初恋は、苺。
初めて知った初恋の味は、苺でした。
第1章:曲がり角の衝突は、甘い予感のはじまり
「はぁ……。今日も、何にもない一日が終わるなぁ」
高校2年生の春。相坂陽菜乃は、窓の外に広がる代わり映えのない校庭を眺めながら、小さくため息をついた。
少女漫画のような劇的な出会いなんて、現実には転がっていない。分かってはいるけれど、どこか退屈な毎日に、理想と現実のギャップを感じずにはいられなかった。
そんな火曜日の放課後。日直の仕事を終えた陽菜乃は、プリントの束を抱えて誰もいない北校舎の廊下を急いでいた。
早く帰って、お気に入りのアニメの続きを見よう。そう思いながら、視界の悪い T字路の曲がり角に差し掛かった、その瞬間――。
「あ、危な――っ!」
ドンッ! という鈍い衝撃とともに、陽菜乃の身体は宙に浮いた。抱えていたプリントが、まるで白い桜吹雪のように廊下に舞い散る。
床に尻もちをつき、痛みに顔をしかめながら目を開けた陽菜乃の前に、一人の男子生徒が片膝をついていた。
「わりぃ! 大丈夫? 前、見てなくて……」
差し出された、すらりと長い手。
見上げると、そこには夕暮れの琥珀色の光を浴びてきらめく、整った顔立ちがあった。
サラリと揺れる髪、少し申し訳なさそうに細められた、吸い込まれそうなほど綺麗な瞳。
――間違いない。学年一のイケメンと噂される、サッカー部のエース・陽翔だ。
「あ……えっと、大丈夫、です……」
陽菜乃が呆然と声を漏らすと、陽翔は「よかった」と小さく笑った。その瞬間、彼の身体から、どこか甘くて爽やかな、柑橘系のような、あるいは柔軟剤のような、たまらなく心地いい匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
「これ、散らばっちゃったな。一緒に拾うよ」
陽翔は手際よくプリントを集め、陽菜乃に手渡す。その時に一瞬だけ触れた彼の指先が、驚くほど熱かった。
「はい、これで全部かな。じゃあね、気をつけて」
ひらひらと手を振りながら、陽翔は廊下の向こうへと去っていく。
陽菜乃は、胸の奥がトクトクと激しく鐘を打つ音を聞いていた。
胸がいっぱいで、息がうまく吸えない。
理想の恋なんて、ただの妄想だと思っていた。だけど、今ならはっきりと分かる。
――私、一瞬で恋に落ちちゃったんだ。
第2章:苺シロップのまいにちと、大親友の作戦会議
「ちょっと陽菜乃! それ、マジのやつじゃん!」
翌日の昼休み。購買で買ったイチゴオレのストローを咥えたまま、大親友の寧々が目を丸くして叫んだ。
陽菜乃から「陽翔に一目惚れした」と打ち明けられた寧々は、自分のことのように大興奮している。
「だって、あの陽翔だよ!? ハードル高すぎだけど……でも、陽菜乃の初恋、私、全力で応援するから!」
「ありがと、寧々……。でも私、クラスも違うし、話しかけるなんて絶対ムリだよ」
「弱気にならないの! まずは挨拶から!『作戦名:挨拶は恋の基本ステップ』で行くよ!」
頼もしすぎる寧々のアシスト(というか、ほぼ背中を強引に押される形)によって、陽菜乃の「挨拶大作戦」がスタートした。
翌朝、下駄箱で偶然を装い、寧々に背中をド突かれた陽菜乃は、耳まで真っ赤にしながら声を絞り出した。
「お、おはよう……陽翔くん!」
陽翔は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにあの、少女漫画から飛び出してきたような笑顔を咲かせた。
