ねえ、はやく降参してよ。 ――同じ苗字になっても、まだ足りない。甘くて焦れったい心理戦を続ける夫婦。

「……は?」

 突然出されたその名に、喉の奥が引きつった。
 さっきまでの思考が顔に滲んでいたのかと、やや焦る。

「まあ……それなりに」

 動揺を隠すように惣菜へ視線を落とし、素っ気なく答えた。

「今は?」

「いない。最近別れた」

「なんで」

「引っ越すし」

「……? へえ」

「ていうか、なんでそんなこと聞くの」

 探るような問いから逃げるように、再びビールを煽る。
 母親は頬杖をついて「いやあ」と小さく息を吐いた。

「なんかあんた、危ういなって思って」

「……なにが」

「わかんないけど。ちゃんと愛し、愛される人がいたほうが安心だなって、思ったのよ」

 離れている夫と連絡さえ取らないあなたに言われても、という嫌味が頭に浮かんだが、口には出さないでおいた。


 もしも、もう一度会えたら。
 どんなに苦くても、不味くても、すべての感情を一生飲み干し続けるから。

 ただ、咲き誇るあの笑顔に、触れたい。

 蕾が膨らむ季節に、俺は一歩先へと踏み出した。
 茉莉花(ジャスミン)の花開く、そのときを待ち侘びて。




―― 第零章・完 ――
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