婚約解消された初恋の親友に契約婚を申し込む〜深雪社長は初恋の雪解けを許さない〜
片籠怜に恋をしたのは高校時代。
あの頃の深雪は擦れていて、見てくれや実家の財力に擦り寄ってくる人間が疎ましくて、いつも仏頂面だった。
そしてなにより思春期の深雪を擦れさせたのは兄の存在。大手ホテル経営者一族である深雪には一学年上に兄がいて、彼は常に越えられない壁だった。
どこへ行っても兄の成績がついて周ることがストレスで、努力はしていたが次第に成績も上位を維持することが難しくなってゆき家族から期待されない存在となっていた。
教室に入ればくだらないことで盛り上がる同級生らが居て、彼らの感情の起伏が理解できなくて、しかしどこか羨ましくて、とにかく拗らせていた。
そんな思春期真っ只中の苦い時代に出会ったのが、片籠怜だ。
―――高校二年。兄を追うように入学した進学校のビジネス学科は三クラス存在し、二年になると一つが特進クラスとなるのだが、深雪はそこに入れなかった。
兄に出来たことがまた出来たなかった。
そんな後ろめたい思いの中、深雪はある試験を受験することに決めた。
特進クラスのみ授業の一環として受験対策が行われる試験で、他クラスの人間は補講という形でのみ対策が施され受けられる国家資格だ。
「――これだけなんですか?」
「あぁ、まぁ希望者って言ったからな」
特進クラス外で受験希望者を集めた教室に居たのは、深雪と片籠のたった二人。
他は興味がなかったらしい。
対策を担当する教師に問えば、あっけらかんとした口調で返された。
「一緒に頑張ろうね」
片籠は隣のクラスで顔を見かける程度だが、常にだれかしらが傍に居たのを覚えている。
グループの中心人物といった感じではない、人を選ばず交流する類の人間なのだろう。
あまり他人に興味がない深雪だったが、明るい雰囲気を作っている場所に片籠が居たのは知っていた。
人当たりの良い笑みを浮かべこちらを見つめる姿を目尻に深雪は小さく頷いていた。
「ある意味マンツーマンだ。絶対合格させる。効率的かつ徹底的に試験まで詰め込んでくぞ」
受験希望者の少なさにそっけない反応を見せた教師だったが、しかし受験対策に意欲的な宣言をし、三人だけの放課後の補講はスタートした。
結果的に言うと、教師は意欲のない人間には興味がないといった感じだったようだ。
深雪と片籠の受験対策については面倒見のいい教師だったのだ。
効率的と言ったとおり、無駄を削いだ内容でするすると頭に入ってくる。
「私達、得してるよね」
補講終わりに片籠が言った言葉にえらく納得したものだ。
「――深雪くん。今日は視聴覚室使うらしいよ」
「そう、ありがとう」
「休み時間に先生に会ってさぁ、伝言係にされちゃった。隣のクラスなのにね」
片籠とは補講が始まってから仲良くなった、わけではない。
ただ同じ補講を受けるだけ、基本的に試験内容とたまに場所が変わる教室のことぐらいしか話さない。
けれど何度も会っているうちに片籠怜という存在は深雪の日常に馴染んでいった。
片籠と教師と、深雪の三人。
何度も会ううちに親近感がわくという心理は、程度の差あれど確かに実際その通りなのかもしれない。
ある日の昼休み、教師に教室変更の伝言を依頼され片籠を訪ねていくと、教室の隅でもめる声が聞こえた。
「――ねぇ、なんで言ってくれないの?彼女居るか探って、いないなら私の事推してよ。いつも喋ってるんでしょ。怜ちゃんも好きなの?」
背の低い華奢な女子生徒と向かいあう片籠は、そのすらりとした身長が目立つ。
セミロングの生徒が訴えかけるのを片籠の切れ長の瞳が映し、その表情に彼女が困惑しているのが分かった。
「いやいや。違うって。勉強してるだけだから無理だって話。そんな雑談はしないし、勉強してるだけなんだから」
――自分のことだろうか。
聞き耳を立てるつもりではなかったが扉の前で立ち止まり、思わず姿を隠してしまった。
「澪の言いたいことは分かるけど、深雪くんが気になるなら自分から声かけた方がいいよ」
「なにそれ、感じわる……もういいし!」
澪と呼ばれた生徒は、要求が通らなかったことに癇癪を起こし片籠を責める。
踵を返す姿に深雪は一度存在を消すように背を向け、彼女が通り過ぎたあと教室に入った。