「あ、こないだのプリントの子。おはよう!」
覚えていてくれた。ただそれだけのことが、嬉しくて、嬉しくて。
その日を境に、学校生活のすべてが色鮮やかに変わり始めた。
どんよりした雨の日も、苦手な数学の授業も、廊下で陽翔とすれ違って「よっ」と声をかけられるだけで、世界にパッと花が咲く。
まるで、真っ白なカキ氷に、甘い苺シロップがじゅわっと染み込んでいくような、そんな幸せ全開の毎日が始まった。
第3章:近づく距離、遠い背中
しかし、恋は甘いだけでは終わらない。
陽翔の周りには、いつもたくさんの人がいた。可愛い女子に囲まれて楽しそうに笑う彼の姿を見るたび、陽菜乃の胸はチクリと痛む。
(私なんて、挨拶ができるようになっただけの、ただの有象無象のひとり。陽翔くんにとって、私は特別な存在なんかじゃない……)
そんな劣等感と不安を抱えて迎えた、秋の文化祭準備期間。
陽菜乃のクラスと陽翔のクラスは、合同で中庭の装飾を担当することになった。
「あれ? 居残り、俺たちだけ?」
放課後の教室。気づけば、他のメンバーは買い出しや買い忘れの確認で出てしまい、教室には陽菜乃と陽翔の二人きりになっていた。
心臓が口から飛び出そうになるのを必死に抑えながら、陽菜乃は文化祭の看板に絵の具を塗る。
「陽菜乃ちゃん、絵、上手いんだな」
いつの間にか、陽翔がすぐ隣にしゃがみ込んで、陽菜乃の手元を覗き込んでいた。
距離が、近い。彼のあの甘い匂いが、また陽菜乃を包み込む。
「あ、ありがとう……。陽翔くんは、疲れてない? 毎日部活もあって、文化祭の準備もして」
「んー、まぁちょっと眠いかも」
陽翔はそう言って、ふにゃりと張り詰めた糸が切れたような笑顔を見せた。学校で見せる「完璧なイケメン」の顔ではなく、どこか無防備で、少年のような素顔。
「でもさ、こうやって陽菜乃ちゃんと話してると、なんか落ち着くんだよね。いつも周りがガヤガヤしてるから、こういう時間、ホッとする」
心臓が、ドクンと跳ねた。
「特別な存在じゃない」なんて、誰が決めたんだろう。少しずつ、本当に少しずつだけど、彼との距離が縮まっている。
夕暮れの教室で、二人の影が静かに重なっていた。
第4章:夕暮れの告白と、苦い涙の味
文化祭前日の放課後。
陽菜乃は、陽翔に渡したいものがあった。準備の時に彼が「あったら便利だな」と言っていた、手作りの装飾用パーツだ。
喜んでくれるかな、と胸を弾ませながら、彼がいるはずの準備室へと向かう。
しかし、準備室の裏手、渡り廊下の影に差し掛かったとき――陽菜乃の足がピタリと止まった。
「――陽翔先輩! 先輩のことが、ずっと好きでした!」
聞こえてきたのは、他クラスの、誰もが認める可愛い下級生の女の子の声。
陽菜乃は、物陰から動けなくなってしまった。見てはいけない。そう思うのに、視線が釘付けになる。
夕日を浴びて立つ陽翔は、真剣な表情で彼女の言葉を聞いていた。
その後の陽翔の返事は、よく聞こえなかった。だけど、女の子が真っ赤な顔で俯き、陽翔が困ったように、でもどこか優しく彼女の頭に手を置くのが見えた。
胸の奥が、ありえないくらい冷たくなっていく。
脳裏をよぎるのは、彼を取り巻く華やかな世界。そして、自分勝手に「距離が縮まった」と浮かれていた痛い自分の姿。
(勘違いしてたのは、私の方だ……。私なんかじゃ、彼の隣には立てない)
手にしたパーツをぎゅっと握りしめ、陽菜乃はその場から脱兎のごとく逃げ出した。
涙がボロボロと溢れて、視界が滲む。
走って、走って、学校の裏庭のベンチに座り込み、声を上げて泣いた。
