名もなき空に、青い風が吹く
第一章:運命が視える手
涙の味はその時の感情で変わる。何かに腹
を立てたり興奮したりしている時は交感神経
が優位になっているから、涙の味はちょっと
塩辛くなるのだ。逆に、嬉しい時や悲しい時
は副交感神経が優位になっているから、舐め
るとほんのり甘く感じるらしい。
いつだったか書店で立ち読みした本に書か
れていた雑学だけれど、このことがいつも頭
の片隅にこびり付いている。きっとわたしは
自分で涙の味を確かめることが出来ないから、
事あるごとに思い出してしまうのだろう。
あの夏、あなたと一緒に涙も失ってしまっ
たわたしには涙の味を知る術がないから――。
自動ドアをくぐって中庭に出ると、むわっ
とした熱気が頬にまとわりついた。長すぎる
夏にうんざりしつつ、着慣れた制服のスカー
トを翻す。
振り返った建物は目を瞠るほどスタイリッ
シュなデザインで、ここは美術館か何かじゃ
ないかと勘違いしてしまいそうになる。
漆喰や地元の木材をふんだんに使った建物
はどっしりとしていて、存在感がすごい。緑
に囲まれた広大な敷地は住宅街から離れてい
ることもあって、水を打ったような静けさに
包まれていた。
「やっぱりない、か」
建物を見上げながらずんずん後ずさったわ
たしは、ひと昔前なら当たり前にあったもの
を見つけられず息をつく。
空に向かってまっすぐ伸びるもの。
灰色の煙突。
そこから立ち上る煙をひとりで眺めようと、
空に還っていく伯父さんを静かに見送ろうと
していたわたしは目的を失い、立ち尽くして
しまった。
無煙・無臭・低公害。環境に配慮した近頃
の火葬場は、見送るための煙を空に上げない
らしい。五年前に建ったこの斎場もエコロジ
カル葬送施設の名のもとに、最新設備を備え
ているとパンフレットに書いてあった。
さて、どうするかな。ぽつんと芝生の真ん
中に立ったまま、ガラス張りの炉前室に目を
向ける。会葬者たちが故人との別れを惜しん
でいる様子が遠巻きに見えて、ツキンと胸が
痛みをうったえる。