ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。
最終章
第十九夜:遅効性の毒のように
「どちらにしようか迷っていて……まだ、決められていないんです」
初めて来店してくださった、私より少し年下くらいの女性のお客様。
どこか申し訳なさそうに、視線を落としている。
「『これ、いいな』と思った画像などは、ありますか?」
穏やかな声で問いかけると、手元のスマートフォンを操作し、遠慮がちに画面を見せてくれた。
「これと、これなんですけど……」
「わあ、どちらもすごく可愛いですね!」
「すみません。全然違う系統ですよね……」
伏せられた横顔へ、明るく語りかける。
「たしかに、キュート系とクール系で分かれますが、いいとこ取りはできると思います。たとえば……こんなスタイルはどうでしょう?」
「失礼します」と一言かけてから、指先でそっと、大事に伸ばされた髪へ触れさせてもらう。
「ベースは、今の綺麗なロングを活かしたストレートに。顔まわりだけにレイヤーを入れて、ほんの少し甘めのスパイスを足すんです」
鏡越しに、そう提案してみる。
すると、強張っていた彼女の表情が、ふわりと和らいだ。
「……はい。それでお願いしたいです!」
「かしこまりました!」
オーダーがはっきり決まっていないと、美容師を困らせてしまうのではないかと、引け目を感じてしまう方は少なくない。
けれど、私はこのカウンセリングの時間が、とても好きだ。
お客様の気に入る形を、対話からヒントを得て一緒に探していくことに、心が躍るのだ。