恋が、こんなに苦くて、痛くて、切ないものだなんて、知らなかった。
「……陽菜乃!」
どれくらい泣いていたろう。息を切らせて走ってきた寧々が、陽菜乃の姿を見つけて駆け寄ってきた。
事情を察した寧々は、何も言わずに陽菜乃をきつく、きつく抱きしめた。
「痛かったね、苦しかったね……。大丈夫、大丈夫だから、陽菜乃」
寧々の温かい腕の中で、陽菜乃はただ、苦い涙を流し続けた。
第5章:初めての初恋、ここから始まる私たちの青春
文化祭当日。校内は信じられないほどの熱気に包まれていた。
しかし、陽菜乃の心は、昨日の雨のような切なさを引きずったままだった。陽翔の姿を探す勇気も出ず、ただうつむいて歩いていると、寧々に両肩をガシッと掴まれた。
「陽菜乃、このまま終わるつもり?」
「え……?」
「昨日、陽翔が女の子から告白されてたのを見た。それは事実。でもね、陽翔の気持ちは、陽翔にしか分からないじゃん! 陽菜乃は、自分の気持ちを伝える前に、自分で勝手にフラれるつもりなの?」
寧々の強い瞳が、陽菜乃の心の弱さを打ち抜いた。
「陽菜乃のまっすぐな恋、ここで逃げたら絶対後悔する。振られたっていいじゃん、私が何回でも慰めてあげる! だから、行って!」
寧々が、陽菜乃の背中を全力でパチンと叩いた。
その衝撃で、陽菜乃の心に灯がともる。
――そうだ。私は、陽翔くんが好きなんだ。傷つくのが怖くて、大好きな気持ちをなかったことにしたくない!
「……うん! 行ってくる!」
陽菜乃は走り出した。賑やかな模擬店をすり抜け、人が行き交う廊下を駆け抜け、彼を探す。
そして――中庭の、あの看板の前に、彼はいた。
「陽翔くん!」
息を切らせて叫ぶと、陽翔が驚いた顔で振り返る。
「陽菜乃ちゃん? どうしたの、そんなに息切らして――」
「聞いて、陽翔くん!」
遮るように、陽菜乃は一歩踏み出した。もう、逃げない。
「私、陽翔くんと廊下でぶつかったあの時から、ずっと、陽翔くんのことが好きです! モテる陽翔くんに気後れして、勝手に諦めそうになったけど……でも、私の初めての初恋だから、ちゃんと伝えたくて!」
一気にまくし立てると、心臓が爆発しそうだった。陽菜乃は、ギュッと目を瞑って、彼の返事を待った。
静寂が訪れる。
やがて、サァ……と秋の風が吹き抜け、カサリとローファーが近づく音がした。
「……目、開けてよ、陽菜乃ちゃん」
恐る恐る目を開けると、そこには、陽菜乃の想像とは全く違う、耳まで真っ赤にして、照れくさそうに頭を掻いている陽翔の姿があった。
「あのさ……俺、昨日の告白、断ったんだよ」
「え……?」
「だって、俺が文化祭の準備中、ずっと目で追ってたのは、一生懸命看板塗ってる女の子だったから」
陽翔は一歩近寄り、陽菜乃の目をじっと見つめた。その瞳には、陽菜乃の姿だけが映っている。
「俺さ、陽菜乃ちゃんと話す時だけ、格好つけないでいられるんだ。だから、その……俺のことも、これからもっと特別にしてくれない?」
頭が真っ白になった。
次の瞬間、陽菜乃の目から、今度は嬉し涙がポロポロと溢れ出す。
「な、なんで泣くの!? 俺、変なこと言った?」
慌てる陽翔の向こうで、物陰からガッツポーズをしている寧々の姿が見えた。
陽菜乃は涙を拭い、世界で一番の笑顔を咲かせた。
「ううん! 嬉しくて! ……これからよろしくね、陽翔くん!」
甘くて、酸っぱくて、ちょっぴり苦い。
二人の、本当の青春のスタートラインが、今ここに切られたのだった。