中は賑わっていたが、深雪が片籠に近付くとこそこそとした囁きが空気を伝った。
「――さっきのなに?あの感じ悪い子」
率直に問えば片籠は一重の涼し気な瞳を丸くして、そのあと気まずそうに苦い笑みを浮かべる。
その笑みにもえくぼは健在しているが、ぎこちなく影を落としていた。
「あぁ……嫌な雰囲気だったよね~。なんかごめんね。一年の幼馴染でさ、でも悪い子じゃないよ」
「なんで庇うの?無理言ってたのあっちだろ」
言い訳するような言葉が気に入らず問と、何故か片籠は先ほどまでの雰囲気を和らげた。
「いつもはあんな感じじゃないの。人懐こくて可愛いよ。でも無理に繋ぐのは違うかな、って」
「そう……」
相手は一方的に片籠を邪険にするような雰囲気を醸し出していたが、片籠曰く本来は可愛いらしい。
その言動に理解しかねて言葉に悩んでいると、更にえくぼを深めて訊ねてくる。
「……え、もしかして興味湧いた?」
心配したというのに茶化してきたのだ。一体どういう神経をしているのだろう。
「ない。時間が無駄」
深雪が眉間に皺を深め答えると、慌てて片籠はフォローに周った。
「冗談だよ。深雪くんはそういう感じだもんね……あ、今日返ってくるね、模擬試験の」
話のそらし方はあからさまだったが悪意がないのだろう。
補講の話に移ったことで深雪の顔は力が抜け、肩を落とした。
「二問だけ分からなかったけど、それ以外は出来たから自信ある。お前は?」
「同じかな。やっぱ反復練習って効くんだねぇ、問題に目が慣れるというか。ほんと先生に出会えてよかった~」
「ほんと好きだよな」
「うん。恩師は誰?って言われたら間違いなく挙げる」
片籠は爽やかで背が高い。同年よりも落ち着いた雰囲気の容姿を持っているが、その内面は朗らかで愛嬌がある。
そして補講を担当する教師に対してだけは、いつもより少しテンションが高い。
今日も今日とて、教師の話となると、まるで主人を見つけた犬のようで全身から明るいオーラが出ていた。
恋愛感情ではない、単純に尊敬しているといった感情なのだろうが、とにかく全身から温かい何かが沸き立っているのだ。
その姿は見ていて面白く、好ましい。
伝言だけで帰るつもりが、つい余計な話をしてしまっていた。
あの頃の深雪は擦れていて、見てくれや実家の財力に擦り寄ってくる人間が疎ましくて、いつも仏頂面だった。
そしてなにより思春期の深雪を擦れさせたのは兄の存在。大手ホテル経営者一族である深雪には一学年上に兄がいて、彼は常に越えられない壁だった。
どこへ行っても兄の成績がついて周ることがストレスで、努力はしていたが次第に成績も上位を維持することが難しくなってゆき家族から期待されない存在となっていた。
教室に入ればくだらないことで盛り上がる同級生らが居て、彼らの感情の起伏が理解できなくて、しかしどこか羨ましくて、とにかく拗らせていた。
そんな思春期真っ只中の苦い時代に出会ったのが、片籠怜だ。
―――高校二年。兄を追うように入学した進学校のビジネス学科は三クラス存在し、二年になると一つが特進クラスとなるのだが、深雪はそこに入れなかった。
兄に出来たことがまた出来たなかった。
そんな後ろめたい思いの中、深雪はある試験を受験することに決めた。
特進クラスのみ授業の一環として受験対策が行われる試験で、他クラスの人間は補講という形でのみ対策が施され受けられる国家資格だ。
「――これだけなんですか?」
「あぁ、まぁ希望者って言ったからな」
特進クラス外で受験希望者を集めた教室に居たのは、深雪と片籠のたった二人。
他は興味がなかったらしい。
対策を担当する教師に問えば、あっけらかんとした口調で返された。
「一緒に頑張ろうね」
片籠は隣のクラスで顔を見かける程度だが、常にだれかしらが傍に居たのを覚えている。
グループの中心人物といった感じではない、人を選ばず交流する類の人間なのだろう。
あまり他人に興味がない深雪だったが、明るい雰囲気を作っている場所に片籠が居たのは知っていた。
人当たりの良い笑みを浮かべこちらを見つめる姿を目尻に深雪は小さく頷いていた。
「ある意味マンツーマンだ。絶対合格させる。効率的かつ徹底的に試験まで詰め込んでくぞ」
受験希望者の少なさにそっけない反応を見せた教師だったが、しかし受験対策に意欲的な宣言をし、三人だけの放課後の補講はスタートした。
