蝶よ花よ
そんなことがあった後日。
「ま、じゃんじゃん食べて飲んでくださいよー」
「なにも、宴席を設けなくても良かったのに」
「こんな高級な料理屋さん、初めて来ました……」
伊吹さんが専門職の人に渡した土人形は、適切に処理された。
その報告のため、鞍馬さんのところに向かったところ、お礼と称して半ば強引に宴に誘われたのだ。
店の中は落ち着いた灯りに包まれていて、外の喧騒が嘘みたいに静かだった。
まず、お通しが出される。次に焼酎や清酒、それから各々が注文した季節の野菜を使った煮物や、焼いた鹿肉が運ばれる。
(……これ、いくらするんだろう)
箸を持つ手が、少しだけためらう。
「呼んでくれて感謝するよ。それより、なんでこいつもいるわけ?」
伊吹さんが顔をしかめながら指差した方を見ると、俊輔さんが箸を動かしていた。その横には二助くんが白米を嬉しそうに口へ運んでいる。
一緒に歩いていたところを鞍馬さんがばったり遭遇して、宴なら人数が多いのが良いよね!ということで、こちらも半ば強引に参加させられたという。
俊輔さんとは山中での出来事から、顔を合わせるのは正直気まずい。
しかし、相手は気にしていないように黙々と箸を動かしている。
「あの……あの男性はどうですか?」
それでも、男性のことが気掛かりだったので尋ねてみると、箸を止めて私を見た。
「応急処置をされていたこともあって、命に別状はない。改めて、貴方に心からの敬意と感謝を」
「い、いえ、そんな大層なこともしていませんし、それに……」
私は、楽観的だった。
確かに俊輔さんの言うことの方が戦場や山中では正しい。もし助けた人が悪意ある山賊とかだったら、私は今頃この席に座っていなかったと思うから。
「あの時は、ありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない」
「いえ、お陰で気づけたこともあるので」
「そうか」
それ以上は何も言わず、俊輔さんは料理に手を伸ばす。
気まずさは、もうほとんど残っていなかった。
「いやぁ、何のことかさっぱりだけど、良い話だねぇ」
横から、わざとらしく感動した声が入る。
「空気だけで満足するなら帰っていいぞ、伊吹」
「ひどいなぁ。せっかく場を和ませてあげたのに。あと、出された料理は食べないと可哀想だから食べるよ」
「お前にもそんな感情があったんだな……」
鞍馬さんは呆れたようにため息をつきながら、ふと真剣な顔つきで私と伊吹さんを見つめる。
「二人には、こんな宴席じゃ足りないくらいの借りができた。然るべき時にそれを返すよ」
「俺は呪詛返しができて楽しかったけどね」
伊吹さんの口から飛び出た物騒な言葉については、深く聞かない方が良さそうだ。
すると、彼は何かを思い出したようにポンッと手を叩いた。
「あ、そうだ理世さん。俺も診てほしいんだけど、良いかな?」
「え、伊吹さんどこか悪いんですか?」
「「性格」」
俊輔さんと鞍馬さんが息ぴったりに口を揃えて真顔で言った。
「本当に見た目に反して性格が悪いからな。外見詐欺の看板を無料で作ってやろうか?」
「それを首に掛けて、町を歩けば良い」
「わー、ひどい言われようだねぇ」
伊吹さんは笑ったが、どこか慣れているようでもあった。
二助くんも三人のやり取りに驚いた様子はなく、黙って箸を動かしている。
主がこれだけ言われても口を挟まないあたり、こうした光景は日常なのだろう。
「おっと、そういえば最近巷でこんな噂が立ってるの知ってるか?」
鞍馬さんは面白い物を観た時のような笑みで私達四人を見渡した。
「噂?」
「反乱軍崩れだの、食い詰めた連中だのが、あちこちで好き勝手やってるって。さすがに京は朝廷の目が行き届いているから、聞いたことねぇが」
「へぇ……物騒だねぇ」
伊吹さんは軽く相槌を打つ。
「で、どーなんよ。反乱軍の総大将様」
鞍馬さんは俊輔さんを見やった。
「朝廷に寝返った者を数日前に山中で討とうとしたが逃げられてしまって……悪さをしている連中はそいつらだろう」
俊輔さんは杯を持ったまま、わずかに視線を落とした。
悔しがっているようにも、諦めているようにも見える、静かな顔だった。