「はぁ……。今日も、何にもない一日が終わるなぁ」
高校2年生の春。相坂陽菜乃は、窓の外に広がる代わり映えのない校庭を眺めながら、小さくため息をついた。
少女漫画のような劇的な出会いなんて、現実には転がっていない。分かってはいるけれど、どこか退屈な毎日に、理想と現実のギャップを感じずにはいられなかった。
そんな火曜日の放課後。日直の仕事を終えた陽菜乃は、プリントの束を抱えて誰もいない北校舎の廊下を急いでいた。
早く帰って、お気に入りのアニメの続きを見よう。そう思いながら、視界の悪い T字路の曲がり角に差し掛かった、その瞬間――。
「あ、危な――っ!」
ドンッ! という鈍い衝撃とともに、陽菜乃の身体は宙に浮いた。抱えていたプリントが、まるで白い桜吹雪のように廊下に舞い散る。
床に尻もちをつき、痛みに顔をしかめながら目を開けた陽菜乃の前に、一人の男子生徒が片膝をついていた。
「わりぃ! 大丈夫? 前、見てなくて……」
差し出された、すらりと長い手。
見上げると、そこには夕暮れの琥珀色の光を浴びてきらめく、整った顔立ちがあった。
サラリと揺れる髪、少し申し訳なさそうに細められた、吸い込まれそうなほど綺麗な瞳。
――間違いない。学年一のイケメンと噂される、サッカー部のエース・陽翔だ。
「あ……えっと、大丈夫、です……」
陽菜乃が呆然と声を漏らすと、陽翔は「よかった」と小さく笑った。その瞬間、彼の身体から、どこか甘くて爽やかな、柑橘系のような、あるいは柔軟剤のような、たまらなく心地いい匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。
「これ、散らばっちゃったな。一緒に拾うよ」
陽翔は手際よくプリントを集め、陽菜乃に手渡す。その時に一瞬だけ触れた彼の指先が、驚くほど熱かった。
「はい、これで全部かな。じゃあね、気をつけて」
ひらひらと手を振りながら、陽翔は廊下の向こうへと去っていく。
陽菜乃は、胸の奥がトクトクと激しく鐘を打つ音を聞いていた。
胸がいっぱいで、息がうまく吸えない。
理想の恋なんて、ただの妄想だと思っていた。だけど、今ならはっきりと分かる。
――私、一瞬で恋に落ちちゃったんだ。
第2章:苺シロップのまいにちと、大親友の作戦会議
「ちょっと陽菜乃! それ、マジのやつじゃん!」
翌日の昼休み。購買で買ったイチゴオレのストローを咥えたまま、大親友の寧々が目を丸くして叫んだ。
陽菜乃から「陽翔に一目惚れした」と打ち明けられた寧々は、自分のことのように大興奮している。
「だって、あの陽翔だよ!? ハードル高すぎだけど……でも、陽菜乃の初恋、私、全力で応援するから!」
「ありがと、寧々……。でも私、クラスも違うし、話しかけるなんて絶対ムリだよ」
「弱気にならないの! まずは挨拶から!『作戦名:挨拶は恋の基本ステップ』で行くよ!」
頼もしすぎる寧々のアシスト(というか、ほぼ背中を強引に押される形)によって、陽菜乃の「挨拶大作戦」がスタートした。
翌朝、下駄箱で偶然を装い、寧々に背中をド突かれた陽菜乃は、耳まで真っ赤にしながら声を絞り出した。
「お、おはよう……陽翔くん!」
陽翔は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにあの、少女漫画から飛び出してきたような笑顔を咲かせた。
「あ、こないだのプリントの子。おはよう!」
覚えていてくれた。ただそれだけのことが、嬉しくて、嬉しくて。