結果的に言うと、教師は意欲のない人間には興味がないといった感じだったようだ。
深雪と片籠の受験対策については面倒見のいい教師だったのだ。
効率的と言ったとおり、無駄を削いだ内容でするすると頭に入ってくる。
「私達、得してるよね」
補講終わりに片籠が言った言葉にえらく納得したものだ。
「――深雪くん。今日は視聴覚室使うらしいよ」
「そう、ありがとう」
「休み時間に先生に会ってさぁ、伝言係にされちゃった。隣のクラスなのにね」
片籠とは補講が始まってから仲良くなった、わけではない。
ただ同じ補講を受けるだけ、基本的に試験内容とたまに場所が変わる教室のことぐらいしか話さない。
けれど何度も会っているうちに片籠怜という存在は深雪の日常に馴染んでいった。
片籠と教師と、深雪の三人。
何度も会ううちに親近感がわくという心理は、程度の差あれど確かに実際その通りなのかもしれない。
ある日の昼休み、教師に教室変更の伝言を依頼され片籠を訪ねていくと、教室の隅でもめる声が聞こえた。
「――ねぇ、なんで言ってくれないの?彼女居るか探って、いないなら私の事推してよ。いつも喋ってるんでしょ。怜ちゃんも好きなの?」
背の低い華奢な女子生徒と向かいあう片籠は、そのすらりとした身長が目立つ。
セミロングの生徒が訴えかけるのを片籠の切れ長の瞳が映し、その表情に彼女が困惑しているのが分かった。
「いやいや。違うって。勉強してるだけだから無理だって話。そんな雑談はしないし、勉強してるだけなんだから」
――自分のことだろうか。
聞き耳を立てるつもりではなかったが扉の前で立ち止まり、思わず姿を隠してしまった。
「澪の言いたいことは分かるけど、深雪くんが気になるなら自分から声かけた方がいいよ」
「なにそれ、感じわる……もういいし!」
澪と呼ばれた生徒は、要求が通らなかったことに癇癪を起こし片籠を責める。
踵を返す姿に深雪は一度存在を消すように背を向け、彼女が通り過ぎたあと教室に入った。
中は賑わっていたが、深雪が片籠に近付くとこそこそとした囁きが空気を伝った。
「――さっきのなに?あの感じ悪い子」
率直に問えば片籠は一重の涼し気な瞳を丸くして、そのあと気まずそうに苦い笑みを浮かべる。
その笑みにもえくぼは健在しているが、ぎこちなく影を落としていた。
「あぁ……嫌な雰囲気だったよね~。なんかごめんね。一年の幼馴染でさ、でも悪い子じゃないよ」
「なんで庇うの?無理言ってたのあっちだろ」
言い訳するような言葉が気に入らず問と、何故か片籠は先ほどまでの雰囲気を和らげた。
「いつもはあんな感じじゃないの。人懐こくて可愛いよ。でも無理に繋ぐのは違うかな、って」
「そう……」
相手は一方的に片籠を邪険にするような雰囲気を醸し出していたが、片籠曰く本来は可愛いらしい。
その言動に理解しかねて言葉に悩んでいると、更にえくぼを深めて訊ねてくる。
「……え、もしかして興味湧いた?」
心配したというのに茶化してきたのだ。一体どういう神経をしているのだろう。
「ない。時間が無駄」
深雪が眉間に皺を深め答えると、慌てて片籠はフォローに周った。
「冗談だよ。深雪くんはそういう感じだもんね……あ、今日返ってくるね、模擬試験の」
話のそらし方はあからさまだったが悪意がないのだろう。
補講の話に移ったことで深雪の顔は力が抜け、肩を落とした。
「二問だけ分からなかったけど、それ以外は出来たから自信ある。お前は?」
「同じかな。やっぱ反復練習って効くんだねぇ、問題に目が慣れるというか。ほんと先生に出会えてよかった~」
「ほんと好きだよな」
「うん。恩師は誰?って言われたら間違いなく挙げる」
片籠は爽やかで背が高い。同年よりも落ち着いた雰囲気の容姿を持っているが、その内面は朗らかで愛嬌がある。
そして補講を担当する教師に対してだけは、いつもより少しテンションが高い。
今日も今日とて、教師の話となると、まるで主人を見つけた犬のようで全身から明るいオーラが出ていた。
恋愛感情ではない、単純に尊敬しているといった感情なのだろうが、とにかく全身から温かい何かが沸き立っているのだ。
その姿は見ていて面白く、好ましい。
伝言だけで帰るつもりが、つい余計な話をしてしまっていた。