸がガラリと開いた。
「失礼します。ただいま戻りました」
旅装束の集団が入ってきて、鞍馬さんに頭を下げた。
(鞍馬さんの部下の人達かな?)
「長旅お疲れ。今日と明日はよく休むといいぞ。商談成功の特別手当てを出しておくから」
鞍馬さんの声に歓声が上がった。
「あれ?その箱、どうしたんですか?ゴミなら捨ててきましょうか?」
(あっ!)
笑いながら部下の一人が土人形の入った木箱に手を伸ばす。
「待てっ!」
「え、うわっ!」
中身に驚いたのか、のぞけった拍子に箱の中身がひっくり返った。
「ちょっと、大丈夫?」
傍にいた女性が身をかがめ、人形を拾い上げようとする。
「ダメ!」
慌てて止めようとした瞬間、土人形から黒いもやのようなものが染み出したような気がした。
「からだ……重い……」
「大丈夫ですか!?」
鞍馬さんが鋭い表情になって女性を見つめる。
「こっち、座って」
ふらつきながら女性が座ると、鞍馬さんは他の部下達を見渡した。
「彼女は僕が責任持って家に送り届けるから、他のみんなは退出して良し」
部下達は心配そうにざわめきながら、鞍馬さんの言いつけ通りに退出していく。
「体調は大丈夫?」
「……吐き気がしてきました。それに、なんだかめまいまで……」
「私は薬師です。このまま診ますね」
「……ありがとう、ございます」
女性の手首に触れてみると、わずかに熱っぽい。
ふと女性の帯に付けられた安産祈願のお守りが目に留まる。
(これって……)
「あの……もしかして、ご妊娠されていますか?」
「ええ」
鞍馬さんに目を向けると、首を横に振っていた。
「身籠っている状態なら、言ってくれれば旅の面子から外したのに」
どうやら、鞍馬さんも知らなかったみたいだ。
「旅の途中で気づいたんです。大事な仕事でしたし、周りにも気を遣わせたくないと思って、みんなには内緒にしていたんですけど……」
(妊娠と長旅で、もともと体調が優れなかった……。それで呪具の効果を)
「知り合いにこの手の問題を即座に解決できる人がいて、俺で良ければそれは預かるよ」
伊吹さんは箱に入れ直した人形をひょいっと持ち上げる。
「見返りは何をお求めで?」
「頼み事が一つあるんだよねぇ」
「こちとら無関係な大切な部下を人質にされてんだ。その知り合いにひと欠片の効果も腹の子に残すなよって伝えとけ」
「もちろん」
その口調に明確な怒りを感じてゾクリとする。
(伊吹さん、怒ってる……?)
目に見えない何か重たいものを抱えている気がして、なんだかもどかしくなった。
「ごめんねぇ、怖がらせるつもりはなかったんだけど」
そう言って笑うその顔は、いつもと同じはずなのに、少しだけ違って見えた。
優美で貼り付けたような微笑みは、いつも伊吹さんの感情を覆い隠してしまう。
小鳥を愛でる優しい伊吹さんと、どこか冷たい伊吹さんの落差をどう考えて良いのか、私にはまだ分からないままだった。
鞍馬さんのお店を出て、そのまま二人で並んで歩く。
隣を歩く伊吹さんは、さっきまでのことなど何もなかったみたいに、いつも通り飄々としていた。
「理世さん、今日はごめんねぇ。鞍馬さんの店に連れて来なければ巻き込まれなかったのに」
「いえ、私は……今回、巻き込まれて良かったと思っています。あんなふうに人を呪う人もいるんだって知ることができました」
伊吹さんは腑に落ちない表情で、形の良い眉をひそめた。
「人の悪意なんて知らずに育った方が良いよ」
「そうかもしれません。けど……伊吹さんは昔色々あったから詳しいって言っていましたよね。勘違いだったらすみません、さっきの伊吹さんは雰囲気が違う気がして……」
「…………」
「友達なんておこがましい気もしますが……これでも、私は親しくさせてもらっているつもりなんです。私に力になれることがあれば、良ければ話してもらえませんか?」
伊吹さんの視線がわずかに揺れた。
「……参ったなぁ」
その笑みは、いつもみたいな笑顔とは少し違って見えた。
「分かるよ。君は、大切にされて育った。だから、俺はそういうところに、つい見惚れてしまうんだろうねぇ……」
ゆっくりと伊吹さんは言葉を続けた。
「俺は生まれながらにして、はらわたの中まで穢れている。胎児の時にそう運命付けられたからね」
「何でそんなこと……」
「母が俺を身籠った時、父親から呪いをかけられてね。人に言えないような供物を捧げ、それはそれは大掛かりな儀式だったらしい」
「……え」
あまりの告白に、私は一瞬言葉を失う。
伊吹さんは、どこか他人事みたいに笑った。
「死産を願われながら、十月十日をかけて腹を膨らませ続ける様は……周りには、さぞ気味悪く見えただろうねぇ」
それは。
私が何か言うより先に、伊吹さんは続ける。
「俺はもう慣れてるからさ。そんなに辛そうな顔をされると、逆に困っちゃうなぁ」
伊吹さんは、まるで他人の話みたいに笑っているが、その笑顔の奥にあるものを思うと、苦しくてたまらない。
こんな話を、どうしてそんな風に笑いながら話せるのだろう。
怒りも、悲しみも、苦しみも。 全部とうの昔に飲み込んで、傷口の上から無理やり蓋をしてしまったみたいだった。
黙り込んだ私を見て、伊吹さんは困ったような悲しそうな笑みを浮かべた。
「理世さんって、本当に優しいよねぇ」
目の前にいる人がこんな風に笑うしかなかった過去を持っているのに、掛けられる言葉が見つからない。
薬師としてなら怪我や病は診られる。
けれど、こんな傷を前にして、私はあまりにも無力だった。
「理世さん、薬師だからかな。誰かが傷ついてると助けなきゃって思う癖があるよねぇ」
「それは……」
否定できなかった。
怪我をしている人がいれば手当てをしたいと思う。苦しんでいる人がいれば、少しでも楽にしたいと思う。
「……ごめんなさい。私にはなんて言ったら良いのか分からないんです」
すぐに考えつくような安易な言葉は、例え嘘じゃなくても伊吹さんにはきっと届かない。
目の奥が行き場のない衝動にじんと熱くなり、それを止められない自分にも、無性に腹が立った。
「理世さんはどうして他人のために泣けるんだろうねぇ……俺とは違うもので心ができているのかな」
さらりと言われたその言葉が、胸に重く沈んだ。
「……伊吹さんが生まれてきてくれて良かった。これだけは言えます」
言いながら、こぼれた涙が視界を遮った。
「今の話を聞いて、不気味に思わないの?」
「伊吹さんは私やツバメを助けてくれました。それで、呪詛の時も心配してくれましたし、あの女性のために怒っていました。そんな人の何を不気味に思えば良いんですか?」
唇を噛み締め、伊吹さんを見つめた。
「……ありがとう。いつか君になら、俺は呪われても良いな。その時は俺の自業自得だから」
「どういうことですか?」
「内緒」