その日を境に、学校生活のすべてが色鮮やかに変わり始めた。
どんよりした雨の日も、苦手な数学の授業も、廊下で陽翔とすれ違って「よっ」と声をかけられるだけで、世界にパッと花が咲く。
まるで、真っ白なカキ氷に、甘い苺シロップがじゅわっと染み込んでいくような、そんな幸せ全開の毎日が始まった。
第3章:近づく距離、遠い背中
しかし、恋は甘いだけでは終わらない。
陽翔の周りには、いつもたくさんの人がいた。可愛い女子に囲まれて楽しそうに笑う彼の姿を見るたび、陽菜乃の胸はチクリと痛む。
(私なんて、挨拶ができるようになっただけの、ただの有象無象のひとり。陽翔くんにとって、私は特別な存在なんかじゃない……)
そんな劣等感と不安を抱えて迎えた、秋の文化祭準備期間。
陽菜乃のクラスと陽翔のクラスは、合同で中庭の装飾を担当することになった。
「あれ? 居残り、俺たちだけ?」
放課後の教室。気づけば、他のメンバーは買い出しや買い忘れの確認で出てしまい、教室には陽菜乃と陽翔の二人きりになっていた。
心臓が口から飛び出そうになるのを必死に抑えながら、陽菜乃は文化祭の看板に絵の具を塗る。
「陽菜乃ちゃん、絵、上手いんだな」
いつの間にか、陽翔がすぐ隣にしゃがみ込んで、陽菜乃の手元を覗き込んでいた。
距離が、近い。彼のあの甘い匂いが、また陽菜乃を包み込む。
「あ、ありがとう……。陽翔くんは、疲れてない? 毎日部活もあって、文化祭の準備もして」
「んー、まぁちょっと眠いかも」
陽翔はそう言って、ふにゃりと張り詰めた糸が切れたような笑顔を見せた。学校で見せる「完璧なイケメン」の顔ではなく、どこか無防備で、少年のような素顔。
「でもさ、こうやって陽菜乃ちゃんと話してると、なんか落ち着くんだよね。いつも周りがガヤガヤしてるから、こういう時間、ホッとする」
心臓が、ドクンと跳ねた。
「特別な存在じゃない」なんて、誰が決めたんだろう。少しずつ、本当に少しずつだけど、彼との距離が縮まっている。
夕暮れの教室で、二人の影が静かに重なっていた。
第4章:夕暮れの告白と、苦い涙の味
文化祭前日の放課後。
陽菜乃は、陽翔に渡したいものがあった。準備の時に彼が「あったら便利だな」と言っていた、手作りの装飾用パーツだ。
喜んでくれるかな、と胸を弾ませながら、彼がいるはずの準備室へと向かう。
しかし、準備室の裏手、渡り廊下の影に差し掛かったとき――陽菜乃の足がピタリと止まった。
「――陽翔先輩! 先輩のことが、ずっと好きでした!」
聞こえてきたのは、他クラスの、誰もが認める可愛い下級生の女の子の声。
陽菜乃は、物陰から動けなくなってしまった。見てはいけない。そう思うのに、視線が釘付けになる。
夕日を浴びて立つ陽翔は、真剣な表情で彼女の言葉を聞いていた。
その後の陽翔の返事は、よく聞こえなかった。だけど、女の子が真っ赤な顔で俯き、陽翔が困ったように、でもどこか優しく彼女の頭に手を置くのが見えた。
胸の奥が、ありえないくらい冷たくなっていく。
脳裏をよぎるのは、彼を取り巻く華やかな世界。そして、自分勝手に「距離が縮まった」と浮かれていた痛い自分の姿。
(勘違いしてたのは、私の方だ……。私なんかじゃ、彼の隣には立てない)
手にしたパーツをぎゅっと握りしめ、陽菜乃はその場から脱兎のごとく逃げ出した。
涙がボロボロと溢れて、視界が滲む。
走って、走って、学校の裏庭のベンチに座り込み、声を上げて泣いた。
恋が、こんなに苦くて、痛くて、切ないものだなんて、知らなかった。