「必ず寝返り者を討つ。……俺を信じて死んでいった皆のためにも」
静かに落ちた言葉は、重く、揺るがない。
「仇討ち、ということですか……?」
「……そうだな」
「朝廷の反感を買わなかったら、仇討ちでもなんでもしたら良いんじゃない?」
伊吹さんは、どこか気の抜けた調子で答える。
「僕はただの商人。中立で善良な民だから巻き込むなよー」
「鞍馬さんが善良?面白い冗談だね」
「はは、今すぐその前髪を燃やしてやろうか」
流れるように言い合いに発展していく二人を遠目に俊輔さんが小さくため息をつきながらも、杯を口に運ぶ。
さっきまでの張り詰めた空気は、もうほとんど残っていなかった。
その空気のまま、しばらくは穏やかな時間が続いた。
「理世さん、さっきからあんまり食べてないけど、大丈夫?」
伊吹さんが不思議そうに皿を覗き込む。
「い、いえ……ただ、その……」
ちらりと並んだ料理を見てしまう。
「値段が気になるとか?」
「……ちょっとだけ」
正直に言うと、伊吹さんはくすっと笑った。
「気にしなくていいよ。今日は鞍馬さん持ちだから」
「おい」
「で、でも……申し訳ないですし」
「理世ちゃん優しい……!伊吹に爪の垢を煎じて飲ませてやってよ」
「それ、絶対いらないやつだよねぇ」
伊吹さんがさらりと返す。
「お前は遠慮って言葉を覚えろ」
鞍馬さんは呆れたように組んだ両手の上に額を乗せて盛大なため息を吐いた。
「何だか、すみません」
「理世ちゃんよりも遠慮すべき奴がそこにいるから気にするなよ!それでも申し訳ないと思うなら、残さず食べてやってよ」
鞍馬さんにぴしっと指を差されて、伊吹さんは楽しそうに肩を揺らした。
「いやぁ、今日も平和だねぇ」

それから雑談やら、どうでもいい言い合いやらが続いているうちに、気がつけば外の空気が少し冷たくなっていた。
店の灯りは相変わらず柔らかいのに、時間だけが静かに進んでいる感じがする。
「……お開きだねぇ」
伊吹さんは名残惜しそうでもなく、いつも通りの軽い調子で言った。
「長居したなー」
鞍馬さんは伸びをする。
二助くんは最後まできっちり食べ終えたらしく、静かに手を合わせている。
俊輔さんも同じく、特に乱れなく席を立つ準備をしていた。
「理世さんは俺が送って行くよ。二助、一人で帰れるね?」
「……分かりました」
二助くんは短く答えて、きちんと一礼すると、すっと立ち上がった。
「気をつけてねぇ」
伊吹さんが軽く手を振る。
「……はい」
それだけ返して、二助くんは夜の方へと消えていった。
「じゃあ、理世さん」
伊吹さんが自然な調子で言う。
「帰ろっか」
「はい」
返事をすると、鞍馬さんが片手をひらりと上げた。
「今日は悪かったな、無理やり付き合わせて」
「いえ、とんでもないです。ごちそうさまでした」
そう言うと、鞍馬さんは少しだけ目を丸くして、それからにっと笑う。
「おう!」
「それじゃあ、行こうか」
それだけ言って、伊吹さんは歩き出した。
夜の空気は少し冷たいのに、不思議と重くない。
「二助くん、一人で帰して大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、彼は。俊輔さんが送っていくからね」
「でも、新月の夜に人を殺す下手人の話もありますし……」
空を見ると、今日はその新月だ。月明かりがないのでいつもより道が暗い。
「うん。だからだよ」
「え?」
「認めたくないけど、俊輔さんは反乱軍の総大将という肩書きに霞まないくらい強いよ。戦に参戦すれば、どんな劣勢でも覆せるほどの天性の才を持っている」
「そ、そうなんですか……確かにそれなら下手人が現れても、お二人は安心ですね」
「うーん、そうだねぇ」
しばらく歩いていくと、家が見えてきたので、家の前で深く頭を下げた。
「送ってくれて、本当にありがとうございました」
「こっちこそ楽しかったよ。それじゃあ、またね」
「はい!」
伊吹さんは軽く手を振って、素知らぬ顔で(きびす)を返した。
淡い笑みだけを残して。
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