「……陽菜乃!」
どれくらい泣いていたろう。息を切らせて走ってきた寧々が、陽菜乃の姿を見つけて駆け寄ってきた。
事情を察した寧々は、何も言わずに陽菜乃をきつく、きつく抱きしめた。
「痛かったね、苦しかったね……。大丈夫、大丈夫だから、陽菜乃」
寧々の温かい腕の中で、陽菜乃はただ、苦い涙を流し続けた。
第5章:初めての初恋、ここから始まる私たちの青春
文化祭当日。校内は信じられないほどの熱気に包まれていた。
しかし、陽菜乃の心は、昨日の雨のような切なさを引きずったままだった。陽翔の姿を探す勇気も出ず、ただうつむいて歩いていると、寧々に両肩をガシッと掴まれた。
「陽菜乃、このまま終わるつもり?」
「え……?」
「昨日、陽翔が女の子から告白されてたのを見た。それは事実。でもね、陽翔の気持ちは、陽翔にしか分からないじゃん! 陽菜乃は、自分の気持ちを伝える前に、自分で勝手にフラれるつもりなの?」
寧々の強い瞳が、陽菜乃の心の弱さを打ち抜いた。
「陽菜乃のまっすぐな恋、ここで逃げたら絶対後悔する。振られたっていいじゃん、私が何回でも慰めてあげる! だから、行って!」
寧々が、陽菜乃の背中を全力でパチンと叩いた。
その衝撃で、陽菜乃の心に灯がともる。
――そうだ。私は、陽翔くんが好きなんだ。傷つくのが怖くて、大好きな気持ちをなかったことにしたくない!
「……うん! 行ってくる!」
陽菜乃は走り出した。賑やかな模擬店をすり抜け、人が行き交う廊下を駆け抜け、彼を探す。
そして――中庭の、あの看板の前に、彼はいた。
「陽翔くん!」
息を切らせて叫ぶと、陽翔が驚いた顔で振り返る。
「陽菜乃ちゃん? どうしたの、そんなに息切らして――」
「聞いて、陽翔くん!」
遮るように、陽菜乃は一歩踏み出した。もう、逃げない。
「私、陽翔くんと廊下でぶつかったあの時から、ずっと、陽翔くんのことが好きです! モテる陽翔くんに気後れして、勝手に諦めそうになったけど……でも、私の初めての初恋だから、ちゃんと伝えたくて!」
一気にまくし立てると、心臓が爆発しそうだった。陽菜乃は、ギュッと目を瞑って、彼の返事を待った。
静寂が訪れる。
やがて、サァ……と秋の風が吹き抜け、カサリとローファーが近づく音がした。
「……目、開けてよ、陽菜乃ちゃん」
恐る恐る目を開けると、そこには、陽菜乃の想像とは全く違う、耳まで真っ赤にして、照れくさそうに頭を掻いている陽翔の姿があった。
「あのさ……俺、昨日の告白、断ったんだよ」
「え……?」
「だって、俺が文化祭の準備中、ずっと目で追ってたのは、一生懸命看板塗ってる女の子だったから」
陽翔は一歩近寄り、陽菜乃の目をじっと見つめた。その瞳には、陽菜乃の姿だけが映っている。
「俺さ、陽菜乃ちゃんと話す時だけ、格好つけないでいられるんだ。だから、その……俺のことも、これからもっと特別にしてくれない?」
頭が真っ白になった。
次の瞬間、陽菜乃の目から、今度は嬉し涙がポロポロと溢れ出す。
「な、なんで泣くの!? 俺、変なこと言った?」
慌てる陽翔の向こうで、物陰からガッツポーズをしている寧々の姿が見えた。
陽菜乃は涙を拭い、世界で一番の笑顔を咲かせた。
「ううん! 嬉しくて! ……これからよろしくね、陽翔くん!」
甘くて、酸っぱくて、ちょっぴり苦い。
二人の、本当の青春のスタートラインが、今ここに切られたのだった。
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